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2016-04-20(Wed)

[]《點五歩》への疑問

《點五歩》のストーリーをネットで読み、予告編を観た時に感じたのは、"沙燕隊はリトルリーグなのに出演者の子供役がずいぶん大きい" "リトルリーグなのに港版《KANO》という紹介は何故? 高校野球?" という違和感だった。昨日の「香港少年野球事情」の項の最後に少し書いたのだが(id:hkcl:20160419)、実は《點五歩》は、本来小学生の話を中・高生に置き換えているのだった。(当初高校生と思ったが、正確な学年は映画を観ないと分からないので、中・高生としておく。昨日のその部分も訂正した)。映画は創られるものだし、映画の為に実際の物語を改変すること自体には問題はなく、出来上がった映画が良ければ、それでいいと思っている。ただ、《點五歩》にはいくつかの疑問や問題があると思われるので、映画を観る前にまとめておきたい。


劇中、沙燕隊(Martins)が対戦する日本人チームは、どうやらバッファローズらしいのだが、沙燕隊もバッファローズも香港少年棒球聯盟(Hong Kong Little League)に現在も存在している。香港少年棒球聯盟は年齢で細かくリーグを分けており、マイナーリーグには7〜11歳、メジャーリーグが9〜12歳、ジュニアリーグが12〜14歳の児童・生徒が参加可能である。そして、沙燕隊もバッファローズもマイナーリーグ所属、つまり小学校低学年なのだ。

監督・脚本の陳志發はTVB仕事をしており、様々な資料を探すうちに沙燕隊の話を知り、映画化を考えたようだ。《がんばれベアーズ》というアメリカ映画もあるくらいで、小学生でも十分に映画には出来ると思うが、彼は小学校低学年では物語を作ることが難しいと考えたのだろうか。

80年代香港の学校制度では、小学校は6年、その後中學が7年あるが、中學5年時に會考といわれる統一試験があり、あと2年間勉強するかどうか考えなければならない。また大學に行くためにはその2年間勉強しなければならなかった。大學進学率がそれほど高くなく(現在は大學が8校で大學進学率は20%程度、80年代香港には大學が香港大學と中文大學の2校しかなかったので大學進学率はかなり低かった)、中學5年で勉強を終え社会に出て行く生徒がほとんどだった。中學の5年間は大人社会へ入っていく手前の微妙な時期で、それだけでもいくらでも物語が出来きるだろう。物語を豊かにするために小学生を中學生に置き換えたのだろうか。しかし野球ということを考えると、小学校低学年の試合を中・高生の試合に書き換えるのに無理はなかったのか、また沙燕隊はともかく、相手チームの名前も実際にあるチーム名をそのまま使ってしまうことに抵抗はなかったのか、対戦相手だけでも架空の名前であれば、物語が創られたものだと気づくことが可能だ。


対戦相手の日本人チームにも問題がある。香港少年棒球聯盟に所属している日本人の子供たちは、ほとんどが日本人学校の児童・生徒である。海外の日本人学校は義務教育の小・中学校しか設置しておらず(現在は高校のある地域もある)、それは香港も同様である。駐在員の子女の多くは、高校生になる前に日本帰国してしまう(中学2年で帰国する生徒が多い)ため、中学3年までならなんとかジュニアリーグで活動可能だが、高校生チームの存在はほぼ不可能だし、高校生はリトルリーグではない。


さらに港版《KANO》という紹介もかなり疑問だ。この港版《KANO》(実際には"香港也有了自己的《KANO》=香港にも自分たちの《KANO》があった"と書かれている)という表現は、《點五歩》の公式fbに書かれている。台湾映画《KANO》は、日本統治時代の台湾を舞台に嘉義農林という高校が甲子園に出場する物語で、香港少年棒球聯盟の1リーグの優勝とはその規模が違い過ぎる。だから最初に港版《KANO》という惹句を目にしたとき、ひょっとしてリトルリーグのアジア太平洋大会で香港代表が日本を破ったことがあるのだろか、と考えてしまったのだ。港版《KANO》という表現は、香港でよくある誇張した表現とも取れるが、やはり誇張のしすぎだ。


