Hatena::ブログ(Diary)

法華狼の日記

2016-01-07

[][]法哲学者の井上達夫氏はアジア女性基金に「フリーライド」しているようにしか読めない

その主張は、よりによって『SAPIO』に掲載されている。

戦争責任に識者 「国として誠意を見せた数少ない例が日本」│NEWSポストセブン*1

「アジア女性基金」は日本の法的責任を認めるものではなく、道義的責任を果たすものだ。その意味で百点ではないかもしれないが、自国の戦争責任にここまで踏み込んで他国民に賠償し、謝罪した例はないはずだ。

この主張については、すでにscopedog氏が「敗戦した国が賠償した事例としては第一次大戦時のドイツとか日清戦争時の清国とかありますので、近代ではさほど珍しくはないでしょう」*2と指摘している。

それとも、いったん請求権放棄させた問題で基金をつくったことが珍しいということだろうか。だとしても民間の寄付金という形式をとった基金を「賠償」と表現することは不正確だろう。

元慰安婦を支援する韓国と日本の一部の団体(日本のそれはリベラル派である)は日本政府の法的責任と国家賠償に固執し、「アジア女性基金」を「政府の法的責任を隠蔽するための欺罔(あざむくこと)的手段」などと猛批判した。韓国では、「償い金」の受け取りを希望する元慰安婦に対し、脅しにも等しいバッシングが行われたほどだ。

事実認識として、「償い金」への拒否を表明した主体として元慰安婦を除外するべきではないし*3、受けとるか拒むかという判断の分断はフィリピンでも台湾でも生まれていた*4


それでも、ここまではアジア女性基金側の自認をなぞったものとして、説明不足や違和感はあるが理解はできる。問題は、「リベラル派」のアジア女性基金批判を「リベラル嫌い」の原因と結論していることだ。

保守派の一部は「アジア女性基金」を「土下座外交」だと批判した。そのように保守とリベラル、右と左が、ともに日本を道徳的な高みから引きずり下ろそうとしたのである。

 リベラル派の言説を一般の国民が「過度の自己否定」と捉えたのは当然で、それへの反発から「過度の自己肯定」や「リベラル嫌い」の空気が生まれた。リベラル派はそれを批判し、困惑するが、責任はリベラル派自身にあるのだ。

一読して疑問なのは、アジア女性基金を批判した「保守派の一部」は、なぜ嫌われないのだろう。どうして井上氏が主張をよせている『SAPIO』のような雑誌が問題なく継続しているのだろう。

そもそも、「日本の一部の団体」を「リベラル派」と表現して、保守派だけ「保守派の一部」と表現することがおかしい。アジア女性基金そのものが、「リベラル派」が始めた事業と考えられていたはずではないか。謝罪の手紙をおくった「タカ派を含む自民党の歴代総理大臣」は、その事業を継続したものだ。なぜ「日本の一部の団体」のふるまいを「リベラル派」全体のように主張するのか。

現実に、インドネシアでアジア女性基金に協力していた高木健一弁護士は、その活動にまつわるデマを流されつづけている。そのデマを国会で流したひとりが安倍晋三現首相だ。

高木健一氏が池田信夫氏を告訴したらしいので、安倍晋三氏が流したデマについて指摘しておく - 法華狼の日記

インドネシアの従軍慰安婦問題は日本の弁護士が焚きつけたというデマ - 法華狼の日記

たしかに保守派の一部もふくめて日本政府はアジア女性基金の達成を踏襲してきたが、そこで到達した認識からは引きずりおろそうとしつづけている。

「性奴隷」という表現を日本政府として拒絶したいなら、アジア女性基金を日本政府の成果として喧伝してはならない - 法華狼の日記

アジア女性基金に賛成しても反対してもリベラル派が嫌われ、反対した保守派が嫌われていないならば、リベラル派が嫌われた原因は「過度の自己否定」ではあるまい。

リベラル派の一部がはじめたアジア女性基金が「道徳的な高み」だったとして、それが“高すぎる”と保守派の一部が反対したのだとすれば、リベラル派の一部は“低すぎる”と反対していたと表現するべきだろう。井上氏の理屈で考えると、「道徳的な高み」に立とうとする動きそのものが「過度の自己否定」として嫌われると考えるべきであり、そうでないと現実と矛盾する。

