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法華狼の日記

2015-06-08

[][]『エスパー魔美』の名言は、批判を忘れておしまいにしようという主張ではない

表現の自由から批判の自由が話題になる時、よく『エスパー魔美』から引用される頁がある。「くたばれ評論家」で、主人公と父親が会話する場面だ*1

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公表した表現が批判されることを覚悟すべきこと。批判することも反発しかえすことも自由であること。

そうした表現の自由にまつわる主張が、表現者である父親の人格とともに描かれ、この頁だけでも普遍性をもっている。


しかし、この頁だけがひとりあるきしていることは残念だ*2

物語が知られていないのはしかたないとしても、書かれていない主張が読みとられることまでいいとは思えない。描かれているのは絵画への批判なのに、政府や司法への抗議と同一視する主張すらある。

誰が靖国に英霊を公表したのか - 法華狼の日記

そのように批判を自由にさせることと抗議を放置することを混同してしまえば、とるべき責任まで消されてしまう。


まず、父親は「おしまい!!」といっているが、批判を単純にすべて忘れようとは結論しない。

たしかに引用の直後にも「つまらんことにいつまでもこだわってないで、さっさと忘れなさい」*3と語っている。しかしそれも主人公へ向けた台詞であり、批判に対しての本心とは限らない。そもそもこの頁は物語の中盤にすぎない。

実は批評家は、病におかされながらライフワーク論文を完成させようとしていた。それを両親の会話から知った主人公は、エスパー能力で病を治してあげる。

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批評家が治ったことを知った父親は、「また、悪口をかかれるわよ」と笑う母親に対して、「ばかいえ!そのうち、あいつにもけなしようのないすばらしい絵をかいてみせるさ」といいきる*4

つまり父親がいう「おしまい」「忘れなさい」とは、批判のことではない。批判と非難の区別がつかない主人公はともかく、父親自身は「おこった」という感情的な反発だけ終わらせつつ、作品でこたえようとしているのだ。

この物語は、批判を自由に放置して無視しようという呼びかけではない。むしろ批評との健全な応酬で作品が向上する可能性を描いている。


また、父親と主人公のやりとりにいたるまで、複数のつみかさねがある。

最初に主人公は友人に相談する。作品において、もっとも知的といっていいキャラクター「高畑さん」だ。批評家へ抗議をすると聞いた高畑さんは、「意味ないなあ……」「だって、その人はそう感じたから、そうかいたんだろ。抗議されたからって、訂正するわけもないし……」とさとす*5。同時に、主人公が抗議したい気持ちについても気がすむならと許して、エスパー能力で移動しやすくる手助けまでする。

批評家の家に行くと、時間がないと断られる。病をおしてライフワークを書いている伏線だ。それを知らない主人公が瞬間移動して入りこむと「非常識な人だね。会わないというのに強引に……」*6としかめつらになりつつ、手短にすませようと話は聞く。冷静になって読むと、かなり器のおおきい人物である。

主人公の言葉や顔立ちから、酷評した画家の子であり、作品のモデルだと批評家は気づく。ここで父親のことを「十朗くん」*7と敬称をつけて呼んだ描写に、批評家の立場や性格があらわれている。

そして批評家は、「情け容赦もなく」という抗議には「情けとか容赦とか、批評とは無関係のものです」と答え、「どんなに情熱をそそいだか」という話には「芸術は結果だけが問題なのだ。たとえ、飲んだくれて鼻唄まじりにかいた絵でも、傑作は傑作。どんなに心血をそそいでかいても駄作は駄作」*8と断言する。

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この批評家の主張も有名だろう。しかし批評家も心血をそそいでいることを思い出してほしい。ライフワークの評価とは独立して、批評家個人は好感をもてる人物として描かれている。人格批判と作品批判は違うのだ。


