法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』

のび太たちは自由を求めて家出したが、日本のどこでも人があふれていて居場所がない。そこでドラえもんの力を借りて、原始時代の日本へ家出をすることにした。
しかし現代にもどって原始人ククルと出会ってから、のび太たちは原始時代を支配しようとする呪術師の存在を知る。その名は、精霊王ギガゾンビといった……


長編映画十作目にあたる1989年の記念作品をリメイク。八鍬新之介監督の長編2作目にあたり*1、上映時間は100分から106分へのびた。
『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』公式サイト
この作品をリメイクすると発表された時の懸念を払拭する、すばらしく緻密な再映画化だった。
『ドラえもん』ムードもりあげ楽団/楽々バーべキューセットはラクじゃない/南海の大冒険〜キャプテン・シルバーの財宝〜 - 法華狼の日記

よほど新しい要素をつけくわえなければ新味を出しにくいが、かなり構成が緊密にできていて、明らかな穴がない作品なので改変することは難しい。

安易な愛国主義になりかねないテーマを、原作にもとからあるモチーフをほりさげて相対化。未開とされる異文明への敬意と、歴史を簒奪しようとする者の必然的な敗北を描いていく。
さらに原作で出番の少ないククルを活躍させるだけでなく、意外な細部をくみとって伏線をはりめぐらせ、より現代的なジュブナイル作品にしたてていた。本気で世界市場を意識しているのかもしれない。


まず、ひとつだけ残念なところをあげると、リニューアル後の映画としては例年になく映像の興奮が弱い。
良くも悪くも安定していて、予告映像を超えた見せ場はほとんどない。映画オリジナルの戦いも、ほとんど下記のプロモーション映像で見せてしまっていた*2
[新・のび太の日本誕生]プロモーション映像 - YouTube
全体としてアクションをCGではなく作画で見せようという方針と、原作を超えた亜空間破壊装置のビジュアルは悪くなかったが。
それとツチダマへのショックビーム攻撃の空間表現が板野サーカスっぽいと思ったら、原画に村木靖がいた*3


しかして、監督がコンテと脚本の両方を担当したおかげか、映像にすることを前提とした描写の改変や追加が多かった。たぶんコンテ段階で絵だけ追加するのではなく、シーンそのものを追加するというかたち。
たとえば最初にのび太が家出をした理由は原作では描かれない。ここで映画はテストの答案をもってくる。終盤にテストの答案が登場する伏線であり、のび太が冒険後に成長した結末にも反映される。答案用紙にペガサスの下手なラクガキをしている描写もそれらしい。
のび太が空想動物をつくりだすきっかけとして、ふたつの樹がひとつにからみついて育った情景をもってくる。さらに「遠い先祖をたどれば世界じゅうの人たちが親せき」*4という原作のやりとり。ここは台詞の順序などを変えて、樹木を映して、樹形図を連想させる。
情景が物語を支えているおかげで、動きの快楽は弱くとも、映画として物語を表現した意味は充分にあった。


そして、ジャイアンスネ夫ドラえもんの家出原因が、わずかな改変とともに物語の要所で効いてくる。
奴隷あつかいを嫌がったジャイアンだから、強制労働されているヒカリ族へ共感して、クラヤミ族へ怒ったのだと台詞回しで明らかにする。「自由」を求めた家出から始まった物語ということが、終盤になっても忘れられない。
スネ夫の家庭教師を語学に改変して、世界にはさまざまな国があることを意識させる。歴史をさかのぼると人類はみな親戚だという先述のやりとりを補強している。さらに結末で帰宅したスネ夫が、さまざまな外国人から仲良く教えられている姿まで映された*5
ドラえもんを家出させたハムスターをめぐって、のび太のパパとママが会話する。ハムスターを籠から出したパパが、檻のなかに閉じこめられるのはつらいだろうといい、のび太への共感をのぞかせる。両親のドラマを増やしつつ、家族を絶対視しないよう慎重に描写していた。


パパとママの会話は、映画で独自にほりさげたテーマにもつながっていく。
ジャイアンスネ夫しずちゃんドラえもんの4人は、あくまで「自由」を求めて家出した。最終決戦に参加したのも、義侠心や責任感からのものだ。だから最初に原始時代に行った時、口々に「自由」を連呼する*6
しかし、のび太ひとりは違う目標をいだいていた。自分にも何かができないかという「試し」という目標が。はじめは建前だったとしても、いつしか本心となっていった。思えば原作の時点で、のび太だけはドラえもんの道具にたよりつつも、ひとりで家出して生活しようとしていた。架空動物を生みだして、親として育ててきた。それを今作は成長劇として物語に反映させていく。
だから、原始人ククルがゲスト主人公として現代人と対等に活躍しても、のび太の存在が埋もれたりはしない。それぞれのドラマをせおって、ふたりの主人公としてそそりたつ。


