ローマ皇帝たちも自らを神格化したが、このような行いは多神教国家においてよくあることなのだろうか?

フレーザーの『金枝篇』が古典的名著ですが、王が神聖性を併せ持ち祭政一致の状態で統治をなすことは、古代社会、民族社会においては珍しいことではありませんでした。前にも同じように回答をしましたが、天皇は位についている間固有名詞を持たず、崩御によって位を退いてのちに、諡号の形で個性を手にします。これは、天子として君臨しているうちは彼/彼女は個体=人間ではなく、天皇霊を帯びた王という機関であることを意味します。そうすることによって人間性を超越し、神霊と感応し、森羅万象と結び合う存在になってゆくのです。しかしだからこそ、王が自らの役割を果たせなくなったときには、いわゆる〈王殺し〉が出来する。中国の革命なども、そのヴァリエーションのひとつでしょう。王の身体が消えてもそれは交換可能であり、重要なのは神霊なわけで、殺害は罪とはされないのです。崇峻大王の謀殺に際し蘇我馬子が糾弾されなかったのも、大化前代の列島が同じような価値観のなかにあったからかもしれません。