法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

Wikipediaの「吉見義明」項目は、出典を誤読した記述が多い

Wikipediaはボランティアによって雑多に編集されたWEB百科事典であり、雑多な情報を集めるには良くても、全体の信頼性が高いとはいえない。
先日も、アニメにまつわる誤認が事実のようにあつかわれた問題についてエントリをまとめた。
Wikipediaで脚本家「白井千秋」の正体が細田守監督と誤認されていた話 - 法華狼の日記


歴史認識の項目にいたっては、事実よりも願望を優先したい動機が強くあるためか、誤認や捏造がはびこっている。
たとえば「マイク・ホンダ」項目で父母が朝鮮出身という虚偽が記述され*1、元NHK経営委員のベストセラー作家である[twitter:@hyakutanaoki]氏が広めていた。

もちろん日系人収容所問題にもとりくんでいた政治家が、単純な「反日」であるはずがない。そもそも自身が家族とともに収容されていたわけで、朝鮮出身ならば収容されなかったはずなのだ*2
私自身も、複数のWEB事典と比べて「慰安婦」の項目を批判したことがあった。
従軍慰安婦についてインターネットで学びたい時、Wikipedia以外のサイトを使うべき - 法華狼の日記


さて本題の、「吉見義明」項目の問題だ。それも妥当性のない批判がのっている問題ではなく、主張していないことを主張したかのような記述にしぼる。
吉見義明 - Wikipedia
かつて、項目が立てられた2005年11月27日版*3から2006年5月ごろまで「近年では著作はフィクションであると証明されており、本人もそれを認めている」という記述がされていた。その妥当性についてノートで編集者が議論していたが*4、さすがに今は削除されて長い。
しかし記述量が増えるにしたがって、誤った記述も新しく加わっている。


たとえば、自由意思をめぐる記述で、なぜか「転向」という表現が用いられている。

自由意志で慰安婦となった女性についても、職業選択の自由があれば慰安婦となる者はいないとし、貧困や失業、植民地支配といった強制の結果だと1995年の自著で主張をしていた[6]が、2014年には、自由意志の場合は奴隷制・強制性はないという見解に転向している[7]。

6.^ 吉見『従軍慰安婦』p.103
7.^ a b c 「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」秦郁彦 vs 吉見義明:「荻上チキ・Session-22」(TBSラジオ、2013年6月13日(木)22:00-23:55)

これは「自由意志」という言葉のとらえかたの問題だろう。形式的な自由意思であれば強制を否定できないし、実態的に自由意思であれば強制ではない。
実際に『従軍慰安婦』を読めば、「仮にあったとしても」「そのような生き方しかできなくされた」ことを指摘した上で、「たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも」と見かけの自由意思にすぎないことを指摘している*5
一方、ラジオ対談は以前に聞いたが、「貧困や失業、植民地支配」があっても自由意思さえあれば強制を否定できるという主張はしていなかった。該当するだろう部分を、下記エントリの書き起こしから引用する。
書き起こし(2):「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」秦郁彦 vs 吉見義明:「荻上チキ・Session-22」(TBSラジオ、2013年6月13日(木)22:00-23:55): ラジオ批評ブログ――僕のラジオに手を出すな!

秦 人身売買がなければ奴隷じゃないわけですか? 志願した人もいるわけでしょ? 高い給料に惹かれてねぇ。

吉見 それは、セックス・ワークはどういうふうに認めるかということについては色いろ議論があってですね、難しいわけですけれども、少なくとも、人身売買を基にしてですね、そういうシステムが成り立っている場合は、それは性奴隷制と言う他はないんじゃないですか?

秦 自由志願制の場合はどうなんですか?

吉見 それは、性奴隷制とは必ずしも言えないんじゃないですか。

秦 言えない? 公娼であっても?

吉見 うぅん、それは本人が自由意志で仮にそういうことを、性労働をしているのであれば、それは強制とは言えないし、性奴隷制とも言えないでしょうね。

論じているのは「公娼」であり、戦地にいくことを考慮するべき「慰安婦」とは文脈が異なる*6。そもそも仮定の話であり、「貧困や失業、植民地支配といった強制」が前提ではない。
ここで吉見教授は性産業を仕事ととして選択する自由を論じていると見るべきだろう。あえて「セックス・ワーク」「性労働」という言葉を使っていることからも、売買春への偏見をふせぐ意図が感じられる。
望まず売春をおこなわせる社会を批判することと、性産業への従事者への偏見を批判することは、性の自己決定の尊重として矛盾なく両立する。


