法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「私が見た従軍慰安婦の正体」や「従軍慰安婦の真実」を正当化のため持ち出すことは自滅行為

インターネット検索すると上位に出てくるサイトであり、よく日本軍を正当化する根拠として持ち出されているのだが、その内容は十数年前の歴史研究の水準にすら届いていない。
単に誤っているというよりも、従軍慰安婦問題について理解していないため、意図せず歴史学における通説の正しさを認めてしまっているのだ。


まず、小野田寛郎元少尉の『正論』記事が、下記ページで流布されている。
¬–ì“cŠ°˜YuŽ„‚ªŒ©‚½]ŒRˆÔˆÀ•w‚̐³‘́v
靖国神社南京大虐殺と同様に「全く理由のない他国からの言いがかり」と主張しているのだが、逆に他国からの批判を補強する証言資料となっている。

 野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。

 私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう、小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。

まず細かいところだが、「従軍慰安婦」という言葉について陰謀論をとなえながら、その根拠は当時に使われていなかっただろうということだけ。むしろ後の実体験を証言する場面で、軍を対象にしていることが「慰安婦」という字面ではわかりにくいと認めている。これでは、わかりやすい歴史用語として「従軍慰安婦」や「軍用性奴隷」が使用されることを否定できないだろう。
そして「性的奴隷」という言葉に対して反論する証言部分で、何が批判されているか理解していないことが明らかになる。

 彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。


 先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。

小野田元少尉も認めているように、前借金は事実上の人身売買である。それどころか戦前日本ですら「事実上の奴隷制度」と公的に指摘されていた*1
以前の奴隷制一般についてのエントリで書いたように、人身売買は慰安婦が「奴隷」だという定義的な証明そのものだ。
「奴隷」は、必ずしも支配者が直接的に強制連行で集めたわけではない - 法華狼の日記

簡単にいえば、権利が制限され、他者の所有物とされた人々を奴隷と呼ぶ。
給料や休暇が所有者から与えられたとしても、所有物としてあつかわれている限り、奴隷という立場から解放されたとはいえない。
一方で、人身売買こそ、字義から見ても奴隷制そのものだといってよい。

もちろん、権力を持っていた日本人の側から明るく楽しそうに見えたとしても、幸福であった証拠とは考えがたい。下記のように軍人の認識と実態の乖離について証言する軍医もいる。
湯浅謙「私が知る『従軍慰安j婦女』」

 当時の軍人の目から見ると「慰安婦」は公娼のように見えたのです。料金を払いますし愛想もよかったからです。然し彼女たちには本当のこと、つまり「私は強制され連れて来られた」とか、「帰ろうとしても脅迫され帰れなかった」などとは絶対に言えなかったのです。相手は軍人、ましてや将校、「日本軍を談議する」とか、「戦争に協力しない」として憲兵隊に通報される。またにこにこして兵隊を迎えなければぶん殴られるが関の山。ここに落ちたら泣いても反抗しても同じ、することはしなくてはならない。だから性奴隷です。これが植民地支配の実情です。

もちろん上記も一個人の認識ではあるが、小野田元少尉より身近に慰安婦制度を見聞した立場からの証言だ。
小野田元少尉は批判に反論しているつもりで、自身の認識や価値観そのものが他国から批判されているのだと、最後まで気づいていない。

 戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。

 軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。

日中戦争そのものが侵略戦争として批判された歴史を失念しているのだろうか。まるで反撃から身を守るため被害者を殺したという強盗の理屈だ。抑圧されていた現場兵士の弁護理由にはなるかもしれないが、そういう立場へ兵士を追いやった国家に対する批判は強まるだけだ。

「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。

これこそ根拠は、と問いたくなる主張だ。


次に、画像を活用して主張している「従軍慰安婦の真実」は、もっと端的に何が批判されているのかを理解していない。
*2

慰安婦の中には親に売られてしまった人や借金を背負っていた人もいました。


本人が望まずにそのような仕事についた人達は現在、日本に謝罪と賠償を求めています。



さらに言えば、問題にされているのが軍による強制が本当にあったのか?の点です。
なぜなら彼女達は、慰安所から高額な収入を得ていたことが分かっているからです。

ここでも小野田元少尉と同じように、従軍慰安婦が奴隷であったことを意図せず認めている。
何より、有名な慰安婦募集広告について、都合が悪くなったから韓国政府がサイトを閉鎖したという陰謀論が痛い。