どのような経緯で、どのような思いで小学生の物語を中・高校生に書き換えることになったのかは監督に直接聞いてみなければ分からない。しかしこれらの疑問や問題は、やはり香港人が野球に詳しくないことの証左ではないか。野球に詳しければ、こういった改変は出来ないように思う。それゆえ映画の出来にも多少の心配がある。しかし詳しくなかったからこそ出来た大胆な改変や、思い切った演出でそんな心配をふっとばすほど、いい映画になっていることを願うばかりだ。

2016-04-19(Tue)

[] 香港少年野球事情

今香港では新人監督・陳志發による《點五歩》という少年野球をテーマにした映画が公開されている。日本ではポピュラーな野球だが香港での認知度はかなり低い。プロリーグがないので、野球を観た事のない人も多く、まして野球をやったことのある人はほんのわずかで、ルールを知っている人も少ない。野球認知度が低いのは、香港がイギリス植民地だったことに関係しているのかもしれない。


《點五歩》に登場する少年野球チーム沙燕隊(英語名:Martins)は、香港少年棒球聯盟(Hong Kong Little League)に所属しているチームだ。映画は1980年代の話で、その当時の詳細は分からないが、在香港時に勤めていた会社が香港少年棒球聯盟に多少関係していたので、2004年から2013年ごろに見聞きした香港少年棒球聯盟のことを中心に香港の少年野球事情を少し記しておこうと思う。


香港では野球に関する組織は、香港少年棒球聯盟(Hong Kong Little League)と香港棒球總會(Hong Kong Baseball Association)の2つがある。香港少年棒球聯盟はアメリカ人日本人が中心になって1972年に成立、1980年ごろに初の香港人チームが参加したという。今も日本人やアメリカ人が中心になっている。香港棒球總會の成立は1992年で、こちらはもっぱら香港人が中心で、規模も香港少年棒球聯盟より大きくなっており、政府の助成金も出ていると聞いている。


香港少年棒球聯盟は年齢別にマイナー小学校低学年)、メジャー(小学校高学年)、ジュニア中学)、シニア高校以上)に別れており、それぞれがリーグ戦を行って優勝を決めている。年によって少しの違いがあるが、マイナーが12チーム、メジャーが10チーム、ジュニアが6チーム(シニアは参加者なし)で各チームに10人以上の選手が所属し、全28チーム、300人以上の子供たちが参加している。日本人チームは8(マイナー3、メジャー3、ジュニア2)あり、在港の日系企業スポンサーになりサポートしている。その他にアメリカ人、香港人、韓国人チームがあり、ほとんどは保護者がスポンサーになっている。


香港の学校は9月新学期のため、リーグは10月から翌年3月を1シーズンとして優勝者を決め、5月にアニュアルバンケットを行って表彰している。選手たちは主に土曜日に練習し、日曜日にリーグ戦を行っている。日本人チームは、主に駐在員の子女(ほとんどいないのだが女子も参加可能)が参加しているため、保護者の帰国もしくは他所への転勤で、シーズン中も選手の入れ替えがある。なかには野球がしたいという子供の希望父親だけが先に帰国、母親と子供はシーズン終了まで(つまりは学期の終了まで)香港に留まる例もあった。


2013年時点で香港少年棒球聯盟は、沙田の多石と獅子山隧道近くの2か所に専用グラウンドを持っていたが、3リーグがリーグ戦を行うには2か所では足りず、その他は康文署管理のグランドなどを借りて、練習や試合を行っていた。また香港の法律で12歳以下の子供は1人で外を歩かせることができないので、グラウンドまでの移動には日本人チームはバスチャーターし保護者が一緒に搭乗して引率した。香港人やアメリカ人は保護者が引率して自家用車公共交通機関をつかってやってきた。グラウンド周辺には自販機コンビニもないところが多いので、弁当や水分は各自で用意、救急用品なども保護者が持っていった。また各チームの監督、コーチ、リーグ戦の運営や試合の審判、結果のまとめは、保護者がボランティアで行っている。とにかく保護者の積極的なかかわりなしには子供たちがスポーツを楽しむことは出来ない。これは野球に限ったことではなく、サッカーなど他のスポーツでも同様だった。


