Hatena::ブログ(Diary)

法華狼の日記

2016-11-12

[][][][]「ポリコレ棍棒」というワードの意味がよくわからなかったが、どうやら棍棒とは要望のことだったらしい

はてなブックマークを200以上も集めながら、この匿名記事の前提にほとんど疑問が出されていないのが不思議でならない。紹介されている話題は、ちっとも「極端」ではないはずだ。

ポリコレ棍棒勢の貧しさについて

http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160525-00058032/

まあ、要するにキャップがホモだって設定に変更してくれって話だ。もう、本当にうんざりしたんだが、これがトランプのいう「過剰なポリコレ」のひとつだ。

世の中には同性愛者がいる→わかる。同性愛者は一定の割合で存在する→わかる。同胞の一員である同性愛者の権利を守るべきだ→わかる。

フィクションの登場人物にも同性愛者がいるべきだ→そうだろうね。世界の反映としてフィクションの人物も一定の割合をホモにしてくれ→なにいってんだ? キャップをホモにしてくれ→意味わからねえ。

「キャップがホモだなんてとんでもない!」っていったら「お前は差別主義者だな死ね!」って炎上する。そういうのがポリコレの現場だ。

ただ、そういうのが欲しけりゃ、自分で作れよ。なんで「他の人が作って、もう走ってるものを、自分たちの権利のひとつとして要求する」んだよ。

しかしアメコミヒーローは時代にあわせて装いを変えてきたものだし、性別まで異なる同系統のヒーローが一堂にかいする作品まである。

テレビ東京・あにてれ アルティメット・スパイダーマン VS シニスター・シックス

もちろん日本にしてもフィクションの人物や展開についてファンからさまざまな要望が出されるものだ。ただ意見を公表するどころか、署名活動をして公式につたえるファンもいる。

ネウロアニメを改善したい!!!脚本改善署名運動

公式側も、制作後にアンケートをつのったり、制作前に市場をリサーチしたりする。そうして知ったファンの要望について、数の多さに応じて作者がサービスするのも、興味深いアイデアと感じて作者がとりいれるのも、なんら強制とはいえまい*1

どこにも法規制のような強制力はないし、『ミザリー』のように作者がファンに拉致監禁されるわけでもない*2


紹介された個人記事も以前に読んだが、ただツイッターハッシュタグ自由に意見が表明されているだけで、反論や疑問に対して差別主義という評価がなされているようにはうかがえない。

個人記事のむすびも下記のとおりで、議論を契機とした次世代のキャラクターへ期待が重視されており、キャラクター設定の変更を絶対視するものではない。

多数の熱烈なコミックファンがいる以上、そんな重要な部分を変えるのは、そう簡単ではないはずだ。とは言え、今の時代の人たちが何を望んでいるのかがわかったのだから、新しいキャラクターが出てくる新しい映画で、それをやってみせることはできる。次の映画でエルサにガールフレンドができなくても、またキャプテン・アメリカとバッキーが永遠に友達のままでも、別の映画で愛すべきレズビアンゲイのキャラクターが生まれることにつながるならば、この運動は、何かをもたらしたということなのだ。

もちろん、別のファンが反論するのも、作者が応じないのも、要望に反発した展開をするのも、それ自体が批判されることではない。

もちろん、どのキャラクターとどのキャラクターが愛しあってほしい、そんなファンの要望を表明することもまた、表現の自由のはずだ。


ただし、ファンの要望や作者の反応が差別を動機にするものと明確であれば、差別主義者と評価されることはあるだろう。

さまざまな作品への要望があるなかで、現実の反映要求が性的指向の場合だけ「なにいってんだ?」と理解を拒否したり、同性愛者にしてほしいという要望に対してだけ「ホモだなんてとんでもない!」と反応をするならば、それは偏見が疑われるところだ。

せめて、ポリティカルコレクトネスのような話題に限定せず、あらゆるファンの要望を否定しなければ一貫性はない。たとえば、アニメのとがった表現を「作画崩壊」と騒いで修正版しか映像ソフトに収録させないような動きに対して、この匿名記事は反発してくれるだろうか*3

「売豚は、作画を殺します。」

「なぜ殺すのだ。」

「悪意を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪意を持っては居りませぬ。」

「たくさんの作画を殺したのか。」

「はい、はじめはうつのみや作画*4を。それから、ベルカ式*5を。それから、オサムワールド*6を。それから、少し頭冷やそうか*7。それから、とらドラ版権*8を。それから、にほちも*9を。」

 聞いて、作豚は激怒した。「呆れた売豚だ。生かして置けぬ。」

no title

*1:希望にこたえるつもりでファンが勝手につくった設定を反映させたところ、それがキャラクターを落とす好悪わかれる設定だったため、むしろファンから悲しまれるようなこともある。アニメ版足柄の扱いに対するTLの反応 - Togetter

*2:ただ要望だけでも『ミザリー』のような作品を書きたくなるほどの心情を作者が持つことはある、とはいえる。

*3:改変ネタはあまり「萌え」がわからぬ動物として、少し源流の記憶をたどってみる - 法華狼の日記の使いまわしだが、萌えではなくファンの要望の多寡がテーマなので、激怒する対象を「売豚」へ変更した。なお、「とらドラ版権」だけは映像発表前の動きであり、映像ソフトにおける修正とは関係ない。

*4創聖のアクエリオン

*5アニメーターのわずかな個性も許さないアニメファンに絶望した! - ARTIFACT@ハテナ系

*6グレン団活動報告「ドリル銀河に男の魂ッ!」: 第四話「顔が多けりゃ偉いのか?」

*7J& blog http://jahy.info/: 作画崩壊って単純には表現できない感情を何とか表現しようとした果てでもあるよね

*8lunaticprophet.org -&nbspこのウェブサイトは販売用です! -&nbsp リソースおよび情報

*9『鉄腕バーディーDECODE:02』第7話 WE WILL MEET AGAIN - 法華狼の日記

hokke-ookamihokke-ookami 2016/11/13 09:37 ちなみにファンの多寡などを考慮して、資本主義の論理でいうと作豚が負けます。だからこそ、修正前も保存してほしいという多様性を願うわけですよ。

nisisinjukunisisinjuku 2016/11/14 10:51 うん。修正前の方が時代感とか臨場感有るししっかり保存しておいてください。で、なんだっけ?ポリコレは願望器?アマタあるポリコレ同士による聖杯戦争?

バッタバッタ 2016/11/14 10:54 この運動で思い出しましたが、最近だとストーンウォールの主役の件と映画、Drストレンジのチベットの件があり、ホワイトウォッシュという皮肉もあるのですよね。アナと雪の女王やベイマックスやズートピアなどのイメージで考える人は割と見かけますが、当たり前ですが様々な人がいるようで。

hokke-ookamiさん

最近あまりアニメは見なくなってしまいましたが今のアニメの作画って昔と比べると癖がなかったり脱個性となっているのでしょうか?

kamokamo 2016/11/14 13:39 誰も幸せになっていない例がスタートレックでありましたね…
ソースとしては不適当かと思いますが取りあえず1P目にあったので
ttp://www.tvgroove.com/news/article/ctg/1/nid/29272.html
さらにこちらで記されているようなことが、こういう安易な改変に向かうこと自体が残念ですね
ttp://eiga.com/news/20160513/21/
フィクションとはいえ、そのキャラクターの性的志向を変更することは、「一回異性と付き合ってみたら変わるかもよ」と同じように浅はかです。

サウローロサウローロ 2016/11/14 23:38 よりによってなんでキャップを、というのが反感を強めたのでは。
元々快楽主義的なアイアンマンをバイセクシャルにするとか、(出版社は違うが)昔からロビン(何代目かにもよるが)との関係を様々に勘ぐられることの多かったバットマンをゲイにするなら、さほど反感も強くはなかったでしょう。
しかし、キャプテンアメリカは古き良きアメリカの良心を体現し、その信念を曲げるくらいなら米政府と敵対することすら厭わない存在です。つまり、一番「変えてはいけない」キャラクターなのです。
ちなみに、マーベルコミックスには、既に数年前にゲイのヒーロー同士が結婚するエピソードがあります。

8888 2016/11/15 01:34 今の展開古きよきアメリカの良心を体現みたいなの揺らいで面白い展開になってるみたいですよ
あと殺人してないって設定も戦争の時は仕方なくとはいえ殺してたとかに変わったり赤狩りしてたとかアレは偽者とか割とキャラクターのコアな部分に改変あるんで
そんなに変えていけないキャラではないのではないでしょうか少なくとも製作者側にとっては
まあ受け手はそうは行かなかったようで炎上したみたいですが
といっても炎上はいつものアメコミの設定改変に慣れてない層にまである衝撃的な内容が伝わったせいで
それ以降をちゃんと読めば面白い展開だなとなるのに炎上だけ有名になって残念との意見もあり
そこで解説されてた内容を見る限りたしかにもったいないなと思いました

あと快楽主義者ならバイセクシャルでも反感を抱かれなさそうってどういうことですか?

Gl17Gl17 2016/11/15 02:49 創作に対する横槍という点ではむしろ、サムゲタン騒動だの国が燃える事件だの、反ポリコレ陣営からの攻撃の方が余程多いような気がするんだけどナ。ラッスンゴレライの時みたいに瑣末な種を探しては、火のない所に放火して反日とか言い立てる反日ネット警察連中とか。
そっち向きは下手するとポリコレ棍棒とかじゃなくて、本物の散弾銃で記者が撃たれたりするしね。

ああいうの散々見せられて、挙句にPCは表現の敵〜みたいなこと叫ばれても「ああ、またあの連中か…」としか。
要するに、表現の自由ガーという表向きで、左派の口塞ぎたいってだけだろ。

namakonamako 2016/11/15 08:17 >>Gl17
で、「反ポリコレ陣営」が総意としてサムゲタン騒動・国が燃える事件・ラッスンゴレライ等を攻撃したという具体的な証拠は?
むろん、中にはそういうアホも混ざっているかもしれないが、それは別にある一定数の人間を集めれば、多少どうしようもないのが混じるという程度の話でしかない。

そもそも、君の言う「反ポリコレ陣営」とはなんだね?
「ポリコレ」に反対している人間は確かにたくさんいるが、それらがみんな同じ理由で、「反ポリコレ」を標榜して連帯しているとでも?
まあ、そうやって、雑な属性で人を括ってつまらん皮肉を垂れ流すからいつまでったっても君たち「左派」は、多くの支持を得られんのだよ。

switching_knswitching_kn 2016/11/15 08:58 >雑な属性で人を括ってつまらん皮肉を垂れ流す
自己紹介かな?

それはともかく、「ポリコレ」という略語自体がポリティカリーコレクトに反発する層から出てきたものっぽく思えてなんか嫌です。
PC本来の意味を離れた、ネガティブなイメージを植え付けようとしているのではないかと考えてしまいます。

hanyan0401hanyan0401 2016/11/15 10:54  「サムゲタン騒動」や国が燃える事件で批判した側が、「反ポリコレ陣営」だとする根拠が不明ですので、私も知りたいです。そもそも「余程多いような気がする」という例示で、数年前と10年以上前の例を挙げるのは、説得性に欠けると思うのですが。「碧志摩メグ」やのうりんポスターは昨年、「駅乃みちか(萌え)」は今年のケースですよ。

Gl17Gl17 2016/11/15 19:57 >「反ポリコレ陣営」が総意として

PC側が"総意"として攻撃してなければ問題ないなら、大半の事例は一部の特殊な人がやらかした、で済むんじゃないですか。
別に組織立った訳でもないのだから、PCにしろ反PCにしろ総意なんていうものがあるわきゃない。

>中にはそういうアホも混ざっているかもしれないが、それは別にある一定数の
>人間を集めれば、多少どうしようもないのが混じるという程度の話でしかない。

いまPC批判として、反PCを是としない層に向けられている非難がまさにそういう話だと私は思いますよ。PC側に全能を求めているかのような。

>「碧志摩メグ」やのうりんポスターは昨年、「駅乃みちか(萌え)」

それ是非についてはネットの反応見てもかなり別れる話ですよね。別に批判が不当だという意見が多数とはいずれも思わないけど。
単なる批判がまずい、というならPCに向けて批判するのもマズイはずだし、不当な攻撃でなければ問題ないなら、それらは問題とするか否かは個人のスタンスに依る。

バッタバッタ 2016/11/15 20:48 Gl17
≫創作に対する横槍という点ではむしろ、サムゲタン騒動だの国が燃える事件だの、反ポリコレ陣営からの攻撃の方が余程多いような気がするんだけどナ。

どちらも表現方法に関する騒動(両者とも結末や流れ、賛否は別として)ポリティカルコネクトレス(以下PC)なので反PCといった括りは正しくないのでは?

namakoさん

≫「ポリコレ」に反対している人間は確かにたくさんいるが、それらがみんな同じ理由で、「反ポリコレ」を標榜して連帯しているとでも?