韓国政府が、従軍慰安婦に関する最も重要な証拠資料として公開していたもの。→ 都合が悪くなりHP閉鎖

慰安婦 至急 大募集・・給料は月収最低300円、3000円まで前借可能”(原文のママ)

この広告を慰安婦制度の正当化に用いることは、以前にも書いたが本当にやめてほしい。
いいかげん慰安婦募集の新聞広告を持ち出すことはやめるべき - 法華狼の日記
実際には、日本の歴史学者も以前から従軍慰安婦問題の重要な資料としてあつかっている。韓国政府固有の問題であるかのような主張は、勉強不足と告白しているようなもの。たしかに上記エントリで示した韓国政府サイトのページは消えているが、おそらくサイト改装しただけにすぎず、別URLのページで広告画像は掲載され続けている*3
そして問題は、事実上の拘束であった「前借」だけではない。上記エントリの説明を再掲する。

両方の広告によく目をこらしてほしい。一方は17歳以上から23歳まで、もう一方は18歳以上から30歳までの年齢を募集している。そう、売春が合法であった当時でも、未成年であれば違法だった。

どうして年齢についての記述を無視できる人がこれほどいるのか、私には理解できない。たとえ当時に未成年売春が合法であったとしても、対外的に誇らしげに見せられる内容でないことは、歴史にくわしくなくても明らかだろう。

*1:http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120119/p1等で言及されている。

*2:引用時、文字強調表現を排した。

*3:http://www.hermuseum.go.kr/sub01/sub010102.asp?s_top=1&s_left=1&s_deps=2

従軍慰安婦についてインターネットで学びたい時、Wikipedia以外のサイトを使うべき

まず一般論として、匿名の編集者が雑多に情報を集積させるため、Wikipedia歴史認識項目は情報源として信頼をおくべきではない。


以前から何度も主張しているが、とりあえず信頼できる最低限の情報として、既存の百科事典から引くサイトを活用するべきだ。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=00683300

かつて、主に戦地で将兵の性の相手をさせられた女性。

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6/

旧日本軍の海外駐屯地で兵士たちの相手をさせられた女性。娘子(じょうし)軍ともよばれ、占領地の婦女子に対する兵士たちの暴行行為を防ぐ意味もあって、軍の保護のもとに営業させた。初めは九州地方の遊廓(ゆうかく)や水商売に携わる女性から希望者を募ったが、しだいに国内や朝鮮半島の貧困家庭の出身者にも及び、強制的に従軍させられた者もいた。第二次世界大戦中は中国奥地から南太平洋の孤島にまで派遣され、激戦地では銃をとって戦い、兵士と運命をともにする者も多かった。

どちらも簡潔にまとまっており、言葉の一般的な認識として問題はないだろう。


より体系的に知りたければ、アジア女性基金の公式サイトを読めばいい。
慰安婦問題とアジア女性基金 デジタル記念館 玄関ホール
「第一室:日本軍の慰安所慰安婦」で制度の作られた歴史と規模、慰安所の生活環境、各地域の具体的な事例について、順を追って学ぶことができる。
「第二室:日本政府の対応とアジア女性基金の設立」で従軍慰安婦問題が認識されていった経緯と、補償としてアジア女性基金が持っている意義と自己評価がまとまっている。
「資料庫」等には日本政府が調査した資料がおさめられ、インターネットでも最も充実したアーカイブとなっている。


ちなみに、同じように匿名の編集者が参加していても、はてなキーワードの「従軍慰安婦」はWikipediaより優れている。
従軍慰安婦とは - はてなキーワード
FAQ形式で記述されているため、流布されている誤解や疑問への通説にそった回答として、既存の辞書サイトよりもわかりやすいかもしれない。新しい情報に目配りしつつ学ぶには、充分以上に役立つだろう。


しかしWikipediaの「慰安婦」は、増改築をくりかえした温泉旅館のように雑多な情報が未整理なまま集積されており、学習をさまたげる*1
wikipedia:慰安婦*2
特に、言葉が指す範囲を説明する冒頭からして、枠組み自体に歪みをかかえていることも明らかだ。

