法華狼の日記

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韓国政府は朝鮮人慰安婦20万人強制連行説を絶対視しておらず、朴裕河氏の在宅起訴にまつわるNHK報道には疑問がある

韓国検察庁が「秩序の維持などのためには言論の自由や学問の自由は制限される」として、朴裕河氏を在宅起訴したとNHKが報じていた。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151119/k10010312371000.html

「帝国の慰安婦」で、執筆したセジョン大学のパク・ユハ教授は、この中で、朝鮮人慰安婦の被害を生んだのは日本の植民地支配に原因があると強調しています。そのうえで、女性たちが慰安婦になった経緯はさまざまで、多くの場合、朝鮮人の中間業者が女性を慰安所に連れて行ったとして、「20万人の少女が日本軍に強制連行された」という韓国内での一般的な認識は実態と異なると指摘しました。
これに対し、元慰安婦の女性たち9人は、「虚偽の内容を広めて歴史認識をわい曲し、名誉が毀損された」として、去年6月にパク教授を告訴していました。

名誉棄損ではなく秩序維持を理由として検察が起訴したならば、民主国家としてきわめて問題といえるだろう。
また、後述の問題点がすべて妥当だとしても、すでに朴裕河氏が著書に一定の修正などをおこなっていることもあり、個人を検察が起訴することは好ましくないという気持ちはある。


しかし、「20万人の少女が日本軍に強制連行された」という認識がたとえ韓国内で広まっているとしても、それを否定しただけで起訴されたとは思えない。
たとえば韓国政府ドメイン従軍慰安婦資料館サイトを確認すると、推計数のひとつとして3万人説をとりあげている。
http://www.hermuseum.go.kr/japan/sub.asp?pid=137

総数については、未だ正確な情報は分からない。強制的に動員して慰安婦にさせられた女性たちの総数を示す体系的な資料が見つかっていないためである。一部の学者たちは、日本軍の「兵士何人あたりに慰安婦を何人おくか」という計画が示された資料や、複数の証言資料に基づき元日本軍慰安婦被害者の総数を推測している。しかし、最低3万人説から最大40万人説と、研究者によってバラツキが大きい。

逆に日本政府も、現在は成果だけ利用して見解を切りすてようとしている組織ではあるが*1、半官半民のアジア女性基金で推計数のひとつとして40万人説にふれている*2
また、この韓国政府サイトが特筆している推計は吉見義明説なのだが、その総数と比率の推計をあわせて読むと朝鮮人20万人にはとどかない。

吉見義明氏によると、日本軍慰安婦の数は少なくとも8万人から20万人と推定され、その中に占める朝鮮人女性の割合は半分を超えるという調査結果を発表した。

ちなみに吉見義明『従軍慰安婦』では、千田夏光説の8万人とともに金一勉説の朝鮮人17〜20万人を紹介しつつ、後者を「かなり多すぎると思うが、実数となるとはっきりしない」と否定的に見ている*3
もちろん韓国政府の公式見解は一般人や検察の認識と同一ではないだろう。しかし、やはり朝鮮人20万人説を否定したことが在宅起訴の要因とは考えにくい。


そこで他の報道で明記されている起訴の対象を読むと、NHKが重視している部分とくいちがっている。検察の主張も印象が異なる。
http://www.asahi.com/articles/ASHCM347THCMUHBI00Y.html

地検は起訴内容で、慰安婦が基本的に売春の枠内で日本軍兵士を慰安し、日本軍と同志的な関係にあったという虚偽の事実を掲載して、公然と元慰安婦らの名誉を傷つけたとした。また、同書の表現は元慰安婦の人格や名誉を大きく侵害しており、学問の自由を逸脱しているとも主張した。

http://mainichi.jp/select/news/20151119k0000e030216000c.html

慰安婦らは昨年6月、朴氏が慰安婦について「売春婦」「日本軍と同志的関係にあった」などと記述したことから、元慰安婦を侮辱したとして刑事告訴した。

 検察は、河野官房長官談話や、2007年に米下院が日本に慰安婦問題で謝罪を求めた決議などを基に「元慰安婦は性奴隷に他ならない被害者であることが認められている」と指摘。著書の内容は「虚偽」と判断した。

「帝国の慰安婦」著者を名誉毀損で在宅起訴=韓国検察

 検察によると、朴氏は慰安婦の動員に関する事実を否定し、自発的に日本軍に協力したという趣旨で著述したことにより、公然と慰安婦被害者の名誉を毀損した。また、同書の「売春の枠組みに入る」や「日本国に愛国心を持ち、日本人兵士を精神的、身体的に慰安した日本軍の同志」などの記述は、客観的な記録と異なる虚偽の事実だと指摘した。