さらに、事実認識が誤っている批判まで自由とは、この作品は主張していない。

物語において、批判に対する具体的な反論はない。先に紹介したとおり、主人公は父親の奮闘を語るだけ。父親自身も、雑誌に「くたばれ!!」「だいたいな、おまえなんかにだな、絵がわかってたまるかってんだ!! ヘッポコ評論家め!!」と叫び、こそこそ投げては踏みつける*9

一方で、批評家の文章はかなり具体的だ。「あいもかわらず、古めかしい絵にかいたような絵が……描写はうわすべりで、鋭くうったけかけるなにものもなく……、とくに連作「少女」の文字どおり少女趣味でセンチメンタルなあまったるさには閉口……。」と、くわしく個展を評している。これは妥当な批判ではあるだろうと、ひとりの読者として感じた。

酷評されている「佐倉十朗展」だが、実は別の回で具体的に描かれている。おそらく「名画(?)と鬼ババ」の個展と同じものだ。高畑さんが見にいくと客はいないし、写実的な風景画や人物画ばかり*10

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連作「少女」も主人公をモデルにした裸婦像というだけ。さすがに情念は感じるが、当時でも芸術としての新しい視点は評価されそうにない*11

後から入ってきた裕福な客も、「社長、この画家は画商にはまったく問題にされておりません」「そうかい?あたしゃいい絵だと思うけど」「まちがっても、将来値上がりするようなことはございませんですよ」「じゃあ、買ってもしょうがない」と部下とやりとりして、投機目的にすぎなかったことと、業界内で評価されていないことが明かされた*12。むしろ、よく雑誌の月評でとりあげてもらえたものだ。


もちろん、妥当性とは独立して批判の自由を認めたからこそ、この物語には普遍性がある。しかし自由と忘却を混同して、批評を無視していいと解釈するには、作中の批判に妥当性がありすぎる。

ちなみに批評家がライフワークとしている論文は「白鳳文化と祆教美術」という。原作者の歴史趣味が反映された論文名ではあるだろう。しかし美術史がメインの批評家ですら「古めかしい」と酷評したことは、よほど作風が古いという強調と考えていいはず。おそらく画家をサブキャラクターとして漫画で登場させるには、前衛的な表現者は難しかったのだ*13

この「くたばれ批評家」は、普遍的な批判の自由を描いているだけではない。サブキャラクター描写の古臭さを自覚的に物語として昇華し、作品全体の世界観を強固にしている。批判を意識することで、見える世界が広がるのだ。

*1:『藤子・F・不二雄 大全集 エスパー魔美(1)』154頁。ただし画像は別単行本からの引用であるため、台詞内の「全部」が「ぜんぶ」になり、頁数も異なっている。また、以降に文章で台詞を引用する時、ルビを排する。

*2:最近では、マンガで分かる心療内科?ゆうきゆうさんのツイート: "藤子先生のマンガ。このスゴイ点は、 「すべての人に感想を述べる自由があり」 「作者や発言者にも、それにどう反応するかの自由がある」ということ。 あなたの発言に何かを言う人がいても 「すべてマンガで分かる心療内科?ゆうきゆうさんのツイート: "本当にありがとうございました!ご感想まとめると 「作品や発言への批評は自由だが、批評そのものも同時に『作品』」 「作者や発言者は同時に、その作品の『客』であり、同じく反応も自由」 で、ゆうきゆう氏が紹介していた。

*3:155頁。

*4:162頁。

*5:144頁。

*6:150頁。

*7:150頁。

*8:151頁。

*9:140頁。

*10:89頁。ここでも主人公は父親の努力だけを口にしている。

*11:どちらも漫画の初出は1977年

*12:94頁。別の客と絵をとりあいになったりもするが、これは作品に魅力があったというより、描かれた風景がなつかしかったという理由が大きい。

*131979年に初出の『ドラえもん』「自動質屋機」では、ラクガキのような抽象画が高額で売れるという展開はあるが、あくまでゲストキャラクターのどんでん返し。それを見たドラえもんやのび太は、作品そのものの価値は最後までわからない。てんとう虫コミックス18巻92頁から紹介する。個別「20150611000052」の写真、画像、動画 - hokke-ookami’s fotolife

