2011-05-12
■[ネット][アニメ]出崎統監督のOVA『ブラック・ジャック』に幻の最終話?
ニコニコ動画の生放送で、11話目のアフレコを生中継するという企画が予定されている。
Promotion but Education Vol.1 「ブラック・ジャック」アフレコ生放送 - ニコニコ生放送
〜出崎版ブラック・ジャック 10年の沈黙をやぶりここに完結!〜
1993年〜2000年にかけて10作品を生み出してきた
オリジナルビデオアニメーションシリーズの出崎版ブラック・ジャック
そのシリーズ第11作となる新作のアフレコを
都内某所のアフレコスタジオより生中継!
■アフレコ参加者(予定)
ブラック・ジャック役 大塚明夫(マウスプロモーション所属)
ピノコ役 水谷優子(ぷろだくしょんバオバブ所属)
手塚プロダクション公式HP
手塚プロダクションはアニメ作品の公式配信などで古くからニコニコ動画とつながっていたから、企画そのものに違和感はない。問題なのは、今年に亡くなった出崎監督と、どのような関係で新作が生まれたのかということ。
出崎監督が直接的に制作へかんでいなくても、残した素材を用いて異なるスタッフが引きつぐことがないではない。よく文章を読むと、出崎監督作品と明言した記述はなく、出崎版と同じ設定を用いた新作とも読める。
しかし、アニメ新作の立ち上げには時間がかかることが当たり前で、最終巻が2000年に出た作品の新作を再び作るとなると、もっと前に制作が進んでいたとしか思えない。
そこで手塚プロダクションの公式サイトを見ると、ニコニコ生放送以上の情報が公開されていた。
ニコニコ生放送でブラック・ジャックのアフレコ生放送決定!:アニメ/映像:ニュース:TezukaOsamu.net(JP) 手塚治虫 公式サイト
そして第1弾となる今回、生放送されるのが、1993年〜2000年にかけて10作品を生み出してきたオリジナルビデオアニメーション(OVA)シリーズの出崎版ブラック・ジャックの新作”Karte11”の本番アフレコ収録です。
先日、残念ながら完成を待たずしてお亡くなりになった出崎統総監督の遺作にもなります。
現在”Karte11”、”Karte12”が制作進行中で今夏以降、皆さんにお届け出来る予定です。
こちらの文章を読むと、明らかに出崎監督が制作にかんでいたと思える文言。しかも遺作となるこのOVAは11話目どころか12話目も制作進行中だという。
いや、考えようによっては2000年代後半でもTVアニメを監督して全話コンテを行うようなバイタリティを持つ作家だったから、これくらい素早く作ることができたのは不思議ではないのかもしれない。
遺作と思われていたTVアニメ『源氏物語千年紀 Genji』が放映されたのは2009年の初期。2年間も秘密裏に制作を進めていたのだとすれば、むしろ少ない話数とすら感じられる。
これは期待していいのかもしれない。
■[報道]ビンラディンと排外主義
日経ビジネスオンラインに、ビンラディンがイスラム世界でえていた立場について、池内恵准教授から聞き取った記事が掲載されていた。
ビンラディンは“タレント政治家”だった:日経ビジネスオンライン
つまり、既存の体制には反抗的だが、実は保守的で伝統的規範に過剰に適応している側面も併せ持つ。筋道立って表現できないが、言っていること一つひとつは、結構、納得がいくこともある。社会的な地位は低いが、大金持ちでカッコいい。
つい手が出てしまって、様々なトラブルを起こすこともあるが、心は純真である、という評判も立ち、教育のない若者が心酔する対象としてはちょうどいい。ちょっと目立ったことを言ったりやったりすると、無責任な世間やメディアから称賛される。そんな存在だったのである。決して、本筋の政治指導者、宗教指導者として見られていたわけではない。
不満を持っている若者の気分を集めていくところまでは新左翼や既存の社会運動と類似しているが、生活保守の側面を持っていたところが独特だったらしい。
もう少し具体的に分析すると、まず、ビンラディン容疑者が掲げる「反米」には深い思想性が乏しい。イスラム指導者が掲げるジハード(聖戦)論を用いて、「異教徒=米国とユダヤ」、といった単純な図式にして呼びかけたところ、中東の一般市民や、世界全体の反米意識を持つ人が勝手に共感してしまった。
思想的な裏づけがない反米ゆえ、逆に共感を集めやすかったようだ。
ビンラディン自身の生い立ちも不遇で、富豪であっても社会への不満を持つ立場だったことが説明されている。
ビンラディン容疑者自身の生い立ちはかなり複雑だ。父親は無数の妻を次から次へと迎え、地位の低い妻は資産を与えられて離婚されていく。ビンラディン容疑者が生まれてすぐ、シリア出身の母親は離婚され、別のイエメン系とみられる男性と再婚した。