 日本の河野談話や国連の関連報告書、米下院の決議文などを確認したところ、慰安婦は性奴隷も同然の被害者で日本に協力しなかった事実が認められるにもかかわらず、朴氏がこれとは異なる虚偽の事実で被害者の人格と名誉を深く侵害し、学問の自由の範囲を逸脱したと、検察は強調した。

日韓の報道のどれを読んでも「20万人の少女が日本軍に強制連行された」を否定したことは告訴や起訴の理由とは関係ない。おおむね、元慰安婦が日本軍と同志的な関係であったという主張が要点となっている。
検察の説明にしても、「秩序の維持」にあたる理由が見当たらない。少なくとも、それだけで起訴されたわけではないことがうかがえる。


念のため、従軍慰安婦の動員に愛国心がもちいられた事例は、当時の資料や証言にも散見される。たとえ加害と被害の関係であったとしても、あえて被害者の意思を尊重するために自発性も無視しないという思想もあるだろう。
しかし、だからこそ複数の元慰安婦自身が名誉棄損で告訴していることは、朴裕河氏や賛同者も受けいれるべきではあろう。また、日本軍では特攻隊に代表されるように、たとえ自発性が見られたとしても、それだけで国家が動員した責任が消え去るわけではない。


ついでにいうと、朴裕河氏は日本文学の専門家ではあるが、近現代史の専門家ではない。問題の書籍についても、いくつかの事実誤認が指摘されている。
以前の朴裕河著作の発売禁止処分について、『NHKスペシャル』等の日本の名誉棄損裁判とくらべた過去エントリから再掲しよう。
従軍慰安婦問題についての浅羽祐樹教授の見解がよくわからない - 法華狼の日記

しかし複数の初歩的な誤認が指摘されていることを浅羽教授は知っているのだろうか。
日本政府は『帝国の慰安婦』における明らかな間違いに訂正を申し入れたりはしないのかな? - 思いつきのメモ帳
「歴史戦」の研究: 「和服・日本髪の朝鮮人慰安婦の写真」とは?/『帝国の慰安婦』私的コメント(1)
「歴史戦」の研究: 『帝国の慰安婦』における「平均年齢25歳」の誤り/『帝国の慰安婦』私的コメント(2)

ちなみに、『帝国の慰安婦』を自著で紹介したとツイートしていた日韓関係の専門家である浅羽祐樹教授は、なぜか現在そのツイートを削除しているようだ*4

*1:「性奴隷」という表現を日本政府として拒絶したいなら、アジア女性基金を日本政府の成果として喧伝してはならない - 法華狼の日記

*2:慰安所と慰安婦の数 慰安婦問題とアジア女性基金

*3:78頁。ただし、韓国政府が吉見義明説の下限を8万人説にしているのは、あくまで紹介しただけの千田夏光説を下限ととりちがえたのではないかと思われる。『従軍慰安婦』でも自身の推計としては下限5万人を算出しており、その数字は近年の『日本軍「慰安婦」制度とは何か』でも変わらない。

*4:ツイートのURLはhttp://twitter.com/YukiAsaba/status/567644272963244032で、ツイッターアカウントは[twitter:@YukiAsaba]。ちなみに在宅起訴についてはNHKニュース on Twitter: "韓国 従軍慰安婦の書籍執筆の教授を在宅起訴 https://t.co/sSsH5m0PRP #nhk_news"yonhapnews on Twitter: "「帝国の慰安婦」著者を名誉毀損で在宅起訴=韓国検察 : 【ソウル聯合ニュース】韓国で出版された書籍「帝国の慰安婦」(原題)をめぐり、ソウル東部地検は19日、旧日本軍慰安婦に対する虚偽の事実を載せ慰安婦被害者の名誉を傷つけ... https://t.co/jTKHDsyExH"リツイートしているが、それに対する評価はツイートしていないようだ。また、最近はMMatsunaka on Twitter: "あの手の連中の妙な自信の根源は、ある分野の素人であることそのものなのであろうが、それに加えてそもそもおよそ専門知識や技術を持っていない・持ち得ないのも原因かもしらんなと思うと優しくなれる気がした。"のようなツイートを無言でリツイートしているが、非専門家であった朴裕河氏を高評価したこととの整合性をどう考えているのかはわからない。