はりはり亭はりはり亭 2015/06/10 02:08 この引用されたページからだけでも「なんでも言いっ放しで良い」という結論は出てこないと思いますがね。「この一件はおしまい!!」というのは基本感情的なあつれきの事をさしていると理解していました。怒るのはお終い、言葉にはこたえていく。
ただし本当にろくでもない批評家というものは存在しますがまたそれは別の話。

>飲んだくれて鼻唄まじりにかいた絵でも、傑作は傑作。どんなに心血をそそいでかいても駄作は駄作
このあたり一般論というだけでなく、藤子氏の体験もあったのだと推測するのは勘ぐりすぎでしょうか。本当にいい人が、心血を注いで書いた漫画作品がどうにもならず、いやなやつ、ろくでもないやつが才能に任せて書いた作品が人気作となる(下手をすると人間的にも評価される)。そういう現場を嫌というほど見て、自分の創作もかえりみてきたのではないでしょうか。漫画に限らず、創作というものの永遠の「矛盾」(ととりあえず言っておきます)です。ただしそれはプロの場合です。アマチュア、まして学生が創造の喜びを、自分自身の表現を見出していくのはまた別の話。こんなことを書くのは、「響け!ユーフォニアム」に少々もやもやしてまして。

>当時でも芸術としての新しい視点は評価されそうにない
ただ、「魔美」の最終回は、売れている画家が、ついに魔美の父に及ばなかった、という描写で終わってますよね。新しい視点はなくとも、決して二流ではない、ということなのでしょうか。

>画家をサブキャラクターとして漫画で登場させるには、前衛的な表現者は難しかったのだ
この点をうまくやったと思ったのが「ちょっとヨロシク!」の羽田句宇紅画伯。あれはおかしかった。

たしか、いまちょっと題名が思い出せないのですが、藤子F氏の短編に、政治家を暗殺しようとして、逆にその(悪徳と思っていた)政治家に圧倒されてしまうという作品があったと思います。構造としては同じですね。藤子F氏の短編はいつも単純ではない、ざらっとした感触を持っています(それを極上に甘い酒の様に-甘ったるいではなく-仕上げるから凄いのですが)。それがわかっていれば、ここで取り上げられた解釈など出て来ようもないと思うのですが。

AA 2015/06/10 04:18 以上のことは、あなたの感想および批評であって、F先生が明言されたことではありませんよね?
なぜ、さもF先生の代弁者であるがごとき論調になっているのか、はなはだ疑問です。
他人に冷静な読解力を求めるのなら、まずご自分が実践されてみては?

何も言えてないよね何も言えてないよね 2015/06/10 08:25 >A 2015/06/10 04:18
>なぜ、さもF先生の代弁者であるがごとき論調になっているのか、はなはだ疑問です

あなた以外の多くの人が納得したから「論調」ができているのであって、あなた個人が納得してるかどうかは別の問題
その点ではあなた自身も「冷静な読解力」を発揮できてないわけ
せめて、どこが問題なのかを具体的に指摘するぐらいはしないと説得力ないですよ

つめきりつめきり 2015/06/10 12:09 >何も言えてないよねさん
Aさんは「さもF先生の代弁者であるがごとき論調になっていること」が問題だとはっきり言っているように見えます。
それに論調とは議論の立て方や傾向のことであって世間の評価とは関係のないことです。
多くの人が納得したことが論調だったとしてもhokke-ookamiさんが藤子F先生の代弁者として世間で認められているという話は聞いたことがありません。
「批評にかこつけた人格攻撃」と「事実認識が誤っている批評」を行った好例ですね。

無銘無銘 2015/06/10 13:14 hokkeさんが作者の代弁者のように振る舞っているとは全然思えないけど。あれを代弁者のようと思う方に問題があるのでは?
冷静な読解力がないhokkeさんに言うならhokkeさんみたいに具体的に説明するくらいはしないと誹謗中傷にしか見えない。