PCといった概念を使わない、別の概念(名前だけ変えたPCになりそうだが)を使うというならともかく反PCの時点で不味いような。例えば"オタクは性犯罪者"や"鬱は甘え"といった論に立ち向かう場合PCは避けて通れない気が。

≫まあ、そうやって、雑な属性で人を括ってつまらん皮肉を垂れ流すからいつまでったっても君たち「左派」は、多くの支持を得られんのだよ。

野暮ですけど皮肉かジョークですよね?

hanyan0401さん

≫数年前と10年以上前の例を挙げるのは、説得性に欠けると思うのですが。

"PCが日本に入ってきたのはつい最近だからその頃の事例では反PCも糞もないだろ"という意味でしょうか?

hanyan0401hanyan0401 2016/11/15 20:50 >Gl17さん
>それ是非についてはネットの反応見てもかなり別れる話ですよね。

 そうですね。賛否が分かれるにも関わらず、「差別的だから」つまり「政治的に正しくない」ので、批判の妥当性が十分に検討されることなく、表現に影響を与えてしまう。私はその点に問題があると考えます。
 企業がポリティカル・コレクトネスの影響を受けやすい一例として、漫画『境界のないセカイ』の騒動があります。これはLGBT団体からの抗議が公式には存在しなかったにも関わらず、「誤解を受けかねない表現に対し、これから起こるかもしれないLGBT団体からのクレームを回避したい」という理由で、出版社が単行本の発売中止と連載終了を決定したというものです。
 ポリティカル・コレクトネスに基づく批判や要求は自由でしょう。しかし企業や公共団体は、そうした「政治的に正しい」要求に弱く、そのまま受け入れてしまうことがしばしばあります。その場合、表現を守ろうとするならば、表現の受容者が代わりに要求の正当性(それは本当に差別的なのか? 「政治的に正しい」のか?)を問うより他ありません。
 現在行われているポリティカル・コレクトネス批判の多くは、そうした性質のものだと私は認識しています。

hanyan0401hanyan0401 2016/11/15 21:03 >バッタさん
>"PCが日本に入ってきたのはつい最近だからその頃の事例では反PCも糞もないだろ"という意味でしょうか?

 「余程多い」という印象の根拠として、かなり前の、かつ挙げられた例で比較しても数年の間隔がある例示は、説得性に欠けるのではないかという指摘です。

 ちなみにですが、「オタクは性犯罪者」は早まった一般化という詭弁でしょうし、「鬱は甘え」は単なる事実誤認ですので、あえてポリティカル・コレクトネスを採用して反論をする必要性はないのでは。例えばステレオタイプな「キモオタ」をキャラとして登場させた作品に対し、「オタクへの偏見や差別を助長する」という理由で批判をすれば、それはポリティカル・コレクトネスに基づく批判と言えそうですが。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/11/16 19:09 hanyan0401さん

『境界のないセカイ』の件ではレインボー・アクションが打ち切りに抗議する表明を出しましたよね。
http://rainbowaction.blog.fc2.com/blog-entry-228.html

抗議声明ページにもリンクが貼られている作者の「お知らせ」にも書かれているように、この作品では性の多様性に対する主人公の否定的な考え方が肯定的なものへと変化をしてゆくという意図がありました

打ち切りを決めた講談社はこうした説明をしようとする努力すらしなかったのであり、これは表現の送り手側の怠慢であり、PC側への批判はお門違いであることはまさにレインボー・アクションの行動が示しています

この件は、「文脈を考える」ということを捨てた、むしろ差別する側のような思考ゆえに「企業」が藁人形におびえたというものでしょう。

このエントリで取り上げられている匿名記事では頻繁に「ホモ」という男性同性愛者への差別用語が使われています。
こういった差別用語に対して抗議がなされたとき、必ずと言って良いほど出てくるのが「元々は差別用語ではなかった」という言い訳です。
これは、その言葉が使われてきた歴史的文脈・言葉を使う者/使われる者の構造という文脈を無視した暴論です。

PCの基本となる人権意識や学問的成果がこの社会にもっと浸透していれば、むしろ『境目のないセカイ』のような事態はさけることができたでしょう。

hanyan0401hanyan0401 2016/11/16 21:56 >上毛野すものさん

 『境界のないセカイ』の例示は、「LGBT団体からの抗議が公式には存在しなかった」と前置きしました通り、ポリティカル・コレクトネスを根拠とした批判や要求が作品へ影響を与えたという趣旨ではありません。批判や要求さえなかったにも関わらず、企業の判断である作品が連載中止に追い込まれた、つまり企業がポリティカル・コレクトネスに対し過剰反応をした一例です。いわんやポリティカル・コレクトネスに基づく批判や要求をや、ということです。
 企業や公共団体が、十分な検討や説明をすることなく表現の改変に応じるという例は、残念ながら珍しくはありません。「駅乃みちか(萌え)」では、「当該イラストは『鉄道むすめ』とのコラボレーションであり、駅構内や電車では掲示されていない」という反論すらないまま、イラストが変更されました。欅坂46のステージ衣装をめぐる騒動も記憶に新しいところです。
 『境界のないセカイ』の一件では、ポリティカル・コレクトネスに基づく具体的な批判や要求はなかったのですから、「批判はお門違いである」のはその通りです。しかし「碧志摩メグ」や『のうりん』ポスター、「駅乃みちか(萌え)」は、いずれも「女性を性的に強調したイラストは女性差別であり、差別を助長するので公共の場に掲示するべきではない」というポリティカル・コレクトネスに沿った批判が存在していました。
 上毛野すものさんが仰るように「文脈が考えられる」べきなのですが、残念ながら企業や公共団体がその担い手となることは期待できません。ならば表現を守ろうとする側が、ポリティカル・コレクトネスに基づく批判や要求の妥当性を問うより他ないというのは、先に書いた通りです。

hanyan0401hanyan0401 2016/11/16 21:57  ちなみに立場に関係なく見落とされがちですが、『美味しんぼ』の「福島の真実」編での鼻血等の表現をめぐる騒動では、ポリティカル・コレクトネスに基づく批判が展開されていました。批判の主だった内容は、「福島県や福島県民への差別や風評被害を助長する」というものでしたので。現在ポリティカル・コレクトネスに肯定的・懐疑的なそれぞれの立場の方が、当時どのような主張をされていたかというのは興味深いですね。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/11/17 17:43 hanyan0401 さん

>つまり企業がポリティカル・コレクトネスに対し過剰反応をした一例です。

だから私は
>PCの基本となる人権意識や学問的成果がこの社会にもっと浸透していれば、むしろ『境目のないセカイ』のような事態はさけることができたでしょう。
と申し上げたのです。
何故不勉強な側の「過剰反応」を擁護し、PC側に責任を持ってこようとするのですか?

「碧志摩メグ」「のうりん」「駅乃みちか」が批判された要因の一つは、単に「性的に強調」されたものが「公共の場に掲示」されるからではなく、それを使用するのが公共団体やそれに準ずる団体であるからでしょう?

挙げられた中で欅坂の件は民間に属するものですからその点での違いは考慮しても良いかもしれませんが、それでも日本におけるアイドルグループの影響力の大きさ、モチーフ(ナチス)の持つ意味を考えれば批判を受けるのは当然であり、「過剰なポリコレ」「ポリコレ棍棒」などと言われるものではありません

>残念ながら企業や公共団体がその担い手となることは期待できません。
>表現を守ろうとする側が、ポリティカル・コレクトネスに基づく批判や要求の妥当性を問う

「表現を守ろうとする側」はPCの持つ歴史的背景や現在のPCの到達点について、表現者や送り手に啓蒙する・理解を促すといったことはしないのですか?
「企業や公共団体」というのは、PCがどういうものかも分からず怯え続ける子どもか何かですか?

>『美味しんぼ』

具体性に欠けておりなんともいえません。「当時」の「主張」とPCに対する立場が分かるような具体的な情報はありますか?

IlovenoelIlovenoel 2016/11/17 19:22 >上毛野すもの氏
碧志摩メグや駅乃みちか(鉄道むすめ版)などが「性的に強調された」デザインであるとする認識自体が「ヤクザ紛いの見当はずれな言い掛かり」だからこそ非難される羽目になってる、って事は判ってます?
欅坂の件だってそうですが、まぁアレは「ナチズムの被害者の末裔」が言うからまだそれなりの正当性を維持(個人的には五十歩百歩だと思ってますが)してるわけですがメグやみちかなどへのクレームにはその程度の正当性すらありません。
だから「ポリコレ棒」だの何だのと揶揄される事になります。

hanyan0401hanyan0401 2016/11/17 20:59 >上毛野すものさん
>何故不勉強な側の「過剰反応」を擁護し、PC側に責任を持ってこようとするのですか?

 この場合「不勉強な側」に該当するのは、企業なり公共団体ということになるかと思われますが、私の文章のどの箇所をもって「擁護している」と判断されたのでしょうか。
 またポリティカル・コレクトネスに準拠した批判や要求が「存在するならば(繰り返しになりますが、『境界のないセカイ』の例がそうであるとは申し上げておりません)」、その批判や要求の責任を負うのは言うまでもなく、それを発した側でしょう。
 私が述べたのは、企業や公共団体はときに「過剰反応」をするほど「政治的に正しい」批判や要求に弱いので、その内容に正当性がない場合でも、唯々諾々と従うケースが存在するということです。

>「碧志摩メグ」「のうりん」「駅乃みちか」が批判された要因の一つは、単に「性的に強調」されたものが「公共の場に掲示」されるからではなく、それを使用するのが公共団体やそれに準ずる団体であるからでしょう?

 性的に強調されたイラストが女性差別を助長するという確かな機序は存在するのか、そもそも当該イラストは本当に「性的に強調」されていると言えるのか、公共団体がイラストを使用することで具体的にどのような問題が発生するのか、それは「準ずる団体」が使用することでも発生するのか、等。批判や要求の妥当性は、十分に検証される余地があるでしょう。

>それでも日本におけるアイドルグループの影響力の大きさ、モチーフ(ナチス)の持つ意味を考えれば批判を受けるのは当然であり、「過剰なポリコレ」「ポリコレ棍棒」などと言われるものではありません

 こちらに関しても、ナチスの衣装をモチーフとすることはナチズムやホロコーストの肯定と同義なのか、そもそも意図があったのかあるいは偶然ではないのか、偶然類似した場合、改めるよう要求するのは正当なのか、ナチスが存在していなかった日本において、ナチスをモチーフとする表象の改変まで求めるのは過剰ではないのか、等。意見が分かれるところだと思います。
 批判や要求は自由です。ですがその批判や要求に対する反論もまた自由であり、その妥当性は検証されなければならないはずです。反論するという行為自体を指して「レイシスト」「ファシスト」などとラベリングされることなく。

>「表現を守ろうとする側」はPCの持つ歴史的背景や現在のPCの到達点について、表現者や送り手に啓蒙する・理解を促すといったことはしないのですか?

 表現者を啓蒙することで、「ポリティカル・コレクトネスの定義と合致しているが、妥当性のない、または妥当性が十分に検証されていない表現の改変の要求」は解消されるのでしょうか?
 私が表現者に意見を伝えるならば、むしろこのような内容にいたします。「ポリティカル・コレクトネスが常に正しいとは限りません。表現の改変を促すような要求の採用は、妥当性を十分に検証した上で慎重に判断して下さい。その表現には、多くのファンが存在することを忘れないでください」。

>具体性に欠けておりなんともいえません。「当時」の「主張」とPCに対する立場が分かるような具体的な情報はありますか?

 「興味深い」と書きました通り、具体的に照らし合わせるようなことは特に行っていません。ただ立場に関わらず、ポリティカル・コレクトネスという観点から見た場合、相反するような主張をされている方もいるのではないだろうかと推察します。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/11/17 21:47 良い機会なのでIlovenoelさんとhanyan0401さんにお聞きしたいのですが

碧志摩メグについて
1.何故あそこまで胸を大きくする必要があるのでしょうか?
2.何故あそこまで布を肌に付ける必要があるのでしょうか?

以上の2点についてお聞きしたいと思います。

補足を加えますと

 胸の大きな海女さんも当然いらっしゃるでしょうが、イラストにおいてはその大きさは作者の意思でいかようにも変えることのできるものであり、当然、現実の女性の平均のサイズなどにすることもできます。

 「海女」で画像を検索すると、たしかにあのようにボディラインが出やすい服もあるようですし、さらには上半身裸の写真なども存在しますが、もっと厚手であまりボディラインが出ないものや、ダイバースーツのようなタイプも存在します。ようするに、着ているものについても、選択肢はあったわけです。

 もう一点、「萌え絵ではあの程度の胸は普通だ」とか「もっと過激な萌え絵もある」などと言った反論は受け付けません。“公共団体によって使用される”というTPOは当然踏まえられた上で、胸や服装、さらにはポーズなどのものについて何故あのイラストという選択がなされたのか、ご自身の考えでかまいませんので、お答えください。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/11/17 22:02 hanyan0401 さん

『美味しんぼ』の件は無根拠な想像ということでよろしいですか?