しかし、この継父もビンラディン容疑者が幼いころに亡くなった。その後も大富豪のビンラディン家の末端の一員として、大金を与えられて過ごし、欧米の華やかな暮らしにも触れた。経済的には不自由なく育ったビンラディン容疑者だが、サウジという国の中で自分の居場所が欲しい、認められたい、という思いを抱いていたのではないか。
そして同時多発テロの成功で人気が高まりながら、その反動で立場を悪くしていった経過も説明される。
ビンラディン容疑者の人気がピークに達したのは、2001年の米同時多発テロ「9・11」の頃だ。言い換えれば、米国の象徴だった世界貿易センタービルが倒壊した時に、多くのアラブ諸国の人々が、ある種の「カタルシス」を感じた。市民感情としてあった反米意識は、ここでガス抜きされた。
同時に、9・11は3000人近くの市民を一挙に殺害した歴然とした犯罪だから、アラブ諸国の人々はどんな非難を受けて、報復を受けるかと怖れおののいた。米軍のアフガニスタンへの攻撃に対しては不当だと非難しつつ、「アラブ人に責任はない」「9・11はそもそもユダヤの陰謀だ」といった説が、アラブ諸国のメディアで盛んに論じられた。ビンラディン容疑者とテロを生んだアラブ諸国の社会や政治の問題を自ら問い直すことを、各国政権も市民も避けようとした。
ここまで読んで、近年の日本で問題となっている社会運動に似ていると感じた。
若者の鬱屈感を拾い上げて仲間を集め、同時多発テロによって人気がピークに達した後、イスラム社会の立場を悪くした存在として厄介者扱いされていった経緯。いわば世界規模の在特会だったのではないか。
ただし、社会運動へのかかわりは身近な不満への反発に始まっても、それ自体は何の問題もない。始めた運動を理論なり実地なりで意味づけ続けることが出来なかったのに、共感だけで暴力的に膨張していったことが問題なのだろう。
そして在特会と同様に生み出した社会から切断処理され、背景の問題はなかったことにされていく。ゆえに続けて語られる、サウジアラビアの独占的な王族支配も興味深い。
そもそも、ビンラディンの過激思想と呼ばれるものは、サウジ政権が体制を支えるイデオロギーと位置付けてきた、ワッハーブ派イスラム原理主義の基本的な考え方に過ぎない。
そして、ビンラディン容疑者の怒りの根底には、サウジの体制批判がある。すなわち、ビンラディン殺害の話題に触れることは、「反米」の背後にあるサウジの体制批判を蒸し返すことにもなりかねない。
「サウジ・モデル」を使って湾岸アラブ産油国が自国内の民主化運動を抑圧する動きを、米国は一応黙認しているように見えていた。
サウジアラビア政権の思想はビンラディンの思想的な背景であると同時に、その現実における不徹底さがビンラディンの不満を生んだ。
この関係も、日本社会に薄く広がる排外主義と、その薄さに憤っている在特会との関係を思い起こさせる。
ビンラディン容疑者の父がイエメンを出たのは1910年前後で、もう100年も前のことだ。それにもかかわらず、イエメン系移民の“使用人”の子供に与えた国籍など、政権の都合次第で取り上げて良い、というサウジの態度は、近代の国民国家とは思えない考えだ。だが、それがサウジという国の成り立ちであり、そのような不条理な体制に憎しみを募らせたのが、ビンラディンの憎悪の思想の根幹なのである。
サウジアラビア政権は反米の代わりに、イエメン出身者への偏見を再生産することを行った。排外主義という意味合いでは、何一つ問題は解消されていない。
オバマ政権の意図を想像した5ページ目の指摘も気にかかった。
オバマ政権はビンラディン殺害によって、ブッシュ前政権が残した対テロ戦争を終わらせることができる。実際に世界各地のテロが減るかどうかとは別問題だが、米国の政策としての対テロ戦争は終わらせられる。
これもまた、米国にとって今のビンラディンには利用する意味も意図もなく、ただ臭いものに蓋をしたかっただけの暗殺ということだったのかもしれない。
■[ネット][身辺雑記]態度だけではなく内容も批判してほしい
感受性が強すぎるのはいいけれど - 法華狼の日記に対すると思われるツイートへ応答しておく。
結論からいうと、@hate_sayo氏は自分だけが批判されることに納得がいかないという話しか行っていないと思う。
@hate_sayo: やっぱり教祖とJSF氏に触れるとすぐ反射すんのな。どんだけ私怨深いんだか。どこの安部武宜、じゃなかった81式だよ。