慰安婦(いあんふ)とは、日中戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争[1][2][3][4]、ベトナム戦争[5]及び韓米軍事合同訓練[6]並びにアメリカ軍[7][8][9][6]、連合国軍[10]及び国連軍[8]の駐留時などに、当時の戦地、訓練地、駐留アメリカ軍基地周辺の基地村[6][11]などに設置された慰安所と呼ばれた施設で日本軍、韓国軍[1][2][9][6]、アメリカ軍[8][9][6]及び国連軍[8]の軍人・軍属に対して、売春業を行っていた女性の総称[12][13]。

たしかに吉見義明『従軍慰安婦』にも、第二次世界大戦時の従軍慰安婦に類する各国制度が指摘されている*3
しかしWikipediaに掲載されている他国軍は米軍と韓国軍くらい。ドイツすら「軍人に対する売春に従事」の一例にふくめられているだけで、軍中央の命令で慰安所が設立されたという日本軍との共通性をうかがうことができない。イギリス軍やソ連軍の名前は登場すらしない。

軍人に対する売春に従事した婦女は日本に限らず、米国、韓国、ドイツを含む他国にも存在しており[231][232][233][234]、自国にも存在したにもかかわらず日本のケースのみを韓国[235][236]や中国が殊更取り上げることについては、政治的なカードとして利用するプロパガンダであると日本の右派・保守派は主張している[236][237][238][239]。

むしろWikipediaこそ上記の文章を見てのとおり、日本の問題を相対化し矮小化するために他国事例へ言及する主張を、留保なく採用している。特に米軍と韓国軍が日本軍と並べられているのは、特に両国からの従軍慰安婦問題批判をWikipedia編集者*4が見聞きしているからではないだろうか。
むろん米国や韓国の立場であれば、米軍や韓国軍の問題をとりあげることは自国の加害に向きあう態度ではある。たとえば上記の韓国事例では韓国の研究が情報源とされており、Wikipediaの記述は自己矛盾的とすら呼べる。

232. ^ 2002年、韓国・ 慶南大学客員教授社会学)の金貴玉が、朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったことを明らかにした。1956年に陸軍本部がに編纂した公式記録や目撃者たちの証言がある。韓国軍は1948年の政府の公娼廃止令に背いて、約3年間不法に公娼を設置・運営していた(『朝日新聞』2002年 2月24日付)


そして、続く「呼称」の見出しを見れば、日本の問題を相対化し矮小化するために他国の事例へ言及したにすぎないことがはっきりする。
小見出しの「当時の呼称」で俗称をふくむ様々な名称が並べられているのだが、米軍における呼称は慰安所を指す俗称一つだけしかない。

ベトナム戦争時は「ディズニーランド」とも呼ばれた[5]。

続いて「「慰安婦」か「従軍慰安婦」・「戦時性的強制被害者」か」という小見出しで、当時に「従軍慰安婦」という言葉が使用されていなかったという主張がマスメディア一般に受け入れられたかのように記述されている*5

“従軍”という言葉を巡り、慰安婦は旧日本軍による強制ではなかったとする立場から「旧日本軍が強制連行した証拠はない」、「当時、『従軍慰安婦』という言葉はなく、『慰安婦』と呼ばれていた」という主張や、また強制であったとする立場においても、女性団体などから「従軍という言葉は自発的なニュアンスを感じさせる」との批判や抗議などがなされた[90]ため、近年のマスメディアによる報道では概ね「慰安婦」という呼称が用いられるようになり、「従軍」を付けるときは「いわゆる」を頭に付け「いわゆる従軍慰安婦」と使われることもある。

さて、米軍は「慰安婦」などという言葉を使用していたのだろうか。韓国はまだしも、欧米圏で漢字が用いられていたというのか。
もちろん、そのようなことはない。Wikipediaでも「海外における呼称」という小見出しで、下記のように説明している。

英語圏では、「慰安婦」を直訳した“Comfort Woman”という呼称が用いられている場合が一般的である。しかし近年、慰安婦制度を人権問題や戦争責任問題などとして告発する立場などにおいては、性奴隷の訳語に当たる“Sex Slave”[100]の用語が用いられることもある。

慰安婦」という言葉が指す範囲は日本だけではないという主張と、「従軍慰安婦」という言葉が指す対象など存在しないという主張。前者の枠組みで記述したいなら、後者はWikipediaの枠組み自体への異論としてのみ記述されるべきだろう。日本の責任を矮小化する正反対の理屈を同時に利用して、枠組みから歪んでしまったわけだ。
真面目な歴史研究者は他国の事例に目配りつつ、固有性と普遍性の双方から論じるものだ。普遍的な問題に目を向けることは多いが、存在しないという主張を同時に行おうとはしない。