>私の文章のどの箇所をもって「擁護している」と判断されたのでしょうか。

>表現の受容者が代わりに要求の正当性(それは本当に差別的なのか? 「政治的に正しい」のか?)を問うより他ありません。

企業の主体性を無視して、「そうした「政治的に正しい」要求に弱」いままに擁護しようとしていますよね。

最新のコメント(2016/11/17 20:59 )の

> 私が表現者に意見を伝えるならば、むしろこのような内容にいたします。「ポリティカル・コレクトネスが常に正しいとは限りません。表現の改変を促すような要求の採用は、妥当性を十分に検証した上で慎重に判断して下さい。その表現には、多くのファンが存在することを忘れないでください」。

なんていうのも、送り手側・企業側に被害者性を持たせています。

再度申し上げますが
>「企業や公共団体」というのは、PCがどういうものかも分からず怯え続ける子どもか何かですか?

IlovenoelIlovenoel 2016/11/18 00:38 >上毛野すもの氏
…あほらしい。
「萌え絵以外でも普通に使われるデフォルメ」の技法です。
ルネッサンス期の彫刻でも「不自然なまでに体に張り付く衣装」はざらにあるでしょう。
また、露出やボディラインの少なく、なおかつ「(年頃の若い娘さんが着ても違和感のない)華のある」衣装をダイブスーツなどをベースに出来るとお思いなら、貴方自身がメグの衣装をデザインしてみるとよろしかろう。

hanyan0401hanyan0401 2016/11/18 03:42
>1.何故あそこまで胸を大きくする必要があるのでしょうか?

 「あそこまで」と強調されるほど大きいとは私には思えませんので、その点で認識の齟齬があります。その上でお答えするならば、「公共団体やそれに準ずる団体で(重要)」採用されたイラストでは、あの程度の表現は一般的だからではないでしょうか。いくつかの例を示します。

福島未来(福島県・選挙啓発ポスター)
http://blog.goo.ne.jp/kage-yh7/e/6261681e84d7c49a6c2fac966f3990ac
松宮アヤ(松戸市・防犯啓発キャラクター)
http://anigamers.blomaga.jp/articles/3169.html
神繍皇女(みなとみらい線・イメージキャラクター)
https://www.youtube.com/watch?v=4QPdVb1DAq0

また徳島県とアニメ制作会社「ufotable」が深く関与しているイベント「マチ★アソビ」では、そもそも「一般の萌え絵」のキャラクターが、ポスター等に採用されています。
http://www.machiasobi.com/
http://www.ufotable.com/awaodori2015/

>2.何故あそこまで布を肌に付ける必要があるのでしょうか?

 「着ているものについても、選択肢はあったわけです」と仰っているように、実在する衣装の選択肢から、「海女らしい」ものの一つが参考にされたということではないでしょうか。また海女は海へ潜る職業ですから、それを表現するために、水に濡れて衣装が肌に張りつくように描くという意図があったのかもしれません。そこで衣装が透けるように描かなかったのは、それこそ過度に性的にならないようにとする配慮であったのかもしれません。

>“公共団体によって使用される”というTPOは当然踏まえられた上で

 そもそもこの「TPO」からして、許容される範囲が人によって異なる曖昧な概念です。「当然踏まえよ」とは、上毛野すものさんが考えるところの「公共団体が使用するという事実を前提とした上で、TPOで許される範囲の表現」ということでしょうか。「TPOをわきまえろ」は、私には典型的なバズワードとしか思えません。

>『美味しんぼ』の件は無根拠な想像ということでよろしいですか?

 自明かと思いましたのであえて挙げませんでしたが、『美味しんぼ』の「福島の真実」編の描写をめぐる議論では、原発の是非という別の論点があります。「ポリティカル・コレクトネスという観点から見た場合」と前置きした上で、主張が相反する可能性を指摘したのはそういうことです。

>企業の主体性を無視して、「そうした「政治的に正しい」要求に弱」いままに擁護しようとしていますよね。

 要求の正当性を問う目的は表現を守るためと書きました通り、擁護の対象は企業ではなく表現ではないでしょうか。

>なんていうのも、送り手側・企業側に被害者性を持たせています。

 要求が仮に不当なものであるならば、表現者は被害者と言えるでしょう。そして私はその引用された文章の中で、「要求は常に不当である」とは述べておりません。

hanyan0401hanyan0401 2016/11/18 03:44  最初の数行がコピーの範囲から漏れていましたので、追記します。こちらから一読していただけましたら幸いです。

>上毛野すものさん
>1.何故あそこまで胸を大きくする必要があるのでしょうか?
>2.何故あそこまで布を肌に付ける必要があるのでしょうか?

 まず大前提として、私はイラストの制作者ではないので制作意図など分かりようがありませんし、そもそも明確な意図が存在するかも不明です。制作者以外で意味のある質問とは正直思えないのですが、お答えしてみましょうか。当然ながら、以下は推量です。

Arturo_UiArturo_Ui 2016/11/18 14:57 >Ilovenoel 2016/11/18 00:38
>…あほらしい。
>「萌え絵以外でも普通に使われるデフォルメ」の技法です。
>ルネッサンス期の彫刻でも「不自然なまでに体に張り付く衣装」はざらにあるでしょう。

地域によっては「海女芸者」が性的サービスを提供していた(&している?)という事実もあり、ボディーラインの露出という方向での”デフォルメ”には地元の海女の方々も不快感を呈していた、という事実を抜きにして論じるのは不適切というものでしょう。

なお、本職の海女があんな長髪にすることは有り得ないので、
(=長髪は潜水および水中作業の邪魔になる上、乾かないので体温を奪う)
デフォルメだとしても「ライオンに角が生えている」みたいな、不自然極まりないデザインである、という点も頭に留めておくべきかと。

Arturo_UiArturo_Ui 2016/11/18 15:22 私見ですが、「デフォルメ」としては、ボディーラインよりも長髪の方が問題は大きいように思います。
海女を何年もやっていれば、流線型というか「寸胴」に近付いていくものなので、そこは目くじら立てても仕方ないんでしょう。
しかし髪を長くするのは、命綱やら何やらに絡まった場合に救出できなくなるわけで、海女に限らず「現場作業に出る」設定のキャラクターが長髪なのを見かけるたび、それってどうなの?と言いたくはなります。
別の言い方をすれば、今ある姿が「何故そういうデザインなのか?」を理解せずに「デフォルメだから!」とかドヤ顔されましてもねえ……、ということです。

「海女を目指す素人」ならあれでも構わない、という意見は有り得るでしょうが、だったらそもそも「イメージキャラクター」にすべきではない、ということになりますし。

トルクトルク 2016/11/19 21:02 kamoさん

安易な改変?

上毛野すもの上毛野すもの 2016/11/19 21:51 Ilovenoelさん

まず、一昨日言い忘れていたことをひとつ

碧志摩メグは「非公認」となりながらも半ば公認のごとく下記のような公式サイトを運営し、活動を続けています
http://ama-megu.com/

のうりんポスターは画像を差し替え、「のうりん」というコンテンツの使用は続けられ、当然ながら原作も続いています

駅乃みちかも指摘のあった部分の表現を変更することで使用されることになりました。

翻って『国が燃える』『靖国YASUKUNI』『南京1937』はどういう事態になっていたか

「ヤクザ紛い」などという表現を使うに値するほどの圧力や「表現の自由」の侵害があったのか、
他者の人権とのぶつかりを踏まえた上での前三者に対する批判と、史実を攻撃したいがために行われた後三者に対する「批判」で何が違うのか、よくお考えになってください


次にIlovenoelさんとhanyan0401さんのお二方へ、私の質問にお答えくださったことに感謝いたします

Ilovenoelさん

その「ルネッサンス期の彫刻」は誰のために制作されたものですか?当時の芸術家は基本的にパトロンがいて、そういった一部の人たち、あるいは完全に自身の芸術の追及のために作られていたと思われますが
ちなみに、現在「芸術」として鑑賞されるようになったものについても制作当時は強い批判にさらされたり、現代においてフェミニズム的視点などから批判的にとらえられることもあります
(参:http://supergaigaigigi.blog22.fc2.com/blog-entry-60.html)
(以前ツイッター上でもう少し詳しい、専門的な話も見かけたはずですが、失念してしまいました)

>露出やボディラインの少なく、なおかつ「(年頃の若い娘さんが着ても違和感のない)華のある」衣装

『あまんちゅ』というダイビングをテーマにした漫画がありますが、あの作品のダイビングスーツシーンは「華」がないですか?

hanyan0401 さん

まず、「胸の大きさ」については私の認識不足があった点がありましたことを認めます。
(ただし、そのことは問題の不在を意味するわけではありませんが。)

一方で着ているものについてですが、碧志摩メグのイラストを確認しますと、水にぬれているような描き方はされておりません。
布のシワの描き方、袖の袋といったものが完全に乾いた布の表現です。
それなのに、布がボディラインにぴったりとくっついているという、不自然なものになっています。

また、海へ潜るという表現であれば、水面から肩程度までを出し、正面に桶をおいて胸元は隠し、水中部分は描かないといった描き方もできますし、その方が海女を表すには良いのではないかと思います。

Arturo_Uiさん

>地元の海女の方々も不快感を呈していた

議論に目を奪われてこの重要な点を失念しておりました。
ご指摘いただき感謝いたします。

IlovenoelIlovenoel 2016/11/20 00:48 >Arturo_Ui氏
地元の反応眼科が「否定的」一辺倒ならともかく、どう贔屓目に見積もっても「賛否両論」レベルである以上は的外れと言わざるを得ませんね。

>上毛野すもの氏
少なくとも、「碧志摩メグ」にしてもルネッサンス期の彫刻にしてもあなた方のようなクレーマーのために創造されたキャラではない事は明らかです。
それから、後ろから殴りかかるような真似をしておいて「大した事ないだろう?」と言わんばかりの傲慢さが反発を買っている事は自覚なさるがよろしかろう。

hanyan0401hanyan0401 2016/11/20 03:34 >上毛野すものさん

 横やりで恐縮ですが。

>碧志摩メグは「非公認」となりながらも半ば公認のごとく下記のような公式サイトを運営し、活動を続けています

 活動自体は任意なのですから、非公認とされた後の活動をもって「半ば公認のごとく」と称するのは、妥当ではないと思います。

>のうりんポスターは画像を差し替え、「のうりん」というコンテンツの使用は続けられ、当然ながら原作も続いています

 問題視されたのはポスターの掲示であって『のうりん』という作品ではないので、仰るように当然ではないでしょうか。一方で問題とされたポスターの掲示は取り止められました

>駅乃みちかも指摘のあった部分の表現を変更することで使用されることになりました。

 「表現の変更だけで済んでいる(から問題ない)」というお考えなのでしょうか? それはそれで一つの見解ですが、今後、表現変更に留まる圧力や干渉が発生した際に問題視できなくなる、または問題とするなら説得的な二重規範の提示が求められるかと思われます。

>翻って『国が燃える』『靖国YASUKUNI』『南京1937』はどういう事態になっていたか

 私は挙げられた作品にまつわる騒動をいずれも問題だと考えていますが、その3作品の中で描写の変更があったもの、ないし事実上の連載打ち切りとなったのは、『国が燃える』だけではありませんか?
 『靖国 YASUKUNI』や『南京1937』は、表現の変更や全面的な上映の中止という事態は生じていなかったと記憶しています。

>「ヤクザ紛い」などという表現を使うに値するほどの圧力や「表現の自由」の侵害があったのか、

 「事態」に差があった作品を同列に並べる一方で、碧志摩メグや『のうりん』ポスター、駅乃みちかで生じた表現の改変、ないし掲示の取り止めについては、圧力の存在や表現への干渉に疑問を投げかけられているので、上毛野すものさんが「圧力や干渉に該当するライン」をどこに置いているのかが、率直に言って不明です。ちなみにですが、私はいずれの事例も圧力や干渉に該当すると認識しています。

>他者の人権とのぶつかりを踏まえた上での前三者に対する批判と、史実を攻撃したいがために行われた後三者に対する「批判」で何が違うのか、よくお考えになってください

 碧志摩メグや『のうりん』ポスター、駅乃みちかによって生じた人権の衝突とは、誰の人権が誰の人権と、どのような人権と人権が、いかなる理由で発生したのでしょうか? 特に駅乃みちかは、駅構内への掲示すら現時点では行われていないのですが。
 また「何が違うのか考えて欲しい」とのことですが、例えば対象となる表現が「萌え絵」と「ドキュメンタリないし史実を元にしたフィクション」と異なる場合、圧力や表現への干渉を考察する上で、両者にはどのような違いがあるのでしょうか?