のび太のドラマを明確化するために雪山の幻覚を持ってきたのも予想を超えた。
あくまで原作ではマンモスの伏線を自然に入れるための幻。旧作の映画においては親を登場させてギャグとして活用した。それが今作では親の登場で物語の発端をふりかえらせた。原作だけでなく、旧作をもフォローするリメイクになるとまでは期待していなかった。
逆に、雪山でマンモスの伏線が消されたが*7、これも見ていて納得できた。テーマをほりさげるためタイムパトロールの助けを少なくしたというだけではない。
マンモスと出会わないことで、空想動物との再会が強く印象づけられた。原作や旧作では、マンモスの伏線が優先されたために、かなり再会があっさり流されていた。今作では原始人の技術が助けとなり、のび太が育てたものに助けられるという構図になった。
ククルの過去話が原作以上に再会の伏線となり、ゲスト主人公との対等性が増す。いったん過去話を伏線として消化したことで、別の伏線があることも隠せた。


そしてククルは体力だけでなく知恵も発揮して、ギガゾンビとの戦いに貢献していく。
ギガゾンビが未来からもちこんだ偽物の歴史が、本物の歴史に敗北するという逆転劇も、ククルとの出会いにまつわる印象的なアイテムが用いられた。
ついでに、物語の発端となった時空乱流は偶然の産物とせず、ギガゾンビの伏線として位置づけられた。これは原作でも説明こそないが読者として感じていたことなので、台詞で明言されても違和感ない*8


最後に、割りを食ったタイムパトロールだが、これも意外な良さがあった。
たしかに出番は少ない。『のび太の恐竜2006』から一歩進んで、ほとんど子供たちだけで解決することで、自立というテーマと、歴史への敬意を表現できた。それが西部劇でいう騎兵隊到着の爽快感を無くしたともいえる。
しかし意外と最終的な印象は弱くない。原作に似せつつも、より派手なビジュアルでタイムパトロールが登場する。その後の空想動物との別離でも、長い時間をかけて会話をして、しっかりドラマに参加していた。
しかも、とんでもない飛び道具で原作ファンにアピール。ただのサービスで終わらず、作品のジェンダー比がバランス良くなり、それゆえの未来人らしさまで生まれていた。


ちなみに、来年の映画予告にあたるおまけ映像は、氷の下に巨大な人工物があるという情景。過去の原作に類似した場面はなく、かなりの映画オリジナル展開になるだろう。
おまけ映像のスタッフには高橋敦史がクレジットされており、今年のTVアニメSPにも登板していない。あるいは来年の映画を担当するのかもしれない。ならば映画『青の祓魔師 ―劇場版―』という傑作を手がけた監督であり、期待したいところ。

*1:1作目の映画の感想はこちら。『ドラえもん クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』ミッチー&ヨシりんとリアルおままごとだゾ/若い二人はこうして家を買ったゾ/「映画ドラえもん 新・のび太の大魔境〜ペコと5人の探検隊〜」 - 法華狼の日記

*2:『ドラえもん』空想動物サファリパークと約束の笛 - 法華狼の日記でも公開された映像のこと。ただ個人的な幸運で、巨像との戦いを見せる宣伝を見る前に映画を鑑賞できた。

*3:昨年から情報がにおわされていたようで、ツイッターで感想をさがしていたところ、予想を的中させたらしいツイートを見つけた。てひろぐ on Twitter: "村木靖さんかなー。阿部さんと同じ元AICで桝田さんより年上でアニメーター歴は阿部さんよりは短そう。オーガスにも参加している。何よりメカニック・エフェクトアニメーターだし。ただ日本誕生に氏の活躍する場所はそうないのが説立証を難しくさせる…オリジナルシーンで板野サーカスあるか?"

*4:93頁。

*5:もともとフランスは漫画文化が強く、北米はTVアニメで再進出したばかりで、中国は3DCG映画が大ヒットした。それぞれ市場として意識してもおかしくない国だ。

*6:この産経新聞の難癖を思いだす連呼ぶりだった。自由、多すぎませんか? 京大総長、入学式の式辞で「自由」をなんと34回も - 産経WEST

*7:かわりにドラミを途中で登場させ、ツチダマの正体を調査してもらうというオリジナルの伏線を入れていた。

*8:できれば、ククルたちヒカリ族を日本へ移住させたのも、ギガゾンビによってねじまげられた歴史を意図せず戻したという説明もほしかったかな。