香港少年棒球聯盟は夏にはアジア太平洋大会に香港代表チームを送っている。このときもスポンサーを募るのだが、やはり香港人には野球の知名度が低いためなかなか集まらず、アメリカ人や日本人の保護者が走り回ることになっていたようだ。アジア太平洋大会で優勝するとアメリカの本大会に行けるが、残念ながら私が香港にいる間には一度もアメリカに行くことはなかった。また前述の香港棒球總會や中国大陸のチームが参加する大会に参戦することもあったので、選手や保護者は1年を通じてかなり忙しく生活していた。


映画《點五歩》の内容をネットで見ると"band5"の生徒となっているので、中學つまり日本で言えば中・高校生の話しである。実は本来の沙燕隊の話は小学生の話しであるが、これを中・高校生に置き換えているようだ。なお香港棒球總會には、小学生、中学生、高校生、大學生、青年、女子、軟式野球のチームも登録されている。

2013-05-14(Tue)

フィルム現像技師・呂麗樺。

[] 王衛家御用達フィルム現像女王、NGは無い

先日の香港電影金像奨では、珍しい事に黒いサングラスをかけた王家衛(ウォン・カーワイ)監督が受賞したのではなく、プレゼンテーターをつとめた。人呼んで「呂姐」、ベテランのフィルム現像師・呂麗樺もまた、珍しい事にスクリーンの裏から表舞台に立って「専業精神奨」を王家衛から受けとった。彼女は王監督御用達のフィルム現像師で、1990年の《阿飛正傳》からのパートナーだ。「沢山のフィルム現像所があるのに彼は私の所がいいと言う」。彼女はこの仕事は退屈だという。当初彼女を惹きつけたのは、「スカートを穿かずに会社に行ける」という理由からだった。

「受賞すると知った時、王家衛監督が授与してくれたらいいと思った。彼の映画を担当することで私の知名度は上がったから」と50数歳の呂姐は言う。王監督は1本の映画にかける時間が長いことで知られている。《一代宗師》は準備に10年、《2046》を撮れば2046年までにできあがるかどうかと揶揄されるほどだ。この事に関して呂姐には語る資格があるだろう。「一般的な映画は撮影後のフィルムは5、60万フィートだが、王家衛監督は100万フィートはある。しかし彼は自分が何を撮っているのか分かっている。彼はとてもまじめな監督なんです」。

呂姐はこれまで一種類の仕事しかしたことがない。それはフィルム現像。得意とするのは色調整。来年には仕事を始めて40年になる。「最初の10年は研修生。毎朝会社に行き掃除。私たちの仕事は机の上に塵があってはならないのです。つまりフィルムにゴミがあってはならないからです。そうでなければ画面に白黒の点を作ってしまうからです」。

金像奨授賞式で王家衛は、「映画制作において、監督はNGを出せる、俳優もNGはある、カメラマンもNGはある、けれどフィルム現像はNGを出せない。現像のNGは心血を注いだすべてが烏有に帰してしまうからだ」と語った。現像がNGに成らないようにするため、呂姐は仕事を始める前に2時間かけて、機械、薬品を検査し、テストを行う。それを毎日行っている。仕事は退屈ではないのか。そうとはいえない。フィルムが陽の目を見る前、まず一度は現像される。100万フィートに達する王家衛のフィルムは、1万フィートの上映版の100倍以上になる。しかし呂姐は気にしない。なぜなら彼女はフィルムの長さに応じて料金を取るからだ。