慰安婦の人数について」という見出しでは、下記のような記述がある。

慰安婦」の割合は陸軍は兵100人に1人と推測し、海外の兵員は最大350万人約3万人、交代数を入れて6万人、その間を取って4万5000人となるが、現地の軍が独自に集めた数があるともっと増える。そのため、慰安婦の数は8万から20万人と考えるのが妥当であるとしている。

これは結論として大きな間違いではないが、吉見教授の学説とは異なる。同じような推計を『従軍慰安婦』でもおこなっているが、100対1という比率は第二一軍が把握していた少なめの数字を引いたもの。そこに「現地の軍が独自に集めた数」を考慮して「下限は約五万」と考えている。20万人という数字は約30対1という比率と、2交代という仮定から導いた上限だ*7
Wikipediaには出典が書かれていないが、直後の「日本人慰安婦について」と同じ脚注「12」がそれにあたるらしい。編集の履歴を見ると、先にあった「日本人慰安婦について」を「慰安婦の人数について」に変えて推計数の記述を足し、その後ふたつの見出しに分離している*8

12.^ アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件 (韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会)口頭弁論 1997年12月15日13時30分より、東京地方裁判所713法廷 鑑定証人尋問 [3]

そこで脚注「12」から、「[3]」にリンクされている下記ページを読むと、証人尋問そのものの記録ではなかった。「弁護士との問答形式で口頭で答えられた傍聴メモ」にすぎない*9
慰安婦問題とは─吉見義明教授
該当する部分を読んだところ、「明確にするのは困難」という前提で「あえて人数を推計すれば」という問いに答え、下記のように推計している。

 陸軍は上から兵100人に1人の「慰安婦」といった。ならば海外の兵員は最大350万人だから、300万として3万人、交代数を入れて6万人、その間で4万5000人となる。ただしこれは上からあてがった数字で、現地の軍が独自に集めた数があるともっと増える。大体8万から20万人とされるが、そんなに不当な数ではない。

たしかに傍聴メモだけではわかりにくいが、「大体8万から20万人とされる」は直前の推計とは独立している。不当ではないと評価しているが、自説ではなく、流布している推計として論じている。
表現の細部が異なることは著作権侵害をふせぐWikipediaの方針だろうが、要約のつもりで誤ってしまっては意味がない。


「日本人慰安婦について」という見出しでは、下記のように記述されている*10

日本人の慰安婦の割合は全体の約10%と推測しているが、日本人女性は自発的に売春婦の職業を選択したとしか考えられないため、性暴力の被害者に数えるべきではないとしている[12][要高次出典]。

もちろん、この日本人慰安婦についての記述は間違っている。吉見教授は、慰安婦になった段階での自発性も懐疑しているし、自発的に慰安婦になったことを被害者にならない充分条件だと主張したことはない。
たとえば1995年に出版された『従軍慰安婦』において、日本から集められた場合が論じられている。その内容は、国際条約を意識して植民地よりも規定がきびしかったとしつつも、「四千円近い置屋への借金を軍が肩代わり」するからと未成年が「志願」した事例や*11、やっかいものあつかいされた軍属女性が慰安婦になるよう現地部隊からもちかけられた事例も指摘している*12


しかも傍聴メモから根拠とされたらしき記述を見ると、比率も自由意思もWikipediaの記述とは文脈が異なることがわかる。

──「慰安婦」の民族別構成は。

 一つの資料がある。1940年大本営の研究班が性病罹患について調査。相手女性の調査結果は、朝鮮人52%、中国人36%、日本人12%。すべてが「慰安婦」ではないだろうが、比率から相手は「慰安婦」と考えられる。朝鮮人、中国人の比率が高かった。

ここで「朝鮮人、中国人の比率が高かった」としているが、ひとつの資料から全体の比率を断言しているわけではない。前掲の『従軍慰安婦』では、同じ資料につづけて南京の軍医部検診記録を引き、中国人の比重が朝鮮人や日本人より圧倒的だったことを指摘している*13

──「売春婦」であったという説について。

 本人の自由意思であったというものだ。しかし、漢口兵站司令部長沢○○の体験記にこう書かれている。内地から来た女性が性病検査を拒否した。「自分は兵隊を慰めてあげる役目だと聞いていた。(違うから)帰らせてくれ」つまり慰安所、性の相手をすることとは聞いていないということ。翌日その女性は目がふさがっていたという。強制して性病検査をしたということだ。身売り、だましの重なった事例だ。翌日から兵の相手をさせられることになった。
 これは、当時の刑法226条、国外誘拐罪にあたり、この違法行為を軍は止めさせなかった、送還していないのである。

