2012-02-15
『われら』ザミャーチン
- 作者: ザミャーチン,ЕвгенийИ.Замятин,川端香男里
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/01/16
- メディア: 文庫
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これはほんとにすばらしい小説だ。ジョージ・オーウェルの『1984』と比べられることが多いようだが、確かに話の筋として似ているところはあるけれども、文体だとか未来の全体主義的社会主義国のイメージにおいては『われら』のほうが圧倒的に切れ味が鋭いと感じた。どの辺がそうなのかと言うと、例えば文体に関して言えば数学用語が多数用いられていて、しかもそのことが主人公をはじめとする「われら」の思想と密接に結びついているところや、全体主義国家のイメージとして、建物が全てガラス張りになっているという設定などがそうである。特に前者に関しては、全体主義的社会主義国家は、人間が完全に合理主義に染まった結果として描かれる。パトス的な物を、「われら」側の人類は「緑の壁」の向こう側へと区切ってしまい、排除するのである。パトスを内発性、理性を形式とそれぞれ読み替えれば、スノビズム国家の本質をついた小説ということができる。「われら」の国では選挙の結果があらかじめわかっていて、選挙は象徴的意味をもつだけなのである。
明日は恩人の年一回の選挙日なのである。明日われわれはふたたび、われわれの幸福のゆるがぬ砦の鍵を恩人にゆだねるのである。
言うまでもなく、この行事は古代人の無秩序で組織されていない選挙なるものとは相似た点はない。おかしなことに、古代人の選挙では、選挙の結果すらあらかじめ分ってはいなかったのである。まったく計算も考慮もない偶然のうえに、当てずっぽうに国家を建設しようというのだが、これほど無思慮なことがあり得ようか? それにもかかわらず、実際には、こういうことを理解するのに何世紀もの年月が必要だったのである。
このわれらの時代には、他のすべての事と同じように、いかなる偶然の起こる余地もなく、いかなる予期せざることも起こり得ない、ということを言う必要があるだろうか。選挙それ自体も、むしろ象徴的な意義を持っているのだ。(ザミャーチン『われら』川端香男里訳、岩波文庫、207、208ページ、原文の傍点箇所をイタリックに代えた)
選挙の意味は空洞化し、象徴的儀式として形式的に反復されるのみである。毎年毎年、「恩人」なる指導者が「当選」し続ける。その権力を追認するためにのみ、選挙は行われる。
また、ガラス張りの建物というアイデアも、現代の視点から照らしてみても面白い。もちろん書かれた当時は秘密警察の監視の絶対化だとか、相互監視の恐怖などを表現した小道具だったのだろうが、我々は今も他人の部屋を盗み見たいと思っている。犯罪者の住処や、不倫する人々の部屋や、ゴミ屋敷などを暴き出して糾弾したいという欲望を持っている。ガラス越しに他人の弱点を暴きたいと思っている。変な奴を締め上げて追放したいと思っている。何かを隠し持つのは悪いことだということになっている。
とはいえ『われら』を『すばらしい新世界』や『1984』に先立つアンチ・ユートピア小説としてのみ評価することは間違いかも知れない。フレドリック・ジェイムソンの『未来の考古学』には、SF批評家ダルコ・スーヴィンの見解が紹介されている。
The Metamorphose of Science Fiction(New Haven, 1979) において、ダルコ・スーヴィンは『われら』を反ユートピアに分類する議論に反対し、この作品をむしろユートピア的伝統のなかでの二つの傾向の交差する点だと見なしている。「小説『われら』における敗北は小説そのものの敗北ではなく、憤激して読者にショックを与え、思考と行動へ駆りたてようとするものである。……これは「冷たい」ユートピアと「熱い」ユートピアとのはげしい衝突を示す記録である。ラブレーやシェリーによってなされた、カンパネッラやベーコンへの非難なのである」(p. 259)〔ダルコ・スーヴィン『SFの変容——ある文学ジャンルの詩学と歴史』大橋洋一訳、国文社、1991年、p. 402〕。(フレドリック・ジェイムソン『未来の考古学』秦邦生訳、作品社、442ページ)
上記に述べられているように、ザミャーチンの『われら』に描かれる「単一国」とその哲学には、不思議なユートピア的な魅力があると言わねばならない。
しかし、至福と羨望というものは、幸福と名づけられた分数の分子と分母であることが明白ではないか? われらの生活に、羨望の動機となるものが依然として残っているとしたら、二〇〇年戦争のあのすべての無数の犠牲の意味はいったいどこにあるのだろう。しかしながら動機は残っていた。なぜなら《ボタン鼻》と《古典的鼻》が残っていたからである(散歩の時の例の話題)——また、ある人の愛を得ようと多くの人が努めたのに、ある人ときたら、誰も相手にしなかったからである。(『われら』33、34ページ)
「でも幸福は……どうでしょうね? 願望というものは辛いものじゃないかしら? はっきりしているのは、願望というものがもうなくなった時、何一つなくなった時に幸福がやってくるということなのね」(279ページ)
君にたずねよう、幼い時から人人は何を祈り、空想し、何に苦しむのか? 人人にきっぱりと、幸福とはどんなものか教え——それから人人をこの幸福の鎖につなぎとめてやる人間がいたら、ということではないのか? われらがしているのは、ほかならぬまさにこのことではないのか? 古代の天国についての夢想……思い出してみたまえ。天国ではもう願望も、憐れみも、愛も知らない——(327ページ)
「われら」の単一国では、不自由こそが幸福であり、自由こそが不幸である。この命題は、そう簡単に否定することはできない。幸福を望むものは幸福の持続をも望むだろう。その持続は不自由とどう違うのか? 自由が選択可能性の高さを意味するならば、各々の選択において常に幸福であり続けることをどうやって証明するのか? 幸福の定義も問題だ。幸福=「不幸が一切存在しないこと」と定義するならば、正に『われら』の単一国はユートピアである。幸福の定義に、もっと積極的な何かを求めると、その中身が途端に揺らいでしまう。どうして我々は何かを「幸福だ」と感じるのか? その理由は日常的な言葉で説明できないのかもしれないのだ。もしかしたら、幸福を感じるツボを生理学的に刺激され続けているのが、人間にとって最も幸福を感じる生き方なのかもしれない。『われら』においても、脳に手術を施して不幸を完全に除去してしまうという解決策が登場する。
ことほどさように、『われら』を単なるアンチ・ユートピア小説だと切り捨ててしまうのは思考停止なのである。どうして「われら」の単一国ではダメなのか、その論理を読者自身が練り上げねばならない。そして確かにこの小説には、それをさせようとする力がある。革命力88。
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