現像処理で汚れた感じを作りだす

1本の映画には3000を超えるシーンがある。呂姐は監督の要求に応じて色を調節する。王家衛のロマン主義的雰囲気が彼女の手に金像奨を握らせたのだ。「彼にとても感謝している。いろいろな事を試させて貰った。彼は数ある監督の中でも現像効果についての要求がもっとも多かったのです。例えば《春光乍洩》、粗くて汚い感じが欲しいというので、何回も現像し、また薬品も調製して、粗い粒子の効果を作り上げたのです。これはとても大胆な試みでした。また《東邪西毒》では、黄砂の大地の感覚が欲しいというので、比較的きめの粗い画面が出来るように現像しました。さらに最後に彼女は、数十の映画館の映写機に合わせて微調整した版を作ったのです。

王家衛の《花様年華》《重慶森林》《2046》など、他の監督の《無間道》《黒社会》など著名な映画も呂姐の現像所で出来た作品だ。彼女の手を経た映画が何本あるのかその数ははっきりしない。しかしカテゴリー1だろうが3だろうが、彼女は真剣に処理する。「あなたたちは3級を見てるけど、私は4級を見てる。なぜなら私は上映前のフィルムも見ているから」。彼女は普段おばけ映画は大嫌い。しかし現像室でおばけ映画を現像している時は落ち着いている。「まったく怖くないのです。音がないから。私が見えるのはおばけの姿。ただ醜いと思うだけです」。

彼女は技術者であるばかりでなく、カラーコンサルタントでもある。「阿Lam(林超賢監督)は何か面白い事ができないかと聞く。たしか《線人》を撮っている時だったと思います。最後の場面、張家輝、霆鋒、桂綸[金美]が学校で戦うシーンは、濃い緑色を使って雰囲気を作り出しています。これは私の提案でした」。《一代宗師》のポスプロにも彼女はかかわっている。デジタル化がやってくる中、呂姐は半生を共にしたフィルムに分かれを告げなければならない。リタイアするとは言っていない彼女は、すでにデジタル技術をもものにしている。

彼女はかかわったどの映画も数十回は映画を見直している。記者は彼女は映画館で映画は見ないのではないかと思っていたが、実は彼女が映画オタクだった。映画館へ行くだけではない、家に帰ってからも見ている。「仕事の時はただ色や傷やよごれがないかを見ている。どんな映画か知らないわけにはいかないですよ」。

2013.5.14「爽報」

hasehase 2013/05/15 11:49 大変、気になっていた記事でした。日本語で読めて良かった〜有り難うございます。しかし名匠(何はともあれw)には素晴らしい職人が居ると(^^)

2013-03-30(Sat)

旧正月前、筆をとる華戈。

[] 映画の題字を書く人

友人の黄修平(アダム・ウォン)監督の奥様から監督の新作《狂舞派》の題字を有名な人に書いて貰ったと聞き、帰国前に監督らと飲茶をした際、《狂舞派》の脚本家のひとりサヴィーユ(陳心遙)さんから書いて貰ったという数点の題字を見せてもらった。

「とても有名な人で沢山の香港映画の題字を書いてるんだよ。代金はいくらでもいいと言うんだ」。

「場所は砵蘭街だよ」と聞いて、思いあたった。ランガムプレイスの斜め前のケンタッキーの先のビルの軒先に小さな屋台を出して、そこで文字を書いている人を見たことがあったからだ。ただいつも開いているわけでなかった。あの人がそんな有名な人だったとはつゆほども知らず、こんなところで字を書いて商売になるのかなと思っていたのだった。

ネットで検索すると記事があったので、訳してみることにした。

街の書家・華戈


華戈、本名・馮兆華。1948年広東省順徳生まれ。華戈は筆名で、「華」は「花」のことで、弱々しいので音が少し強くなるように「華戈」と呼んではどうかと友人にアドバイスされたという。彼の書いた字に見覚えがあるだろう。彼の書いたものはすぐ近くにあるのだから。

