仏教を国家統治の手段として使用した聖武朝が、天武朝の天皇即神を利用しなかったようにみえるのは、やはり唐の仏教文化を受容し、文明国としての日本を対外的にもアピールしたかったからでしょか。

いえ、即神自体は、天武以降天皇認識の前提となっています。それゆえに、大仏造立の際、聖武が「三宝の奴」になると宣言したことが、大きな矛盾を孕むのです。この先例には、中国南朝梁の武帝などがいますが、聖武の場合は、下に説明した宇佐八幡などのように、自らを護法善神、すなわち仏法を守る善神と位置づけて帰依を表明しているのでしょう。