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法華狼の日記

2012-01-13 上げたのは2日後

[]『ドラえもん』クイズは地球をめぐる/屋根裏のピーマン畑

今回は原作を別角度でアレンジした二作品。


Aパートはしのみやすゆきでおおむね原作通り、秘密道具と理科知識と体を駆使して回答しないとならないクイズが出題される。正解すれば金メダル、間違えれば電気ショック。

わりと短くシンプルな話なのでクイズの量を増やすかと思えば、原作では冒頭だけ登場していたジャイアンが途中から参加。原作以上にメチャクチャな回答をしつつ、のび太と協力したり衝突したり。

キャラクターの漫才要素が増えたかわりに、理科クイズをビジュアルで表現するという原作のプリミティブなSF性は後退してしまったのが残念。原作では意外とレギュラーキャラクターが登場しない回も多くて、アニメ版ではレギュラーの出番を後付けすることが多いのは慣例だけどね。


Bパートは今回も善総一郎コンテ。こちらは原作で稲や芋を育てていた「日曜農業セット」の「ピーマンバージョン」が登場。

原作で初登場した「タタミのたんぼ」だと部屋を泥だらけにしつつ楽しんでいたが、こちらはママに怒られたので屋根裏で。ちょっと狭い秘密基地っぽい空間で、種から苗を育て、畝を作って植えていく風景は、実に楽しげで心おどる。

しかし実がピーマンの形になったため嫌悪感を思い出し*1、のび太は逃げ出してしまう。天井裏だけあって鼠が出たり害虫が発生する中、一人で奮闘するドラえもんだが、ついに倒れてしまう。ここで逃げていたのび太が帰還。共同で農作業を続けることにする。

こちらは農業の楽しさ苦しさをしっかり描いた上で、その一環として主人公の逃走と帰還を描いていて、Aパートと違ってアレンジによって失われた要素がない。うねりを加えた、いい物語だったと思う。

ただ、蝶が登場するのが季節感のためと説明するだけなのは残念だった。屋根裏では蝶がいなければ受粉できず、ピーマンの収穫が難しくなるという科学考証が背景にあるはず。映像を見れば受粉のためと意図して設定しているらしいとわかるわけだが、だからこそドラえもんの台詞で後々で必要になると説明してほしかった。


番組最後の映画紹介コーナーは「ぜつめつ動物に会いに行こう!」が開始。応援隊長の子役である鈴木福がアニメ内に入り込んで絶滅動物の知識をえるという趣向。

正直、生身の鈴木福演技は演技させられている感が画面からあふれているので、アニメにアフレコする方が見やすかった。

[]『輪るピングドラム』24th station 愛してる

物語としては、わりと普通の落とし所だった。

いくつか掘り下げない部分を残しつつも、世界を改変した結果として家の前を通りすぎた子供二人に新たな立場を与え、きれいに物語を閉じた。

良かったのは、罰を受けなくてはいけないという自己嫌悪と、生きることが罰だという認識という要素を組み合わせて、多くの登場人物が生きることを望むようになった結末への理路。それと、初回で衝撃を与えられた脱衣バンクを、最終回において痛々しく描き直し、意味あいを変えさせてくれたこと。


しかし世界をより良く変えた代償として記憶が失われ、しかし変わる前の欠片を見つけて涙する場面は、複数の作品で見かけたもので、この作品の独自性までは感じられない。

自己犠牲を滑稽と紙一重で描くことも、タルコフスキー監督の映画『ノスタルジア』『サクリファイス』といった先行作品があり、これもやや既視感がある。

社会や、テロ団体や、親子といった大き目の共同体を否定しながら、小さな共同体を作ることだけが回答として提示されたところも、踏み込みの不足を感じた。サネトシを一人残して去っていったモモカについて考えれば、孤高の人生もできるならば良しという結論なのかもしれないが。

作画も良かったものの、基本的にはデザインと演出と会話劇で進行したこの作品らしく、単独で見せ場となるほどではなかった。


あと、運命を乗り換える言葉は、たとえばただの「いっしょに食べよう」だけだったりすれば、意外性と納得感があったかなあ、と思ったり。いや、しれっと以前の回で明示していたというだけでも良いのだが、どうも引っぱった割りには印象的な言葉ではなくて、いっそ肩透かしする方向へふりきれば良かったと思うのだ。

ただ、「いっしょに食べよう」だけではハウス食品のCMみたいな家族賛歌でしかなく、親の因果が子を呪ってきた物語の結末で小共同体賛美に転換した違和感を増大させかねない。だから「運命の果実を」という特異さを付与しておくことにも意味があると思わないでもない。


全体についての感想も書いておく。

ふりかえって考えると、整理すれば不要になる回や描写もあったとは思うが、おおむね毎回それなりの意味を持っていたと思うので、無駄とまではいえなかったと思う。構造としては同じような展開が続いたこともあったが、楽しめるだけの変化はつけられていた。

読み取れるテーマについては、明示された結論や描写が既存の作品にあるものばかりなので、深く掘り下げないと独自性は読み取れない。自己犠牲を正面から完全否定した『STAR DRIVER 輝きのタクト』のように新たな結論をはっきり見せてくれるかと期待していたので、その点は残念だった。

作画回もあったが、どちらかといえばアニメーター出身の演出家が映像を完全にコントロールするため自ら作画へ手を入れたという感が強く、動きだけで見せ場になったことはあまりない。どちらかというと原色が乱舞する背景美術が面白かったが、わりと背景が真っ白な場面の印象も強い。必要なところにだけ力を入れて、安普請で許されるところは徹底的に手を抜くところが、この作品がよく評されるのとは別の意味で舞台劇っぽかった。悪い意味ではなくね。

*1動植物擬人化する秘密道具「ファンタグラス」を使って、ここで嫌悪感が増す経過を描きつつ、可愛すぎて食べられなくなるというオチへつなげていた。