法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『魔法つかいプリキュア!』第9話 さよなら魔法界!?みらいとリコの最終テスト!

箒で飛んで、帽子の花飾りを魔法で咲かされると負け。5人全員が脱落する前にリズ教官の花を咲かせれば全員合格となるが……


マホウ界との別れという重要エピソードでフィリピン作画。しかしこれまで平均値が低かったので、そんなに悪い印象はない。瞳が小さく、人体に近いバランスの顔立ちな絵柄は好みですらある。
先に脱落した3人は、チームワークを見せるだけでなく、リコとみらいの勝利につながるものを残してほしかった感もあるが、そうすると役割分担が露骨すぎるか。リコとみらいの協力は、箒のふたり乗りという第1話の出会いをリフレインして、かつ一方の箒を囮のようにすることで、説得的に描けていた。魔法というあいまいな技術のテストを描きながら、どれもそれなりに説得力のあるものだったことには感心する。
列車をつかって、じっくり描かれた別離と再会も美しい。手でつかむ動作はもっと作画の説得力がほしかったが、こういうアニメーションは難しいものなのでしかたないか。

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第23話 最後の嘘/第24話 未来の報酬/第25話 鉄華団

第23話、列車でカナダへ向かう鉄華団にカルタ隊の残党が決闘をいどんでくる。しかし三日月は交渉を待たず、ひとり戦端をひらいた……
残党を整理することで、結果的に1対1の決闘になっていく展開がアクション娯楽としてよくできている。それでメカ戦闘の見せ場もたっぷりあったし、馬上騎士のようなデザインのMSのホバーするような動きも楽しい。もっと線路をめぐる駆け引きを描いて決闘に持ちこもうとして失敗すればベストだった。
鉄華団が幼い子供まで一丸となって決意したかのように描きつつ、同行してきた女性メリビットのきちんとした批判を描写しているのも良い。他に選択肢もあるのだと訴え、自身の言葉がとどかないことに苦しむ。序盤のクーデリアと違って、妥当な見解ではあると演出されているように感じた。
ただ、見かけほど戦死をドライに描いていないのは、悪くはないが好みでもない。もともと序盤から三日月に切りすてさせるためウェットに描きつづけてきたし、今回にいたっては三日月自身も弔い合戦として戦っている。


第24話、目的の街にたどりついた鉄華団だが、ギャラルホルンの防衛で渡河できない。善戦していた後方でも、新たな敵MSが降り立った……
録画を連続視聴したこともあって、アバンタイトルでいきなり打撃を受けている鉄華団に面食らった。都市戦闘に何話もつかう制作リソースが大変なのもわかるし、待ち伏せされたエピソードだけにつかう尺も残っていないことも理解できる。それでも、これまで戦闘のない話数が何度もあったことから、ここで余裕が残っていないことには文句のひとつもいいたくはなる。
とはいえ、多対多の攻防を描くエピソードとしてはよくできていた。期限内に重要人物を運ぶというタイムリミットが明確で、橋をわたって都市部に入りたいという目標も映像としてわかりやすい。後方の開けた草原で巨大なMSが戦い、都市部に近い場所では小型のMWが戦うという分担も、物語として映像として明確。TVアニメの歴代作品において、多対多のアクションを戦術と戦略の両面でわかりやすく表現できたエピソードとして、最高峰のひとつだと思えるほどだった。止め絵をつかわずに、手描きで多数のメカを動かしつづけていたことにも感心した。
ドラマとしては、これまで描かれなかったギャラルホルン側の末端が、けっこう戦闘に消極的だったのが良かった。これまで無機的な兵士としてか、やたら華美な騎士モドキばかりが登場してきたから、遅まきながら良いギャップを感じた。


第25話、ついに重要人物を街へ送りこむことに成功したが、まだ議事堂までは遠い。そして都市部での本格的なMS戦が始まる……
まず、MSによる都市部の攻防は良かった。都市部に銃火器を持ちこむことを批判した陣営側が、より強力な兵器を持ちこんでいく皮肉な展開と、それで生まれるギャラルホルンへの嫌悪こそが黒幕の目的という構図がおもしろい。怪獣映画のような巨大感ある構図でMSが戦うコンテと、阿頼耶識システムの真価を発揮したMSの動きを表現できた作画に、ロボットアニメに求めたものは満足できた。
一方、草原の戦闘で明かされた陰謀の目的は、初代ガンダムの構図を引いた範囲にとどまった。これまでに陰謀をめぐらせるだけの動機や意義が描かれてこなかった問題がある。それに鉄華団はいきあたりばったりで動いてきたから、それが計画通りと語られても衝撃を生まない。きちんと構築された表があってこそ、隠された裏があることに驚きが生まれる。鉄華団の成功が偶然によるものではないと説明できるほど説得的な陰謀でもない。戦闘そのものは、いかにもガンダム的な情念のやりとりさえ許せればよくできていただけに、物語としての新鮮味のなさが残念。

続編も発表されたものの、とりあえず目的地にはたどりついて最終回をむかえたので、全体の感想も書いておく。

これまでの感想でくりかえし書いたことだが、終盤に覚悟を決めるまではクーデリアというメインキャラクターの位置づけがはっきりせず、それが世界観を根本からあやふやにしていた。
『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』#3 散華 - 法華狼の日記

独立運動のカリスマになるだけの説得力を描かないまま、カリスマ性に欠けた実態をあばかれても、キャラクターが成立していないと感じるだけ。せめて序盤はカリスマとして選ばれた説得的な経緯を描いて、そこからキャラクターを崩していってほしい。

