法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

介護と生活苦で無理心中しようとした女性が検察と裁判官にかけられた言葉を読んで、同じ埼玉県の社会保障にまつわる事件を思いだす

親子3人が入水した絶望の川(きょうも傍聴席にいます):朝日新聞デジタル

 03年ごろ、60代後半になっていた母は認知症パーキンソン病だと診断される。父と被告による介護生活が始まった。当時被告は菓子製造会社で働いていたが、仕事と介護の両立は厳しく、被告は精神的に不安定になって無断欠勤をし、事件の約3年前には退職。以後、一家は月給18万円ほどで新聞配達をしていた父の収入に頼るようになった。

この後、父親も頸椎圧迫で新聞配達ができなくなり、一家の収入がとだえた。そこで被告は生活保護の申請へ行ったが、父親は死にたいと願って、被告もそれを肯定したという。


会員限定の続きを読むと、検察と裁判所のどちらもが被告へ厳しい言葉をかけている。

 検察官「父も手術すればよくなるはずだし、心中しなくても大丈夫と思うのが普通だが?」

検察側は「他に取り得る手段があり、犯行を思いとどまる機会もあった。事件の重大性に向き合っていない」と懲役8年を求刑。

 6月23日の判決は懲役4年の実刑。「社会的な援助を受けて生きることもできた。生命を軽視していたと言わざるを得ない」。献身的な介護、深い親子関係を認めながらも、執行猶予は付けなかった。

 宣告後、裁判員と裁判官からのメッセージが告げられた。

 裁判長「仲良く暮らしたときのお父さん、お母さんの顔を忘れることなく、毎日を大切に生きて下さい」

なるほど、被告の罪を問うのが検察の仕事ではあり、厳しい言葉ばかりになるのはしかたない面もあるだろう。このような事件が続かないよう厳しく裁く必要もあるだろう。たとえ献身的に支えていた家族であれ、死にたい意思を示さなかった人間を殺していいとはいえないだろう。
しかしそれでも、本当に他に手段があったのか、社会的な援助が期待できたのか、疑う気持ちは残ってしまう。一家を支えるべき社会が負うべき責任まで被告ひとりに転嫁していないだろうか、と。


実際に埼玉県で少し前、生活保護申請を拒否した事件がある。2005年にはじまり、2007年に裁判を起こし、2013年にようやく決着した。
生活保護申請拒否は違反/さいたま地裁 三郷市に賠償命じる/「全面的勝訴」

 裁判は、三郷市在住の夫婦が2005年1月から数回にわたり生活保護(生保)申請をしたのに対し、同市が1年半にわたって拒否。06年6月に生保開始から2カ月後に市の指導で東京都内に転居させられ、生保を受けられないと誤信させられたことに対し、約1000万円の賠償を請求したものです。

 2007年の提訴から5年が経過し、原告だった夫は白血病で亡くなり、妻と子どもが裁判を引き継いできました。

 判決は世帯主が白血病に倒れ、一家が生活に困窮していたことなど、原告が生保を受ける必要があると認識できる状況にありながら、市が申請を拒否したことに対し、職務義務違反と認定。都内への転居を勧めた際に、転居先で生保の相談にいかないよう述べたことに対しても、少なくとも過失があるとして、原告の主張を認め、市に537万円の損害賠償の支払いを命じました。

原告の勝利とはいえ、損害賠償の金額が充分とは思えない。請求の半額以上とはいえ、裁判にかけた時間から考えると年収にもならない。
行政が裁判において責任を否定しつづけ、生活保護受給者への偏見が蔓延する社会において、検察のいう「普通」とは何だろう。