>一方で着ているものについてですが、碧志摩メグのイラストを確認しますと、水にぬれているような描き方はされておりません。
>布のシワの描き方、袖の袋といったものが完全に乾いた布の表現です。

 その点は踏まえた上で「配慮」の可能性を、先のコメントで既に示しています。

>また、海へ潜るという表現であれば、水面から肩程度までを出し、正面に桶をおいて胸元は隠し、水中部分は描かないといった描き方もできますし、その方が海女を表すには良いのではないかと思います。

 アニメ作品やゲーム作品の公式サイト内にある「キャラクター紹介ページ」を参考にしているからだと推察しますが、私が知る限り、多くのキャラクターは、単一色の背景に全身絵という構図で描かれていますので、「水面に存在していて、かつ肩から下は見えない」という構図は特殊、少なくともキャラクターの「紹介」を目的としたイラストとしては、中々出て来ない発想のように思われます。

>地元の海女の方々も不快感を呈していた

 中日新聞のアンケートでは約7割が「公認及びデザインに問題ない」と回答し、志摩市が行った海女24人に対する聞き取り調査では、公認取り消しを求めたのは約3割だったそうです。

NEKNEK 2016/11/20 10:52 Ilovenoelさん

ルネサンス期の彫刻と自信満々に仰いますが
中世、キリスト教が強かった時代の彫刻がいかなるものだったか。
そして如何なる背景があったかご存知の上で仰っているのでしょうな?

>http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/kidlat/soturon/Itohsan2005.pdf


そして絵画ですが"裸のマハ"が、何故あれだけ美術史で重要視されるのか
これを描いたゴヤ、作品自体がその後どうなったかご存知の上で仰っているのでしょうね?

IlovenoelIlovenoel 2016/11/20 13:48 >NEK氏
「裸のマハ」が辿った顛末は寡聞にして存じませんが、ミケランジェロの「最後の審判」がどう言う運命を辿ったかは一般常識レベルでは知っていますよ。

だからこそ「あ・ん・な・悲・劇・は・二・度・と・繰・り・返・し・て・は・な・ら・な・い」と思っているわけで。

NEKNEK 2016/11/20 14:50 Ilovenoel
>、ミケランジェロの「最後の審判」がどう言う運命を辿ったかは一般常識レベルでは知っていますよ

嗚呼、恐らく…ですが褌の事ですね。
で、何故それがなされたか。誰がこの絵の非倫理性を如何なる根拠で言い、
そして教会がどの様な対応をとったか?
そしてミケランジェロ、ボルテルラーがどう応じたかはご存知ですよな?

最後の審判はまさしく
上毛野すものさんの
2016/11/17 21:47
>“公共団体によって使用される”というTPOは当然踏まえられた

> 2016/11/17 17:43
「表現を守ろうとする側」はPCの持つ歴史的背景や現在のPCの到達点について、表現者や送り手に啓蒙する・理解を促すといったことはしないのですか

と、言う事例ですから。

あ、後は下記リンク辺りが適切ではないのでしょうか?
http://togetter.com/li/446918?page=3

上毛野すもの上毛野すもの 2016/11/22 21:21 Ilovenoelさん

>あなた方のようなクレーマーのために創造されたキャラではない事は明らかです。

Ilovenoelさんは「ボディラインの出ている事例」として、そして「にも関わらず批判を受けていない、公に堂々と出ている」(とIlovenoelさんは思っていた)事例として「ルネッサンス期の彫刻」を出したのではないのですか?違うのであれば、具体的に、何の意図があってその事例を出されたのかお答えください

>後ろから殴りかかるような真似

具体的にはどのようなことを指していらっしゃるのでしょう?

hanyan0401さん

>私はいずれの事例も圧力や干渉に該当すると認識しています。

私も「干渉」には該当すると認識していますよ。
ただし、「ヤクザ紛い」という表現に値するような強い暴力性を持っているのか、内容の差し替え、連載の終了に至った『国が燃える』や、議員や右翼による圧力によって、当時ほとんどの映画館での上映が中止となった『靖国YASUKUNI』『南京1937』と比較したとき、「ヤクザ紛い」という強い表現を用いなければならないほどの表現の自由の侵害があったのか
そういうことを疑問視しています

>誰の人権が誰の人権と
大きく言えば、「表現者の表現の自由という人権」と「女性の人権」ですね
碧志摩メグについていえば、「女性+海女」の人権とも言えましょうか

すでに芸術作品の例にも触れましたが、
過去の人類史において(そして現代においても)「男性」と比較したとき「女性」は「表現」の中で性的な役割を、比較的表立って与えられることが多く、「ジェンダー」とも絡んでそれらに批判的検討が行われるようになったのは人類の歴史からすればつい最近のことです
「表現の中の女性」、特にそれが架空の表現であるとき、誰か特定の個人に対する直接の人権侵害となることはほとんどありません。
ですが、それらの表現が数多く社会に流通しているとき一種の「スタンダード」となり、それによって人権侵害を見えづらいものにしたり、そもそも人権侵害と認識されないような事態がおこります。
卵とニワトリではありませんが、当然その時の社会通念が表現に影響を与えますし、またその表現によって社会通念が形成されてゆきます

いま、フェミニズム、LGBTの運動などにおいてようやく抑えられてきたマイノリティに対する「普通」「当然」「対したことない」という名の「偏見」に対して声が挙げられるようになってきたのです

>特に駅乃みちかは、駅構内への掲示すら現時点では行われていないのですが。

とおっしゃいますが、「公認」され、「構内への掲示」が決められるというその事態そのものが「社会」、あるいは「東京メトロ」という公共性の高い団体が「その表現は受け入れられるものである」という意思の表明をすることにつながり、そういった認識の醸成につながるからこそ批判を受けたのだと私は思っています

>多くのキャラクターは、単一色の背景に全身絵という構図で描かれていますので

碧志摩メグには複数のイラストカットが使用されておりますね。
全身絵はボディラインのでない、乾いた磯着のものを用い、別のカットで「海へ潜る」部分の表現をするといったことも可能です。

>中日新聞のアンケート
https://twitter.com/aoshimamegu/status/659561537644855296/photo/1?ref_src=twsrc%5Etfw
こちらの碧志摩メグツイートに画像がありますが、「受け止め方に男女差」とあります。

約70%が「問題ない」と言っているといってもネット上では質問項目、その中の年齢比、男女比といった細かい情報がほとんどありません。
wikipediaで
>2015年10月23日〜2015年10月26日実施 中日プラス会員927人の回答
という実施期間と回答者がweb会員に限られるといったことが分かる程度です。
数字に意味がないとは言いませんが、一方で分析するには情報が少なすぎます。

海女さんに対する聞き取り調査についても、状況、質問方法等が分かりませんし、元々海女さんの人数もそれほど多いわけではないでしょうから仕方ない面もありますが、24人という数はちょっとしたことで簡単に比率の変わってしまう数です。

また、約3割(24人中6〜7人ということになりますね)の反対意見も当然尊重されなければなりませんし
(尊重する=採用するということではないことは重々承知してますよ?)

さらに言えば、時に抑圧や差別はそれを受けている当事者自身がそれと知らずに当然視していることもあるということも踏まえなければなりません。

hanyan0401hanyan0401 2016/11/23 15:22 >上毛野すものさん
>「ヤクザ紛い」という強い表現を用いなければならないほどの表現の自由の侵害があったのか

 再度の指摘となりますが、影響を程度問題としてラインを引き、ある影響までは許容するという立場をとるならば、それは説得的な二重規範を提示できない限りにおいて、どのような表現物でも一貫させなければならなくなります。「ヤクザ紛い」でなければ問題ない、または軽んじて構わないというご見解なのでしょうか?
 更に言うならば、そもそも私は「ヤクザ紛い」という形容を行っていませんが、その上で指摘をするならば、これは干渉を目的とする主体の言動や、目的完遂のための手段に対する比喩であって、影響のそれではないと思われます。
 さて蒼志摩メグを振り返った場合、公認撤回署名のある発起人は反対意見書の中で、蒼志摩メグを「(違法な)児童ポルノに該当する」「志摩の汚点」「存在の痕跡をネットも含め後世に残らないように、完全に抹殺せよ」と述べたそうです。これらは恫喝的、ないし「ヤクザ紛い」な言動とは言えないでしょうか? 少なくとも「児童ポルノに該当する」は完全な事実誤認であり(児童ポルノ禁止法における「児童ポルノ」の定義に合致しません)、言いがかりと断じて差し支えはないでしょう。ある目的、例えば金銭等を脅し取るために言いがかりを付けるというのは、ステレオタイプな「ヤクザ」のイメージの一つではあります。

>大きく言えば、「表現者の表現の自由という人権」と「女性の人権」ですね
>碧志摩メグについていえば、「女性+海女」の人権とも言えましょうか

 これは「女性」という集団に対する人権侵害ということで、山口貴士弁護士が言うところの「集団的人権論」に該当すると思われますが、「集団的人権論」に対する反駁は、その山口貴士弁護士が既に行われているので、そのまま引用させていただきます。http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2011/01/post-60e9.html
 要点だけを述べるならば、いわゆる「集団的人権論」には、以下の問題点が存在します。「1.人権を侵害された具体的な被害者が存在しないため、侵害の度合いを恣意的に判断することが可能になる」「2.当該集団に属する個人の自己決定権を無視している」「3.『集団』の対象が際限なく広がることで、広範な表現が『人権侵害』とされかねない」「4.ある表現をパージするための手段として悪用される可能性がある」。

>ですが、それらの表現が数多く社会に流通しているとき一種の「スタンダード」となり、それによって人権侵害を見えづらいものにしたり、そもそも人権侵害と認識されないような事態がおこります。

 ある表現物の流通が可視化されない人権侵害を発生させるということであれば、つまり公共団体等に関係なく、そのような表現物の存在それ自体を問題視されているというお立場なのでしょうか?

>卵とニワトリではありませんが、当然その時の社会通念が表現に影響を与えますし、またその表現によって社会通念が形成されてゆきます

 例えば碧志摩メグの問題とされたイラストによって、具体的にどのような社会通念が形成されるとお考えなのでしょうか?

>いま、フェミニズム、LGBTの運動などにおいてようやく抑えられてきたマイノリティに対する「普通」「当然」「対したことない」という名の「偏見」に対して声が挙げられるようになってきたのです

 「声を挙げる」こと自体は特に否定するつもりはありません。ただしマイノリティの主張が必ずしも正しいわけではもちろんなく、その主張の妥当性は常に検証され、時に否定や批判をされることもあるでしょう。マジョリティのそれと同じようにです。

>、「公認」され、「構内への掲示」が決められるというその事態そのものが「社会」、あるいは「東京メトロ」という公共性の高い団体が「その表現は受け入れられるものである」という意思の表明をすることにつながり、そういった認識の醸成につながるからこそ批判を受けたのだと私は思っています

 駅乃みちかは東京メトロ公式のキャラクターですが、「駅乃みちか(萌え)」は公認ではありません。トミーテックという民間企業の企画「鉄道むすめ」のイベントとして開催されるスタンプラリーのため、新規に描き下ろされたイラストです。つまり、東京メトロが主体となった企画で使用されるイラストではなく、あくまで「鉄道むすめ」ファンを対象とした企画で用いられるイラストです。「意思の表明に繋がる」とする論理は、私には飛躍していると思えます。
 また現時点で当該イラストの構内への掲示は決められていないと認識していますが(そもそもスタンプラリーの開催は来年2月からです)、掲示が決定されたとするとする一次ソースはありますか?

>全身絵はボディラインのでない、乾いた磯着のものを用い、別のカットで「海へ潜る」部分の表現をするといったことも可能です。

 一つのイラストで表現可能なものを敢えて分離するというのは、手間の意味でも、純粋に表現としても下策であると私には思えます。
 そもそも「可能です」というのは、別の選択肢の提示です。一方で上毛野すものさんの本来のご主張は、「何故あそこまで胸を大きくする必要があったのか」「何故あそこまで布を肌に付ける必要があったのか」という問いからも分かるように、問題となったイラストの必然性の否定です。しかし別の選択肢の存在は、イラストそれ自体の必然性を否定しません。

>数字に意味がないとは言いませんが、一方で分析するには情報が少なすぎます。

 「地元の海女の方々も不快感を呈していた」という、内訳も不明で曖昧な事実の摘示よりは、数字の方が参考になるかと思い提示させていただきました。反対意見を尊重するとして、反対意見が過半ではないならば、反対意見以上に尊重されるべき別の意見もまた存在すると言えるでしょうね。

>さらに言えば、時に抑圧や差別はそれを受けている当事者自身がそれと知らずに当然視していることもあるということも踏まえなければなりません。

 それを理由に第三者が当事者へ干渉して構わないとすると、当事者の自己決定権を無視することに繋がりませんので、極めて抑制的かつ慎重であるべきでしょう。といいますか、当事者が成人である場合、それは強いパターナリズムに該当します。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/11/26 17:58 hanyan0401さん

すみません、過去のコメントで一つ、今になって気になったことが

>批判の妥当性が十分に検討されることなく、表現に影響を与えてしまう。私はその点に問題があると考えます。

この件、「検討」の間、批判の対象となった表現はどうするのか、何をもって「十分」というのか、例えば碧志摩メグの公認についてどのような「検討」がなされれば「十分」であったのかお聞かせ願えますでしょうか?
(念のため、この質問はどちらかというと純粋な疑問です。)

山口弁護士のおっしゃっていることは、「集団的人権」と山口氏が定義したものを理由として、表現の自由を規制する“法律の制定は”、日本国憲法の規定する「人権」概念と異なることもあり、できない
ということですよね?
山口氏が「『人権』概念を用いているだけの屁理屈」だと言っているのも基本的に日本国憲法の「人権概念」として山口氏が解釈する「自己決定権を基調とする」というものによるのでしょう。

ですが、ここまでに出てきた「萌え表現」に対する批判の中で、主流の主張として法規制を求めるものというのはあったのでしょうか?