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第17話 クーデリアの決意 - 法華狼の日記

今回でクーデリアに覚悟を決めさせる結末は、つまりこれまでクーデリアに覚悟がなかったのに革命の象徴になっていたということ。覚悟を決めさせる状況へクーデリアをひきずりだすため、以前から覚悟していたかのような立場に設定するという前後関係の混乱がある。ここで覚悟を決めさせるなら、やはりクーデリア自身は知らないまま第三者の陰謀で革命に利用されていた設定にするしかないのでは。

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第20話 相棒/第21話 還るべき場所へ/第22話 まだ還れない - 法華狼の日記

途中で同行者のフミタンを死なせる展開をするなら、たとえば病に苦しんでいる独立運動家のつきそいとしてクーデリアが同行していて途中で遺志を受けつぐとか。あるいは、旅の始まりにおいては、ハーフメタル採掘の権利書を運ぶ広告塔にすぎなかったと位置づけるとか。ふりかえって考えても、やりようはいくらでもあったはず。

まったく世間知らずな理想家なのか、革命の象徴になる覚悟だけはあるのか、陰謀の手段としてつかわれた人形なのか、自他の認識がエピソードごとに混乱しつづけた。
せめて火星独立運動の内部における位置づけを描いてほしかったが、火星独立運動そのものが表層的に説明されただけで、参加した個々の思いは全く描かれないまま終わった。代替するように中継地点のドルトコロニーの革命運動が描かれたが、その最終的な達成は台詞の説明ですまされてしまった。


思えば、岡田麿里シリーズ構成作品は、さまざまな人々が迷走しながら出口にたどりついていく展開は素晴らしいが、作品世界の基盤を構築する方向で良さを感じたことがない。いわばエピソードを重ねて世界観をかためていく作風ではなく、エピソードごとに世界観を懐疑して崩していく作風。
この作品で良いと思ったのは他の脚本家が担当した回ばかり。鴨志田一脚本の、すみずみまでSF設定とキャラクターを活用した戦闘回は、どれも良いものだった。土屋理敬脚本は、ドライさを不自然にアピールしようとせず、悲劇との距離感が良かった。
統一感があるようで長所短所が極端だったのはメカ戦闘も同じ。全く戦闘しない回と、全編で戦闘する回とで、面白味がまったくちがっていた。戦闘しない回に必然的な見どころがあれば良かったが、この作品世界でしか描けない日常や政治を描くまでにはいたらなかった。せめて火星の風景が地球とまったく違っていれば良かったのだが。


映像面では、近年では珍しいグラデーション処理を多用した質感や、鈍器を多用しての重量感ある格闘戦は楽しかった。線の多いメカ作画をTVアニメでよく動かしたものだと思う。
一方、キャラ作画は特に良さを感じなかった。伊藤悠自身の絵はうまいのに、その原案をアニメ用に整理すると、さして独自性のないデザインになってしまった。やたら目が大きくて睫毛も長く、原案にあっただろう生々しさより松本零士がごとき古臭さすら感じた。たぶん描線レベルでアニメ作画に落としこまないと魅力を再現しづらい絵柄なのだろう。

『機動戦士ガンダムUC RE:0096』第1話 96年目の出発

サブタイトルは「出発」と書いて「たびだち」と読ませる。
初回はユニコーンに主人公が乗って起動する場面をアバンタイトルに持ってきただけで、OVA第1巻の前半とほとんど同じ。時間配分がしっかりしているので、ちゃんと少年と少女が出会う場面を結末に配置できていたが、そこからEDへ入ったのが唐突ではあった。TV版では独自にBGMを足して、第1話のクライマックスらしくもりあげても良かったのでは。
新規OPEDにも独自のアニメーションは少なく、止め絵や使いまわし作画に加工をほどこしたもの。ところどころの作画を新規にさしかえているが*1、あくまで現状は再編集版でしかない。おそれていたよりテロップが子供向け枠らしく目立っていて、映像への没入をさまたげる。TV版の売りの副音声は聞いていないのでわからない。
当然のように最終回まで見るが、特に引っかかったことがなければ感想エントリを上げることはないだろう。


ただ映像のつくりとしては、やはり素晴らしいものがあった。とにかく場面ごとの無重量状態をコンテ段階から入念に表現しようとして、きちんと作画でこたえている。カメラが上下左右に回転しつづけ、しかし位置関係は明瞭。
特に通路の空間を無駄なく移動する場面で、上下左右の移動装置にそれぞれ人間がつかまっている場面が地味にいい。いったん廊下のように映して無重量状態らしい印象を生んでから、カメラを垂直に変えてエレベーターのように見せて映像に安定感をもたらして会話へと注意を向けやすくする。


あと、直前まで放映していたシリーズ最新作『鉄血のオルフェンズ』と比べて、記憶よりメカ作画の線が少ないことが、逆に良かった。
複雑なのはメカの立体構成であり、無駄な模様や分割線はない。アニメらしいデフォルメされた影ではなく、あくまで立体感を表現するためのシンプルな影をつけている。作画の動きで巨大メカを表現するのだ、というデザインレベルの意思が感じられた。
名も無きキャラクターの奮戦を魅力的に描き、その戦死をあくまで脇役としてあっさり流すことで、あくまで主人公側がそうだっただけの『鉄血のオルフェンズ』よりドライな戦場を描けていたようにも思う。それが巻を重ねるにつれて崩れていくことは知っているものの、名も顔も無いキャラクターの奮戦は最後まで印象的に描写されていた。