法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

クマラスワミ報告書と吉田清治証言と性奴隷認定の関係をめぐるデマ

先日8月8日の定例会見で、橋下徹大阪市長が記者会見で従軍慰安婦問題について言及していたという。
会見後半での出来事なので大阪市サイトのテキストには掲載されていないが*1、無料コンテンツの書き起こしを専門にしているWEBメディア「ログミー」で文章化されている。
慰安婦問題「大誤報」でも、韓国が引き下がれないワケ 橋下徹氏が語る、朝日新聞の罪深さ - ログミー[o_O]

クマラスワミ報告書の第2章に引用されている吉田清治氏の証拠文献、それからこの吉田清治氏の文献を引用しているジョージ・リックスの文献を見ても、またクマラスワミ報告書がいろんな証言を基に性奴隷認定してますけど、あれが本当に事実だとしたら、絶対韓国の人は日本人を許せないですよ。
これが朝日新聞の大誤報によって、韓国の人は朝日新聞に踊らされて虚偽の情報を基に、日韓基本条約では解決されない問題なんだ、というふうに焚きつけられて、今やもう引くに引けない状況になっているわけです。

文献の著者というのは、「ジョージ・ヒックス」のことだろう。念のため会見映像も確認したが、橋下市長は「ヒックス」といっているように聞こえる。書き起こした「ログミー」側のミスだろう。
ここで橋下市長は報告書が吉田証言だけで成立したわけではないと認識できているようだが、つづく書き起こしを読むと他の証言の存在が忘れられ、朝日新聞の大誤報にすべての責任が集約されている。


1996年の報告書で事実関係の認識が甘かった問題は、たしかに以前から知られている。くわしい問題の所在は「日本の戦争責任資料センター」で日本語訳とともに指摘されている。
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/cwara.HTM

本資料センターの吉見義明氏が次のように指摘している。
「誤りの原因について述べますと、George Hicks,The Comfort Womenに依拠した点が問題です。この本は、誤りの大変多い著書ですので、notesから削除したほうがいいと思います。Hicks氏の誤りの一例をあげると、彼は吉田清治氏の経歴を、Tokyo University卒で、のちWar Ministry administrative officerになったと記しています(28ページ)。しかし、実際には、彼は東大卒ではなく、東京にある大学を卒業したものです(吉田の本による)。また、かれはadministrative officerではなく、上海派遣軍の下級の嘱託part-time emproyeeに過ぎません。またHicks氏が引用している吉田氏の著書の「慰安婦」徴集の部分は、多くの疑問が出されているにもかかわらず、吉田氏は反論していません。…吉田氏が反論することは困難だと思われます。吉田氏の本に依拠しなくても、強制の事実は証明することができる(誰が強制したかを別にすれば、日本政府も徴集時や慰安所での強制を認めている)ので、吉田氏に関連する部分は必ず削除することをお勧めします」(クマラスワミ氏宛の書簡)。

アジア女性基金サイトでもPDFファイルの日本語訳が公開されているので、日本政府の把握しているはずの文章としてこちらを引用しよう。問題の吉田証言にふれているのは「29.」*2だ。
http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf

慰安婦の多くは、連行される過程で暴力や強制が広く行われていたことを証言している。さらに、強制連行を行った一人である吉田清治は戦時中の体験を書いた中で、国家総動員法の一部である国民勤労報国会の下で、他の朝鮮人とともに1000人もの女性を「慰安婦」として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している。

連行過程で強制があったという証言を指摘した後に、「さらに」と募集時にも強制があった証言として紹介している。より過酷だったことを示す意見として補足していることがわかる。
吉田証言を少数意見としても肯定的に言及し、当時から削除するべきと批判されていたわけだが、逆に削除したとしても報告書の全体像が崩れるほど重視されているわけではない。この報告書は吉田証言にかぎらず、信頼性の低い証拠や研究にも言及しつつ、全面的な依拠はしないように注意がはらわれている。少しでも被害者をとりこぼさないよう不確かな資料でも言及しておく。これはこれでひとつの方法論ではあるだろう。
実際に報告書では、異なる日本の歴史学者に取材し、その見解も伝えている。秦郁彦氏が「40.」に登場し、吉田証言批判をおこなっているのだ。

千葉大学歴史学者秦郁彦博士は「慰安婦」問題に関するある種の歴史研究、とりわけ韓国の済州島の「慰安婦」がいかに苦境に置かれたかを書いた吉田清治の著書に異議を唱える。秦博士によれば、1991年から92年にかけて証拠を集めるために済州島を訪れ、「慰安婦犯罪」の主たる加害者は朝鮮人の地域の首長、売春宿の所有者、さらに少女の両親たちであったという結論に達した。親たちは娘が運行される目的を知っていたと、秦博士は主張する。