たとえば、独語版Wikipediaホロコーストが同じような枠組みで記述されていたら、どのように他国から受け止められるか、想像できないだろうか。
Holocaust – Wikipedia
実際にはホロコースト否定説を載せることを禁じる文言がかかげられている。しかし仮に、ホロコーストという言葉が指す対象として南京大虐殺イスラエルの非人道政策をふくめ、同時にナチスドイツを擁護したり虐殺を否定する「諸説」を集めていたとしたら、そう記述したWikipedia編集者の目的は自明だろう。
ちなみに日本語版Wikipediaではホロコーストという言葉が虐殺一般を指していたことを冒頭から説明しているが、語源という扱いにとどめており、他の虐殺事件をふくめてはいない。諸説として問題視への反発も記述しているが、主な否定論は「ホロコースト否認」という別項目へ別けている。
wikipedia:ホロコースト


こうした歪みは呼称に限らず、全体に見られる。日本以外にも「慰安婦」があると主張し、軍による性的被害も世界で広く見られることを記述しながら、慰安婦制度を正当化する理屈は日本軍に対しての対してのものばかり*6
Wikipedia編集者は、日本の問題を相対的に低く見せる材料を集めるという意味でのみ、一貫している。先述したように他国の事例すら十数年前の水準から遅れており、前借金による拘束や未成年者の慰安婦といった当時ですら違法だった問題も記述されてない*7。これでは、慰安婦制度の何がどのように問題視されてきたか、学ぶことは困難だろう。


もちろんWikipediaの問題は枠組みだけではない。細かく見ても、情報源の信頼性が低かったり*8、単純に間違っていたり*9、きちんと情報源が提示されていなかったりする。
それどころか提示されている情報源とてらしあわせても疑問点が多い。一例として、河野談話が発表された背景について、情報源とされた議事録に該当する記述が見当たらない。

日本政府は韓国政府に強制性を認めるよう要求され、関係資料を調査した結果、「強制連行を行ったという資料は発見されなかった」「日本政府が強制したということは認めたわけではない」が[21][22]、河野洋平内閣官房長官の政治決断によって、「日常生活に強制性が見られた」と解釈することで[21]、日本軍の要請を受けた業者によって女性が意志に反して集められ、官憲が直接加担したこともあったとする河野談話が発表され[23]、

21. ^ a b “第140回国会 予算委員会 第2号”. 参議院. 国立国会図書館 (1997年1月30日). 2010年3月8日閲覧。
22. ^ a b c 阿比留瑠比 (2008年9月18日). “さらば“河野談話” 引退前に非を認めてほしかった”. 産経新聞 2010年3月12日閲覧。
23. ^ “慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話” (プレスリリース), 外務省, (1993年8月4日) 2010年3月8日閲覧。

カギカッコに入れた文章は、原文ママの引用ではなく要約なのだろう。それでも議事録と読み比べれば、明らかに要約の範囲を超えている。
参議院会議録情報 第140回国会 予算委員会 第2号

○政府委員(平林博君) お答えを申し上げます。
 政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。
 ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。
片山虎之助 今の審議室長の話は、資料と証言を集めた、資料には強制性を示すようなものはなかったと。ということは、(「そんなことはない」と呼ぶ者あり)いや、今答弁したんだから。
 そこで、それじゃ証言ということになる。その証言はどういう人から集めましたか。
○政府委員(平林博君) その前に、強制性の問題でございますが、今御答弁申し上げましたのは、強制募集を直接示すような記述は見出せなかったと。ただ、もう少し敷衍して申し上げれば、いわゆる従軍慰安婦の方々の日常の生活等におきましては強制性が見られるということで先はどのような官房長官の談話になったということでございます。
 証言につきましては、元従軍慰安婦とされる方々本人、それからいろいろな研究者、学者等でございます。

