縄文〜弥生にかけて、死者への畏怖は薄らいできたようにみえたのに、再び墓を厳重に密閉するような死者観へ戻ってしまったのはなぜですか?

古墳が縄文・弥生にみたような一般の人びとの墓ではなく、首長の墳丘墓であることが重要です。常人にはないような力を持つと信じられた首長、王の遺体だからこそ、呪術的な威力のあるものとして畏怖されたのです。一般の人物の遺体がすべて畏怖された、というわけではありません。