日本国憲法上の解釈により、法律の制定において「集団的人権」が存在しえないものだとして、女子差別撤廃条約、児童の権利に関する条約等においても「女性の人権」「児童の人権」「マイノリティの人権」を「存在しないもの」として扱えるのでしょうか?

ちなみに蛇足ですが、第4回世界女性会議 行動綱領 に書かれている「表現の自由に矛盾しない範囲」の記述は、政府、メディアに向けて、すなわち権力側に向けて書かれたものです。これも山口氏の論が法律の規定という限定された範囲内において述べているからこそ意味のある文言であり、碧志摩メグ等へのPCによる批判へ用いることはあまり適切ではないでしょう。

>これは干渉を目的とする主体の言動や、目的完遂のための手段に対する比喩であって、影響のそれではないと思われます。

これについては確かにご指摘の通りですので、影響面ではなく言動・手段の面で言い直すこととします

Ilovenoelさんコメントの

>「性的に強調された」デザインであるとする認識

の表明が「ヤクザ紛い」という表現を用いるに足るものなのでしょうか?
私がこの言葉にこだわったのは、これにせよ「ポリコレ棍棒」にせよ、その言葉を使用する人物が強い被害者意識を持っていると感じるためです。
しかし、過去に行われた表現規制・弾圧の程度、行った主体を考えた時、それは過剰な被害者意識ではないかと思うのです。
ここまでに出てきた「萌え」関連の表現に対する批判はいずれも市民から意見・要望の形で出たものであり、多数の政治家による介入や物理的妨害があったわけではありません。

ちなみに

『国が燃える』に対し都議会議員らが行ったこと
http://d.hatena.ne.jp/claw/00010110

『靖国 YASUKUNI』では国会議員による事実上の事前検閲がありました。
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20080317/1205745938
その結果
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20080401/1206982984

『南京1937』のスクリーン切り裂き事件は有名ですね

次に「反対意見書」について
まずその意見書の現物が現在のインターネット上で見ることができず、「てんたま」という方の要約
http://tentama.livejournal.com/2652.html
くらいしかないので詳細がわからない部分もあるという前提ですが

まず、「児童ポルノに該当」ということについて
少なくとも要約では

>設定も17歳で児童ポルノ法にひっかかる年齢

と、設定年齢の問題として出てきて、「児童ポルノに該当」とはありませんでした。

次に
>「存在の痕跡をネットも含め後世に残らないように、完全に抹殺せよ」
については、批判の範疇を超えた「過剰」な意見であり「ヤクザ紛い」と言っても過言ではないでしょう。
実際にそのような事態にまでなれば「表現の自由への弾圧」と私も考えたでしょう。

>可視化されない人権侵害を発生させる
どちらかというと逆です。「発生させる」のではなく「すでに存在する人権侵害をより見えにくくする」です

>具体的にどのような社会通念が形成されるとお考えなのでしょうか?

女性に対する性的な「モノ化」について、鈍感な社会形成に一役買うでしょう。
電車の中吊り広告、職場の水着ポスター等への批判などからようやく形成されてきた
カジュアルな性の消費を抑える社会の反動となるでしょうね。
もちろん、碧志摩メグの公認単体での影響は微々たるものです。ですが、公共団体が公認したという事実は確実に他の公共団体・民間での性的な表現に対するハードルを下げるでしょう。

>掲示が決定されたとするとする一次ソースはありますか?
訂正前の状態で「掲示が決定」されること事態が問題なのですからその質問は意味がありません

>しかし別の選択肢の存在は、イラストそれ自体の必然性を否定しません。
「別の選択肢」があるのであれば、その表現は「必然」ではなくなりますよね?

それから、アンケートについては「受け止め方に男女差」とあることもお忘れなく。

ご質問に対する返答としてはまだ不十分ですが、ひとまず現在可能なところまで

hanyan0401hanyan0401 2016/11/28 04:48 >上毛野すものさん
>この件、「検討」の間、批判の対象となった表現はどうするのか、何をもって「十分」というのか、例えば碧志摩メグの公認についてどのような「検討」がなされれば「十分」であったのかお聞かせ願えますでしょうか?

 まず当該イラストの「性差別」等の前提となる「性的に強調されている」という指摘からして賛否が分かれていましたが、志摩市や運営会社の公式見解として、その点についての言及はありませんでした。前提においてすら是非を検討した結果としての説明がないというのは、十分ではないと考えます。当然ながら、これは批判側の問題とは認識していません。

>山口弁護士のおっしゃっていることは、「集団的人権」と山口氏が定義したものを理由として、表現の自由を規制する“法律の制定は”、日本国憲法の規定する「人権」概念と異なることもあり、できない
ということですよね?

 先に提示したエントリでは「法的には」と強調されていますが、山口貴士弁護士は、ご自身のtwitterアカウントの固定ツイートで、このようにも述べられています。https://twitter.com/otakulawyer/status/682894470480723969 「自分(の不快感)」としている点から、私はこれは法規制ではなく、ある個人が「集団的人権論」を採用して表現の制約を正当化した主張への注意喚起だと解釈しましたが。
 またこれは余談になりますが、山口貴士弁護士は、碧志摩メグに関連するこのような署名に賛同するツイートをされています。https://twitter.com/otakulawyer/status/637788812752453632
 署名で示された要望の一部を引用いたします。
 >1:「碧志摩メグ」を含むいわゆる「キャラクター表現」を、「児童ポルノ」と結び付けて批判することはやめてください。児童ポルノとは、実在する児童に対する性的虐待の記録物であり、そのようなおぞましい性犯罪との同一視は、キャラクター表現にかかわる人々の人格を傷つけ、さらに社会の中に深刻な偏見を生みかねません。
 >2:描写手法が、いわゆる「萌え絵柄」であり「オタクが好む」とされるものであることを理由に、キャラクターの表象を実際に描かれている内容以上に性的であると評価して、公共の場からの過剰な排除の根拠とすることのないよう、公平な議論を望みます。
 >3:いわゆる「萌えキャラ」に愛着を持つことそれ自体について、他者が一面的な認識に基づいて性差別と主張するのは、偏見に基づく不当な決めつけであることを認識してください。

>ですが、ここまでに出てきた「萌え表現」に対する批判の中で、主流の主張として法規制を求めるものというのはあったのでしょうか?

 「女性(という集団)に対する差別である」という理由で、公認の撤回まで要求した主張ならば存在したと記憶しています。それは「ある個人が『集団的人権論』を採用して表現の制約を正当化した主張」には該当しないでしょうか?

>日本国憲法上の解釈により、法律の制定において「集団的人権」が存在しえないものだとして、女子差別撤廃条約、児童の権利に関する条約等においても「女性の人権」「児童の人権」「マイノリティの人権」を「存在しないもの」として扱えるのでしょうか?

 あくまで特定個人への人権侵害が存在しない、「ある集団への人権侵害」が、表現の自由を制約する根拠足り得ないということであって、「人権が存在しないものとして扱う」という結論は飛躍しています。それらマイノリティに属する特定の個人が被害者となるような表現については、現行法でも然るべき措置が取られるはずです。

>碧志摩メグ等へのPCによる批判へ用いることはあまり適切ではないでしょう。

 もちろん「集団的人権論」に基づく表現の制約は違憲性が強いという指摘と、「集団的人権論」に基づく批判は別ですが、前提となる「集団的人権論」が不当な論理であるならば、それに基づいた主張もまた、妥当性が問われるのではないでしょうか。「具体的な被害者が存在しないため、侵害の度合いを恣意的に判断することが可能である」「『集団』に属する個人の自己決定権を無視している」「対象となる『集団』が際限なく広がる」等の問題点は、共通して存在するはずです。

>表明が「ヤクザ紛い」という表現を用いるに足るものなのでしょうか?

 私は先に述べた通り「ヤクザ紛い」という形容を行っていませんが、これもまた先のコメントに書いたように、反対意見書の恫喝的な表現や、児童ポルノに該当する等の主張は、そう表されてもあながち的外れでもないのではと考えます。

>私がこの言葉にこだわったのは、これにせよ「ポリコレ棍棒」にせよ、その言葉を使用する人物が強い被害者意識を持っていると感じるためです。
>しかし、過去に行われた表現規制・弾圧の程度、行った主体を考えた時、それは過剰な被害者意識ではないかと思うのです。
>ここまでに出てきた「萌え」関連の表現に対する批判はいずれも市民から意見・要望の形で出たものであり、多数の政治家による介入や物理的妨害があったわけではありません。

 再三申し上げておりますが、批判の主体が政治家、ないし物理的妨害でなければ問題ない、または軽んじて構わないというご見解なのでしょうか?
 また『国が燃える』では、政治家からの抗議や批判はありましたが、公権力を行使した規制等が行われたわけではありません。それは市民からの批判や抗議とどう異なるのでしょうか? 萎縮等を招く怖れがあるので、政治家はそもそも表現物に対し、抗議や批判を行うべきではないというご見解なのですか? その場合、例えばレイシズムを肯定するような表現物であっても、批判等を控えるべきだということでしょうか。
>『国が燃える』に対し都議会議員らが行ったこと
>http://d.hatena.ne.jp/claw/00010110

 ここから確認できるのは、「議員が集英社に抗議文を提出した」という事実だけです。繰り返しますが、そもそも政治家は抗議や批判を行うべきではないということでしょうか?

>『靖国 YASUKUNI』では国会議員による事実上の事前検閲がありました。
>http://d.hatena.ne.jp/dj19/20080317/1205745938
>その結果
>http://d.hatena.ne.jp/dj19/20080401/1206982984

 上映中止に至ったのは、電話による多数の抗議や右翼団体の街宣活動の影響であったと記憶しています(そもそも引用記事に、「他の映画館や配給会社に上映中止を求める電話などがあった」と書かれています)。稲田朋美議員の見解自体は問題だと考えますが、発言と上映中止に因果関係があるとするのは飛躍していないでしょうか。また「電話による多数の抗議」や「右翼団体の街宣活動」の主体は、市民なのではありませんか。

>と、設定年齢の問題として出てきて、「児童ポルノに該当」とはありませんでした。
 架空の表現物は、そもそも児童ポルノ禁止法の対象とはされません。ですから架空キャラクターの年齢を問題することに意味は全く存在しません(付け加えるならば、仮に架空のキャラクターではなく実在児童であっても、あの程度の表象では3号ポルノには該当しないでしょうが、それはさておき)。にもかかわらずイラストを児童ポルノ禁止法に照らし合わせているのですから、それは児童ポルノとみなしていることと同義と言えるでしょう。知らずにそうしているのならば無知ですし、承知の上で行っているならば悪質です。

>どちらかというと逆です。「発生させる」のではなく「すでに存在する人権侵害をより見えにくくする」です

 具体的にどのような人権侵害が、いかなる過程を経て「見えにくく」なるのでしょうか?

>女性に対する性的な「モノ化」について、鈍感な社会形成に一役買うでしょう。

 「性的モノ化」はラディカル・フェミニストであるアンドレア・ドゥオーキンが提唱した概念ですが、アンドレア・ドゥオーキンはキャサリン・マッキノンと共に、反ポルノグラフィ運動を展開しました。「性的モノ化」を否定するならば、ある性を性的な対象とすることを前提とした表現物(ポルノグラフィ)も否定するのは論理的必然と言えます。
 先の問いにお答えいただけなかったようなので再度お尋ねしたいのですが、そのような表現物の存在や流通それ自体を問題視されているというお立場なのでしょうか?

>電車の中吊り広告、職場の水着ポスター等への批判などからようやく形成されてきた
>カジュアルな性の消費を抑える社会の反動となるでしょうね。

 「カジュアルな性の消費」が行われることで、具体的にどのような実害が生じるのでしょうか? ちなみに職場でのヌードグラビアの掲示については、「見ない権利」との調整を行った結果、つまり不快感情への配慮だと私は理解していますが。

>もちろん、碧志摩メグの公認単体での影響は微々たるものです。ですが、公共団体が公認したという事実は確実に他の公共団体・民間での性的な表現に対するハードルを下げるでしょう。

 最初に書きました通り、碧志摩メグのイラストを「性的な表現」とみなすことへは賛否が分かれるかと思われますが、それはさておき、民間で流通している表現物であっても、性的な表現の内容それ自体に一定のハードル(禁忌?)が存在するべきだというご見解なのでしょうか?

>訂正前の状態で「掲示が決定」されること事態が問題なのですからその質問は意味がありません

 いえ。「掲示は現時点で決定されていない」という指摘なのですが。

>「別の選択肢」があるのであれば、その表現は「必然」ではなくなりますよね?