というかというか 2015/06/10 16:30  代弁者のように振る舞わない作品批評なんて存在するのでしょうか。ある対象を己が思考に基づいて分析・解釈し、言語化するのが批評という行為ですよね。対象が作品であれば、作者以外の批評は必然的に代弁と言えるわけです。
 そりゃまあ、逐一「私見では」「個人的には」等の断りを入れれば「代弁っぽさ」は解消できるかもしれませんが、代弁というのが自明であるからこそ、誰もそうしないのだろうと思っていました。

藤子・F・不二雄ファン藤子・F・不二雄ファン 2015/06/10 20:05 この作品の剣鋭介という評論家、顔つきからして石子順造がモデルではないでしょうか?
ええ、漫画をダシに使って自己宣伝をたくらむ手合いの嚆矢だった男ですよ。
死んだ後は、ほとんど誰も相手にしていないようですけど。

たとえばスポーツ評論家の中には、頭からプロレスを相手にしてない人間がたくさんいます。
プロレス=八百長、したがって論評の価値なし、と決め付けてくる輩です。
私は怪獣映画が大好きですが、映画評論家の中にも怪獣映画の特殊性を考えようともせず、“怪獣映画=くだらない”と決め付ける輩がずいぶんおりました。
現在のように、「おたく」なんて言葉が無かった時代の私のような人間は、ずい分悔しい思いをしたものです。

『エスパー魔美』の描かれた時代は、これからの漫画は池上遼一のような写実的な画風にとって代わられるのだ、手塚治虫や藤子不二雄の画風はもう古いのだ、という恐るべき珍論が大手を振ってまかり通っていました。
そういう風潮に対する、藤子・F・不二雄氏の静かな怒りが満ちている作品だと思いますね。
この『くたばれ評論家』は。

とれとれとれとれ 2015/06/10 20:22 僕は「エスパー魔美」を大全集では持っていなくてFFランドで所持しているのですが、FFランドでは「くたばれ評論家」でした。

「エスパー魔美」の中でも初期の話で、剣鋭介氏の側を丁寧に描写することで単なる悪役に留めていないのが流石だと思います。
FFランドのエスパー魔美百科?には「理解者が増えつつあることを見越した上での酷評なのでは」ともありました。

とれとれとれとれ 2015/06/10 20:33 上記の僕の書き込みで?になっているのは(9)です。

はりはり亭さんが挙げてはるのは「中年スーパーマン左江内氏」の最終話「日は暮れて道遠し」ですね。政治というものに軽く幻滅できる良作です(ラストに意外な人物の登場で救われますが)。

hokke-ookamihokke-ookami 2015/06/11 00:28 「くたばれ批評家」を「くたばれ評論家」へ訂正し、「残念だが」の1コマと、注記の「てんとう虫コミックス18巻92頁から紹介する。」とその画像を追記しました。
作中の芸術家の評価と、読者が作中作を見た評価が、作者の能力によって左右される問題はよくあります。いろいろな解決法がありますが、どうしても難しいもの。
本題ではありませんが、下記エントリの「絵にも描けない美しさを描く困難」という小見出しで、アニメ作品の例をいくつか紹介しました。
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130408/1365429965


はりはり亭さんへ
>引用されたページからだけでも「なんでも言いっ放しで良い」という結論は出てこないと思いますがね。

普通はそうなんですけど……どうも批判をあびている人物がこの1頁だけもちだして、それですませようとするかのような場面を見かけまして、せっかくなので詳しく説明しようと思ったのです。

>アマチュア、まして学生が創造の喜びを、自分自身の表現を見出していくのはまた別の話。

学生の創作や競技を支援する理屈として教育をもちだし、学校の評価に反映させようとしているのですから、明らかに教育に反した状況はストップさせるべきだと思うことが多いですね(たとえば『メジャー』のリトルリーグで横暴な監督に審判がストップをかけたのは良かった。やがて子供が肉体を壊してまで競技にかけることを賞揚するようになっていったのは残念でしたが)。