「この字はあんたが書いたのか?」

「ええ」。華戈は答えた。

「書いて見せてくれ」。華戈はいつものように書いた。

「本当だ。ははは」。この人が洪金寶(サモ・ハン)だった。

華戈は「大哥」と知り合ってから、多くの映画人を知るようになり、映画の題字を頼まれるようになっていった。香港映画の黄金時代には、麥當雄(ジョニー・マック)、黄百鳴(レイモンド・ウォン)、徐克(ツイ・ハーク)、王晶(ウォン・ジン)、周星馳(チャウ・シンチー)、劉偉強(アンドリュー・ラウ)、杜峰(ジョニー・トー)など数々の著名監督や俳優たちの映画に華戈も参加していた。いったい幾つ書いたのか覚えていない。60本以上なことは確かだ。印象深いのは《破豪》。大陸の友人はこの字が彼の筆によるものだと分かり、華戈が香港にいることを知ったという。

映画《黒社会以和為貴》《倩女幽魂》などの題字も彼の筆によるものだ。九龍灣・徳福廣場、レストランの富臨や美心皇宮の看板なども、みな字体は異なるが書いたのは彼だ。コンピュータの字体を使うのが流行りだが、Junoは自身のCDで歌詞を華戈に頼んで書いて貰っている。人気の理由は変化を受け入れる姿勢だ。

「字の上手い書家は沢山いるが、物語を考えて感情を字に書き出す人はいない。《葉問》は詠春について話しているんだと理解した。だから肉を拳で殴るように書くことはせず、少し上品にした。《破豪》は違う。麻薬王の話だから少しばかり「爛れた」ようにした。林夕が麥浚龍に書いたのは佛教的な歌詞だったので、字に少しだけ禅の風味を加えた」。

「お客がここを強くとか、ここを長くして欲しいと言っても、少し変な字体を望んでも書き上げてしまう」。芸術家のプライドは捨ててしまうのですか?「しょうがない、これは商売だからね。相手の好みに合わせる必要があるからね」。

その後、多くの香港映画が大陸で撮影するようになり、看板もコンピュータの字を使うようになっていって、砵蘭街で筆一本で商売をするのは華戈一人になってしまった。


1979年、華戈は大陸から香港へ移民してきて、右も左も分からず工事現場で働いていた。書道コンテストに参加し、受賞後に頼まれて字を書き100元稼いだのが転機になった。

「3日間の賃金より多かった。字を書いても食えるんだと知った。それから大胆にも看板書きを仕事にしたんだ」。

1か月の賃金をはたいてポケベルを買い、名刺を作った。日曜日になると土瓜灣や油麻地、旺角あたりを歩いた。「店の看板が古くなっているのを見つけると、新しくしないかと店にもちかけた。書いている時は幾らもらえるか分からない。相手が気に入るかどうかだから。稼ぎがいいときはよいものを食べて、稼ぎが悪ければ叉焼包で腹を膨らました」。

当時コピー機はまだ普及しておらず、看板は原寸大で書いた。三尺なら三尺で一気に書くから大胆さが必要だ。

書いていると全身ペンキだらけになる。このペンキのシミが付いた手提げ袋は当時のものだ。「子供がゴミ箱に捨てたものを僕が赤と白のペンキと筆入れにして使っていた」。手提げ袋は「栄誉のリタイア」しているが、記念にとってある。

白地の看板はどのように書くのかというと、まず白いペンキで下地を塗って、乾いたら赤いペンキで字を書く。簡単に聞こえるが時にはこれが大仕事だ。九龍城の金物屋の看板は高いところにあって、さらには道路に突き出ていた。脚立の上にさらにハシゴを縛り付ける。ハシゴとハシゴを縛ってようやく一番上に届いて字が書けた。「あの時は”怖いもの知らず”だった。車がちょっとハシゴにぶつかっただけでも危険だったんだ」。工業ビルの外壁に書いた時は敏捷だった。「片手は外壁の竹組をつかんで、片手には大きな筆を持って下書きもなしに全体で長さ5、6尺もある大字を書き上げた。恐れず言えば、僕以上の人はないと思うよ」。