@hate_sayo: じゃあマジメな話で返すけど、俺とかの漠然としたくくりは批判しておいてスターつけたり賛同ブコメしてる人の「ネトウヨ」「ミリヲタ」「自称リアリスト方面」って漠然としたくくりは批判しないのはわかりやすいし面白いよね、そっちらへん(おい)
@hate_sayo: 「一般論としてだが」、ツィッターに参加しないでいろんな人のツィートTLを追っかけるってすっごく大変だよね。フォローしてない人のTLとか会話をトゥギャッター組むんで追っかけるのも一苦労だもの。
一つ目のツイートについて。
まず、検索しても「安部武宜」の意味はよくわからなかったが、「81式」はfurukatsu氏のことらしいとわかった。しかし、ここで他者を引き合いに出す必然性がよくわからない。論争したこともある私を批判するためでも説明不足すぎるし、関係ない話でfurukatsu氏を引き合いに出して低評価しようとしたのであれば、あまり誠実ではないと感じるよ。
本題について、「すぐ反射」などと時間の短さに意味を見いだしたのだろうか。しかしplummet氏は下記エントリでとりあげたような主張を行なっており、もし時間をかければ批難の理由とされうる。
時間をかけた応答へplummet氏が低評価をくわえたことに対し、すぐ反射しなかったことをもってhate_sayo氏は私を擁護してくれるだろうか。
「私怨深い」と評価することに何の意味があるのかも、よくわからない。批判が仕事や道義的責任にふくまれるような立場を例外として、、批判は究極的に全て「私怨」が根底にあるだろう。他者批判の責任を負うことを意識するならば、私怨という自覚が必要という考えすら可能だ。
二つ目のツイートも一つ目と同様だ。私は誤りと思ったことの全てを批判してきたことはないし、他者にも批判を求めたりはしない*1。
ブログのコメント欄に対する書き込みはできるだけ応答しているが、応答しなかった例もあるし、応答が義務でないことも表明している。逆に、JSF氏のブログコメント欄に対しても、ほぼ全面的に自由な書き込みを行わせていることで、個々のコメントに対する責任はないと明言したことがある。
もちろん、はてなスターやはてなブックマークに対しては、私が管理すべきことではないという意識がある*2。私に対する否定肯定にかかわらず、コメントへ個別の応答をしないことが多い。
たとえば下記はてなブックマークに「はてサ」というタグを用いたコメントがあるが、ことさら私は言及しなかった。元エントリはhate_sayo氏に対するエントリで言及したことがあり*3、私が常に全ての「はてサ」というくくりへ応答しているわけではないと気づく機会はあったはずだ。
はてなブックマーク - 日本は「重武装」のコスタリカに学ぶべき - 法華狼の日記
もちろん別の場面でも、私に対する批判へ応答しないことは少なくない。今回にhate_sayo氏のツイートへ反応したのは、私もかかわっていたと思われる出来事であり、おそらく具体例を記憶していて説明できる者が他にいなかっただろうとも思ったからだ。
普段から反応が少ない場面で反応しないことと、当事者として批判対象に入っている可能性がある主張に反応したこと、それだけのことから「わかりやすいし面白い」という感想が出てくることが不思議でならない。
三つ目のツイートについては意図がよくわからない。二重に好意的な解釈をするなら、ねぎらいの意味だろうか。ただ、一つ目のツイートにも関連している話でもあるので簡単に書いておく。
実は私はJSF氏のブログやツイッターを追いかけているわけではない。インターネット上の有名人かつ興味の範囲が重なっているので、能動的に探さなくても、はてなブックマークやリツイートで見かけることがあるだけだ。そして見かけて異論を持っても、わざわざ表明しないことが多い。最近の言及というと下記エントリだろうが、JSF氏個人が批判の焦点ではないし、ねぎらいの意思まで表明している。
plummet氏については、問題意識が重ならないのか、ほとんど見かけることがなくて最近は異論を表明したくなったこと自体がない。
今回のhate_sayo氏に対しても、はてなブックマーク経由で見かけただけで、特にツイッターを読んでいるわけではなかったりする。私に言及されることが嫌なら、ツイッターを非表示にすればいいし、はてなブックマークに反映されるような行為は避けることが気づかれにくくするため重要だろう。
結局のところ、hate_sayo氏は今回も根拠を示せていないし、実態にも合っていない。
それどころか「すぐ反射」「私怨」といった主張の妥当性とは無関係なことばかり語り、「マジメな話で返す」といいながら自分以外の問題を持ち出すばかりで自分自身の問題には釈明すらしない。
反論自体は歓迎したいのだが、態度だけでなく内容に反論できるよう努力をしてほしい。