法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

とりあえず辞書的な「天賦人権論」の解説

自民党憲法改正目的は、天賦人権論の否定もふくまれている。PDFで公開された憲法改正草案Q&Aに明記されていた*1
http://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/kenpou_qa.pdf

権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。

この天賦人権論をめぐる問題は、片山さつき議員の下記ツイートをきっかけとして話題になった。

ケネディ演説の表現を借用しているが、内容は正反対だ*2。演説全体との細かい差異については、下記のブログがてらしあわせている。
http://tuchizaki.blog24.fc2.com/blog-entry-183.html


とりあえず、わかりやすい叩き台として、百科事典の解説を引いてみる。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%A4%A9%E8%B3%A6%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E8%AB%96/

17、18世紀の近代国家成立時に民主主義政治原理として欧米において唱えられた自然権natural right思想の訳語。社会契約説に儒教の自然や天の理念を結び付けて構成した日本版人権・国家思想。

西洋思想の輸入にとどまらず、東洋思想との融合も指摘されているところも、Q&Aの天賦人権論批判と比較して興味深い。
当然、天賦人権論は、単に天から人権が与えられたという宗教的な思想ではない。あくまで自然権思想を翻訳した時に「天賦」という表現が選ばれた*3。だから、天に与えられたという解釈を根拠として天賦人権論を批判しようとしても、レトリック以上の意味はないのではないか?
当の日本国憲法にも、基本的人権について、有名な条文がある。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

 第十章 最高法規


第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

明確に人類の努力によって勝ち取ったと表現している。
そもそも「天賦」という言葉は、天に与えられたものという原義にとどまらず、生まれついての資質や、人の力で左右できないものも指す。
天賦自然(てんぷしぜん)の意味 - goo国語辞書

天から与えられた、人の力ではどうにもならないもの。

つまり「侵すことのできない」もののことだ。


なお、個人的な感想としては、Q&Aに明記された下記のくだりだけで、自民党の主張する「人権」概念は民主主義を逸脱したものと考える。

意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。

それでは基本的人権を制約する理由として、人権相互の衝突とは異なる何があるのかといえば、直後に下記のように明言されている。

「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。

「迷惑」って、いくらなんでも制約の事由が自由すぎないか。

*1:以下、「Q&A」と表記し、URLも省略する。引用時、太字強調や下線を排した。

*2:ただし、現在的な視点でケネディ演説を全肯定するわけではない。

*3:ちなみにQ&AではQ8において、【主権国家自然権(当然持っている権利)としての「自衛権」を明示的に規定したものです。】と主張している。どうやら主権国家自衛権については天賦人権論を根拠としたいようだ。

ひょっとして私のこと?

たしかに「応援」うんぬんでやりとりしたことはあるのだが、ちくわ氏*1と私の記憶では乖離がある。

とりあえず、過去エントリから該当すると思われるやりとりをいくつか拾っておく。


私の日記から単語検索したところ、「応援」に言及していたのは下記エントリが初めてのようだ。
全体的に私ではなく藁人形が叩かれているように感じられる。 - 法華狼の日記

懲戒請求に関して、オレは橋下発言の功罪はちゃんと判断していて、橋下は好きだがあの発言には問題が有り過ぎたっつー事はちゃんと認めているし、その上でアホな挑発に乗った人間の自己責任だって説いている。

請求を多数出せば通るという考えに賛同しているのでは、「橋下発言の功罪はちゃんと判断」しているとは思えない。問題があると一部認めることと、問題を正しく把握することは同じではない。そして実際に、直後の2007年9月5日の文章では橋下弁護士を応援すると書いているではないか。

見てのとおり、ちくわ氏が橋下主張の「功」だけを主張していると私は解釈していなかった。「功罪」の「功」を認める理路に誤りがあると批判していたのだ。そもそも私は、橋下主張の一部へ賛同している具体例を先に示しており、応援についての指摘はあくまで補足だ。


また、ちくわ氏自身が流れをまとめ、そのまとめに対して私が反論したエントリでも、それぞれ「応援」についてふれている。なお、ここでの「加害者」は、懲戒請求扇動における橋下徹弁護士を指している。
よほど加害者によほど近いという指摘がこたえたらしい - 法華狼の日記

ちくわ、へっぽこ知識で橋下をへっぽこ擁護。ただし、扇動行為そのものは厳しく批判。

「へっぽこ擁護」と表現したわけだから、全面的にではなくても「応援」もしていたと自認していたと見ていいだろう。

ちくわ、批判返しと称して罵倒三昧。釣り三昧。

法華氏、再度ちくわに日記する(意味不明)。
何故か釣りに異常な執着心を見せる。

ちくわ、超致命的でオマエバカじゃねーの死ねよレベルの間違いに気付いて謝罪する。
「でもオレ、橋下好きなんだ! 応援するんだ!」って態度は崩さず。

法華氏「(橋下を応援するって事は橋下の扇動行為も容認するって事でありそれはつまり加害者に近いから)ボク的にはちくわの考え方は許せないんだな啓蒙してやる!」
(『( )』内は彼の脳内妄想ゆえ、後述するキチガイ発言が起きるまで、その主張は彼の脳内でのみ構成されており、表には出ていない)

いや、「罵倒三昧。釣り三昧」だったと自覚しながら、それを相手から批判されて「異常な執着心」と呼ぶ態度はすごいな。だいたい「罵倒」ならともかく、「釣り」なら相手が反応して当然だし、むしろ相手が反応することを望んで「釣り」をするものだろう。相手が「許せない」という態度を取ったことについても*2、自分の態度によるものと思わないのはなぜなのだろうか。
また、何をどこまで謝罪したのかも不明瞭。ちくわ氏によるまとめでさえ、「超致命的」な間違いしか謝罪していないように読める。ちくわ氏がいくつかの発言を撤回や謝罪した例は確かにあったが、それも散発的にであり、罵倒や釣りを行われながらでは素直に受け取ることが難しい。
そもそも「でもオレ、橋下好きなんだ! 応援するんだ!」と認めるのであれば、加害者が好きで応援していると解釈されて当然だろう。直接的な関係がない大阪府知事選等で応援するならまだしも、懲戒請求騒動で明白に橋下弁護士を応援しているのだから。弁護士のように社会から求められている仕事をしたわけでもなく、自由意志で応援を表明した上、被害者である弁護団を罵倒してすらいる。なぜ、現時点で加害者を応援しているのだということさえ認められないのだろうか。

この時、ちくわ氏は「でもオレ、橋下好きなんだ! 応援するんだ!」という態度を崩さなかったと自身でまとめている。今回の「橋下は個人的に好きだし応援したいが、懲戒請求騒動に関してはやりすぎなので批判する」という記憶とは、いささか異なっているように見える。せいぜい「橋下は個人的に好きだし応援するが、懲戒請求騒動に関してはやりすぎなところを批判する」といった表現が当時の自己認識に近いのではないだろうか。


4年以上前のやりとりなので記憶が変容していることはしかたないが、だからこそ調べられる範囲で調べておくべきだし、あいまいな記憶発言ならばそのむねを留意しておくべきだ。また、対象をある程度まで特定できるように批判したいなら、対象者は明記しておくべきだろう。

*1:ツイッターIDは[twitter:@tikuwa_ore]。

*2:もちろん「許せないんだな啓蒙してやる!」という発言をしたつもりはない。