法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

事実のかわりに内心を見通す産経は、国旗や国歌へ敬意をはらっても、見かけにすぎないと非難する

教職員へ国歌斉唱と起立を強制する大阪府の国歌起立条例が、議会多数派の提出ということもあり、可決する見通しだ。
その国歌起立条例に対して好意的な主張を、産経新聞が出していた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110524/edc11052403370001-n1.htm

大阪府では、門出を祝う大切な行事で一部教師らが起立せず、国旗、国歌に敬意を示そうとしない異様な事態が多かった。

先日にエントリ*1でふれた橋下徹府知事のツイートもそうだが、そもそも門出を祝う場所で国旗や国歌に敬意を示す必要が感じられない。必要がないことを強制することこそ、本来ならば異様だろう。
社会においては不必要なことを強制される事態があることを教育する意図で、国旗や国歌への敬意を求めるという意見もある。その意見に妥当性を認めてもいいが、それならば「祝う」という言葉よりも「呪う」という言葉がふさわしい。
何よりも産経の主張が奇妙なのは結論部分だ。

 国旗、国歌をめぐる訴訟では教職員に起立斉唱を求める職務命令は憲法の思想・良心の自由に反しないとの判例が定着している。それ以前に、門出となる教育的行事で一部教師だけが起立しない光景はどう映るか。教育上極めて悪質な行為といわざるを得ない。

 橋下知事は「ルールを守らない教職員はいらない」という。当然だ。国旗、国歌をないがしろにする教師を許してきた悪弊を改める上で指導力を期待したい。

 海外では国旗、国歌を尊重し敬意を払うのが常識だ。世界との交流が増す中で、国旗、国歌の大切さを学んでいきたい。

具体的な根拠も出さずに海外における敬意を常識として示したいなら、多くの先進国では公立学校式典で国旗国歌への敬意をことさら求めないという調査も示すべきだろう*2
国旗を毀損する自由を司法が認めていることで有名な米国だが、生徒が国旗へ敬意をはらう必要はないという判例も1943年に生まれている。エホバの証人信徒の子供が教義にしたがって国旗へ敬礼せず、それが問題視されて退学させられたバーネット事件での、連邦最高裁判決だ*3。バーネット事件の判例は生徒に対するものだが、後の1977年で教師にも適用されることをマサチューセッツ州最高裁が認めたそうだ*4
世界との交流が増すと考えているならば、海外の多様な文化を知り、すべからく国旗や国歌に抗する自由についても学んでいくべきだろう。


産経新聞は国旗や国歌の話となると、事実をないがしろにする姿勢が目立つ。かわりに国旗や国歌への敬意が外見だけか内心からか、見通す能力を持つようになるらしい。
新内閣の記者会見で閣僚が国旗へ敬礼したかどうか、産経新聞は紙面で報じてきた。この時点ですさまじいが、初めて全閣僚の敬礼が確認できた時、驚くべき能力を見せた。
http://akutsu.iza.ne.jp/blog/entry/1803750/

 とはいえ、全閣僚が登壇時には敬礼したのだ。本来、当然の姿ながら、自民党政権下を含め、過去、一度も見ることができなかった光景である。
 だが、手放しで喜ぶことはできない。なぜなら、菅内閣は“居抜き”で誕生したからである。鳩山内閣当時はどうだったか。本紙「断層」で報告したとおり、防衛相を含む多数の閣僚が欠礼した。菅直人大臣も欠礼した。たった9カ月前の話である。
 それがなぜ、こうなったのか。原因は小欄であろう。もし欠礼すれば、全国紙の産経紙上で非難される。だから敬礼した。だが、下げた頭のどこにも、国家への敬意はない。文字通りの見かけ倒し。悪いが、小欄はだまされない。

すでに元記事は消されているが、批判*5をあびて引っ込めたというわけではない。むしろ誇らしげに続報を載せている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110109/plc11010922070226-n1.htm

 菅改造内閣が発足した。第1次菅内閣では、官邸の会見で3閣僚が降壇時に欠礼したが、今回ついに全閣僚が登壇時・降壇時とも国旗に敬礼した。
 だが、今回も「見かけ倒し」の敬礼動作だった(7月1日付小欄)。案の定「3閣僚が担当省庁で初めて臨んだ記者会見場に設置された国旗に一礼しなかった」(19日付産経)。

もし教師が敬礼したとしよう。産経能力によるならば、全国紙の産経紙上で非難されるという理由で敬礼したということになる。この場合の敬礼は国家への敬意がないと見通され、見かけ倒しと批判される。つまり全国紙の産経紙上で非難されることはかわらないわけだから、敬礼する理由が理由としての意味をなさなくなるわけだ。
もちろん産経新聞は国歌に対しても、同様の評価を行う。「君が代」の音声を変えることなく英語風に単語を当てはめた、「Kiss me girl」という替え歌について報じた時のこと。
「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?/産経新聞 - 薔薇、または陽だまりの猫

 高橋史朗・明星大教授(教育学)の話「国旗国歌法の制定後、正面から抵抗できなくなった人たちが陰湿な形で展開する屈折した抵抗運動だろう。表向き唱和しつつ心は正反対。面従腹背だ。国会審議中の教基法改正論議で、教員は崇高な使命を自覚することが与野党双方から提案されている。この歌が歌われる教育現場では、論議の趣旨と全く反する教育が行われる恐れすらある」

現実に実行される運動というより、形式だけ強制しても敬意をはらわれることはないという皮肉という印象の強い替え歌だ。面従腹背の意図は読み取れても、その風刺性は読み取れなかったらしい。
ちなみに、この高橋教授は新しい歴史教科書をつくる会の元副会長であり、元埼玉県教育委員長でもあった*6発達障害を「豊かな言葉がけ」で直そうと産経新聞で主張したこともある*7体罰の必要性をうったえる「教育における体罰を考えるシンポジウム」にパネリストとして参加したこともある。
http://shimpuoshirase.sblo.jp/article/28970084.html

子供のための体罰は教育!
「教育における体罰を考える」シンポジウム


罰は子供を強くするため、
進歩させるために行われます。
「叱るよりほめろ」では子供は強く
なることができません。
いかに多くの罰を受けたかが
優しさを決めます。
人のことを思いやる力をつけるには、
体罰は最も有効です。

このシンポジウムを開催したのは、維新政党・新風だ。今どき「維新」を標榜する政治には、ろくなものが見つからない。