ここで「本人の自由意思であったというもの」と述べている部分は吉見教授の自説ではない。「しかし」と接続しているように、批判する対象としてもちだしたものだ。
むしろ吉見教授は、内地つまり現在の日本から来た慰安婦の「身売り、だましの重なった事例」を紹介し、「違法行為を軍は止めさせなかった、送還していない」と組織の責任を指摘している。

 以上をまとめると、
 「従軍慰安婦」制度の本質は、1.戦時における女性に対する性暴力、女性差別である、2.日本人以外の女性を犠牲にした人種差別である。10パーセントくらいの日本女性もいたが、前歴が売春婦を主としていた。そういう前歴のない植民地、戦地の女性で貧しい者を使った、3.貧しいものへの差別であった。これらが重なった、重大な人権問題である。

この「まとめ」部分が吉見教授自身の発言だとすると、前段や著作と比べて違和感はある。いくつか傍聴メモからとりこぼされたのかもしれないし、傍聴メモを書いた人物の認識が反映されたのかもしれない。
それでもWikipediaの「日本人女性は自発的に売春婦の職業を選択したとしか考えられない」という記述は間違いだ。「売春婦を主としていた」という文章は、全てが売春婦であったという意味ではない。そして前歴が売春婦であったとして、それが自発的に慰安婦となった証拠ではない。
もちろん「性暴力の被害者に数えるべきではない」という主張も読みとれない。「日本人以外の女性を犠牲にした人種差別である」という部分は、「戦時における女性に対する性暴力、女性差別」という部分と独立している。被害者間で差別があるという指摘は、一方の被害を否定することを意味しない。それぞれ人権問題であり、それが重なったのが日本軍の慰安所制度と主張しているのだ。


ちなみに、今回なぜ「吉見義明」の項目をとりあげたかというと、下記エントリへの反応がきっかけだった。
従軍慰安婦問題は最初から人権問題であったし、そうでなければならない - 法華狼の日記

たとえ募集段階では「自発的な売春女性」であっても、これまで慰安所における環境や拘束が問題視されてきた。

内地と植民地と占領地で異なるあつかいがされていたことは、残された資料からも確認できる。

まさしく傍聴メモで吉見教授が指摘したことを、私は歴史学の流れとして説明したわけだ。
しかし上記エントリに対して、はてなブックマークid:nisatta氏が下記コメントをつけていた。

nisatta (wikihttp://goo.gl/r7xRX0)(女性基金http://goo.gl/giOhuI)(jpg:http://goo.gl/W7ZxzG)政治的に使おうとした、してる人がいる中で、人権問題であるべきだなんて観念論述べられてもなあ。

短縮リンクの意図がわからないまま開いてみると、Wikipedia「吉見義明」項目の、「日本人慰安婦について」にリンクされていた*14
nisatta氏の意図はよくわからないが、どうやら反証のつもりで提示したらしい。しかし情報源をたぐっていくと、私がエントリで書いたことを裏づけるものだった。意図しない皮肉である。

*1:日系米人マイク・ホンダ議員は祖父母が朝鮮人とWikipediaが編集され百田尚樹氏がツイート - NAVER まとめでていねいに検証されていた。マイク・ホンダの右頬 - 法華狼の日記で私も「マイク・ホンダ」項目についてエントリを書いたが、これほどひどい虚偽は書かれていなかった。

*2:エミコヤマ on Twitter: "@yuri_marquis もし朝鮮系であったなら、そもそも財産没収も強制収容もされなかったはずなんですが。それを知りつつわざわざ当時ホンダの家族が日系人を詐称していたとでも?"で[twitter:@emigrl]氏が端的に指摘している。

*3:吉見義明 - Wikipedia

*4:ノート:吉見義明 - Wikipedia

*5:103頁。

*6:従軍慰安婦』で自由意思を論じた103頁で、業者も自身で戦地につれていくことはあっても、公娼が慰安婦になることは手ばなすことであり嫌だったろうと推測している。

*7:79〜89頁。

*8:「吉見義明」の版間の差分 - Wikipediaから「吉見義明」の版間の差分 - Wikipediaまで。青鬼よし氏という人物がひとりで編集しながら、よく意図がわからない記述になってしまっている。

*9:以下、傍聴メモと略す。

*10:このエントリを書きはじめた時は、まだ「[要高次出典]」のタグはついていなかった。履歴を見ると、5月7日にid:zakinco氏につけていただいだらしい。

*11:89頁。「志願」には原文でもカギカッコにくくられ、それが実態を反映しない表現と強調している。

*12:92頁。乗船が敵軍の攻撃で沈没し、救助されてルソン島にたどりついた後でのできごとだったという。

*13:82〜83頁。

*14:実際に開いたURLはモバイル版。