法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ブラザーズ・グリム』

テリー・ギリアム監督のファンタジー映画。詐欺師がいつの間にか真の英雄となる展開は制作中断した『ドンキホーテを殺した男』*1のリベンジとも思える。


薄っぺらいデジタル制作のタイトルバックで不安を感じたが、中身はいつものアナログ特撮な作風。中盤のクリーチャーで3DCGも用いているが、これはけっこう質感がいい。箱庭っぽさが良い意味で童話らしさを生んでいるが、安っぽいことも確か。
リアリティレベルがコントのそれなので、能天気なハッピーエンドが安っぽさを増しているとも感じる。そう悪くはないものの、コントのようで残酷な結末といういつもの結末ではないため、他の監督でも撮れそうな冒険映画という感想しか残らなかった。
ギリアム監督の特長が出ていたのは、老女が欲望のおもむくまま若返り美しくなったかと思えば崩壊するビジュアルくらいか。同監督の『未来世紀ブラジル』を思い出した。ただ、映画的なテーマもあるだろうが、単に作者のフェティッシュが現れているだけという気も。

*1:再開した撮影が再び中断したという報道がちょうどあった。http://www.cinematoday.jp/page/N0025879

「10万人の宮崎勤」におけるTV局の現場不在証明

漫画即売会のコミックマーケット、通称コミケの参加者を指して「10万人の宮崎勤」とTV局が表現したという話がある。
しかし当時でも個人による映像録画が可能だったというのに、現在まで明確な証拠は見つかっていない。
Wikipediaの記述以降に発言者と目された東海林のり子説は本人が否定し、記述の具体的な誤りも指摘していた。
YOUTUBEで映像を見たという「記憶」を主張する人も数名いるが、該当する映像が示されることはない。実際に目撃した記憶があっても必ずしも事実ではないことは、様々な冤罪事件や心理学が示している。似たような話として、WEB上で「福島瑞穂の迷言」というデマが検証されたエントリも紹介しておこう。
「福島瑞穂の迷言」という都市伝説について(事務所コメント付) - 荻上式BLOG
続・「福島瑞穂の迷言」というコピペについて - 荻上式BLOG
現時点では「10万人の宮崎勤」とTV局が報じた話が都市伝説と考えざるをえない。


ここで、当該の表現を用いた報道機関は、TV局ではなく活字メディアではないかという説がある。
続「10万人の宮崎勤」伝説はどこまで真実か - 日々のものごと日記(政治問題中心)
http://h.hatena.ne.jp/y_arim/9234096833783701106
どちらも根拠は別冊宝島の『おたくの本*1に寄稿した米沢嘉博代表の文章だ。

ここに十万人の宮崎がいると書いたマスコミもあった。

コミケ代表による事件直後の文章であることや、実際に埼玉新聞に類似した表現が見つかっていることから*2、より正確な情報と見なして良いのではないだろうか。
これらの検証をまとめたエントリも連続で上がっている。
http://d.hatena.ne.jp/enjokosai/20100731/p1
「10万人の宮崎勤」発言は都市伝説なのか(車輪の再再発明) - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)


しかし上記まとめ等では指摘されていないようだが、少し前にMoominwalk氏が時系列の関係から、当時のTV局がコミケに取材することが物理的に不可能である可能性を指摘している。
http://d.hatena.ne.jp/Moominwalk/20100716/p1

宮崎勤は1989年7月23日の時点で逮捕されているが、これは幼女への猥褻行為を働こうとしたところを取り押さえられたもので、同時点では幼女連続殺人犯=宮崎勤とは警察でもわかっていなかったからテレビや新聞に宮崎の名前が出る事はなかった。宮崎が殺された幼女のうちの1人について関与を認め、実名が新聞に出たのが8月10日夕刊時点である。さらに幼女2人について殺害関与を自供したのが8月14日深夜で、8月15日朝刊にてこれらの件は報じられた。

宮崎勤コミケとの関係を最初に指摘したのは毎日新聞であった。8月16日の朝刊で晴海で3月に行われたコミックマーケットに宮崎が「E.T.C大腕」の名前で1人で参加して友人には同人誌6冊が売れたと語っていた事を報じ、8月13、14日のコミケには抽選で落ちていた事も伝えている。同記事ではこれらの事は8月15日にわかったとしている。また同記事はコミケそのものには特に批判的ではない。

もちろん殺人自供自体は8月10日であり、すでに幼女連続殺人事件で加熱していた各報道機関は、容疑者自宅への取材を当日に行なったという指摘もある。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/miyazaki.htm

8月10日、自供通り、東京都奥多摩町の山林で野本綾子ちゃんの頭部が発見される。

同日、マスコミが宮粼の自宅に押しかけ、宮粼の父親が宮粼の自室を公開した。約6000本のビデオと多数のマンガが部屋中を埋め尽くし、窓までつぶしてしまった異様な光景は人々に衝撃を与えたが、以後、宮粼は「オタク」と呼ばれるようになる。

しかしながら、殺人が自供された日とコミケの開催日が接近しすぎていることは、当日にTV局が乗り込む困難性を示唆しているとはいえるだろう。事件全体の構図を各報道機関が把握して解釈し、コミケと容疑者を安易に結びつける時間は極めて少なかった。
こうなると、slpolient氏とy_arim氏が『おたくの本』に基づいて指摘したように、コミケが無事終了した後日に活字メディアで用いられた表現が虚偽記憶や伝言ゲームで変容し、コミケ全体を犯罪者であるかのようにTV局が見なしたという都市伝説になった可能性が高い、と暫定的に考えて良いのではないだろうか。

*1:以前に何度も読んだ書籍だが、当該表現は印象に残らなかった。

*2:slpolient氏のエントリと『コミックマーケット30'sファイル』を介した曾孫引きだが、「10万人が集まったコミケ会場の中の一人だった宮崎、幼女を殺害した彼と、他のビデオ・アニメファンとの違いは何だったのか…」という表現だったそうだ。都市伝説と違って容疑者と他の参加者を区別しており、さほどコミケを悪魔化したものではない。