「関係資料を調査した結果」と資料のみが判断基準であったかのようにWikipediaは表現しているが、議事録には根拠として「証言」が存在していた。それに政府側は「一定の強制性がある」と明確に答弁している。
何より、政治決断が根拠になったという背景は議事録のどこにも存在しない。「総合的に判断」し「もう少し敷衍」した結論として河野談話が出されたという順序であって、個人の決断が根拠のない主張に裏づけを与えたという話ではないのだ。むろん、学問的に妥当な解釈であっても、それを公に認めるために関係者の「決断」は必要だっただろうが。
前後して、歴史教科書に従軍慰安婦が記述された経緯についての答弁で、日本政府側は「慰安婦関係調査結果」について「客観的な調査研究の結果」とまで称している。

国務大臣小杉隆君) そもそもこの慰安婦という記述が教科書に載るようになった経緯について
は先生も十分御承知だと思うんです。
 戦後処理問題が非常に議論されたのがたしか平成三年の三月ごろだったと思いますが、その後政府としてもいろいろな調査、内外のいろいろな調査機関に当たったりあるいはいろんな資料を検証したりして、客観的な調査研究の結果として平成五年八月に政府の慰安婦関係調査結果というものが出されました。

別情報源として提示されている阿比留瑠比記者の産経記事でも、石原信雄元官房副長官の発言として「事実判断ではなく、政治判断だった」と引いているが、その判断の主体が河野元官房長官であったという記述ではない。
産経記事の根拠になった石原インタビューは阿比留記者ブログにロングバージョン*10が掲載されているが、「宮沢首相の政治判断か」という問いに対して、「それはそうですよ。それは内閣だから。官房長官談話だけど、これは総理の意を受けて発表したわけだから、宮沢内閣の責任ですよ、もちろん」と答え、別の場面で「あの談話をまとめるにあたっては外務、財務、法務省すべて関係者は承知している」とも発言し、河野元官房長官個人が全責任を負うような背景は書かれていない*11
むろん、石原信雄元官房副長官自身は、従軍慰安婦に対する強制性そのものは明確に認めており、「調査団の報告をベースにして政府として強制性があったと認定した」*12と近年も語っている。

*1:たとえば「総数」という見出しの「日本軍慰安婦」という小見出しと、直後の「諸説」という見出しの「総数についての諸説」という小見出しは、明らかに内容が重複している。

*2:引用文内のリンクは排した。

*3:203頁以降。

*4:これ以降でいう編集者とは、Wikipediaの「慰安婦」項目を現在のような記述にした者を想定している。Wikipedia編集にかかわった全ての者に同様の問題があると考えているわけではない。

*5:そもそも歴史用語の多くが当時に用いられた言葉ではない以上、後世の造語であること自体に何の問題もない。実際、今でも従軍慰安婦という呼称も用いられている。

*6:ニューヨーク・タイムズ』が「アメリカ軍相手の女性達は日本軍の慰安婦とは異なるとして売春婦と呼称している」という記述もあるが、記事内容は米軍批判報道である。そもそも記事に「アメリカ軍相手の女性達は日本軍の慰安婦とは異なる」という主張に該当する文章が見当たらない。むしろ従軍慰安婦問題になぞらえた表現を記述しつつ、問題として率直に報じている。http://www.nytimes.com/2009/01/08/world/asia/08korea.html?_r=3&scp=8&sq=Comfort%20Women%20Korean%20War&st=cse

*7:実際、ページ内を単語検索して、「未成年」や「成人」という単語が一つもないことに驚いた。「年齢」についての言及も、広告文から引用しただけのものと、女子勤労挺身隊についての注記のみだ。「歳」で検索した時は、かろうじて満21歳以上に限定した内務省通達が引っかかるが、他の記述で20歳以下の慰安婦がいた文脈をふまえた解説はされていない。

*8:「総数」の項目で、「『マンガ嫌韓流』等での解釈」という小項目が諸説に入っていることには驚かされた。英文学者の中村粲を「歴史学者」にふくめたりと、学問において信頼性の低い論者を権威づける苦労もかいま見える。

*9:一例として、強制連行例を認めている秦郁彦教授も「強制連行否定派」に入れられており、同じWikipediaの「秦郁彦」項目で「強制連行のケースもあったとしている」と記述されていることと矛盾している。もし仮に、他の手段によって集められた事例も多いという見解が「強制連行否定派」になるというのであれば、吉見教授をはじめとした一般的な研究者もほぼ全て「強制連行否定派」になるだろう。

*10:ただし中略がやたらと多い。

*11:http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/722554/

*12:http://www.awf.or.jp/2/survey.html