法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『クローズアップ現代』“加害企業”救済の裏で〜水俣病60年「極秘メモ」が語る真相〜

水俣病の補償活動において、どのような意図で厳しい基準がつくられたか。どのように公金が使われたのか。当時の関係者に資料をつきつけて証言を引きだす。
“加害企業”救済の裏で~水俣病60年「極秘メモ」が語る真相~ - NHK クローズアップ現代+

大きなターニングポイントとなったのは、昭和53年。
水俣病の新たな認定基準の通知が出されました。
これを境に、水俣病と認められる人は激減していくことになります。


その一方で、加害企業であるチッソには公的資金が投入され、国によって救済される事になったのです。
今回、私たちは、この昭和53年前後の貴重な内部資料を入手しました。


チッソ元副社長、久我正一氏の手記の写しです。

財務相にして、当時は参議員だった藤井裕久氏が議論をとりまとめた。
当時はチッソをつぶそうという意見もあったし、番組でも企業を残して補償金をもらうことに葛藤する被害者を映した。
しかし水俣市の幹部が反対したのだという。

水俣市の幹部が来て、『それは絶対に困ります、水俣市チッソで生きているのです』と。
やはり加害者といえども地域社会の中核だと。

そう藤井氏は証言し、公金を補償にあてる方策をあみだしたという。


国が一企業を直接に支援するわけにはいかないからと、県債を大蔵省が買い取り、県のチッソへの貸付金が補償にあてられるという手法がとられた。
しかし被害者救済のためとはいえ50億円という税金が使われるのは国民に納得してもらえないからと、地元を騒がせるように指示が出ていたという。それは被害者の存在を広報するというものではなく、チッソを生かすようにという署名を集めさせるものだった。
この陰謀の証拠を番組がならべていく。きっと他の公害でも、そして現在の日本でもおこなわれていることなのだろうな、と見ていて思わざるをえなかった。実際に番組のページでも、東京電力原発事故との補償のしくみの共通項をてらしあわす項目がある。

水俣病の場合、国は熊本県を通じてチッソに資金を投入しました。福島第一原発事故の場合、国は国債を発行し、原子力損害賠償・廃炉等支援機構を通じて、東京電力に資金を交付しています。住民への賠償や、除染にかかった費用の支払いにあてられています。

最終的に投入された公的資金は2200億円にのぼった。企業を存続させるために熊本県を迂回して税金をつかうようなことをしなければ、もっと節約できたように感じなくもない*1


さらに、ひとつの症状で認めていた基準を複数の症状で認定するようにして、51%は補償が認められていた状態から、4.9%以下しか補償が認められない状態に悪化。
その意図として補償の抑制があったことが副社長の手記に残されている。

内閣官房副長官は、補償金支出の歯止めが欠落しているとして、認定に対し、厳しい姿勢を求めた。”

内閣審議室長の発言
“補償協定の改定、あるいは破棄をせよ。
そのままでは、ザルに水を注ぐがごとしだ。”

藤井氏は「減る事を期待して、決定をしたわけではありません」と証言しつつ、「政治現象を見る場合には、100点のものはない」と妥協策であったことを認めた。
そうして妥協したことで、地域間や被害者間の分断も生まれたという。いったんチッソをつぶせば被害者が企業への攻撃者であるかのような誤認も防げたろうし、もっと広く補償がおこなわれれば重篤な被害者が嫉妬されるような逆転もおこらなかったろう。


ここで登場したもうひとりの証言者が、アジア女性基金で知られる石原信雄氏であることも印象深い。番組では言及されなかったが、きっと従軍慰安婦問題においても水俣病の経験が影を落としたのではないかと想像できる。

『ザルに水』っていうのは覚えてますよ。
だからそこをなんとかね、ここまでだって決めてもらわないと、企業のほうも困っちゃうわけですよ。
チッソっていう会社を何としても存続させて、(国と県が)払って、チッソが(補償金を)払えるようにしてやらにゃいかんと。

ちなみにアジア女性基金は原資が不足しており、多くの被害者が受け取り拒否したおかげで運用することができた。しかし意図していないにせよ助けてもらったことについて、感謝するどころか非難する声が基金関係者からもあがっている。


最後に番組は水俣病を追いつづけたノンフィクション作家の柳田邦男氏にコメントをとり、「財源」という制約を前提視することの問題や、病因不明と閣議決定した国家の責任が回避されている問題を指摘。
現在も救済されざる被害者がいること、政府の姿勢が現代のさまざまな行政問題に通じること、といった重要な指摘が多く、今回は堂々と政治に切りこんでいて好感をもった。