>「魔美」の最終回は、売れている画家が、ついに魔美の父に及ばなかった、という描写で終わってますよね。

父親がつらぬいた価値がたしかにあったという展開で、「くたばれ評論家」と読みあわせても趣深い最終回ですね。
シリーズ全体で父親の画家としての立場が何度も描かれているので、ちゃんと最終回らしい厚みもある。
ただ、あくまでライバルが内心で価値を認めたという描写ですし、美術界の一般的な評価かは……

>「ちょっとヨロシク!」の羽田句宇紅画伯

ほほう、残念ながら未読です。

>政治家を暗殺しようとして、逆にその(悪徳と思っていた)政治家に圧倒されてしまうという作品があったと思います。

暗殺でないなら、某シリーズの最終回ですね。ただし、悪徳政治家ではあるんです。清濁併せ呑む覚悟に圧倒されただけ。

hokke-ookamihokke-ookami 2015/06/11 00:49 Aさん、何も言えてないよねさん、つめきりさん、無銘さん、というかさんへ
まず、まとめレスになってすみません。
とりあえず私個人は、作品に描写された部分と、私が解釈した部分と、描写から考えた部分は、私なりに区別しているつもりです。作者の考えを想像した場合は、「だろう」や「おそらく」や「的」をつけて断っています。
また、作品の主張と作者の主張も区別しています。
それでも読解に異論はありうると思いますし、残念ながら事実レベルの思い違いをしているかもしれません。その場合、具体的に指摘してくださることを望みます。抽象的すぎると対応できません。


藤子・F・不二雄ファンさんへ
指摘ありがとうございます。
何度も引用のため確認したのですが、よりによってサブタイトルを誤記してしまっているとは……引用の台詞では「批評」になっているため記憶違いしてしまったのかな。

>この作品の剣鋭介という評論家、顔つきからして石子順造がモデルではないでしょうか?

あー、なるほど画像検索してみたら少し似ていますね。作品の初出と没年が同じ1977年とは……

>『エスパー魔美』の描かれた時代は、これからの漫画は池上遼一のような写実的な画風にとって代わられるのだ、手塚治虫や藤子不二雄の画風はもう古いのだ、という恐るべき珍論が大手を振ってまかり通っていました。

私自身は当時そうした文章を読まず、もちろん気にしていなかったのですが、後からさかのぼるように当時の文章を読んだことはあり、何となく空気はわかります。藤子F先生自身も、劇画に対する色々な感情を出していましたね。
異色短編なども出しつつ、全体として作風をつらぬくことで独自の立場を確立した藤子F先生の姿は、魔美の父と重なりますね。手塚治虫が時代へ追いつこうと必死に走りつづけて、最終的に独自の立場で再起したのと好対照。

>そういう風潮に対する、藤子・F・不二雄氏の静かな怒りが満ちている作品だと思いますね。

そういう感想も藤子Fファンには多いんですけど、だからこそ批評家側も真摯に描いていることが凄い作品だと思います。
良くも悪くも嫉妬にまみれた手塚治虫と違って(神とは嫉妬深いもの!)、自分自身すら冷静につきはなして作品化できる藤子・F・j不二雄のクールさ。


とれとれさんへ
同じく指摘ありがとうございます。

>政治というものに軽く幻滅できる良作です

ええ、どちらかというと悪徳政治家の奥深さより、形式的な民主政治のアレな真相が印象深かったですね……

NakanishiBNakanishiB 2015/06/11 06:54  すごい数のブクマのついた人気記事になっていますね。もしかして法華狼さんのブログでも一番なのではなのではないでしょうか。「心の狭い学究」との議論のときに口を挟んできて途中で消えた人がブクマで自分への批判にふれずに意味不明の我田引水をやっているのも自論にあわせて捻じ曲げているをしている例として自分が出された記事がこんなに読まれてしまったせいですかね。まあ一貫はしています

