法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『霧の火〜樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち』

日本敗戦の後、電話交換手として南樺太に残った……あるいは残された少女たちの集団自決事件。
日本のポツダム宣言受諾後もソ連軍は侵攻し、樺太で虐殺や略奪等の暴虐を行った。一応、ポツダム宣言受諾は正式な降伏ではない。厳密には、9月に入ってからミズーリ艦上で行われた降伏文書調印が日本の降伏した時にあたる。しかし、非戦闘員への暴力行為はもちろん、戦闘停止を事実上宣言した相手国に侵攻したことも強く批判されるべきと思う。
同時に、侵攻が予想されている中で少女達の仕事を継続させた、そして婦女暴行されるからと自決用の毒物を渡した日本という国の責任も問われてしかるべきだろう。


今回のドラマは、物忘れが激しくなった主人公が記憶を残そうとして、若者に依頼する場面から始まる。
最近の戦争物ドラマではありふれた形式で、一歩間違えれば説教臭さが前面に出る。それを防ぐためにか、老女と若者の関係に語り手と聞き手とは異なる線を作り、さらにドラマの最後でちょっとしたどんでん返しもあるのだが……正直にいって、2時間超のドラマで描くには内容が複雑すぎる。描かれていることの意味はわかるのだが、表面をなでているだけで深みが感じられない。
設定が複雑すぎて描ききれていない点は、他にも見られる。あるキャラクターの出自が終盤で明かされ、老女と孫の関係に繋がるかと思えば、似たような設定を使ったというだけで全く関係ない。老女が軍国少女時代に信仰の対象とした「野田」という男の戦後史も、台詞だけで片づけられてしまう。


大規模なセットやCGを主とした特撮は自然で、映像的に良い場面も多い。考証も、後述するソ連軍描写を除き、特に気になる誤りはなかった。
俳優陣もなかなか見事で、複雑な設定のキャラクターをよく消化して演技していた。市原悦子の老女演技にいたっては流石というしかない。
生き残った主人公が長く感じてきた負い目、主人公が軍国主義を内面化していた当時への説明口調でない批判、差別被差別を単純な関係では描かないこと、戦後史とのからみ……歴史に対する様々な視点も悪くない。場面が次々変わるためにテンポも良く、飽きずに最後まで見ていられた。
しかし逆に、時系列が混沌としつつ展開も早すぎるため、物語にのめりこめない。何を主題としたいのか、ドラマから伝わってこないのだ。あまり語られることのない歴史的な事件を取り上げ、集団自決から生き残った少女を軸に描くという企画の着眼点は良かったのだが、物語としては未整理なままだった。
ソ連軍の非道性が史実から大きく誇張されていることも気にかかった。日本軍が発砲した後に艦砲射撃が行われたことが語られなかったり、確認されていない婦女暴行が物語の中核として暗示されたり……日本国内の描写では、在樺太ロシア人もふくめて複雑さを見せているのに、ソ連軍に対しては被害者意識しかない、という演出が残念。虚構だから史実から改変することこそ自由だが、ソ連軍だけ天災のごとく単純に描かれるのは、物語として見ても欠点だ。人間としての固有性が描かれず、笑いながら虐殺略奪を行うばかりというソ連軍兵士の性格付けは、いささか古すぎる*1
放映時間が短すぎたのかもしれない。全ての要素を入れながら、しっかりした物語の骨格を作るには、少なくとも4時間くらいは必要だったろう。結局、良い素材と良い技術を持ちながら出来上がりが今一つという印象の、惜しいドラマだった。


ちなみに、同じ事件を題材にした映画『氷雪の門』は、旧ソ連の圧力で上映中止させられた。映画作品としては演出が良く、地味に特撮もがんばっていて、東宝戦争映画の佳作という評を聞いていた。
ちょうど最近にBill_McCreary氏が靖国神社で観たそうで、ドラマを見る際の参考にさせてもらった。史実からの変更点等、周辺情報も手際よくまとめてくれている。
靖国神社へ『樺太1945年夏 氷雪の門』を見に行く(1) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
靖国神社へ『樺太1945年夏 氷雪の門』を見に行く(3) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
個人的には、主演女優がまだ仕事を続けており公式サイトまで持っていることが、良い意味で驚きだった。掲示板で書かれた「蟹」にまつわる思い出が活き活きとした制作現場の肌触りを感じさせ、興味深い。

*1:主人公の指輪をめぐって少しばかり人間らしい行動が描かれたが、ドラマの焦点はソ連軍兵士以外にあった。