当時華戈は30代、書家の中でも若い方で商売も上手くいっていた。「多くのお客さんは僕が店を出すのを待っていたんだ。予約が後を絶たなかったからね」。筆をふるうとすぐに10数人が取り囲む。「警察は通行の邪魔だといい書くのをやめさせ、溜まっている人を追いやる。するとまた筆を持つ。また人が集まる」。近くのレストランの看板を書いて落款を押した。夜になると誰かに盗まれてしまっていた。

彼の"店"は30年数年、砵蘭街にある。現在の砵蘭街はトレンディなショッピングモールがあり、麻雀屋があり風俗営業店があるが、数十年前は看板書きが集まっていたことがある。いろいろな地方からやってきた人がおり、少なくとも7軒ほどの書家の屋台があった。華戈は当時を思い出して、左右どちらの手でも字の書けた林義、寧波出身の謝樸、許為公、許一龍、劉飛龍、歐基、陳友、李偉玲などが並んでいたと話す。「最も優れていたと思うのは許為公。彼の書いた北魏(楷書のことか)はとても有名だった」。

80年代初め、華戈はリタイアする書家から2800元で"場所"を買った。その後、何回も引っ越しをして現在の砵蘭街と山東街の角・すでに閉店した旧康樂酒樓の場所に"店"を置くようになった。「そのころ雅蘭商場はまだ出来ておらず、近くにはレコード店や理髪店、名刺印刷屋、鍵屋、クワイを売る店、ジーンズを売る店があった。それから小さい家や食べ物の屋台もあちこちにあった。みなご近所さんという雰囲気だった」。

近頃、華戈はいつも店を開けているわけではない。先生をしている。週6日は教えており、学生たちはいろいろな職業の人がいる。

「まず『永』の字の基本の八法を教える。そのあと楷書、行書はだんだんに教えていく」。学生には手本を見て練習してもらうが、ただただ数を書けばいいわけでないし、真似をする必要もない。「『蘭亭序』『聖教序』もよくない字はあるので、勉強する必要はない。上手い字の一筆二筆を身につければいい。細かく観察すればそれで十分なんだ」。

現代の生活はスピードが速い。書道の課程も変わってきている。基本を教えたあとは、5回目で学生に作品を書かせてみる。「出来たという感覚を持たせるんだ。『I can』と感じること、興味を持つことが一番だから」。

華戈の書には師匠はおらず、自分で学んだものだ。5番目の男の子で、筆は父と兄が使ったあと華戈の元にやってきた。すでに筆は毛が抜けてしまっていた。手本は図書館から借りてくる。順徳の家のことは鮮明に覚えていて、学生や客によく話す。「毎年、旧暦の正月には授業は休んで、"店"でなじみ客のために字を書く。彼らはずっと贔屓にしてくれている。移民しても帰ってきて会いにきてくれる。嬉しいよ」といいながら、また看板の笑顔を見せた。

華戈が今に至るまでは、そう容易なことではなかった:太陽が照りつける真夏にペンキだらけになりながら看板書きをして、竹の足場に登ってビルの名を書いた。彼の歩んで来た道は、一つ前の世代の「獅子山下」の物語であり、街の書家たちが活躍した時代の証人なのだ。懐かしい思いもすでに遠い過去になってしまった。

by 2012.11.21「thehousenews.com」(写真は2013.1.28前後に撮影)

《破豪》《倩女幽魂》《逃學威龍》《六指琴魔》《黒社会・以和為貴》《奪帥》《葉問(前傳)》《新・少林寺》などの題字、《一代宗師》に出てくるすべての看板も彼の筆によるものだそうだ。


2012-05-29(Tue)