それでも「保守派の一部」がアジア女性基金を肯定するのは、達成した成果を利用できて、さらなる高みに立とうとする必要がないためだ。だとすれば、そのふるまいこそ井上氏が嫌悪する「フリーライダー」そのものではないか。

それどころか、リベラル派をふくむ反対をふりはらってリベラル派の一部がはじめた事業を「日本自身が誇るべき」と主張し、「責任はリベラル派自身にある」としてリベラル派全体を嫌っていい理由のように主張し、自身を「本来のリベラリズムの立場」と位置づける井上氏自身こそ、無自覚な「フリーライダー」ではないのか*5


もちろん井上氏は法哲学者であって、あくまで近現代史や政治は隣接した分野だろう。だから、理論的な主張が具体的な現実と齟齬をきたすこともしかたないかもしれない。そもそも「一般の国民」の「空気」などというくくりは現実を見つめるにはあやふやすぎる。

上述の疑問点についても、不充分な事実認識にもとづいたため主張も不整合になっただけだと感じている。法哲学者と従軍慰安婦問題といえば、井上氏とも共著がある嶋津格氏が秦郁彦氏の認識を推していることで有名だ。先行研究を参照しようとして、現在の秦氏の認識*6を基盤にしたならば、従軍慰安婦問題で『SAPIO』に主張をよせるようなことをしても不思議ではない。


しかし純粋に理論だけを見ても、井上氏の主張には疑問をおぼえる。たとえば井上氏は護憲派を批判する時、「原理主義的護憲派」が妥協したことを批判していたではないか。

安全保障と憲法 緊急提言 憲法学者たちはいつまでごまかしを続けるのか憲法から九条を削除せよ | 文藝春秋SPECIAL - 文藝春秋WEB

だから私は、妥協しているならば分類しなおすべきではないか、より原理主義的な派閥もあるのではないか、といったことを主張した。

徴兵制をしけば戦争に慎重になるという法哲学者の謎 - 法華狼の日記

違憲の固定化を望んでいるとして、それが「護憲」でないというなら、より正しい分類を提唱するべきではないか。勝手に「原理主義的護憲派」と分類しておいて、原理主義でないからと批判しているならば、それはまるで魔女裁判のようだ。


そもそも護憲論者の全てが自衛隊や日米安保を必要としているのだろうか。それらを不要と主張する、より原理的な護憲派がいないことを示さなければ、井上教授の主張はなりたたない。

アジア女性基金については、妥協しても「百点ではないかもしれないが」「その誠実さは世界から評価されていいし、日本自身が誇るべき」「道徳的な高み」と評価する。妥協を批判する原理主義的なリベラル派を「欺瞞」と評価する。

しかし護憲による不充分な平和については、妥協すると「おかしい」「欺瞞」と評価するだけで、「百点ではないかもしれないが」「その誠実さは世界から評価されていいし、日本自身が誇るべき」「道徳的な高み」と評価することはない。

私個人は妥協も原理もそれぞれ必要な局面があると思っている。だからこそ、妥協的であること原理的であること、そのことだけで批判するべきではないと思っている。それぞれを批判理由としてあつかう井上氏には違和感しかない。


井上氏は「リベラル派」の「欺瞞」を指摘するため、原理的にふるまう時は妥協的でないことを批判し、妥協的にふるまう時は原理的でないことを批判する。

それぞれの論点で細部をつめていけば、矛盾しない理論を構築することもできるかもしれない。しかしそれが示されるまで井上氏の主張を現実の指針とすることは難しい。せいぜい『SAPIO』のような雑誌で、その場かぎりのリベラル批判として消費されるだけだろう。

