法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』あやとり世界の王様に

待望の渡辺歩コンテ。演出の今井一暁は『妄想代理人』の原画などを担当してきたアニメーター。今回の大筋は原作短編と同じだが、細部をふくらませながら一本の中編に仕立てている。
演出面では、あやとり世界に足をふみいれたのび太が、高台から周囲を見わたす姿から、坂道を登るジャイアンとすれ違うまでの一連が印象的だ。遠くまで見わたせて広がりを感じさせる背景美術で、今回の秘密道具の巨大な影響力を視覚的に表現。あやとりするジャイアンを、のび太の主観かつ俯瞰で映し、主人公が知るというシークエンスでありながら、世界の変化自体は客観的に描く。
そして街へ向かうのび太の背後でジャイアンが紐にからまる様子を描いて息抜きしたかと思えば、後にのび太も同ポジで紐にからまり、あやとり世界を主人公が経験して家に帰るまでのエピソードを決着させておく。こうして各エピソードごとにまとめつつ全体のストーリーを進行しているため、他の渡辺歩回と比べて物語のまとまりが良い。
作画監督は丸山宏一で、原画には大城勝や、「迷宮お菓子ランド」*1作画監督をつとめた岡野慎吾、記憶では初登板の黒柳トシマサ、等々。細やかな指の動きをクローズアップで追ったカットから、「プロあや」での宙を舞う紐や人体の陰影を描いた作画まで、様々な見所にあふれていた。


物語面についていうと、原作と比べて目線が優しくなっているところが興味深い。あやとり世界であっさり慢心するのび太や、私情で激怒するドラえもんなど、原作はキャラクターを突き放して描いていた。比べてアニメは全体的に人間関係が柔らかく描かれている。
あやとりを拒絶したドラえもんにアニメオリジナルの真意が用意されていることも、単に手や指に障碍を負った者への配慮というより、無神経にドラえもんを笑うのび太という構図を避けるためではないかと思う*2。しかし冒頭に伏線を足しているのはいいのだが*3、明らかにあやとりが困難なドラえもんの身体的特徴は消しておくべき。ドラえもんが指を使えるようになる秘密道具を途中で登場させる等、方法はいくらでもあっただろう。


ちなみに、あやとり団体は現実に存在する。『ドラえもん』関連の雑誌でも紹介された「国際あやとり協会」もその一つ。
公式サイトのトップページで「テレビ朝日系、11月19日放送予定の「ドラえもん」は『あやとり世界の王様』の巻です」と紹介までしていた。
国際あやとり協会
掲載されている写真を見ると、どれもアニメで描かれた架空あやとりに引けをとらない細やかさ。あやとりで折り紙するという、哲学的とすら感じる作品には驚愕した*4。こうした現実で難解なあやとりを楽しんでいる人から見て、今回のドラえもんはどのように感じられただろうか。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20101015/1287243816

*2:そもそも原作では、身体的にあやとりが不可能なドラえもんを笑ったことで怒りを招き、のび太は結末でしっぺ返しをくらう。つまり単に身体特徴を笑っているのではなく、身体特徴を笑うことへの批判も織り込まれた内容なのだから、配慮でアニメオリジナル描写へ改変することこそおかしい。

*3:猫のたわむれている紐があやとりに使われ、くわえて少女達があやとりに興味を持たない比喩表現として猫が使われているため、描写が印象に残りつつ後で伏線として活用されるとは予想させないところが、地味に巧い。

*4:手順も掲載されている。http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ysisido/instruction_origami-crane.htm