[] 馮小剛、50億元でスタジオ建設

大陸の馮小剛(フォン・シャオガン)監督は先日、映画会社の華誼、觀瀾湖(ミッションヒルズ)と合資会社をつくり、海口に1400畝(約94ヘクタール)の華誼馮小剛電影公社を作る。公社には馮小剛映画のセットや馮小剛スタイルの街があり、さらに大型の撮影スタジオがある。予定では今年着工で再来年運営開始で、投資額は50億元。

馮小剛は公社建設の理由は、映画のセットを壊すのが忍びないからと話している。「撮影が終わりセットを壊す時、特に名残惜しいと思う。だから自分のスタジオを持ちたいと思っており、観客が忘れられないセットはスタジオに固定してしまいたい」。また馮小剛は、大陸には沢山の時代劇のセットがあるので、時代劇のセットは建てない。外の人がやっていないものをやりたいと話した。

2012.5.27@蘋果日報

海口は海南島。《非誠勿擾II》は海南島で撮影しているので、その縁だろうか? しかし現代劇の固定セット(それも馮小剛スタイルと決まっている)というのは需要があるのだろうか、とふと思ってみたり。


2012-04-26(Thu)

[] 杜汶澤、手足の痺れ

杜汶澤(チャプマン・トー)は一昨日、検査の結果、香港では大変珍しいミラーフィッシャー症候群に罹っていることが分かった。重症の場合は四肢が麻痺し、窒息の危険もあるという。この病気と診断された杜汶澤は急遽、すべての仕事をキャンセルし、自宅で静養している。2か月で7桁の金額の損失になる。

香港はこのところ熱かったり寒かったりし、多くの市民が風邪をひいている。杜汶澤も例外でなかった。風邪をひいて1か月近くたった時、突然ものが二重に見え、四肢の筋肉が反応しなくなって平衡感覚がなくなってしまった。詳細な検査の結果、大変珍しい「ミラーフィッシャー症候群」に罹っていることが分かった。重症の場合には四肢が麻痺し、呼吸困難なり、窒息死することもあるという。(続きはのちほど)

2012-03-06(Tue)

八両金。

[] 八両金、大陸で商売を

久しく香港で姿を見ていない八両金は昨日(3月5日)、ある番組のインタビューを受け、現在大陸でクレジットカード払いができるスマートフォン(お財布携帯のようなものか)の商売をしていると話した。八両金がマスコミに配った名刺には董事長と書かれていたが、彼は「大陸で商売をするにはこういうことが必要。たとえ社員が3人以下でも総裁と言うんだ」と説明した。

現在彼は、友人と資金を出し合い、このスマートフォンの商売をしており、出資額は200万香港ドルほど。彼はけして山寨(無許可)iPhoneではなく、国の許可をとった正規品だと強調した。

97年の金融危機では香港と大陸に所有していた20以上の物件が灰と化した。当時億を超える資産があったが、現在はその10分の1しか回収できてないが、現在でも1000万を超える資産があると認め、今後すべてを取り戻すと誓った。

また、妻失踪後は現在でも独身で、「妻がいなくなってから12年、息子もすでに17歳になった。息子にもし母親が君を訪ねてきたら、母の面倒をみるんだよ、といってある」と話す。八両金は前妻は再婚はしておらず、またお金がなく、現在は粗末な部屋に住んでいることも知っている。もし彼女がもどってくれば、部屋を用意しようと思っている。ただし復縁はないという。

八両金は大陸で90年代以降生まれに人気があると話す。彼女たちはご飯を作ったり、洗濯したりしてくれるという。「3人の女性と同居している。だけど別々の部屋。それにガールフレンドでもない。(どうしてアタックしないのか?)そう利己主義になってはいけない。僕がどれくらい彼女たちを幸せにできると思う。結婚しても離婚してしまうだろう。」と話した。

息子はすでに成長したが、恥ずかしがりで舞台にあがったりしたがらない。卒業をまって北京で演劇学校に入れようと思っていると語った。

2012.3.6「文匯報」


2012-01-25(Wed)