*1:引用時、「日本のそれはリベラル派である」にカッコをおぎなった。

*2別にリベラルもリベラリズムも嫌いではないけど、井上達夫氏の主張は好きになれない - 誰かの妄想・はてな版

*3:後述の原理主義護憲派に対して「彼らの視点に完全に欠け落ちているのは、たとえば自衛隊員の立場ですよ」と主張していた井上氏だが、補償によって分断された元慰安婦の存在が、井上氏の「主張」からは完全に欠け落ちている。視点から欠け落ちているのか、意図的に言及しなかったのかはわからないが。

*4日本軍の問題から日韓の問題へ枠組みを変える無意味さ - 法華狼の日記の後半を参照。

*5ララビアータ:井上達夫氏の新著と憲法論で「彼らの犠牲に畏怖と感謝をささげるが、彼らに報いることはできない。我々は先人たちの偉業にフリーライドする他はない」と千葉大学教授の田島正樹氏が指摘していたことが、まさに今回の井上氏にあてはまるように思う。

*6:アジア女性基金の元理事と連携して記者会見を開いた時も、歴史家の立場をかなぐり捨てるような主張をしていた。「歴史家」であることすら怪しい19人が米国教科書へ訂正要求をおこない、そこにアジア女性基金理事が連携している問題について - 法華狼の日記

hokke-ookamihokke-ookami 2016/01/08 14:28 井上氏は昨年夏のインタビューでこんな主張をしていた(自著の要約的な説明)んですけど、そもそも米国下院決議はアジア女性基金を高評価しているのではという疑問が。

http://diamond.jp/articles/-/73877
>アメリカは、自分が侵略した他国に対し、謝罪なんかしませんよ。それどころか、ベトナム戦争後、統一ベトナムに対し、南ベトナム政府に貸したカネを返せなんて要求しているくらいですからね。米国下院が慰安婦問題について日本非難決議をあげたときには、「厚顔無恥」とはこのことかと思いました。
 そんなアメリカに比べればもちろん、国際的に見ても、アジア女性基金のように、法的責任について争いがあり、決着できないときに道義的責任としてではあれ、戦争責任の問題にここまで踏み込んで、他国民に賠償・謝罪した例はないはずです。

米国下院は「道徳的な高み」から引きずりおろそうとする「保守派の一部」(具体的にはTHE FACTS広告を出した人々)を批判しており、「道徳的な高み」を維持させようとする助けということすら知らないのかも……とか思ってしまいます。少なくともインタビューだけでは誤認を広める助けでしかない。
ただ後半でリベラルの一部に天皇依存が見られる動きを批判していて、それは護憲派にからめた前回エントリの懸念を払拭するものではあります。しかし天皇制を「最後の奴隷制」と表現するのは、たとえば現代日本で選挙権などを制限された人々、さらに教育実習生問題などを認識できていないんじゃないかと首をかしげるものが。

桂馬桂馬 2016/01/08 15:12 うーん・・・(苦笑

あれだけ忌み嫌っていた「河野談話」や「アジア女性基金」が、今回の日韓の妥結において基軸となってしまったため、保守派なりの整合性をつけようと必死なのでしょうね。(まさか安倍政権にダメージを与えるような批判を展開させるわけにもいきませんし)

