銅鐸が聞くものから見るものへ変化したのはなぜですか。 / 青銅器の巨大化はなぜ起こったのでしょうか。装飾品として豪華にみせるためですか。

祭祀で用いられる音は、概ね神を招き、喜ばせるものだと考えられています。銅鐸も、当初はそのようなものとして使用されていたのでしょう。それが巨大化し、絵画や装飾などが過多になってゆくのは、ひとつにはやはり神霊を喜ばせるためであり、もうひとつは、共同体の力を示す意味があったのだと考えられています。より大きな、より質の良い祭器・宝器をたくさん生産できることが、共同体の力の誇示になる。それを用いたセレモニーが共同体の内部をまとめ、外部へのアピールになる。かかる競合状態が発生し、青銅器は時代を追って巨大化してゆくことになり、またある地域では、それに変わる独自性を打ち出す(競合のひとつの手段です)ために異なる祭祀の方式が採用される。聴覚的なものから視覚的なものへ移行したのは、視覚的な肥大化の方が、その競合の手段に適合的だったからでしょう(聴覚的肥大化で競合をなすとなると、より質のよい音へ、より多様な音へ、よりたくさんの音へとのベクトルが考えられますが、古代列島の音楽文化は、それを達成できるほど発展してはいなかったのです)。青銅器祭祀の変化は、そのように説明できると思います。