法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『世にも奇妙な物語 25周年記念!秋の2週連続SP〜映画監督編〜』

先週に放映したリメイクに対して、映画監督として活躍している演出家が各編を担当。シリーズ初参加の監督も。
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2015/i/151021-i191.html

山崎貴監督、中田秀夫監督、清水崇監督は初めて『奇妙』の演出を手がける。

ただ、良くも悪くもドラマを演出する時はクセのない監督ばかり。映画監督ならではという絵は期待しづらいし、事実そうだった。
よくある設定なのに「箱」や「幸せを運ぶ眼鏡」がパクリあつかいされているらしいが、物語としては「嘘が生まれた日」の原作軽視が問題と感じた。


「箱」は佐藤嗣麻子監督の脚本演出。後頭部を殴打され、箱に閉じこめられた女性研究者のパニックを描く。
低予算ホラー映画で見かける設定の作品。最も有名な作品は『リミット』だろうか。ストーリーテラータモリは古典小説『早すぎた埋葬』*1に言及する。『キル・ビル Vol.2』のように自力で脱出するパターンまである。
物語としては、どのような理由で誰に閉じこめられたかという謎解き。後頭部の殴打と閉じこめられたことは「脳梗塞による錯覚」。『リミット』のヘビのかわりにムカデが登場したことは「腕に点滴されたたことによる錯覚」で、爆撃のかわりにパイプオルガンの音がヒントになったのも「MRIに入った時に聞こえる音」。しかし、全体として「脳内の錯覚」という説明がされていることにかわりなく、主人公の研究者という立場をつかった引っかけ以外は感心しなかった。
しかも主人公がパニックにおちいるのが早すぎて、見ていてストレスがたまった。そもそも閉じこめられたことを把握するまでが描写として早すぎる。最初から息苦しさに目ざめたりして主人公に共感しやすくするか、それとも冷静をたもっていた主人公が最後の引っかけで狂乱するか、もっと感情の動きをわかりやすくしてほしかった。


「幸せを運ぶ眼鏡」は本広克行監督の演出。さまざまな助言をおこなう眼鏡を入手して女性とつきあおうとした男性の顛末を描く。
途中までは女性側も眼鏡と同じ機能の道具をつかっているオチかと思ったが*2、男性が眼鏡に指示されるまま見栄をはりつづける展開がつづいたので別のオチになると感づくことができた。
資本主義の消費社会の風刺として、手堅くまとまっている。消費を誘導されることへの嫌悪感を終盤で描いた上で、それすら乗りこえさせる強靭さをシステムとして持っているところが、風刺作品として自己批判的で良かった。


「事故物件」は中田秀夫監督の演出。夫と別居した女性が、女の幻影がちらつく部屋へと引っ越してしまった恐怖を描く。
いかにも「Jホラー」な恐怖演出がセルフリメイクのように続くだけで、どれも新鮮味に欠ける。幻影の女は「主人公自身」で、「娘が死んでいた」真相も早々と明かされて、短編サスペンスとしても弱い。真相に見当をつけることも難しくない。
サブタイトルの「事故物件」が物語に関係ないところも釈然としない。真相を早々と明かしたので、事故物件にまつわる新展開が残されているかと期待もしたのだが。


バツ」は山崎貴監督の演出。自分の額に×印があることに気づいた男が、そこから展開されるカタストロフに恐怖するまでを描く。
マジックペンでそっけなく書いたような印だが、だからこそ拡大していく悲劇とのギャップが出ている。リアリティのない設定でも、先にストーリーテラーが作品の方向性を説明しているから、視聴者として飲みこみやすい。山崎貴監督が得意とするVFXを使わなくても、都市をのみこむ惨劇を表現することはできるのだ。ニュース番組におりこんだ伏線も見事。
原田宗典の短編が原作。覚醒剤吸引で2013年に逮捕されていたが、罪をつぐなって活動再開し、今年からは新作も発表したらしい。


「嘘が生まれた日」は清水崇監督の演出。誰もが事実しかいわない社会で、はじめて嘘をつけるようになった青年の上昇と転落を描く。
嘘のない社会を描く作品には2パターンある。最初から嘘のない社会が存在しているか、嘘をなくす方法が途中から広まるか。この作品は前者のはずなのに、後者のような描写が多くて納得できない。誰もが事実しかいわないならば、それを前提とした社会観や倫理観が成立していそうなのに、ただ真実を明かされたからといって激怒するだろうか。
また、青年が友人に嘘をつく方法を教える展開も納得しがたい。いくら主人公が馬鹿だといっても、嘘の能力を共有する必要はない。詐欺に人手が必要ならば、その人材に嘘をつけばいい。そもそも金がほしいのなら、価値のないものを売るという労力をかけずとも、銀行窓口を騙せば良いだけ。
少女に優しい嘘をつくオチを描きたかったにしても、そこまでの展開がギャグにしても無理がありすぎた。社会SFとしての基盤がボロボロだから、とってつけたような感動では心が動かない。
原作はWEB漫画媒体『少年ジャンプ+』で無料公開中の短編『ウソキヅキ』。この作品を読めば、問題のほとんどがドラマで勝手につけくわえられたことがわかる。
http://plus.shonenjump.com/rensai_detail.html?item_cd=SHSA_JP01PLUS00001502_57
『少年ジャンプ』がよくやる、ジャンプ作品をとりこんだメタな視点が楽しめる。嘘のない社会でフィクションがどうあつかわれるのかドラマでは描かれなかったが、フィクションがないことこそが原作のテーマのひとつ。
嘘のない社会は「“禁忌”という概念もない」と説明され、本心を語られたからといって誰も怒らない。主人公が嘘の技術をもらしたのは、嘘を試した相手だけ。しかも嘘をつく能力を広めないよう相手に指示している。ついでに「USO」という言葉の命名も、仲間3人の頭文字をつかったドラマより、それっぽい英単語の頭文字をならべるという説得力あるギャグ。
原作では問題がないどころか、そのような描写をしてはならないことが説明されている。ジャンプ作品にまつわるメタなギャグが削除されるのは理解できるが、なぜこの原作からドラマのような物語になったのか理解できない。