     555     555 2016/01/08 19:01
そもそも韓国側の“蒸し返し”の原因が保守系自らの加害の忘却で、この姿勢こそが蒸し返しそのもの。

この様子だと“発言”の制約下でもあと何度か必死に蒸し返すのでしょうね。

ある在日ある在日 2016/01/08 21:09 >>その誠実さは世界から評価されていいし、日本自身が誇るべきなのだ。

人を犯して殺して、あとで小言を垂れながら嫌々小銭を差し出すことが、"誇るべき"行為になるのは日本だけ(笑
キチガイ民族にしか理解出来ない価値観。

ある在日ある在日 2016/01/08 21:09 >>その誠実さは世界から評価されていいし、日本自身が誇るべきなのだ。

人を犯して殺して、あとで小言を垂れながら嫌々小銭を差し出すことが、"誇るべき"行為になるのは日本だけ(笑
キチガイ民族にしか理解出来ない価値観。

ある在日ある在日 2016/01/08 21:09 >>その誠実さは世界から評価されていいし、日本自身が誇るべきなのだ。

人を犯して殺して、あとで小言を垂れながら嫌々小銭を差し出すことが、"誇るべき"行為になるのは日本だけ(笑
キチガイ民族にしか理解出来ない価値観。

NakanishiBNakanishiB 2016/01/09 09:30  どうも。実は「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」買ったけど読んでなかったんですね。とりあえず当該部分っとその他多少読みました。うわさには聞いていましたが酷いですねー。インタビューという形式とはいえ後から手を入れられるのだから何とかすべきだったでしょう。このタイトル自体は編集者の発案でこれがパロディであることを井上氏jは知らなかったようですが編集者の責任もありますね。他人にいいように利用されるという井上氏のこの本に典型的に現れている現在のあり方を象徴する優れたタイトルではありますが(自業自得ですが)。気になったところを

「アジア女性基金基金の活動自体が自虐的だという保守がいるとしたら、それは私は違うと思うんですよね。」p38

 ところでこのアジア女性基金が河野談話が前提であることは認識ている。だとすればアメリカ議会の下院決議がまさに日本で河野談話を廃棄、修正しようという動きがありそれに首相や多くの保守がのったから採決されたものであることをどう考えているのかはのっていません。「安倍政権は基本的に引き継ぐといっているわけだけど」とあるのみです。そもそもこの年が慰安婦問題の画期になったのかはわかっていないのではないでしょうか。



 ドイツについての記述はおかしなところが多いですね。そもそも戦争責任にいては50年代には封印されていてその後東方外交や国内の変化とともに変わっていったという基本が踏まえられていない。70年のブラントのポーランドとの国交正常時のワルシャワ訪問とゲットー蜂起での「ひざまずき」から、それがドイツが戦争責任の対象として認めているのユダヤ人だけという例だと言ったり(なお割る社は蜂起の犠牲者への県下もしているという情報もありましたが未確認)、「ホロコースとの被害者のユダヤ人はドイツ占領地域の外国人もいますが、多くはドイツ国民です」p36とむちゃくちゃです(実際は外国人が9割以上その半数近くがポーランド国籍))。80年代の「歴史家論争」についての紹介も変だし一体何を参考文献にしたのか心配になります。『普遍の再生』でした議論だそうですが別の本ですから言い訳はできない。それなのに友人のドイツ生まれの哲学者ポッゲの議論を紹介しながら、(自分の感想として)「敗戦国の方が、実は深く反省しているから、イデオロギー的欺瞞に対して極めて敏感になるのに、戦勝国の方は自己肯定的イデオロギーに浸って(後略)」とか。なら彼にご自身の日本の戦争責任のとり方の素晴らしさをについての意見をを紹介したらいかがでしょうと言いたくなる。



なお慰安婦問題に伝触れたのインタビュアーの「朝日事件の発端になった、いわゆる従軍慰安婦問題についてはどう思いますか」という質問によってなのですがそこへの答えの最初を引用します。
 「「慰安婦狩り」をしたという吉田証言ね。あれがおかしいということは大部前から言われていた。それをなかなか変えようとしなかったばかりか、やっと遅まきながらその信憑性を否定したときにも謝罪をしなかった。さらにそれに関する池上彰氏の紙面批評の掲載を止めさせようとした朝日新聞のやり方、それは問題だとだと思いました。」p31


 昨年の事件や慰安婦問題への不勉強柄割れてるのですがこれはちょっと理由があります。それこの事件自体はインタビュアーが最初に取り上げているからです。
 インタビュアー「「リベラルの評判が悪い、、以前からその傾向がありましたが、特に昨年の朝日新聞の事件(注で上記引用内容の説明)派、象徴的であり決定的でした。」p6
 「朝日新聞の問題はリベラルの問題と言うより、まずは巨大権力化したメディアの問題だと思う。経営陣が編集に介入してくることに対する、内部からの批判的チェックが弱まっていた。(後略)」ここからリベラルのメディアが特にそのような問題に気をつけなければいけない理由が述べられるのですが、この事件についてのあくまで一般のメディアで起こりえる事件という扱いなのですね、慰安婦問題にも触れない。だからインタビュアーは再度質問したわけです。ともかく歴史認識については嶋津格氏がともかあく早くから自分で調べて考えたい件なのに対して井上氏はそういうことは全然しないでしゃべっているのが対照的だと感じました。


