私の息子は、今年何とか、2年生になりました。私と息子が受験勉強を始めてからの2年間と息子が函館に行ってからの体験をお話したいと思います。

私の息子は一人っ子です。私は息子の自主性に任せていれば、自分のことは自分で考え、行動できる、自立した子供になってくれるのではと、期待していました。ところが、私の息子は、私の期待とは裏腹にゲーム以外のことは無関心、無頓着で、学校の宿題さえもこなさないという有様でした。
小学校5年生になろうとする春、周りの友達が学習塾に通い始める事に焦り、私の息子も塾に通わせさえすれば、勉強を見てもらえるだろうという、安易な考えで、塾に通わせ始めました。
ところが、勉強内容は、学校と全く違い、日々こなす宿題の量も半端ではなく、驚きました。学校の勉強もおろそかだった息子は、塾の内容を全く理解できませんでした。
仕事の都合上、息子は一人で勉強しなければいけない時間が多くありました。息子の言葉を信じて、どれ程勉強が進んでいるかと何度期待したことか。時には、ずっと考えていたと、1問で半日以上費やしたり、ずいぶんスムースに、進んでいると思ったら答えを丸写ししていたり、終わらないプリントを捨ててしまったりと、息子はそれなりに私に怒られないためにどうすべきか、親は息子の嘘を見抜くために、どうカマを掛けるかに、日々奮闘していたように思います。息子も学習せず、何度も同じ事を繰り返し、怒った私は、時にはテキストを破ったりゲームを真っ二つに壊したこともありました。元々何もしていない状態からのスタートで、模試結果を見ては、気絶しそうでした。もちろん、実力相当校外でしたが、息子はというと、いつも自信満々でした。その根拠のない自信にずいぶん助けられたものでした。

函館ラサール中学校を知ったきっかけは、近所の息子さんが入学したことでした。「とても良い中学校なんだよ」と聞いていましたが、その時の私には、「いい中学校」の意味がよくわかりませんでした。〔いい中学校〕とはどういう中学のことを指すのかが、疑問でした。
 そのお母様の勧めもあり、小学5年の夏、初めて函館ラサール中学校の説明会に参加させて頂きました。
優しそうなフェルミン校長先生、楽しいお話をしてくださった、井上副校長先生を身近に感じ、何より、お母様方の体験談には、涙して帰った覚えがあります。
その日から、私の気持ちは、函館ラサール中学校に向かいはじめていました。
 その年の冬、初めて息子を連れて函館を訪れ、学校訪問をさせて頂きました。すごく雪の降った日で、やはり北国なのだと実感しました。
学校訪問ではフェルミン校長が丁寧に学校内を案内してくださり、息子にも色々お声をかけてくださいました。息子は何を聞かれても、すぐ言葉にすることができず、隣で聞いていた私のほうが、やきもきして、変わりに答えたい程でした。それでも、校長先生は、息子の言葉を急かす事もなく、焦らせる事もなく、ずっと待っていてくれました。
息子の気持ちは、この時、更に函館ラサール中学校に向いたと思います。
それからの息子はただ、フェルミン校長先生のいる学校で勉強したいという気持ちで頑張ってきました。6年生の秋、函館での学校説明会に息子と一緒に訪れた時も、その1ヵ月後、東京での説明会の時も、フェルミン校長先生から、お声を掛けていただきました。私達親子は、フェルミン校長先生が覚えていてくださったという事だけで、頑張ろうという気持ちが更に強くなりました。私は絶対、合格させてあげたいと、強く望むようになりました。私の場合、この東京での説明会の次の日に、息子の父親が倒れ、入院生活を余儀なくされました。これからが、願書提出、受験本番という時期でした。何より息子が動揺することが心配でしたが、息子は「受かりたいから塾へ行く」と、私より強い精神力で、私のほうが逆に支えられました。

受験勉強中は、お友達と遊ぶ時間もなく、これで駄目だったら、この2年間の息子の生活をどうやって取り戻してあげれば良いのか不安で「つらいのならやめる?」と何度も聞いてきました。それでも息子の「やめない」という言葉に励まされ、私も頑張れたのだと思います。

函館ラサール中学校の入試の前日、息子と夕食を食べたとき、息子から、「友達と遊べなかったのは辛かったけれど、落ちても今まで勉強してきて良かったと思ってるよ」と言われたときには泣けました。
試験当日は緊張も動揺もしたことのない息子が「緊張している」と言って顔を強張らせていたのを覚えています。

前期入試結果は不合格でした。息子も仕方が無いという気持ちで後期試験に向けて願書を提出し、勉強に励んでいました。そんな時、フェルミン校長先生から、追加合格のお電話を頂きました。息子と抱き合って、「わーわー」泣きました。その日は「やればできるんだ」「うちの息子がやってみせてくれた」「すごいぞ」という気持ちでいっぱいでした

しかし、次の日から私の気持ちは、あと何日で函館に行ってしまうというカウントダウンが、始まりました。実際に離れるという実感はわかないものの、中学校の制服の採寸に行き、目の前で、函館ラサール中学校の制服を着ている息子を見たときには、本当に行ってしまうんだと寂しくなりました。息子のひとつひとつのしぐさを見ては、目が潤み、寝顔を見ては泣いていました。荷造りをしながら、下着に名前をつけたときには、なんともいえない寂しさがありました。
私は、かなり子供への依存心が強かったと思い知らされました。
受験すると決めたときには、想像できなかった思いでした。受験に向けて子供と蜜に接することのできた、この2年間は私の宝物です。

中学校の入学式の前に入寮式があり、その日から息子は寮生となり、寮に泊まりました。入寮する前日に泊まったホテルでは、今までに無いくらいはしゃいでいて、おそらく息子なりに、かなり不安だったのだと思います。入学式当日の息子は、初めて寮に泊まり、眠れなかったのか、かなり険しい表情をしていました。動じないと思っていた息子ですが、やはり緊張していたのだと思います。そんな息子を函館に残し帰ってきたわけですが、帰りの飛行機の中では涙がとまりませんでした。息子の居ない家の中で息子の名前を呼んでみたり、使っていた布団をそのままにしておいたりと、寂しさを感じる毎日でした。
 息子の方はというと、初日の緊張だけで、すぐに寮生活にも慣れたようでした。電話をするようにと、テレホンカードを何枚も持たせていますが、一向にかかってきません。
どれ程息子からの電話を待っていたことか。
お友達とのトラブルもあり、函館に呼ばれたこともありましたが、最近は電話が無いことが、何とか無事に生活している証拠だと思えるようになりました。
正直、成績もギリギリなので、息子は息子なりに大変だと思います。それでも何とか頑張っているようです。また、離れている息子のことで悩み事があっても、同じ境遇にいるお母様がささえてくれます。私にとって、とても心強い存在です。

私の場合、息子から届く手紙の内容で、成長を感じていたりもします。入学間もない頃の手紙は、5行程度で「元気にしているよ」と報告のみだった手紙が、今は便箋いっぱいに、学校での出来事や私へ気遣いが書かれてくるようになりました。函館ラサール中学校に入学し、寮生活を送っていることで、他人を思いやる気持ちが、少しは持てるようになってきたのかと、うれしく思っています。共同生活の中で、自分のことは自分で考え行動しなければいけないということを、日々、学んでいてくれていると思います。程良い距離感があるからこそ、帰省の度に、いたわってくれたり、手伝ってくれたりして成長した息子を見ることができます。今は、子供が先に親離れしてくれたからこそ、私も少しずつ子離れができたのかなと思っています。