 選択においては必然ではなくなりますが、元のイラストの必然性が否定されていない以上、選択は表現者の任意ということになるのではないでしょうか。

>それから、アンケートについては「受け止め方に男女差」とあることもお忘れなく。

 意見は性別を問わず、公平に尊重されるべきだと考えます。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/11/28 18:24 hanyan0401さん
とりあえず一点のみ、碧志摩メグでものうりんでも駅乃みちかでも、現代日本における、女性の性的表現の文脈において、

>意見は性別を問わず

というのは、「公平」にはあてはまりません。

hanyan0401hanyan0401 2016/11/28 19:16 観光振興という利点に鑑みて是非を考えるなら性別は関係しませんし、具体的な被害者の存在しない本件において性差別という観点から見ても、差別性が存在するという論理の妥当性を問うのに、性別は無関係であると私は考えます。「公平」に、論理の正当性のみが問われるべきでしょう。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/11/30 19:06 hanyan0401さん

>説得的な二重規範
というのがいまいち掴めません。程度の違い、主体の違いを考慮することに二重規範が必要ですか?

> ある表現物の流通が可視化されない人権侵害を発生させるということであれば、つまり公共団体等に関係なく、そのような表現物の存在それ自体を問題視されているというお立場なのでしょうか?

「表現物の流通」あるいは「表現物の存在」それ自体ではなく、その主体、程度、ゾーニングに代表されるような流通の範囲などが問題です。ですから、公共団体の活動や公共性の高いTVCM等においては表現のPCはより厳しく批判的な目が向けられなければなりません

>それを理由に第三者が当事者へ干渉して構わないとすると

私は別に「干渉」を目的として「抑圧や差別」の「当然視」を持ち出したわけではありません。アンケートの表面上の数値だけで安易な結論を出さないためです。

>アカウントの固定ツイート

その固定ツイートの主張を裏付ける学問的根拠は何でしょうか?法律の範囲内という話であれば、山口氏は専門家であり私は素人ですから、別の専門家による法解釈等を見るなどするまではいったんそれを正しいものとして尊重しますが、法律を越えた、社会学的事象への主張であれば、別途主張を裏付けるような根拠が欲しいです。

ちなみに、こちらの記事では「沖縄県民」あるいは「少数者」という「集団」のものとして「人権」が扱われていますね(執筆者は国際人権法の研究者のようです)

「人権」が理解されない日本
http://www.huffingtonpost.jp/saul-takahashi/human-rights-japan_b_13238360.html

>それは「ある個人が『集団的人権論』を採用して表現の制約を正当化した主張」には該当しないでしょうか?

「主流の主張として法規制を求めるものというのはあったのでしょうか?」への答えになっていませんね

>あくまで特定個人への人権侵害が存在しない、「ある集団への人権侵害」が、表現の自由を制約する根拠足り得ないということであって、「人権が存在しないものとして扱う」という結論は飛躍しています。
>前提となる「集団的人権論」が不当な論理であるならば、それに基づいた主張もまた、妥当性が問われるのではないでしょうか。

結局、山口氏の言うところの「集団的人権」は“日本国憲法の枠内において”「『人権』概念を用いているだけの屁理屈」なのか、“法律を越えた普遍的な概念において”「『人権』概念を用いているだけの屁理屈」のどちらなんですか?

>私は先に述べた通り「ヤクザ紛い」という形容を行っていませんが

それは“Ilovenoelさんの発言に対し”その被害者意識に疑問を持ってのことですから、ご自身でわざわざ「横槍」と断りを入れられてもいるように、hanayan0401さんがそうおっしゃっていないことは百も承知です

あくまでもIlovenoelさんの

>「性的に強調された」デザインであるとする認識自体が「ヤクザ紛いの見当はずれな言い掛かり」だからこそ非難される羽目になってる、って事は判ってます?

というコメントに対する質問でしたから。


> 再三申し上げておりますが、批判の主体が政治家、ないし物理的妨害でなければ問題ない、または軽んじて構わないというご見解なのでしょうか?

批判の主体、批判・妨害の程度は当然考えなければいけないに決まってるではないですか。
だからといって批判の主体が市民であったり物理的なものが無ければ「問題ない、または軽んじて構わない」などという極端なことまでは言いません。

>そもそも政治家は抗議や批判を行うべきではないということでしょうか?

政治家=現職議員としますと、自身への名誉棄損など直接関連があるような表現、明確な人権侵害を起こしている表現などを除いて、政治家は特にそういった表現へ介入するような行動には慎重になるべきでしょうね。何故なら政治家(現職議員)は公権力を委託されているのですから。

>稲田朋美議員の見解自体は問題だと考えますが、発言と上映中止に因果関係があるとするのは飛躍していないでしょうか。

政権与党の議員が省庁(文化庁)を通して「試写会」を行い、「中立性」を疑問視した。しかもその議員はあの稲田朋美氏ですよ?稲田氏の政治的立ち位置と周辺の政治家・団体を考えれば、上映に対して有形無形の圧力となったことはまず間違いないでしょう?

>それは児童ポルノとみなしていることと同義と言えるでしょう。

「児童ポルノに該当」という意見そのものは存在しなかった可能性が高いことについては同意いただけますか?

>差別性が存在するという論理の妥当性を問うのに、性別は無関係であると私は考えます。

アンケートについては前述の通り情報が少ないですが、碧志摩メグという表現の受容の文脈で行われているであろうことは、その少ない情報からでも類推することができます。
「観光振興という利点」「差別性が存在するという論理の妥当性」は、アンケートそのものについて語る文脈においては少し話が逸れてしまいます。
先日リンクを貼ったツイートの画像を見るに、一応自由回答部分もあるようですが、「論理の妥当性」を測れるほどの量ではないようですし、そもそもその内容を知ることができません。
それとも、hanyan0401さんは自由回答の内容をご存知の上で「論理の妥当性」ということをおっしゃっているのでしょうか?
そして、アンケートそのものではなく、その結果から「差別性」について語ろうとするとき、アンケートに対する“男女の受容の差”は決して無視できません。

例えば、曽野綾子氏のアパルトヘイトについての産経新聞コラムに関して「あなたは問題があると思いますか?」というアンケートを海外で取ったとして、「白人・黒人」というカテゴリ(あるいは、現在ならばトランプ支持者か否かというカテゴリ分けなども使えますかね)を無視してアンケート結果の数字だけを見ることに意味がありますでしょうか?

hanyan0401hanyan0401 2016/12/01 12:54 >上毛野すものさん
>程度の違い、主体の違いを考慮することに二重規範が必要ですか?

 違えた判断基準が二重規範であり、二重規範を適用するならば、説得的な理由が求められるということです。「主体が異なる」「程度が異なる」で完結していては説明になっていません。例えば萌えフォビアな人が、自分が萌え絵を好まないからという理由で、萌え絵に限って表現の自由を軽んじて構わないとする主張は、説得的とは言えませんよね。

>ゾーニングに代表されるような流通の範囲などが問題です。

 「流通の範囲」とは、具体的にどのようなゾーニング施策を指しているのでしょうか? 現在小売店等で実施されているゾーニングは、青少年の健全育成を理由とした区分陳列や販売・閲覧制限が主で、未成年が対象です。「見ない権利」との調整という意味でのゾーニングは考えられますが、それは性差別を理由としているわけではありません。

>公共団体の活動や公共性の高いTVCM等においては表現のPCはより厳しく批判的な目が向けられなければなりません

 公共団体の活動やTVCMで時に「性的」と一部から批判される、解釈というデコードを前提とした表現よりは、ポルノグラフィの方がある性を直接的に性的な対象と「まなざして」いるのはポルノグラフィの定義からも自明ですが、ポルノグラフィが成年に対しては特に制約もなく流通しているという社会状況を問題視せず、公共団体やTVCMの表現に対してより厳しくあらねばらないする根拠は何でしょうか? 是非は別にして、女性差別を理由にポルノグラフィの規制を訴えているラディカル・フェミニストの方が、一貫した態度だと私には思えますが。
 またやはり「人権侵害」の具体例が不明ですので、例示をお願いいたします。

>私は別に「干渉」を目的として「抑圧や差別」の「当然視」を持ち出したわけではありません。アンケートの表面上の数値だけで安易な結論を出さないためです。

 当事者に自覚のない抑圧や差別は、必ずしも是正を目的として干渉される必要性はないが、それを抑圧ないし差別だと、第三者が第三者の価値観に基づいて汲み取る必要があるということでしょうか? それはやはり当事者の自己決定権が無視・軽視されていると私には思えますが。

>その固定ツイートの主張を裏付ける学問的根拠は何でしょうか?

 誤解があるようですが、私は山口貴士弁護士のエントリを、法的に正しいという理由で引用したわけではありません。「集団的人権論」の論理自体の不当性や問題点が、簡潔かつ分かりやすく示されていたので引用いたしました。従ってこの場合、氏の弁護士という肩書きもあまり意味はありません。
 そしてエントリでは「法的に」と強調されていましたが、必ずしもそれに限定されているわけではないことを示す目的として、固定ツイートを重ねて引用させていただきました。

>ちなみに、こちらの記事では「沖縄県民」あるいは「少数者」という「集団」のものとして「人権」が扱われていますね(執筆者は国際人権法の研究者のようです)

 拝見しましたが、「社会があるグループに対する差別を許してしまうとそれは必ず他の少数者にも拡大し、社会が破綻へと向かう」とする機序(なぜ必ず拡大するのか? なぜ拡大することで社会は破綻するのか?)が不明であると感じました。
 また表現という観点から見た場合、差別的な表現に批判的であることと、差別的な表現それ自体の制約を肯定することは別であるはずです。私は前者を否定するつもりはありません。
 ちなみにですが、私は当該記事についてはご提示される前から既読で、このようなブコメを先日残しました。http://b.hatena.ne.jp/entry/310287228/comment/hanyan0401
 私は自民党改憲草案には否定的で、特に「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」への変更には強く反対する立場ですが、草案について筆者がどう考えられているのかはお尋ねしたいところですね。

>「主流の主張として法規制を求めるものというのはあったのでしょうか?」への答えになっていませんね

 元より法規制を求める主張のみ問題視しているわけではありませんので。

>結局、山口氏の言うところの「集団的人権」は“日本国憲法の枠内において”「『人権』概念を用いているだけの屁理屈」なのか、“法律を越えた普遍的な概念において”「『人権』概念を用いているだけの屁理屈」のどちらなんですか?

 「集団的人権論」の論理そのものが不当だと考えられていて、その双方だと私は理解しています。

>批判の主体、批判・妨害の程度は当然考えなければいけないに決まってるではないですか。

 これも先に書きました通り、主体や程度を理由に二重規範を適用するならば、説得的な理由が求められるでしょう。

>政治家=現職議員としますと、自身への名誉棄損など直接関連があるような表現、明確な人権侵害を起こしている表現などを除いて、政治家は特にそういった表現へ介入するような行動には慎重になるべきでしょうね。何故なら政治家(現職議員)は公権力を委託されているのですから。

 そうしますと京都朝鮮学校公園占用抗議事件のような特定の被害者や、「明確な人権侵害」だとする法的根拠が存在しない、集団を対象としたヘイトスピーチに対する政治家の批判や抗議等もまた、表現への介入となりかねないので慎重であるべきだという理解で正しいでしょうか? といいますか、名誉毀損は「明確な人権侵害」に該当しますので、「自身への名誉棄損など直接関連があるような表現、明確な人権侵害を起こしている表現」は、敢えて分ける必要はないと思われます。
 また公権力を理由に政治家とそれ以外で基準を違えられていますが、それが公権力の直接的な行使ではなく、存在自体が抑圧として機能するという理由であるならば、公権力以外でもある種の抑圧として働く例はあるのではありませんか。 例えば「多数」はどうですか? あるいは「政治的に正しい」とされる「ポリティカル・コレクトネス」は? 「多数」と「ポリティカル・コレクトネス」が複合されたケースは? 複合という視点で見れば、「マイノリティ」と「ポリティカル・コレクトネス」はどうでしょうか? 最後の例は「メリー・クリスマスではなくハッピー・ホリデーズを使用する」が該当しそうですが。

>政権与党の議員が省庁(文化庁)を通して「試写会」を行い、「中立性」を疑問視した。しかもその議員はあの稲田朋美氏ですよ?稲田氏の政治的立ち位置と周辺の政治家・団体を考えれば、上映に対して有形無形の圧力となったことはまず間違いないでしょう?

 報道されている限りでは、上映中止の理由は「多数の電話による抗議や右翼団体の街宣活動」とされており、稲田知美氏による何らかの行動や発言ではありません。稲田知美氏の意見表明が、電話での抗議者なり右翼団体なりに影響を及ぼしたのであれば、間接的な影響が存在したとも言えるでしょうが、映画館に直接的な「有形無形の圧力」を与えていませんし、間接的な影響すら根拠には乏しいです。
 そう考えた場合、『靖国 YASUKUNI』への「多数の電話による抗議や右翼団体の街宣活動」は、碧志摩メグに対する「インターネット上の多数の抗議や市民団体の署名活動」と何が違うのでしょうか?

>「児童ポルノに該当」という意見そのものは存在しなかった可能性が高いことについては同意いただけますか?