 ここだけでなく、企画者であり編集者であるインタビュアーによる質問がかなり問題のある本だと思います。「進歩的文化人のエリート臭と偽善性は私も子どものころから感じていました」と、もっともそれに対しては「貴方はリベラルの主張全体が信用と人気を失ったように言うけれど、私は必ずしもそう感じていません』と言っていますが(p8、9)。天皇制についても橘怜が紹介している部分は、まず役に問題を例に「中国や韓国が怒るのは当たり前でしょう」とまで述べてリアリズムをなくした保守の「幼稚化」を批判し、そのあと今後の天皇制について昭和天皇が死去したときの自粛騒動を例に出してその依存と利用の問題を述べたときにインタビュアーが質問したものへの答えであるわけです、井上氏への皮肉にもなっている(p71)。これ自体は本読む限りある程度は適切でいいのですが。


 学校での国歌斉唱の伴奏を拒否する教員についてそのような強制を拒否することは正当で「愛国心の強制を拒否する」ことは「リベラル」(明らかに井上氏の意見なのにこう表記してある実に象徴的です)の譲れない一線だと書いていたりします(p31)。しかし、この同じく井上氏の持論の天皇制批判と一体のはずのこれに賛成できる、ましてやそれをきちんと表明できる人はこの本を絶賛する人(池内恵や橘怜)のうちでごくわずかだと思います。でもそういうことを(著者自身すら)無視して「リベラル批判」だけを選択的にゼ受容する。結局はインタビュアーの意図通り安易に「リベラリズム」に(自分たちは徴兵されないこと当然こととして)フリーライドするための本になった理由は歴史認識の部分に現れていてそれがことここにいたっての9条削除で全てが解決するといわんばかりのこだわり(裏返しの一条の天皇制の実質的無視)につながっているのでしょうね。日本のリベラリズムとはマッチョなナルシズムでしかなかったと私がツイートしたゆえんです。では長文すいません。

GG 2016/01/09 11:59 >井上氏は「リベラル派」の「欺瞞」を指摘するため、原理的にふるまう時は妥協的でないことを批判し、妥協的にふるまう時は原理的でないことを批判する。

井上氏は「内心では自衛隊の必要性を認めながら表面的には九条死守という原理主義的ポーズをとって妥協しない」ことを批判している。九条にせよ慰安婦問題にせよ、一貫して妥協的でないことを批判しているんだから単なる誤読。原理主義でないから批判しているのではない。

rawan60rawan60 2016/01/09 16:11 >一貫して妥協的でないことを批判しているんだから

じゃあ、被害当事者目線を無視した「妥協」を「道徳的高み」なんて恥ずかしい自画自賛で非難対象にするなよなって話。

hokke-ookamihokke-ookami 2016/01/10 12:26 桂馬さんへ
いや、十年ほど前までは井上達夫氏も「リベラリスト」らしく“日本の戦争責任を問うならば国民への被害を問う以前に他国への加害責任を問わなければ倫理的に整合しない”といった主張をしていたんですよ。だから『SAPIO』に記事が掲載されるまでになった今回は無残というか……
自分以外の“リベラリスト”を批判することを優先して、こんなことになったのかなあ……とか思うと何人か類例が思い浮かびます。


     555さんへ
ええ、井上氏の意図がどうであれ、リベラリストの大学教授がこのような発言をあのような雑誌に寄せることは、まがうことなき蒸し返しのメッセージとして機能すると思います。


ある在日さんへ
「キチガイ」という表現はやめてください。


NakanishiBさんへ
>>自虐的だという保守がいるとしたら、それは私は違うと思う

ほほう。たとえば“適度な自己否定”という表現だったら認めるのかしら(苦笑)。

>アメリカ議会の下院決議がまさに日本で河野談話を廃棄、修正しようという動きがありそれに首相や多くの保守がのったから採決されたものであることをどう考えているのかはのっていません。