 これほど人気になったのはやはりネット上の「批判」のやり取りが頻発する上にたいていろくな結果にならないこともあるけれど、サブカルチャーなどの作品についてネット上の批評のやりとりが(それ以前よりさらに)難しいせいがあるのでしょうか。コメントを見るとそういうことがうかがわれるのが。もしかしてこの記事が読まれるようなネットの状況を示すためにわざとしたコメントではさすがにないでしょうね(^_^;)。

 それにしても、連載で読んでた人もいるみたいですが、エスパー魔美を読んでない知らない人がどれだけこのエピソードを知っているのでしょうか。画像はネットで見たけど忘れたって人も多そうですが、古いけどゴールデンタイムのアニメになっていたのでその世代なら多いと思いますが。こんなことを書くのは「げんしけん」で主人公がドラえもんの「象とおじさん」(名前は変えてあて、「エスパー魔美」は「エスパー高畑」w)をマンガ家志望でもある女性キャラにほめるのですが、そのときほんとは薦めたかったのが「エスパー魔美」なのですね。でも彼女は「ゾウとおじさん」を読んでなくて。でも相当に本気の(後でデビューする)マンガ家志望の人が(アニメでも有名なエピソードだし)知らないっていうのはむしろ不自然だなと。それ以上におかしいのは「エスパー魔美」をすすめられなかった理由が魔美のヌードなんですが、あきれほど出るとはいえ、それ以前に既にげんしけんで18禁同人誌を両方参加して作っているのになにをいまさらw。ただ作者の世代で子どものころに読んでたら(私もです)ちょっとわかるかなというか、それに藤子・F・不二雄の作品における性描写ってかなり厄介な問題ですし、その中でも「エスパー魔美」は一番奇妙といえば奇妙ですね。まあそういうもやもやが書きたくてコメントしました。
 しかしもう「ゾウとおじさん」は現在の話にすると年代的に無理が大きすぎるんですね。

>はりはり亭さん
>こんなことを書くのは、「響け!ユーフォニアム」に少々もやもやしてまして。
 というか最初があれだったからある意味、むしろとりあえず全国大会に出なくてもいいとなったほうがいいと思うんですね。そうなると続編ができないのでないでしょうが。では。

むしろ直後よりもむしろ直後よりも 2015/06/12 02:02 こういう流れであるのは今回初めて知ったので興味深く読ませてもらいました。

で……たぶん探して読むのが一番いいのですが、スミマセン便乗してちょこっとだけ。
この有名なページ(引用151p)ですが、これって「直前」は何が描かれてるんでしょうか?

この頁が放置や忘却をススメてるように思われるとすれば、父親の「おしまい!」が原因なんでしょうけれど、
一コマ目を見ると主人公は前頁から具体的に何らかの行動や理屈を主張していて、父親はそれを否定する意味で「おしまい」(切断処理)してるように見えるのですよね。
だから「批判への応対」という点は、主人公が何をやろうとしてたのか次第なのではないかなぁと……。
今回挙げられた頁を追っていくと、主人公が既に批評家に抗議しにいった後で、この父親との会話になるみたいなので。
よりエスカレートして何か痛い目に遭うべき(遭わせてやる)とか言い出したのなら、そりゃあ「はい、おしまい!」と切るのも無理はないでしょうし。

hokke-ookamihokke-ookami 2015/06/12 09:51 NakanishiBさんへ
500越えは2度目ですね。人気のある画像の文脈を説明するエントリではありますが、これほど広く注目を集めるとは思いませんでした。
ちなみに1番ブクマを集めたのは、下記の記事です(笑)。ネタとマジの両面でブクマを集めて1000超え。
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120423/1335112999

>エスパー魔美を読んでない知らない人がどれだけこのエピソードを知っているのでしょうか。

アニメ化もされた人気作ですけど、もう30年以上前の作品ではあり、生まれる前なので知らないという人も多いのではないかと。
もちろん画像のキャプションで『エスパー魔美』という作品だと説明されていることがほとんどですが、ブクマコメを読むと、どのようなエピソードだったか全体を知らない人は少なくないようです。