 そうですね。それでは「児童ポルノに該当するとした、事実誤認で不当な意見」を、「違法な児童ポルノとみなすような、事実誤認で不当な意見」と改めます。

>そして、アンケートそのものではなく、その結果から「差別性」について語ろうとするとき、アンケートに対する“男女の受容の差”は決して無視できません。

 誤解を与えてしまったようで恐縮ですが、私の「性別に関係なく論理の正当性のみが問われるべき」とは、(碧志摩メグの是非を問う)アンケートという個別事例に対してではなく、一般論としてです。そもそも上毛野すものさんの、「碧志摩メグでものうりんでも駅乃みちかでも、現代日本における、女性の性的表現の文脈において」を前提とした主張に対する反論のつもりでしたので。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/12/05 18:10 hanyan0401さん

読み返して「二重規範」の表現に合点がいきました

そして
>「ヤクザ紛い」でなければ問題ない

と考えているわけでは無く、すでに説明した通りIlovenoelさんの表現に現れる強い被害者意識を問うてのコメントでしたので、まずその点を再度述べておきます

さて、
>例えば萌えフォビアが

この例えでおっしゃるのであれば
『国が燃える』『靖国YASUKUNI』では、現職議員という政治権力が表現に対する介入を行いました。
『南京1937』では、スクリーン切り裂きという暴力行為が行われました。

対して、Ilovenoelさんがおっしゃった
>「性的に強調された」デザインであるとする認識
を表明したのは一般市民であり、その表明も要望書・署名・インターネット上の記述など常識的な意見表明の方法が取られています。

この2者を比較して
表現の自由が何よりも権力からの自由である点も踏まえますと、「表現に対する介入」への評価において異なる(二重)規範を用いるに十分に「説得的」であると考えます。

hanyan0401hanyan0401 2016/12/06 05:02  民間企業が主催する「鉄道むすめ」のスタンプラリー用に描き起こされた「駅乃みちか」のイラストを、公共性を理由に批判した方は、それよりも広く認知され報道量も比較にならないくらい多い流行語大賞で、「日本死ね」というフレーズを含む語が受賞したことを、どのように捉えているのだろうかと思いつつ。ちなみに私はどちらも肯定する立場です。

>上毛野すものさん
>すでに説明した通りIlovenoelさんの表現に現れる強い被害者意識を問うてのコメントでしたので、まずその点を再度述べておきます

 一つ質問なのですが、上毛野すものさんは例えばセクハラについては、程度で線を引いた上で、上毛野すものさんが考えるところのラインに達していないような行為については、「被害者意識が強い」という表現をしたり、それを問われたりするのでしょうか? 私は被害感情が被害者の主観で決まるのは当然で、第三者は主観でそれに干渉したり否定をするべきではなく、第三者がラインを設けるならば、法や裁判所の判断といった客観で行われるべきだと考えますが。

>『国が燃える』『靖国YASUKUNI』では、現職議員という政治権力が表現に対する介入を行いました。

 先に述べました通り、前者は公権力を行使したわけではなく、あくまで地方議員による抗議文の提出です。国会議員が試写会を要求した後者とは「程度」に差があり、両者を一括りにして「政治権力の表現に対する介入」と称するのは乱暴だと私には思えます。
 またこれも先に述べましたが、政治家の抗議が「政治権力の表現に対する介入」に該当するならば、それは人種等の集団を対象としたヘイトスピーチに対する政治家の抗議もまた、同様に介入と考えられているという理解で正しいでしょうか。

>『南京1937』では、スクリーン切り裂きという暴力行為が行われました。

 これ自体は明らかな犯罪行為ではありますが、こうした例を特に強調されるのは、違法とは言えない、または物理的な妨害を伴わないような抑圧を矮小化することにも繋がりかねないのではないでしょうか。

>一般市民であり、その表明も要望書・署名・インターネット上の記述など常識的な意見表明の方法が取られています。

 繰り返しますが、これは『靖国 YASUKUNI』への「多数の電話による抗議や右翼団体の街宣活動」と違いがないように思われますが、「多数の電話による抗議や右翼団体の街宣活動」は、少なくとも手段という点では特に問題視されていないという認識で正しいでしょうか。街宣活動は限度を超えた騒音や交通の妨害、無許可の道路使用等、公共の福祉に反しない限りにおいて表現の自由で保障される行為であり、電話による抗議の主体や右翼団体は「一般市民」であるはずです。

>表現の自由が何よりも権力からの自由である点も踏まえますと、「表現に対する介入」への評価において異なる(二重)規範を用いるに十分に「説得的」であると考えます。

 上述の理由から、説得的であるとは少なくとも私には思えません。敢えて言うならば、上毛野すものさんが問題視されている例は、いずれも歴史修正主義的であるという点で共通しており、抗議ないし批判の主体や手段よりも、介入された表現が史実または史実に基づく創作か否かで判断基準を違えているという印象を拭えません。
 そうではない、表現内容で基準を違えてはないということならば、上毛野すものさんのお立場からは、少なくともこう述べられることは可能ではないでしょうか。「一般論として、特定個人の被害者が存在しない、人種等の集団を対象としたヘイトスピーチへの政治家の抗議もまた、表現に対する介入であり、特に慎重であらねばならない」と。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/12/06 21:35 hanyan0401さん
ひとまず一点だけ

>要望書・署名・インターネット上の記述

>多数の電話による抗議や右翼団体の街宣活動

「違いがない」とお考えなのですか?

hanyan0401hanyan0401 2016/12/07 04:43 >上毛野すものさん
>「違いがない」とお考えなのですか?

 すみません。説明不足だったかもしれません。まず上毛野すものさんが列挙された手段ですが、碧志摩メグ関連の報道で確認できた範囲から照らし合わせて抜けているものとして、「志摩市役所へのメールや手紙、直接訪問による公認撤回の要求」があります。「電話による抗議」とそれらは手段としては概ね等しく、かつ主体はどちらも市民である。これは異存ないだろうと思われます。
 次に署名の提出と街宣活動の比較ですが、前者の中心となった団体の一つに、「明日少女隊」というグループがあります。当該グループは「社会派アートグループ」を自称しており、活動目的が今一つ分かりづらいのですが、公式サイトの活動報告を見る限りでは、ある社会運動を目的とした市民団体という理解で正しそうです。主体はこちらも市民であるとしましょう。
 一方後者ですが、報道では右翼団体とされています。私は右翼団体の主体も市民とみなして差し支えないとする立場です。そして街宣活動と署名は手段として同一ではありませんが、共に示威をもって主張を示すという点では共通しており、適法である限りにおいて扱いを違えるべきではないと考えています。適法な街宣活動の否定は、デモの否定と同義であると考えますが、いかがでしょうか。ゆえに「(街宣活動は)公共の福祉に反しない限りにおいて表現の自由で保障される行為」と述べました。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/12/09 18:48 色々とたまってしまったので連投させていただきますhokke-ookamiさん申し訳ございません

まずは直近の2回分のコメントについて

>2016/12/07 04:43

>志摩市役所へのメールや手紙、直接訪問による公認撤回の要求
>電話による抗議

こちらについては「手法」としては確かに「概ね等」しいですが、「程度」の問題は残ります
右翼による所謂「電凸」では通常業務に大いに支障が出るレベルで行われること、内容も恫喝的であることは知られています
(例 http://article9.jp/wordpress/?p=4114)
志摩市役所に対しての抗議がどの程度であったのかを示す情報などはございますでしょうか?

>街宣活動と署名は手段として同一ではありませんが、共に示威をもって主張を示すという点では共通しており

「示威をもって主張」という点が共通だとしても右翼の街宣活動と市民(団体)による署名の提出では実態に大きな隔たりがあります。共通点だけ持ち出しても意味がありません。

http://d.hatena.ne.jp/kitano/20041209/p2
こちらの記事の「正氣塾」の例などのように、右翼による「街宣活動」はその暴力の歴史と切り離すことができません。直接的な暴力の意思表示はなくとも、右翼はその背後にある暴力をチラつかせるだけで十分な意思表示となるのです。
もちろん、デモをはじめとした街宣活動は市民に認められた権利でありその思想に関わらず認められるべきだと考えますが、だからといって右翼のそれを右翼の歴史と切り離して街宣活動一般と単純に同等視することには注意を払う必要があるでしょう。
認められている・合法であることや、名目上・分類上共通の手法であることは中身の違いとは別の話です。
「明日0香少女帯」あるいはそのメンバーに、過去暴力的な行為で知られていたといった事実や、日本の現代史の中で「明日香少女帯」に類するような団体が「右翼」のそれと変わらない程度に暴力事件等をおこし、結果として「活動」の背後にその意図の有無にかかわらず暴力が見え隠れする、といったことはありますか?


>2016/12/06 05:02

>「日本死ね」
hanyan0401さんはどのような理由からこのフレーズを「肯定」なさっているのですか?例えば「韓国死ね」も同様に認められるべきというお考えですか?

>セクハラ
セクハラと碧志摩メグ等に関する事象とではその事象の構造が違うため質問として的外れです。
「被害者意識」という点に着目してのご質問でしょうが、セクハラには多くの場合その背景に加害者と被害者の力関係(権力構造)の問題も関わっています(もちろんそれ以外にも社会におけるジェンダー意識の問題等もありますが)。それに対してここでの主論点である「表現」の問題では当事者間の「表現―批判―対応」の関係と、外からの「反批判」「批判への同調」という関係があり、表現の利用を表明した公共団体等や表現の作成者と批判を行った市民の間にセクハラのような構造はほとんど存在しません。

>あくまで地方議員による抗議文の提出
「地方議員」という段階で公権力と不可分ですよ。

>ヘイトスピーチに対する政治家の抗議
そうですね「介入」です。
しかし「明確な人権侵害を起こしている表現などを除いて」とすでに述べています。また、『国が燃える』とは全く文脈が異なり、これを不当な介入とはみなしません

>物理的な妨害を伴わないような抑圧

それは別途事例を提示していますよね。

>右翼団体は「一般市民」
「一般市民」というカテゴリと同時に「右翼」というカテゴリも所持しており、その活動の歴史も付随します

>歴史
私の興味関心がそちらに向いていますので、すぐに浮かんだのがその事例でした。
他に事例を挙げるならば、同じく歴史改ざん主義関連ではNHKの「女性国際戦犯法廷番組改変問題」が、それ以外では自民党による「公平中立な報道を要請する」文書、二次元の表現問題では「松文館裁判」問題などが強く否定されるべき、権力による表現への介入として挙げられるでしょうか

>一般論としてです。
「一般論として」なら「そりゃそうですね」としか。
まあ、私の2016/11/28 18:24のコメントも確かに紛らわしかったというか、わかりづらかった面はありますのでその点はお詫びいたします。「碧志摩メグに対するアンケートの文脈」“かつ”「女性の性的表現の文脈」と述べればよかったですね

上毛野すもの上毛野すもの 2016/12/09 20:04 >具体的にどのようなゾーニング施策を指しているのでしょうか?

「代表されるような」と言っているように、「ゾーニング」はあくまでも「流通」に関する一例にすぎません。また、「その主体、程度、ゾーニングに代表されるような流通の範囲など」でひとかたまりです。商業流通のポルノグラフィティと公共団体公認の元掲示されるポスターでは意味合いが異なります。公共団体による掲示となれば、役場等のより公共性の高い場所・全ての人が容易にアクセスできる場所にも掲示されますが、「ポルノグラフィ」はそのような場所に流通していません。

そして
>ポルノグラフィが成年に対しては特に制約もなく流通している
とおっしゃいますが、「ゾーニング」は(コンビニ陳列の問題など残ってはいるもの)「制約」の一つですし、TVCMのように強制的に配信されるようなものでもありません。

尚、ポルノグラフィティの表現内容の一部(強姦神話の肯定など)は私も批判的に見ている立場です。ただしそれは言論による批判や性教育の浸透によって少しずつ改善されるべきとも考えておりますが。

ちなみに
>「見ない権利」との調整という意味でのゾーニングは考えられますが、それは性差別を理由としているわけではありません。

「職場の水着ポスター」などの事例は「性差別」(セクシャルハラスメント)と「見ない権利」どちらにも関係することですよね


>それはやはり当事者の自己決定権が無視・軽視されていると

どのように「無視・軽視」されていますか?
少し極端な例を挙げますが、「女性に高学歴は必要か否か」というアンケートが戦前に行われていたとして、それを分析しようとするとき、「当事者に自覚のない抑圧や差別」を考慮することは必要ありませんか?


