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法華狼の日記

2010-11-25

[]『ゾディアック

実在の未解決連続殺人事件を題材とした、デヴィット=フィンチャー監督による2007年公開作品。

1960年代から1970年代にかけて北米各地で起きた事件と、それをとりまく狂騒から後の調査活動までを描き、近現代史映画のおもむきも感じられる。映像自体も当時の映画作品を思わせる色調で統一され、画面も2.35:1のシネマスコープ。当時の街並みを再現するための地味な特撮も見所の一つ。


前述したように現実を題材とし、ノンフィクション小説を原作としているためか、派手な見せ場はほとんどない。殺人描写を淡々と描き、悲鳴や流血にたよらず恐怖を盛り上げる良さはあったが、そうした恐怖描写の分量自体が多くない。

どちらかといえば、劇場型犯罪に魅入られて人生を狂わされた刑事や記者が物語の中心にある。一度は犯人から名指しまでされた優秀な記者の転落や、コロンボを思わせる刑事が最後まで事件へこだわりつつ断ち切ろうともする葛藤は印象的だ。

しかし事件を追った風刺漫画家の作品を原作としているためか、被疑者や関係者もまた悔恨をかかえていることはうかがえるものの、追う側の転落や挫折ばかりが前面に出てくる。追う側でも記者と刑事では挫折の形が異なるという葛藤が描かれており、ドラマ自体は充分に楽しめたのだが、冤罪の危険性を主人公側が考慮する描写はほしかったところ。

もちろん未解決事件であるため真相を究明する爽快感にも欠ける。被疑者や怪しい人物が少ないため、同じ人物が何度も浮上しては証拠不充分で消えていくから、どんでん返しの意外性もない。それでいて手がかりが収束していいって真犯人をにおわせる結末へいたるため、逆に割り切れない気分が残った。同監督のサスペンス映画『セブン』のように陰鬱さを楽しむという内容でもない。2時間38分の長丁場を見るには体力が必要な作品だった*1


題材となった事件へ思い入れをもってみれば、真犯人を究明しようとあがき、虚構という形式で一つの結論へたどりつく物語として楽しめるだろう。そう考えれば、事件の発生から犯人をしぼりこむ前半と、うまく捜査を逃れた犯人のしっぽの先を主人公がつかむ後半とで、うまく構成がわかれているといえる。まずまず悪い作品ではなかった。

ただ、どうにも真犯人らしき人物が様々な鑑定で真犯人ではないと結論づけられており、冤罪を作っているのではないかという懸念が全く解消されなかったことは、ノンフィクションとしては誠実だがフィクションとしては瑕疵。主人公の正しさに最後まで疑いを残すか、冤罪を考慮してでも名指しする意義を描いてほしかった。

同じ未解決事件を題材とした作品ならば、ずっと短かくまとめつつ冤罪等への広い視野を持っていた映画『殺人の追憶』が好みかな*2。あくまで方向性が違うとわかった上での話だが。

[][]確かに『えむえむっ!』の第8話はPC面で問題あったと思う

@氏と@氏の会話が興味深かったので。

おそらく該当すると思われる第8話「BでLな変愛模様 」は、ちょうどアニメワンで無料配信中。

no title

以下、物語内容にふれた話。


とりあえず、今どき同性愛自体を笑いのネタにする安易さはさておく。

まず、主人公がマゾヒズムを「治療」されて同性愛者となる発端はいいのだが、最低でも同性愛それ自体は何の問題ないと周囲が受け止める描写はほしかったところ。何より主人公はマゾヒズムの「治療」を求めても、同性愛の「治療」は求めていないのだから。

物語自体の流れは、少女達が主人公の同性愛を「治療」しようとするのは、主人公への恋愛感情を隠し持っているからということがにおわされていて、単純なホモフォビアとはいいきれない。しかし主人公自身がマゾヒストに戻りたいという意思を示したり、同性愛の対象となった男性が拒否しているのに主人公が無理に関係をせまっていることへ対処であれば、同性愛そのものが良くないわけではないとも含意できたのではないか。

そもそも同性愛と異性装の差異が考慮されていないところからして残念だったりする。いや、自身の性別と異なる性の服装をする異性装者が必ずしも同性愛者ではなく、むしろ同性愛に嫌悪すら感じることは現実によくあるらしいとは知っているが、どうも見ていてスタッフはよく知らないまま題材としているらしいと感じたことも確かだった。