時代UA戲院。

[] 時代広場UA、今月で閉館

銅鑼灣波斯富街の個人商店が高い賃貸料にさんざんな目に遭っているのは、大陸人のおどろくべき消費能力のおかげといっていい。さらに時代広場の映画館UAも有名店に侵略され、今月末で18年の営業を終える。そしてこの場所は、月2000万香港ドルという高値でインターナショナルブランド、Louis Vuittonにリースされ、大陸個人旅行客のショッピングスポットに成り代わる。


銅鑼灣時代広場の路面と2階に位置する時代UA戲院の営業は今月31日で終わる。18年前時代広場が出来た時から時代UA戲院はこの地区の繁栄を見てきた。人の流れが増え、大陸からの個人旅行客が争ってショッピングにお金を使い、枯渇することにない潤沢な大陸の資金に支えられ、店舗賃貸料はうなぎ登り。時代UA戲院は今年頭の賃貸契約満期後には契約継続なしとの通知を受け、しばし営業を停止、ほどなくして12、13階へ移動し営業という可能性もある。

時代UA戲院の毎年の売り上げは約4000万香港ドルで、毎月の賃貸料は110万香港ドル程度。それにくらべフランスのブランドLVは月2000万香港ドルで入居する。両者の違いは明確。映画館にとっては高額だが、大陸の金を得て元気な有名店からすればけして高い金額ではない。LV広東道店を例にとれば、昨年12月の稼ぎ時には売り上げが2億香港ドルに達したという。革のバッグが6000から30万香港ドルで、1人平均2万香港ドルほどの買い物をするとし、毎日400人が来店と計算すると、1日の売り上げ800万香港ドルになる。月2億香港ドルの売り上げなら賃料もたいしたことはない。毎日各店舗に人が並んでいるようなブランド店では賃貸料を払うのも難しくはない。

2012.1.19「蘋果日報」

追記:UA時代広場、やはり時代広場12ー13階への移動は決まっているようだ。費用は5億香港ドル、工期は1年から1年半。新しい映画館は5スクリーン。うち1つは比較大きなものになり、総席数は現在のUA時代広場とほぼ同じに成る模様。


2012-01-19(Thu)

小春とチェリー嬢。

[] 小春、子供が欲しい

陳小春(チャン・シウチョン)は現在、傅穎(テレサ・フー)、夏文汐(パット・ハー)と共演の3Dホラー映画《詭婚》の撮影に忙しいが、一両日で撮影は終わり、小春は妻の應采兒(チェリー・イン)と海外で新年を過ごす予定だ。彼は昨日(18日)、「事務所から1か月の長い休みを貰っている。妻と旅行に行く計画。僕たちは子供が欲しいんだ。今度こそ成功するように願っているよ」と話した。

小春と應采兒は結婚して2年になり、夫婦は大変仲が良い。小春は「夫婦が上手くやっていくには、妻のいうことを聞くこと。妻が家に居るときは、彼女が一番上で僕は弟、彼女がいなければ僕が兄貴だよ」と笑った。

また最近、大陸で小春夫婦のマネージャーを騙る人物がいたが、小春は「僕たち夫婦が契約しているのは中國星だけ。他の事務所とは契約していない。だからみんな騙されないで欲しい」と話した。

映画は北京で撮影。動画はココ


2012-01-11(Wed)

周杰倫と方文山。

[] 周杰倫、西安にカラオケ店オープン

台湾の天王・周杰倫(ジェイ・チョウ)は、3750万香港ドルを投じて西安にカラオケ店をオープンし、先日正式に営業を始めた。周杰倫は、不仲とうわさされた友人の方文山と一緒に現れた。また周杰倫は今後5年で大陸各地に支店を開きたい、さらには中国A股に上場したいと話した。まさに本当の「周董」となるわけだ。2012.1.11「東方日報」

気になるのは、なぜ西安なのかということなのだが、記事はそのことには触れていない。なぜ、上海や北京、もしくは広州でなく、西安なのだろう。ちなみにこのカラオケ店、名前は「真愛范特西KTV」というようだ。オープン時の写真は、ココに。