>こんなことを書くのは「げんしけん」で

あー、TVアニメでは見ているのですけど、さっぱり記憶にありません。想像するに、主人公が自身のヰタセクスアリスを明かすのが恥ずかしかったという文脈じゃないかしら。

>しかしもう「ゾウとおじさん」は現在の話にすると年代的に無理が大きすぎるんですね。

最近にTVアニメ化された時は、親戚のおじさんではなく、動物園で出会った老人の物語にしていました。
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070810/1186779716


むしろ直後よりもさんへ
>この有名なページ(引用151p)ですが、これって「直前」は何が描かれてるんでしょうか?
>一コマ目を見ると主人公は前頁から具体的に何らかの行動や理屈を主張していて、父親はそれを否定する意味で「おしまい」(切断処理)してるように見えるのですよね。

ああ、なるほど! 画像が初見であれば、そのように読めるという可能性には気づきませんでした。
実は有名な画像は直前のやりとりがトリミングされていて、下記で全体が読めます。
http://dout.jp/1240
魔美は議論で負けたものの腹立ちがおさえられず、批評家の原稿をエスパーの能力で窓の外へ吹き散らしていたのです。それを自分自身で「天罰」と称しているわけで、つまり主人公の幼さを強調している場面なのですね。
もちろん父親は娘がエスパーとは知りませんから、娘の悪事も気づきません。父親が否定したのは、批評家を非難し、父親の反発に同調しつづける娘の態度です。

※なお、「ヘッポコ評論家め!!」と雑誌をいためつけている時点では、娘が自分のことのように悲しんでくれたことを「うれしいなあ」と陰で独白しています。

むしろ直後よりもむしろ直後よりも 2015/06/13 00:06 ありゃ恥ずかしい、これがそもそも一頁の断片だったとは……ありがとうございました。
とんだ見当違いでしたが、やっぱり現物読まんとこういうことにもなりますね。
(言われて改めてみると、一頁にしては狭いと感じられるのがなんとも>元画像)

自分の側に共感・同調してくれたことを喜びつつの「悪い人ってのはかわいそうだよ」という台詞だとすれば、「感情や立場での対立を人間性の否定には還元しない(すべきでない)」という印象も一層感じます。

>エスパー魔美を読んでない知らない人がどれだけこのエピソードを知っているのでしょうか。

というわけで、作品名自体は有名なので知っていましたしひょっとしたらアニメを何処かで見ていたかもしれないのですが、この話自体は画像でしか知らない人間でした。

NakanishiBNakanishiB 2015/06/13 11:39 どうもご返事ありがとうございます。
>ちなみに1番ブクマを集めたのは、下記の記事です(笑)。
 ああこれですか「このラインナップは、どこかには誉めるところがある作品ばかりですが」と言うコメントが(^_^;)。ほんとに何が読まれかわかりませんね。

>もう30年以上前の作品ではあり、生まれる前なので知らないという人も多いのではないかと。
>画像のキャプションで『エスパー魔美』という作品だと説明されていることがほとんどですが、

>むしろ直後よりもさん
>作品名自体は有名なので知っていましたしひょっとしたらアニメを何処かで見ていたかもしれないのですが、この話自体は画像でしか知らない人間でした
 うーん、ネットでこれが部分的に有名であっても。現在は名前はわりと広く知られているけどそれほど読まれてはいないという感じですか。藤子・F・不二雄のとつけばそういえば思い出すという感じなのでしょうね。コメントに書いたのように作品自体とドラえもんの「ゾウとおじさん」という一エピソードとの比較なのでそうは答えが出るものではないでしょうが。