おやまあ。アジア女性基金を絶賛する決議内容だったので、それこそ井上氏が“リベラル”や“左”と想定しているような層からは違和感も表明されていたんですがね。

>「「慰安婦狩り」をしたという吉田証言ね。あれがおかしいということは大部前から言われていた。それをなかなか変えようとしなかったばかりか、やっと遅まきながらその信憑性を否定したときにも謝罪をしなかった。さらにそれに関する池上彰氏の紙面批評の掲載を止めさせようとした朝日新聞のやり方、それは問題だとだと思いました。」p31

端的にいって、凡庸すぎるくらい凡庸な、歴史認識について真面目に調べたことも考えたこともない人間の主張ですね。「なかなか変えようとしなかった」という部分なんて、朝日検証に書かれていることを読めば事実誤認とわかるはずでしょう。こんな程度の低い認識でアジア女性基金を高評価する主張をつづけているんですか……いや、平仄はあうんですけど。
池上彰氏の批評については、掲載した上で批判も付記するべきだった、といった考えはできますけど。

>これ自体は本読む限りある程度は適切でいいのですが。

たしか天皇制批判はライフワーク的な論点でしたから、たぶんさすがに筋をとおしているんでしょう。あくまで想像ですが。


Gさんへ
>井上氏は「内心では自衛隊の必要性を認めながら表面的には九条死守という原理主義的ポーズをとって妥協しない」ことを批判している。

「内心では自衛隊の必要性を認めながら」かつ「原理主義的ポーズ」なら、それはやっぱり「妥協」しているんじゃないですかね。
ちなみに井上氏は九条削除論をとなえているわけですが、これは「妥協」的姿勢からなんですかね?


rawan60さんへ
>非難対象にするなよな

確認ですが、これは“基金反対者を非難対象にするなよな”という意味ですよね?

rawan60rawan60 2016/01/10 14:51 >確認ですが、これは

ああ、言葉足らずで済みません。

だから

>アジア女性基金そのものが、「リベラル派」が始めた事業

という観点から言えば、
「リベラル派はそれを批判し、困惑するが、責任はリベラル派自身にあるのだ。」
という批判は、本来「アジア女性基金」という国の法的責任追及への放棄がもたらしたことによる失敗を指す意味で使うのならわかるのですがね。

内外の条文解釈や判決、見解表明などの経緯や分析を無視して日本政府の「解決済み」を前提に「道徳的高み」を言い募るって、「法哲学者」のプライドなんて欠片も感じられませんなぁ。
いやほんと「フリーライド」としか……

NakanishiBNakanishiB 2016/01/11 10:06  どうもご返事ありがとうございます。タイポだらけでとても読みにくいコメントをしてしまってすいません<(_ _)>。



>十年ほど前までは
>たとえば“適度な自己否定”という表現だったら認めるのかしら
 戦争責任論について収録された「普遍の再生」が出たのがそのころですね。そこに「「自己否定と自己肯定の罠」という文章を書いていてそれに基づいてこの本の歴史認識の議論も書いているそうです。「過度の自己否定は間違っている(略)歴史問題でも、その中間で、適正な態度をとらなければいけない」p35「(日本はドイツの戦争責任の追及に比べて不十分だというのはおかしいとした上で)あまりにひどい自己否定ですね。そういうことが逆に、自虐史観批判とかいう名前の、過度の自己肯定を招いてしまっているんではないか」p38と書いてますから「適度な自己否定」は当然井上氏の容認する言葉でしょう。ではドイツにとって適切な戦争責任追及とはどういうものなのかなど否定の足りなさの指摘ばかりでさっぱりわかりませんが。
 そういうふうにこれほどテキトーで我田引水ではちょっと話にならないのですが、もとの「普遍の再生」での議論がこれほどずさんなのかは積読したまま行方不明なのでわかりません。



