2008-07-24 流行っているみたいなので便乗してみる
■[ネット][小説][トンデモ]ミステリオタが非オタの彼女にミステリ世界を軽く紹介するための10本
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本が元ネタ。
なぜかミステリ10本が見当たらなかったので。
まあ、どのくらいの数のミスオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないミステリの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、ミステリのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にミステリを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う上下巻、シリーズ物の小説は避けたい。
できれば短編集、長くても弁当箱にとどめたい。
あと、いくらミステリ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
SF好きが『モロー博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ミステリ知識はいわゆる「ミステリまんが」的なものを除けば、赤川次郎程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。
『十角館の殺人』
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「新本格以前」を濃縮しきっていて、「新本格以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。シリーズでも8冊だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この約束過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
『すべてがFになる』、『空とぶ馬』
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなミステリ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ミスオタとしてはこの二つは“小説”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
『人格転移の殺人』
ある種のミステリオタが持ってるSFへの憧憬と、このミス絶賛のオタ的な推理へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも西澤保彦な
「童貞的なだささを書くふりしてカッコいいあつかいの男」を体現する主人公
「童貞的に好みじゃないと見せかけて好みな女」を体現するヒロイン
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
『火蛾』
たぶんこれを読んだ彼女は「京極夏彦だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この作者の作品がその後続いていないこと、これが界隈では大人気になったこと、アメリカならハリウッド映画になって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
『人狼城の恐怖』
「やっぱりミステリは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「はやみねかおる」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける二階堂の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも4冊、っていう巻数が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
人狼城の長さを俺自身も冗長と思うし、削れるだろうとは思うけれど、一方でこれが西村や吉村だったらただのトラベルミステリにしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に迷惑かけて4分冊で作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ二階堂がそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の微妙な評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
『占星術殺人事件』
今の若年層で占星術見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
コナンよりも前の段階で、金田一の推理とかトリック技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品が江戸川乱歩賞でこの時代に落選していたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに関与してなくとも、なんとなく講談社好きとしては不思議に恥ずかしいし、いわゆる2時間ドラマ吉敷シリーズでしか島田を知らない彼女には読ませてあげたいなと思う。
『哲学者の密室』
笠井の「業」あるいは「左翼史観」をオタとして教えたい、というお節介焼きから読ませる、ということではなくて。
「人の死を毎日意識する」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ清涼院の『カーニバル』最終作は破綻以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した殺人を読む」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は第二次世界大戦の大量死にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
『四月は霧の00密室』
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちで小説化して、それが非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
『涼宮ハルヒの退屈』
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
新本格から始まってラノベで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ネット以降のメタネタ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
二階堂作品自体は嫌いでないが、ありそうな感じで。
■[ネット][アニメ][トンデモ]作画オタがアニオタの彼女に作画アニメ世界を軽く紹介するための10本
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本が元ネタ。
作画アニメを10本ずつ著名アニメーターが提示するという企画が実際『WEBアニメスタイル』であるわけだが……
まあ、どのくらいの数の作画オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「作画オタではまったくないんだが、しかし自分の作画オタ趣味をアニオタ的に黙認してくれて、その上で全く知らない作画の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、作画ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、作画アニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「WEBアニメスタイル」の正反対版だな。彼女に作画アニメを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3クール、4クールのアニメは避けたい。
できれば劇場版アニメ、長くても2クールにとどめたい。
あと、いくら作画アニメ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
特撮好きが『原子怪獣現わる』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
スタッフ知識はいわゆる「クリエイター」的なものを除けば、アニメディア程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「庵野以前」を濃縮しきっていて、「磯以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。爆発も2種類だし。
ただ、ここで作画トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この技法過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、作画オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
『妄想代理人』、『映画ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島』
アレって典型的な「作画オタクが考えるアニメオタクに受け入れられそうな作画(そう作画オタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「作画オタとしてはこの二つは“アニメ”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
『プラネテス』
ある種の作画オタが持ってる無重量アニメートへの憧憬と、谷口監督のオタ的な作画修正へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもな
「ライトオタ的なカッコよさ」を体現する中田栄治
「ライトオタ的に好みなキャラ」を体現する千羽由利子
の二人をはじめとして、作画オタ好きのするカットを毎話にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
『SAMURAI7』
たぶんこれを見た彼女は「The八犬伝だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、アメリカならアフロサムライになって、それが日本に逆輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのが作られないこと、なんかを非作画オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「河童のクゥと夏休み」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける渡辺の思いが好きだから。
断腸の思いで抑えに抑えてそれでもキャラが違う、っていう作画修正が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「演技する」ということへの諦めきれなさがいかにもアニメーター的だなあと思えてしまうから。
のび竜2006の作画枚数を俺自身は使い過ぎとは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが福富や芝山だったらきっちりレイアウトコントロールしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて枚数を使ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ渡辺がそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
『太陽の王子 ホルスの大冒険』
今のアニオタで東映動画見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
コナンよりも前の段階で、宮崎や大塚のアニメ技法はこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品が労働運動していた時代にかかっていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメーター好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆる宮崎駿監督作品でしか宮崎を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
『御先祖様万々歳!』
押井の「目」あるいは「絵づくり」を作画オタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらないOVAを毎日見る」的な感覚が深夜アニメには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ『創聖のアクエリオン』異世界はうつのみやさとる以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化したサプライズを生きる」という作画オタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「作画オタクの気分」の源はうつのみやキャラデザインにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうアートアニメ風味の大平晋也パイロットをこういうデザインで映画化して、それが非作画オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
『桜蘭高校ホスト部』
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に藤岡ハルヒを選んだ。
ガイナから始まってボンズで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YOUTUBE以降の中村豊MAD時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。