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法華狼の日記

2011-05-05

[]「弱者を勝手に代弁する人々」には適切な呼称がある

正確には、勝手に代弁された弱者の呼称。インド出身のガヤトリ・C・スピヴァクが「自らを語ることができない者」を指す言葉として引いた「サバルタン」のことだ。

弱者は代弁されることで「サバルタン」という立場となり、その代弁されること自体によって発言力が封じられる。それと同時に代弁者は限りなく透明な存在となり、代弁を通して主張した内容の責任を回避する。

サバルタンとは - はてなキーワード

「サバルタン」の代わりに「世間」を代入すると、ネットジャーゴンである「太宰メソッド」となる。

太宰メソッドとは - はてなキーワード

「弱者を勝手に代弁する」ことは、いうまでもなく政治的に正しくない*1。たぶん左翼という立ち位置を積極的に引き受ける筋金入りの人物ならば、弱者の代弁して自説に利用することの誤りを、前提の一つとして考えているだろう。「はてサ中央委員会」のドヤ顔が見える気がする*2


しかし存外に知られていない言葉らしく、「弱者を勝手に代弁する人々」の問題を語っているジャーナリストの@氏も言及していない。憑依することから「おひょういさん」や「憑依大将軍」という造語を考えたりしている。

「弱者を勝手に代弁する人々」について、佐々木俊尚@sasakitoshinao氏のツイート 2011/5/3 - Togetter

一連のツイートをまとめたTogetterコメント欄を見ても、「サバルタン」への言及はなし。

はてなブックマーク - Togetter - 「「弱者を勝手に代弁する人々」について、佐々木俊尚@sasakitoshinao氏のツイート 2011/5/3」

はてなブックマークを見ても、今のところ言及がない。


なお、「サバルタン」は代弁する者とされる者の関係性によって生まれる存在であり、常にサバルタンな集団が存在するわけではない。ひるがえって、代弁することの危険性を一度指摘したからといって、別の立場を安易に代弁していない証拠にはならない。私も下記エントリなどで、その落とし穴について書いたことがある。

そうだよ、想像するんだよ - 法華狼の日記

その意味ではsasakitoshinao氏が提唱した「共感の空間」という案も、弱者を固定化する発想が根底にあり、あまり上手くはない。サバルタンのかわりに「空間」つまりは「太宰メソッド」でいう「世間」に責任を転嫁させかねない懸念もある。

とりあえず、代弁する場合でも、あくまで代弁者の主観と責任で主張していると表明するべきとはいえるだろうか。

*1:社会運動における手腕のまずさということではなく、ポリティカルコレクトネス的な意味で間違っている。

*2:おそらく幻覚。

Gl17Gl17 2011/05/06 00:44 弱者と言おうか、特に気になるのは「被害者を勝手に代弁する人達」ですかねえ。
厳罰主義のテコに使う意図が見え見えだったりとか。
加害者を罰する話ばっかりなんですよね大抵、被害者の生活とかケアには殆ど関心がない。

hokke-ookamihokke-ookami 2011/05/06 00:59 はい、「被害者」もサバルタンになりやすい立場ですね。

>加害者を罰する話ばっかりなんですよね大抵、被害者の生活とかケアには殆ど関心がない。

全くです。しばしば加害者側と思える人間を攻撃する欲望が優先される。
犯人を死刑にしないでほしいと殺人事件の遺族が願うケースにいたっては、一定の報道もされているのに意識されなかったり、例外扱いで切り捨てられたりしますしね。

rssttrsstt 2011/05/06 16:01 「代弁」はすべてダメなのか、それとも「勝手に」がダメなのか。「勝手に」がどういうことなのか。また間違っているのは「言うまでもない」というのはなぜなのか。「狭義の無権代理と表見代理」の区別はしないのか、などなど説明してくだされないt「じゃ、面倒だから弱者のためには何もしないことにしよう」と考えることにならないでしょうか。とちょっと不安気に。

bogus-simotukarebogus-simotukare 2011/05/06 21:33 個人的にはこのエントリでは「朝鮮学校無償化問題」を連想しましたですね。我ながらかなりこじつけの気もするが。
「弱者(拉致被害者家族)が無償化除外を望んでるんだ」という救う会連中に「いや、望んでるの、お前だろ?。他人を出しに使うなよ」と思ったり。
「除外なんて許せない」と考える俺個人も「弱者(朝鮮学校の生徒さん)を勝手に代弁してる人」なのかなあとふと思ったり。

Gl17Gl17 2011/05/06 23:11 どっち側も有り得るんですよね。上記のように恣意的に代弁を濫用する例は珍しくないし、逆に「当人でもないのに勝手なことを言うな」で全否定すれば、声を上げ難い弱者やマイノリティの主張を圧殺するツールとして使える。
弱者は主張する力が無いから弱者なんだし、マジョリティが代弁者になる必然は確実にある。ただ利用する連中もいるし、それを逆手に取る手法もあると。

