法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

本格的な返事は後日 その4

関連性あると思われるツイートを前後して引用。
今回は、まず「まおゆう」の冒頭についてもふれる。
まとめよう、あつまろう - Togetter*1

まおゆうの魔王はエキセントリックだろうか。性的な魅力についての極端な劣等感以外は、話している相手の気持ちを慮ることができているし、書生気質ではあってもコミュニケーション能力が普通にはある人物だと思われます。
NaokiTakahashi
2010-06-08 12:50:58

つまり、勇者は魔王の思想や理論にではなく、魔王の人格に共鳴しているように見えるのです。
NaokiTakahashi
2010-06-08 12:57:43

まあ、こんなところかなあ。エキセントリックで人の反発を受けやすそうという意味では魔王よかLのほうがよっぽどキツい。メアに至ってはどうしょうもない。ということで。
NaokiTakahashi
2010-06-08 13:34:37

前回*2に指摘した「傍若無人」とは、キャラクターの発言内容や用いうる権力*3のことを指している。発言内容を説得するために用いるコミュニケーション能力のことではない。
私が『DEATH NOTE』を比較のため持ち出したのは、他人を超越的に操り断罪するキャラクターが、ちゃんとエキセントリックな存在として物語の当初から描かれているからこそ。最終回のニアを見てもわかるように、人の反発を受けるキャラクターとして自覚的に描写されている。たとえ大量虐殺者を倒す「正義」のためであっても、そのことで他人を操り殺せば味方からすら反発がわだかまりとして残った。
ひるがえって「まおゆう」の魔王を見れば、作中でもトップクラスの権力と知識を持つキャラクターであり、その立場を用いた小道具や情報で勇者を説得しようとする。名も無き存在を踏みにじり命さえも奪うような手段を計画して実行しながら、あくまでも魅力ある萌えキャラクターの未来を見つめた行動として描かれる。魅力あふれる人物ゆえの危険性がマンガでもアニメでも描写されることが少なくない昨今、額面通りの美しい描写とは思えない*4
そもそも私は、魔王のコミュニケーション能力が高いとも思えないというか、ころころ反応を変える勇者のキャラクターで御都合主義的に魔王が解説役となっているように見える。1スレ目の勇者から台詞を抜き出すと、人間側の理屈を長々と語ったかと思えば、簡単に魔王の理屈へ耳をかたむけ、半日ほどの長い話を聞くことを決める*5。人格へ共鳴していると解釈しようにも、対応する勇者の人格があやふやにしか感じられない。
そして中途から入る萌え展開が、御都合主義という感覚を強める。

>もし「萌え」だけで解決編の説得力が成り立つならば、推理や伏線の必要性がなくなる。<たとえばその「萌え」が「本質直観」なら納得できます。あれは笠井の幼稚な思いつきであり、はっきり言えばマンガだ。作品における致命的な欠陥ではないけれど。
NaokiTakahashi
2010-06-08 13:19:50

「萌え」で表現されているのは、勇者が魔王に抱く個人的な愛着と信頼でしょう。勇者は経済学ではなく、経済学を論じる魔王を信頼しているのではないでしょうか。そもそもが論理による説得ではない。
NaokiTakahashi
2010-06-08 13:24:52

笠井作品の「本質直観」は致命的でないどころか、ミステリの観点からも欠陥にはならない。なぜなら本質直観の登場は、解決編よりずっと前で、たとえば『バイバイ、エンジェル』ではナディアが推理するよりも前に語られていたからだ。つまりフィクションなりの約束事を前提として共有するだけの手がかりは、あらかじめ読者へ与えられている*6。設定が「マンガ」であることは何の問題もない。死者が蘇るようなファンタジー設定でさえも、推理以前に読者へ充分な情報が与えられていれば本格ミステリは成り立つのだから。
ひるがえって「まおゆう」で萌え描写*7が登場する場面を見ると、勇者が魔王の誘いを一度断った後、具体的には1スレ目57番以降だ。魔王の性別が女性であり、勇者が性的魅力を感じていることが確定する描写にいたっては、90番台に入ってだ。こういう描写で勇者が魔王の仲間となる説得力を出したいのならば、最初から勇者が魔王の性的な魅力に言及するか、魔王が萌え描写の前段階まで姿を隠すべきだったろう*8。なお個人的には、萌えキャラクターであることを説得終了後までは隠す展開が好みではある。
つまるところ「まおゆう」は説得力を出そうとして、逆に、混ぜてはならない描写を混ぜてしまったのではないかと思う。たとえば強盗犯が多数の人質へ命令を出そうとする場面で、見せしめに善良な人質を殺して威圧する作品もあれば、同情を誘う善良な動機を語って人質の協力をえる作品もあるだろう。しかし同じ強盗犯が善良な人質を殺しつつ善良な動機を語れば、壊れた人間描写となってしまう*9。魔王には終始そういう印象がつきまとう*10