Wikipediaなどでは「事実であるとし採用している」*3と記述しているのは、それこそ虚偽といっていい。両論併記しているのに、ただ事実として採用したと評せるはずがない。


そもそも報告書は、朝鮮半島における代表的な募集方法が詐欺的手段であったという見解をとっている。さかのぼった「27.」で、被害者証言にもとづく募集手段は三つに大別されている。

元「慰安婦」の話は非常に豊富で、納得できる明確な説明を与えている。そこで語られるリクルート方法には三つのタイプがある。すでに売春婦となっていて自分から志願した女性の徴用、レストランの仕事や軍のコック、洗濯係など給料のいい仕事があると言って女性を引きつける、日本の支配下にある国々で奴隷狩りに等しい大がかりな強要と暴力的誘拐を使って女性を集める。

さらに沢山の女性を集めるために、軍に協力する民間業者や、日本に協力する朝鮮人察官が村を訪れ、いい仕事があるといって少女たちを騙した。

「奴隷狩り」の実行犯が日本軍人であることが批判の必要条件ではないこともわかる。要請された業者であれ、一体となって協力する官憲であれ、その行動を当時の日本は負わなければならない。そう勧告した報告書なのだ。
他のパラグラフでもさまざまな募集の手法が言及され、吉田証言のしめる比率は低い。


逆に報告書を冒頭から見ていけば、「性奴隷」の認定について、集められた過程は関係ないことが明記されている。該当するやりとりは「7.」と「8.」だ*4

特別報告者は東京訪問中に日本政府から伝えられた立場を意識している。日本政府は、「奴隷制」という言葉は1926年の奴隷条約第1条(1)に、「所有権に帰属する権限の一部又は全部を行使されている人の地位又は状態」と定義されており、この言葉を現行国際法の下で「慰安婦」に適用するのは不正確であると述べている。

しかしながら、本特別報告者は、「慰安婦」の実施は、関連国際人権機関および制度が採用しているアプローチに従えば、明確に性奴隷制でありかつ奴隷に似たやり方であるという意見に立つものでる。

そう、「奴隷狩り」が奴隷とみなされる必要条件でないことは、報告書が出されるまでの日本政府も国際機関も、共通認識として理解していたのだ。募集時における加害証言ひとつを否定できたとしても、そもそも論点ではないので性奴隷であったことを否定できない。


もちろん朝日新聞は加害証言を紹介した報道機関のひとつにすぎない以上、報告書で特別に言及されたりはしていない。そもそも「大誤報」がしめる比率は低いのだ。
報告書を無視しても、初めて吉田証言をとりあげたのが1982年で、従軍慰安婦問題が国際問題化されていったのが1990年代初頭。橋下市長のいうように韓国人が「踊らされ」「焚きつけられ」たというなら、その因果を示す必要がある。
さらに橋下市長は朝日新聞と他紙の違いを主張していたが、これははっきり誤っている。

朝日の検証記事を読んで思ったのは、自分たちがやった事の重大さを全く理解してないな、認識してないなと思いますね。で、「読売新聞とか産経新聞が当時同じように報道してた」なんてあんな言い訳がましいことをやって、本当にあの検証記事を台無しにしたけれども。あんなのすぐに反撃されますよ。読売だって産経だって当時はそういうような報道をしていたかもわからないけども、すぐに、90年代後半か、すぐにじゃなかったけれども主張を変えていってるんでね。

実際に朝日検証を読めば、まさしく「大誤報」においては「すぐに、90年代後半か、すぐにじゃなかったけれども主張を変えていってる」。
「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断:朝日新聞デジタル

 97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。

こうして橋下市長は明らかに誤った主張をしたわけだが、はたして訂正や撤回をするだろうか。そしてWEBサイト「ログミー」は橋下市長の発言を否定せずにつたえた責任をとって特集記事を出して撤回するだろうか。私としては、希望はするが、期待はしない。

*1:http://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000266443.htmlただし「交通局の民営化」について朝日新聞記者から追及された最後に、「一人がなんかまたそんなね、自分の権限で自治体の議会のルールを全部変えようなんてそんな傲慢なことやったら、また慰安婦問題と同じような失敗しますよ。ええ。そんな一人の、朝日新聞の一人の記者の考え方で全国の地方自治の議会のルールを変えれるなんて、そんな傲慢な考え方は持ったら駄目です」と言及している。

*2:日本語訳を比較しやすいよう、パラグラフ番号で記述する。

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%9F%E5%A0%B1%E5%91%8A

*4:「ものでる」は原文ママ