法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『BLOOD-C』第11話 たれをかも

ココロ図書館』というアニメが昔あってね。


それはさておき。
劇中で起きていることが誰かの作り出した虚構だったというネタは、SFやミステリになれていれば一つのジャンルとして理解できる。だが逆に、一つのジャンルと知っていれば衝撃の真相ではない。しかも先行する作品と比べると緻密さが欠けるところで、低評価せざるをえなくなる。
過去の回に主人公が記憶していないため描写されていない出来事があったという描写は、フェティッシュな映像と合わせて面白くはあった。しかし、その真相開示によって物語の謎がほどけていかなかった。本当に不思議なのだが、なぜ血をすする描写が敵を倒した後の出来事として描かれているのだろうか。過去の回では、眼が赤くなれば戦闘力が高まるのに、なぜかタイミングが遅い上、何がきっかけで発動するのかも不明なことが、視聴時のストレスを生んでいた。もし今回、戦闘中に敵を傷つけて流れた血を飲んだ後に眼が赤くなるという順序で描写していれば、主人公がなかなか本気にならないかのように見えていた謎の答えとなったはずだ。
このジャンルにおいては、できれば虚構の世界が作られた動機の面白さも見たいところだが、今のところその要素も少なそう。虚構を構成していた「メインキャスト」の動機が俗っぽくて際立ったくらいか。
ふりかえって考えても、たとえば第1話で何度も主人公が転げる癖は、運動神経抜群な描写と整合性がない上に、今のところ「茶番」の伏線であるとも感じられない。やはり各描写が緻密に繋がりを持っているとは思えず、無駄が多すぎる。無人の町並みのように、恐怖感を増しつつ伏線としても機能する描写がもっとほしかった。


思っていたよりは楽しめたし、制服デザインや希少苗字のようなCLAMPらしい設定を伏線あつかいする自己言及も面白かったが、今回は今回で謎解き優先の会話劇が「茶番」以上に不自然だったという感想になる。
下記Togetterで[twitter:@italiajin]氏がおこなっているような高評価は、私には難しい。
『BLOOD-C』面白い!という二人の対話 - Togetter

つまり台詞回しによるネタばらしに重点が置かれているのではなく、別の語り手のよる回想ショットの挿入(後説法)が小夜が「信用できない語り手」であることを暴露するのに意義がある。「メインキャスト」が急に饒舌になるのは、茶番に対するメタ物語の優位性を覆えし、彼らの特権性を剥奪させるため。
italiajin 2011/09/24 17:37:15


と、ぼくは理解してたからメインキャストたちの台詞回しが白々しいのは瑕疵のある演出ミスではなくむしろワザとやってるんじゃないの?と思った。手の内=動機を明かすということは、アクターの存在意義が消失することと同義だから。そうさせるために饒舌に喋らせたのだと思ってた。
italiajin 2011/09/24 17:43:35

特権性を剥奪するためキャラクターに不自然な行動をとらせたのでは、演出優先の御都合主義と評されるのが自然だと思うが、如何。できるだけ作中現実として自然な行動をとらせながら特権性を剥奪してみせないと。