[][]「電波として小粒っていってんのになんで噛みつくのか……」といわれた謎

勝利宣言されたという勝利宣言 - 法華狼の日記に対して、@氏と@氏が私に言及していたのだが……具体的な話はほとんどせず、態度の問題にすりかえながら明らかな間違いをいくつもおかしているのは凄い。

まずMIBkai氏についてだが、他人を「電波」と評しながら、それに疑義をとなえられると噛みつかれたと訴え、そうして言及されること自体を不思議がるような神経がよくわからない。

しかも「締め切りでクソ忙しいから構ってる暇ないし」というには、前後して「しかしほっけの人にidコールされててワロス」だの「あの人もまあ論戦下手くそなのに懲りないこと」だの「ていうかいちいちチェックしてんのか……w」だのと、反応だけはしないではいられない態度は不誠実にすぎないかな。この場合の不誠実さは、どちらかといえばMIBkai氏自身に対してのものだが。

それから、「idがはてなに書かれると@が来てわかる仕組みだから気づいたんだけど、まさか知らなかったのかね?」については、syuusui507氏が思い込みで語ったことを調べずに信じてしまったMIBkai氏こそに問題があるだろう。はてなダイアリーからツイッターへリプライを飛ばすには、専用の記法を使うという手間をかける必要がある。

Twitterのつぶやきにリンクする(twitter記法) - はてなダイアリーのヘルプ


次にsyuusui507氏だが、「ツイッターに出向いて直接やり合うと負けるから、安全な自分のブログに引きこもって叫んでる」という思い込みがどこから来たのか全くわからない。私自身が@氏のTwitterへ言及したのは下記エントリくらいなのだが。

だから星条旗は燃やされた - 法華狼の日記

久間知毅氏が、相手の気づきにくいところで批判することは自由だ。しかし、つぶやきに気づかなければ、それこそ何カ月も応答が遅れるよ。

記憶違いしそうな文章はここくらいだが、批判することは自由であると表明しているし、むしろ気づきにくいから返答が遅れたという話をしている。しかもコメント欄において私は「だからこそtwitterが公に開かれていることは念頭においてつぶやくべきだと思います」と、ツイッターが開かれた場所であり外部から批判が行われうる場所であることまで明記している。逆に上記エントリの冒頭で引用したツイートを見ての通り、同じ場所*3では応答を行わないとツイッターで表明をしたのはHisamaTomoki氏だ。つまりsyuusui507氏の記憶は全くの正反対。

また、はてな記法でツイッターへリプライを飛ばせるようになったのは、私がエントリを上げた後のことだ。リプライがとどくことを私であれ誰であれ物理的に気づけるはずがない。


両者とも調べもせず相手を批判することは問題だし、何より相手が引きこもっていると主張しながら自身ではスルーすると宣言する態度は矛盾していないだろうか。

それとも「あっちはこっちとケンカできるレベルですらない」とは自虐のつもりかな。もちろん、主張を裏付ける努力をせず批判も拒絶するような相手に対して論戦で勝つことは困難だが、そのような「議論の捏造」による「足止め効果」*4ばかり上手になる気は最初からない。


あと、本題とは関係ないが。

同日のエントリに注意書きを書いていたものの、日記のモード変更にともなって気づかれにくくなったという、こちらの問題もあるだろう。それについては謝罪しておく。いずれエントリを修正する必要もあるだろう。

そもそも当該スレッドが消えているので、現在は説明不足であることも確かかもしれない。おそらく該当すると思われるSSは、あえて何を見てもヘイトSSを書かなければならないという趣向の掲示板スレッドに書き込んだもの。しかも当該スレッドでは私への批判意見で「ヘイトで無いのが残念だ」とまで書かれた。むしろ求められたヘイトに届いていないという問題があったわけ。

*1:個人的な問題として、GYAOの無料配信で見たため、途中でCMのため画面が切りかわる時にブラウザが何度も読み込みエラーを起こし、最初から読み込みなおす羽目になって緊張感がとぎれてしまった。作品の責任ではないが。

*2:感想はこちら。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100729/1280424362雑誌『映画秘宝』のゼロ年代ベストワンにも選出されるような歴史的傑作と比べるのは酷かもしれないが。

*3http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20100210/1265808406

*4http://d.hatena.ne.jp/rna/20080104/p1