以下は、西尾維新作品のいくつか、および『コズミック』『殺戮にいたる病』について真相こそ言及しないが、ややトリックの性質を明かした話。
また、以前に言及した「犯人当て」とは出題者と解答者で推理によって真相が確定されるかを争う、小説形式に限らないミステリ表現であって、フーダニット形式と決まっているわけではない。だから西尾作品がミステリとして薄いというのは、犯人の特定手順が理由ではない。

サイコロジカルはクビキリ並にはミステリだと思うが。ヒトクイマジカルも匂宮出夢がミステリ的な謎を抱えた人物だし。
NaokiTakahashi
2010-06-08 13:10:41

ミステリであること自体は否定しないが、それ以外の要素が比重を大きくしめていて、結局のところミステリ小説としては薄くなっている印象がぬぐえない。『サイコロジカル』は上下巻にわたる長編というのに事件らしい事件もほとんどなく、せいぜい中編程度の脱出トリックがメインだったところが、前回に例示した『きみとぼくの壊れた世界』と全く同様だと思う。娯楽小説としての良し悪しとは別ということは前提として、ミステリとしては『クビキリサイクル』『クビシメロマンチスト』の濃度が比較的に高いことは事実ではないだろうか*11
同じように単純なトリックを長編に用いた『コズミック』『殺戮にいたる病』は、長編化すること自体がトリックの存在を隠すミスディレクションとなったり*12、真相の衝撃度を高めることを主目的に細かいディテールを重ねていたという違いがある。つまり問題にしたのは、作品全体がミステリに奉仕しているかどうかの差異だ。


最後に、後期クイーン問題について。

>他に言及した作品は名探偵が人間として迷うわけではない。<推理の不完全性に探偵が人間的に(思想的に)くよくよ悩むのが新本格後期に見いだされた「後期クイーン問題」というテーマであって、単に決定不能なだけなら「藪の中」と変わらないのでは。
NaokiTakahashi
2010-06-08 13:32:57

当該作品は意識的に「後期クイーン問題」を扱いながら名探偵が悩んでいないと説明しているのに、「くよくよ悩む」ことと「後期クイーン問題」を同一視し続ける理由がわからない。その根拠なりをid:NaokiTakahashi氏が持っているのであれば、ぜひ教えてほしいところだが。
あと、後で自己ツッコミを入れたなら、まとめに入れてほしい。似たようなツッコミを入れそうになったよ。

そもそも「後期クイーン問題」という名称からして、状況としては新本格以前からあったことを示しているのであって。
ただ少なくとも、概念が提唱され、自覚されたことから変化した部分もある。最終的に唯一の真相を推理する探偵小説と、複数の真相が互いに矛盾する小説は一見すると正反対。しかし「後期クイーン問題」によって、究極的には前者が後者へ接近してしまい、原理的に回避することができなくなった。だから名探偵の推理をどれだけ論理的に描こうとしても、それだけでは真相解明が充分に可能ではないことが明らかになった。
これを比喩的に「まおゆう」等のファンタジーに当てはめるなら、作中の思想をどれだけ洗練させようとも登場人物の善性を究極的には確定できないという話になるだろうか。このあたりは表現をまとめ中。

*1:「メア」はメロとニアのことと思われる。

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100607/1275941668

*3:これまで語ってきた「超越性」であり、ミステリでいえば真相を言い当てる能力にあたる。

*4:もちろん気にならない人も多々いる。下手に自覚している描写を入れると、気にならない人へ気づかせててしまう危険もあるだろう。しかし全く自覚的な描写がない場合、いったん気づいてしまうと極めて厳しい。

*5:かなり後にフォローらしき描写があるといえなくもないが、序盤でひっかかりを感じるかどうかが論点となっている今回は言及しない。

*6:シリーズ最初の場合は、名探偵の語る本質直観が作中真実として作者が設定しているか、読者が判断しにくいという可能性はあるが、とりあえず今回は論じない。

*7:ここでは、魔王の行動に勇者が魅力を感じているとおぼしき描写を指す。説得と無関係な身体的接触は29番以降から。

*8:実際は当該スレッドの最初に魔王と勇者が異性であるという話がされているのだが、それが現行の作品冒頭に組み込まれておらず、勇者の反応が不自然であることに変わりはない。ネットのどこかで見かけたマンガ版は、このあたりの処理をきちんとしていたと思う。

*9:たとえ話なので例外はありうる。それなりに作品として成り立つ描写にしたてられる人もいるだろう。

*10:たとえば7スレ目以降も、自身でああいう大状況を作りだしながら、勇者とラブコメを演じる展開には本気で首をかしげた。前後の描写からすれば、寝込んで勇者から介抱される描写でも良かったろうに。

*11:ついでに思い返してみれば、名探偵の超越性ということでいっても『クビキリサイクル』と『クビシメロマンチスト』も全く異なる処理を用いていた良さがあった。特に後者は「壊れた人間」というキャラクター性がうまくミステリとライトノベルの両方で機能していたと思う。

*12:しょせんは何度も使えない方法であり、初遭遇であっても真相を予想に入れることは難しくないが。