現在の教育のあり方は、戦前の教育のあり方に近づいているとの指摘がありましたが、現在だからこそ同じ過ちを犯さないように、何ができますか?
「戦前回帰」といわれる問題ですが、ぼく自身は、単純にこの一言で片付けられる問題ではないと考えています。授業でも少しお話ししましたが、当時と現在とでは、日本を取り巻く世界情勢も、国内の事情も異なります。しかし、教育において国権が強化されているのは確かで、教育の仕方や内容に至るまで、政府による統制が強まっている情況です。「現在だからできること」というのは、やはり戦前・戦中の教育体制がどのように構築されていったか、それが社会にどう浸透していったか、そのことによって国民がいかなる苦難に直面することになったのかを、しっかりと学んでおくことです。そのうえで、そうした知識に基づいて現在の情況をみすえ、批判的に思考することができるようにする。かつては、国民から思考することが奪われ、国家の方針を批判的にみるようなスタンスは、社会的な抑圧を受けました。現在も、国民からリテラシー能力を奪う趨勢は続いていますので、しっかりと注視してゆかねばなりません。
学問としての歴史と教育としての歴史が異なるのは、内容が異なるということですが、方法や解釈が異なるということですか?
この授業を半年受けて、そのことに自分なりの結論を出してください。学期末の小テストの問題に関わりますので、ここでは保留にしておきます。
マジョリティの歴史が優先されてしまうと、マイノリティの歴史はないものにされてしまうというお話を、序盤で聞きました。それを分けて考えることはできないのでしょうか? マイノリティの歴史は積極的に排除されてしまうものなのでしょうか?
のちの中世史のトピックでは、アイヌを扱うつもりでいます。その際に具体的に示してゆきますが、皆さんが学んできた高校までの日本史では、アイヌをどのように学んでいたでしょうか。恐らくは中世〜近世で琉球とともに、列島の北端と南端(西端)の歴史といったニュアンスで少しだけ扱われ、あとはコシャマインやシャクシャインの反乱、近代の北海道旧土人保護法の関係で言及されるのみだったと思います。そもそもアイヌの民族形成は、中世にユーラシア北方の経済圏のなかで行われており、日本一国史のなかでは把握することができません。よって、ナショナル・ヒストリーにおいては常に周縁に置かれ、アイヌの人々の視点に立っては語られず、不充分な叙述に止まっているわけです。
復古神道の三派が勃興する以前は、神道の最高神は定まっていたのでしょうか?
古代の、国家主導の神祇制度においては、最高の位置に付いていたのは皇祖神のアマテラスでした。しかし、『古事記』や『日本書紀』のなかではそれが必ずしも一貫しておらず、また天皇中心の構成にもなっていません。どうやらアマテラス以前は、造化三神のうちのタカミムスヒが最高神であった可能性も浮上しています。中世には神仏習合が進み、また儒教や道教の要素も採り入れられて神道が構築されてゆきますが、古代におけるアマテラスの位置づけは踏襲されていたものの、その様相は蛇神になったり男神になったり、変転を繰り返していました。また、もともと列島諸地域に広がる神祇信仰においては、中央の天神地祇のパンテオンとは関わりのない、より多様な神格が息づいていました。江戸時代以前、各地において「歴史」が多様であったのと同じ情況です。これらは社会のより深い部分で、基本的には現在に至るまで息づいているため、そもそも「神道」のレベルのみで「最高神」を語ること自体がナンセンスなのだといえるでしょう。
中世以降の日本では、天皇制を維持したまま実質的な国家運営権力を争う形が多いと思いますが、なぜ天皇制そのものをなくして新たな王となろうとする人物がいなかったのでしょうか。
授業でも少しお話ししましたが、古代から現代に至る日本列島の歴史のなかで、近現代が最も天皇制が安定している時代です。それ以前は、いつ天皇制が消滅してもおかしくない情況にありました。近世の江戸幕府などは、よく「宗教的権威は天皇、世俗的権力は将軍が体現した」などと説明されますが、その身分を天皇や朝廷によって保証される一方で、将軍は天皇の執り行う種々の儀式・祭祀を主催しており、一定の宗教的権威も手中にしていました。中国では、皇帝が常に政治の中心でもあったため、これを廃して新たな王権の樹立されることが繰り返されましたが、日本では中世以降、天皇が政治の中心から退いていったために、あえてこれを廃する必要がなかったのだとも考えられます。半年の授業を通して、もう少し深く考えてみましょう。
講義とは直接関係ありませんが、『古事記』や『日本書紀』に人類創造の話がないことは、前から疑問に思っていました。
実は、イザナキ・イザナミに類する始原の兄妹・夫婦神が、現在の民族の祖先を産むというタイプの民族起源神話は、東アジアの少数民族の間に広く残っています。そこではヒルコを想像させる肉塊から、人間と羊や豚が生まれたり、あるいは隣接する民族が複数生まれたりする形で語られます。『古事記』の神話では、イザナミを失って黄泉国へ赴き、彼女に追われて地上へ逃げ帰ったイザナキが、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三貴神を生むことになっています。しかしこれは、本来は複数の民族を生む神話だったのかもしれません。あるいは、神々の発生する姿として語られるアシカビ、すなわち春の低湿地に一斉に生え初める蘆の芽が、そのまま人間の発生であった可能性も考えられます。『古事記』においても『日本書紀』においても、神と人間とは明確に区別されておらず、また人間はヒトクサと呼ばれているためです。人間が草木から生まれてきたという神話も広く東アジアに認められるので、神=人=草木という図式が成り立つのかもしれません。