>>こんなことを書くのは「げんしけん」で
>あー、TVアニメでは見ているのですけど
私はちゃんと通して見たのは一昨年の「二代目」だけなのですが、実は「げんしけん」は無印の全9巻のうち7巻までがアニメ化されて、その後の「二代目」の無印から通算すると10巻から14巻までがアニメ化されてこのアニメ化されていない8巻にあるのですね。しかもおまけエピソードとしてです。無印完結後に二回目のアニメ化がされたけどなぜか7巻までしか使われずついに続きは作られず肝心の無印のストーリーの完結部分はアニメにならなかったという悲しい話です(Wikipediaにはここが珍しく書かれていない)。

>主人公が自身のヰタセクスアリスを明かすのが恥ずかしかったという文脈じゃないかしら。
 そうですね、ここまで書いておくべきでしたが、主人公の年齢を考えると藤子作品のアニメでも高年齢向けのアニメをリアルで見ているとは思えず、マニアだから読んでいるなら相手が知らないと思っているのがおかしい。でも作者の年齢ならドラえもんから触れてアニメも見てぴたりとあうのですね。だから作者の感情だったのだろうと。ついでにだからこの小エピソードが引っかかったわけですw。
 今回、エントリーで取り上げたエピソードとはまあ全然関係ない側面なのですが、藤子・F・不二雄の同時代の「ドラえもん」などとSF短編の中間、時期的にもある意味の集大成という位置にあるということを象徴しているかなーと思いまして。

>最近にTVアニメ化された時は、親戚のおじさんではなく、動物園で出会った老人の物語にしていました。
 エントリーがあるのは気付きませんでした。すいません。では。

hokke-ookamihokke-ookami 2015/06/15 00:08 むしろ直後よりもさんへ
>自分の側に共感・同調してくれたことを喜びつつの「悪い人ってのはかわいそうだよ」という台詞だとすれば、「感情や立場での対立を人間性の否定には還元しない(すべきでない)」という印象も一層感じます。

高畑さんに比べると落ちるんですけど、ちゃんと教育者らしい言動の人物なんですよね(画家だけでは仕事がないので美術教師もしている)。


NakanishiBさんへ
>ほんとに何が読まれかわかりませんね。

ええ、「主な記事リスト」として自作ネタやデマ検証を最新日エントリにならべていますが、あまり注目されないんですよ……まあ、リスト自体をきちんと更新していませんけども。

>無印完結後に二回目のアニメ化がされたけどなぜか7巻までしか使われずついに続きは作られず肝心の無印のストーリーの完結部分はアニメにならなかった

なるほど……原作がすぐ続編シリーズをはじめて、その続編だけがTVアニメ化されたため、ミッシングリンクになるエピソードが生まれたわけですね。もちろん連載途中までしかアニメ化されない作品は少なくありませんが。

批評家の酷評は批評家の酷評は 2015/06/19 10:29 無名の売れない画家を取り上げてる時点でむしろ愛情でしょ
批評すらされない無名の売れない画家なんてたくさんいるんだから

あと、投機目的の社長は故郷が描かれた絵を買うんだけど・・・
引用がやや恣意的ですね

上毛三山上毛三山 2015/06/19 21:22 批評家の酷評は さん

注記*12はご覧になりましたか?

ffff 2016/04/25 03:57 技術的な部分はともかく、”少女趣味でセンチメンタルなあまったるさには閉口”は妥当な批判というより単なる趣味

 芸術というオブラートに包んではいるが、彼は紛うことなきロリコン趣味なのだからそうでない人間にそれが分からないのは至極当たり前の話だ
 大体老い先短い人間がライフワークを放り出して(雑誌等からも望まれてもいないであろう)趣味の合わない売れない画家への批判ってw
嫌がらせ目的以外のなにものでもないだろ


 しかしいかにも後期藤子F漫画といった感じのご都合主義全開の話だ
人間齢をとると中高年の男を美化して描きたくなるものなんだろう

それこそ安っぽい主張とキャラクターの露骨な描写に閉口だわ

さきちさきち 2016/05/16 10:38 ↑殴り返してこない相手を殴るのが楽しい人なんだろうと思った

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