>凡庸すぎるくらい凡庸な
 良い意味でも悪い意味でもそうですね。コメントで引用したように特に池上氏のコラムの問題など「経営陣が編集に介入してくることに対する、内部からの批判的チェックが弱まっていた」と認識して慰安婦の問題と切り離す程度にはまともでもあります(インタビュアーは一緒にしたがっているふうですが)。
 だからこそ「アジア女性基金」や「ドイツの戦争責任追及」についての世間の紋切り型に追随したデタラメさが目立ちます。この後にアメリカやイギリスについても日本を裁いた基準で裁かれることを受け入れるのが本来のはずで日本の右派の「自己肯定」は卑屈にゆがんでいるといい(p40)、日米安保と集団的自衛権の批判に移るのですがこれでは説得力がないですね...。


>rawan60さん
>内外の条文解釈や判決、見解表明などの経緯や分析を無視して日本政府の「解決済み」を前提に「道徳的高み」を言い募るって
 ほんとに、そもそも法的責任の問題についてなんの判断もしないで法的責任を取らないからということで設立された「アジア女性基金」のことだけを書いているのは奇怪です。法哲学者なのだから日本政府の法的責任がないという主張は法的に正しいのか正義に反しないのか、戦争で犠牲の賠償や責任のとり方はどうあるべきかの考えを示すことこそ重大なはずなのですが...。



>たしか天皇制批判はライフワーク的な論点でしたから
 前のコメントで重大なタイポをしていました。すいません
>まず役に問題を例に>まず靖国問題を例に

 昭和天皇死去前後の自粛騒動に強い影響を受けているようです。天皇については個人としてはその姿勢を評価しつつも天皇制の問題とそこへの依存は批判するわけです。
 この前のコメントではタイポで読み取れなくなっていますが靖国問題に触れるとき、「先ほど慰安婦問題を取上げたけれども」p68といわば「自己肯定」批判として井上氏自らが取上げているのですがそれは無視して読まれているようで。ちゃんと読んでいませんが後半の自分の半生と著作をたどりながらリベラリズムの思想について書いている部分のほうが面白いのですがそちらももやっぱり無視されがちのようで。
 現在の政治状況への応答をはじめの動機にして一般に向けて書いた本ががこういう結果になったのは前のコメント最後に書いたようにやはり自業自得というしかないです。では失礼しました。

通行人通行人 2016/01/28 22:43 そういえばこの文章zakzakにも転載されてたんですね…
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160104/dms1601041824010-n1.htm

通行人追記通行人追記 2016/01/29 00:13 そういえばこんなものを見つけました。

なぜ「リベラル改憲派」が動き出したのか? 「欺瞞に終止符を」と9条2項削除論も 討論会で左派の内部矛盾を露呈…
http://www.sankei.com/politics/news/160110/plt1601100004-n1.html

この鼎談の中で井上先生がこのようなことをおっしゃっていますが…。
正直今までの中で一番落胆したかもしれません。
「自衛隊が危険な状況にいて、自分たちは安全地帯に身を置いているのは今の若者だ。なぜ懲役拒否権を行使できないって被害者ヅラするの? 君たちが許しがたいタダ乗りをしているだけだ」

もちろんリポートなので実際の文脈を捉えていない可能性はありますが、当の司会者がこのようにおっしゃってるのですよねえ…。

Hajime Imai〈今井 一〉
‏@WarszawaExpress 『産経』の記事だからと読みもしない人がいるようですが、このリポートは読み応えがあります。ぜひ。
https://twitter.com/WarszawaExpress/status/686556874322251777

NakanishiBNakanishiB 2016/02/28 08:36  通行人さんの紹介された記事ですが語るに落ちるとはこのことですね。「心の狭い学究」ではない、というか学究ではないので理論的なことは知りませんが井上氏のこれまでの議論の動機を明らかにし議論の誠実さを疑わせるものですね。あれだけだけ無理がある弁明を重ねて主張してきた「徴兵制導入でフリーライドを排除」が自分は安全な位置にいるのが前提と示したのですから。これまで自分が安全地帯にいてもフリーライドでない、きちんとした理由あると説明する道を選ばなかったのは...。まあ「リベラル」本の内容の奇妙な分裂を説明できるし予想どおりといえばそれまでですが。
 以前からからコメントしようと思っていたのですが機会がなくて遅すぎですが一言。では。

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