結局は個別の妥当性のみを見るしかないでしょう。それと、本文でも指摘のように、代弁であれ発言者の責任と個別性は保たれるという共通認識の確保ですかね。

tokumeikiboutokumeikibou 2011/05/06 23:27 少年マガジンの漫画、さよなら絶望先生に出てきた「主語の大きい人」ってのはどうでしょう。参考までに。

rssttrsstt 2011/05/07 00:26 スピヴァク読まないでごめんなさい。でも「君たちは弱者を<勝手に>代弁しておるのじゃ」と言う人は「私は弱者を<本当に>代弁できる(けどしない)のじゃ」ポジションにいて、それはそれで二重に嫌らしいのではないだろうかと思ったので。「君たちは弱者を<勝手に>代弁しておるのじゃ」と弱者が言うならかまわないけど、あれ、そういうのも弱者のなかの「代表」なのか。うむむ。

yamayama 2011/05/07 03:55 「「共感の空間」をともに紡ぎ上げていく力」っていっても、抽象的で意味不明。じゃ、具体的にどうするのということなしに、道徳的に、これはいけない、あれはいけないとかお説教しても空疎だと思う。最近の佐々木氏は、具体的な提案、情報が細って、やたらお説教が多い。

Gl17Gl17 2011/05/07 18:48 >「主語の大きい人」

私はそれだとどうしても、何にでも「日本は」「日本人は」と言い出す特定ネット民の方々を思い出してしまいます。
主観が日本な人たち。

hokke-ookamihokke-ookami 2011/05/07 23:14 エントリ本文冒頭で断っていたのですが、エントリタイトルで誤解を招いたようです。このエントリは「勝手に代弁される弱者」の呼称だけを紹介しており、「弱者を勝手に代弁する人々」の呼称を紹介しているわけではありません。だって、たぶん「弱者を勝手に代弁する人々」は言葉を用いて何かを説明するという作業をする時、誰もが近接する存在だからです。
言葉を知っているかどうかが本題ではなく、その言葉で表現しようとした問題には先行する研究があるという紹介が本題なのです。

rssttさんへ
>「代弁」はすべてダメなのか、それとも「勝手に」がダメなのか。

代弁者が責任を負わなくてすむという考えと、代弁者による代弁が被代弁者の真意とイコールであるという考えが、とりあえずはダメだと考えていいでしょう。
代弁でなく引用であれば弱者の言葉を伝える媒介になりえると思いたいですが、それでも引用しただけでも一定の責任は生まれると思わなければダメだと思います。

>「私は弱者を<本当に>代弁できる(けどしない)のじゃ」ポジション

私以上に代弁の危険性を意識している人は、「誰もが弱者を<原理的に>代弁できないので、弱者の意図とは独立した主張を私の責任で行なうのじゃ」という形式になるよう語っていると思います。

bogus-simotukareさんへ
>「除外なんて許せない」と考える俺個人も「弱者(朝鮮学校の生徒さん)を勝手に代弁してる人」なのかなあとふと思ったり。

一般論としても、弱者を政治闘争の矢面に立たせるべきではないといえますね。
できるかぎり「生徒のため」という思考を安易にしないよう気をつけて、より普遍的な人権の見地から考えるべきと思います。難しいですが。

Gl17さんへ
>弱者は主張する力が無いから弱者なんだし、マジョリティが代弁者になる必然は確実にある。

そうですね。インターネット上の論争を思い起こすと、せめて正確な引用を心がけ、引用元も明記するように、といったことが当面重要でしょう。

tokumeikibouさんへ
はい、Togetterへのブックマークコメントでも同様の指摘があり、少し違うことから「主語が違う人」という改変が提案されていました。

yamaさんへ
「じゃあ具体的にどうすれば、というのはこれから考えていく」とsasakitoshinao氏は自覚的に語っていますし、抽象的であること事態は叩き台として問題ないと思います。
実のところ、サバルタンの概念を指摘したスピヴァクも、明確な答えを出せていないと思います。声を上げられない(声を上げる必要の認識すらできない)弱者の声を拾う重要性と、声なき声を代弁することが弱者の真意を覆い隠してしまう二律背反は、かなり原理的な問題ですから。

rssttrsstt 2011/05/08 00:34 法華狼様。丁寧なコメントをありがとうございました。(1)君は誰かを「代弁」しているのじゃ。(2)しかるに、誰かを代弁することはそもそも<誰にも>できないのじゃ。(3)それゆえ、その代弁は「勝手な」代弁なのじゃ。という論理が、最も強い代弁禁止論だということですね。法華狼さんはそこまではゆかず「あくまで代弁者の主観と責任で主張している」場合に限り代弁の可能性を認めるという感じを私を受けました。

hokke-ookamihokke-ookami 2011/05/08 01:54 >法華狼さんはそこまではゆかず「あくまで代弁者の主観と責任で主張している」場合に限り代弁の可能性を認めるという感じを私を受けました。

はい、だいたいそのようなところです。もっと知見を広げれば、また考えも変わっていくでしょうけども。

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