>山口貴士弁護士

すでにご存知かもしれませんが、こちらでは同じく弁護士である小倉秀夫氏が法的な立場から異なる見解を述べておられますね

集団的人権論についての考察
http://togetter.com/li/986572

紹介されている『集団に対する侮辱的表現―ドイツの憲法判例を素材に―』のドイツの事例はかなり厳格で、ここで“私が持ち出した”「女性の人権」は「大規模集団除外の原則」に該当しドイツ最高裁で法的な根拠とはなり得そうにありませんが、一方で「例外」にも言及しているように、安易な切り離しはされていないようです。

まあ、いずれも「法律」の範囲内の話ですね。

同まとめ内の社虫太郎氏のコメント
>集団的人権という語はミスリーディングだから使わないほうがいいと思う。
 「集団が集団として」人権を持つのではなく、人種民族カテゴリーへの中傷がそのカテゴリーに当てはまる「個人の」人格権を侵害するというだけのこと。

というのも一つ考える指針となるように思います(碧志摩メグや駅乃みちかが、即「女性」への「中傷」になっていると言うのとは少し違いますよ)。

そして私としては
>社会学的事象への主張であれば、別途主張を裏付けるような根拠が欲しいです。
という疑問が残っています。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/12/09 20:56 すみません、一つ上のコメントとこのコメントは 2016/12/01 12:54 に対するものです
それから「一般論として」はこの日時のコメントでしたね、その点お詫びいたします。

>機序(なぜ必ず拡大するのか? なぜ拡大することで社会は破綻するのか?)

マイノリティ女性に対する複合差別
http://www.geocities.jp/humanrightspolicy/past/rs026/04.html
>「複数の差別が、それを成り立たせる複数の文脈のなかでねじれたり、葛藤したり、ひとつの差別が他の差別を強化したり、補償したり、という複雑な関係にある。」

こちらの内容は概観的なもので不十分ではありますが、一例として提示させていただきます。こちらに名前の挙がっている研究者らの著作・論文等を読むことで機序への理解につながるのではないでしょうか

>社会の破綻
アメリカにおける貧困と有色人種差別(特に黒人差別)の関係は多く語られるところです。「どの社会にも貧困は存在する」とおっしゃられるかもしれませんが、当然ながら各社会において貧困には複数の要因が複雑に絡んでおり、あくまでも米国の人種差別は米国社会に貧困(それに伴う犯罪等)を生み出す要因の一つとして、しかし、大きなものとして存在しています。
また「貧困のある社会が破綻しているのであれば、破綻していない社会など存在しないではないか」といったことをお考えになるかもしれません。それは、「社会の破綻」を「全てが壊れてしまった状態」と見るからで、まず「社会」そのものが一国の中でも複層構造で存在しており(例:地域社会)「国」単位で見た時には一部の「破綻」であったとしても、そのなかの一集合としての「社会」に深刻なダメージが発生していることもありますし、「国」レベルの部分的なそれもまた「破綻」であると私は考えます

アメリカに限らず、差別問題は貧困問題につながりやすいですね。何故なら就学差別、就職差別につながりそれは当然収入格差と負のスパイラルにつながりますから。

もう一つ、「差別」が「社会の破綻」を生んだ事例として、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」も挙げておきます。
近代国家において、一般市民が同じ社会に住んでいた市民を虐殺するというまさに「社会の破綻」です

関東大震災における朝鮮人虐殺――なぜ流言は広まり、虐殺に繋がっていったのか
http://synodos.jp/society/11601
こちらによりますと、朝鮮人に対する差別だけではなく女性差別も複合的に重なったようです

少し前に話題になったAV強要問題は女性差別の側面に加えて知的障碍者差別の側面もあります。社会的な救済の網が弱い立場の人を取りこぼしており、こういった公的な補助へのアクセス・つながりを持つ力の不均衡は構造的な差別です。「一つの差別が別の差別を生んで」というものとは異なりますが差別が多層的に重なり合っている事例です


>ブコメ
自民党憲法草案の差す「公」と言うのが、≒「国家・政府」(「統治者」「お上」と言った方が良いかもしれません)であることは、例えば百地章氏の言動などを見ていてもわかることです。そして、あの憲法草案を支持する人たちのいう「公」「国家」を有する「社会」は、父権的家族観、男性中心主義、自民族中心主義の、マイノリティの存在そのものを「無い」こととする、「存在」したとしても「自分たちの認める範囲で存在することを許す」というレベルの「社会」です。それは、同性愛者に対する自民党議員の発言などにも表れています。
高橋宗瑠氏の想定する「社会」と自民党憲法草案の想定する「公」「社会」は異なるものである可能性が高いと私は考えます

>筆者がどう考えられているのか
高橋氏は1冊だけ著作を出しておられるようですから、直接の答えは無いにしてもそれを読めば考える上でのお役に立つのではないでしょうか。


蛇足

hokke-ookamiさんのこちらのエントリはいろいろと参考になりますね

■[マンガ][映画][歴史][ネット]表現への抗議と攻撃
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090129/1233269611

コメント欄の「おカマ白書」に関する話題は企業や公共団体がPCに「過剰反応」せずまともに向き合う上で助けとなる一つの事例と言えそうです

hanyan0401hanyan0401 2016/12/13 05:21 >上毛野すものさん

>右翼による所謂「電凸」では通常業務に大いに支障が出るレベルで行われること、内容も恫喝的であることは知られています

 仮に右翼団体の当該行為にそのような傾向があるとして、個別の事例で傾向そのままの行為が存在したと根拠もなくみなすのは、飛躍していないでしょうか。

>(例 http://article9.jp/wordpress/?p=4114)

 こちらの例も、『南京1937』に対して電話による抗議を行った団体と同一団体ではない限り、参考にはなりません。

>志摩市役所に対しての抗議がどの程度であったのかを示す情報などはございますでしょうか?

 逆にお尋ねしたいのですが、一般化された右翼団体ではなく、『南京1937』に関連した電話による抗議が、どのような内容であったかを具体的に示す情報などはあるのでしょうか?

>「示威をもって主張」という点が共通だとしても右翼の街宣活動と市民(団体)による署名の提出では実態に大きな隔たりがあります。共通点だけ持ち出しても意味がありません。

 私は前者については、「適法な限りにおいて」という前提を置いています。そうした街宣活動と署名の提出に、具体的にどのような隔たりがあるのでしょうか。示威を背景とした意見表明という点で共通しており、かつ当該行為が適法ならば、大きな違いは存在しないと思われますが。

>こちらの記事の「正氣塾」の例などのように、右翼による「街宣活動」はその暴力の歴史と切り離すことができません。直接的な暴力の意思表示はなくとも、右翼はその背後にある暴力をチラつかせるだけで十分な意思表示となるのです。

 こちらも先に述べました通り、同一団体ではない事例を引用されても、『南京1937』における抗議活動等において、そうした間接的な暴力性を誇示したという証明にはならないと思われます。

>もちろん、デモをはじめとした街宣活動は市民に認められた権利でありその思想に関わらず認められるべきだと考えますが、だからといって右翼のそれを右翼の歴史と切り離して街宣活動一般と単純に同等視することには注意を払う必要があるでしょう。

 こちらも既に述べました通り、私はあらかじめ「(街宣活動が)適法な限りにおいて」という前提を置いています。「注意を払う」とは、具体的にどのような点を想定されているのでしょうか? 過去の暴力事件等を理由とするのであれば、それは例えば新左翼が関わるような反原発デモ、憲法改正反対デモ、安倍政権批判デモ等も、同様に「注意を払う」必要があるということでしょうか?

>認められている・合法であることや、名目上・分類上共通の手法であることは中身の違いとは別の話です。

 もちろん違いはありますが、再三申し上げているように、その差異に「署名提出は妥当な手段だが、(適法な)街宣活動は妥当ではない」という二重規範を設けるだけの説得性が存在するのかが問われています。

>「明日0香少女帯」あるいはそのメンバーに、過去暴力的な行為で知られていたといった事実や、日本の現代史の中で「明日香少女帯」に類するような団体が「右翼」のそれと変わらない程度に暴力事件等をおこし、結果として「活動」の背後にその意図の有無にかかわらず暴力が見え隠れする、といったことはありますか?

 明日少女隊という特定の団体と対比させるならば、それは「『南京1937』に対し抗議活動を行った右翼団体」であるはずです。当該団体が、過去暴力事件等を起こしていたとするような事実は存在するのでしょうか。
 そもそも本記事でのブコメに書きました通り、私は「政治的に正しい」とされるポリティカル・コレクトネスを背景とした要求は、企業や公共団体に対しては抑圧として働くという見解ですので、抑圧が暴力の存在の誇示に限定されるという立場にも与しません。

>hanyan0401さんはどのような理由からこのフレーズを「肯定」なさっているのですか?例えば「韓国死ね」も同様に認められるべきというお考えですか?

 もちろん公共性に鑑みて「日本死ね」という表現が肯定されるのであれば、「韓国死ね」も容認されるべきでしょう。表現行為を肯定することと、表現の内容を肯定することは別ですが。
 私が申し上げたいのは、公共性を理由に「駅乃みちか」のイラストを不当とした方が、一方で「日本死ね」という表現を含む語が流行語として取り上げられるのを肯定するのは、矛盾していないか、認知が歪んでいないだろうかという指摘です。
 ですから、上毛野すものさんがどちらのケースも不当であるとするご見解なのであれば、私とは見解が異なるにせよ、それ以上特に申し上げることはありません。

>「被害者意識」という点に着目してのご質問でしょうが、セクハラには多くの場合その背景に加害者と被害者の力関係(権力構造)の問題も関わっています(もちろんそれ以外にも社会におけるジェンダー意識の問題等もありますが)。

 関係が対等である場合、例えば同僚間等であっても、環境型のようなセクハラは存在し得るのではないでしょうか。更に言うならば、女性から男性に対するセクハラというケースもあります。

>それに対してここでの主論点である「表現」の問題では当事者間の「表現―批判―対応」の関係と、外からの「反批判」「批判への同調」という関係があり、表現の利用を表明した公共団体等や表現の作成者と批判を行った市民の間にセクハラのような構造はほとんど存在しません。

 つまり、セクハラに類するような構造が存在しないならば、第三者が主観で被害者の被害感情を、矮小化ないし否定することは妥当であるとするお立場だという理解で正しいでしょうか。また、一部の環境型セクハラのような、権力構造が存在しているとは言い難いセクハラでは、被害感情に対し「被害者意識が強い」という表現を用いるのは妥当とする理解で正しいでしょうか。

hanyan0401hanyan0401 2016/12/13 05:26 >「地方議員」という段階で公権力と不可分ですよ。

 既に申し上げましたが、抗議文の提出は公権力を行使して行われたわけではありませんし、存在自体が抑圧として機能するという理由であるならば、公権力以外でもある種の抑圧として働く例は存在するでしょう。その一つがポリティカル・コレクトネスであり、私はいくつかの例を既に示しました。

>しかし「明確な人権侵害を起こしている表現などを除いて」とすでに述べています。また、『国が燃える』とは全く文脈が異なり、これを不当な介入とはみなしません

 日本では、集団を対象としたヘイトスピーチが人権侵害とされたケースは存在しません(そもそもそれが可能ならば、ヘイトスピーチの違法化に際し新規立法は不要なはずです)。合法な表現への介入になりかねない行為を肯定する見解は、「政治家は特にそういった表現へ介入するような行動には慎重になるべき」とする上毛野すものさんのお立場からは、乖離しているのではありませんか?

>「一般市民」というカテゴリと同時に「右翼」というカテゴリも所持しており、その活動の歴史も付随します

 この論理に倣うならば、共産党は過去に暴力革命を党是とし、多くの暴力事件を起こしているので、付随する「活動の歴史」に鑑みて今の共産党を否定的に判断しなければならないという、一部右派の主張を肯定することになりますが、そのような理解で正しいでしょうか?

>私の興味関心がそちらに向いていますので、すぐに浮かんだのがその事例でした。

 つまり、アニメや漫画、ゲーム等のサブカルチャーに纏わる表現規制問題には、歴史修正主義的なそれほどの関心はないということですね。

>二次元の表現問題では「松文館裁判」問題などが強く否定されるべき、権力による表現への介入として挙げられるでしょうか

 松文館事件は、権力による表現への介入というよりは、刑法175条が抱える問題点が顕在化した一例という側面の方が強いと個人的には思います。警察の恣意的な運用が可能であるという点で確かに権力による介入なのですが、それを可能としているのは刑法175条が存在するからです。

>商業流通のポルノグラフィティと公共団体公認の元掲示されるポスターでは意味合いが異なります。

 私は元より同一であるとは申し上げていません。そのまま再掲しますが、「公共団体の活動やTVCMで時に『性的』と一部から批判される、解釈というデコードを前提とした表現よりは、ポルノグラフィの方がある性を直接的に性的な対象と『まなざして』いるのはポルノグラフィの定義からも自明ですが、ポルノグラフィが成年に対しては特に制約もなく流通しているという社会状況を問題視せず、公共団体やTVCMの表現に対してより厳しくあらねばらないする根拠は何でしょうか」とお尋ねしています。

>公共団体による掲示となれば、役場等のより公共性の高い場所・全ての人が容易にアクセスできる場所にも掲示されますが、「ポルノグラフィ」はそのような場所に流通していません。

 書店やレンタルビデオ店等は「全ての人が容易にアクセスできる場所」ではないのでしょうか? 役場等と比較して数が多い以上、よりアクセスし易いことは自明かと思われますが。

>「ゾーニング」は(コンビニ陳列の問題など残ってはいるもの)「制約」の一つですし、TVCMのように強制的に配信されるようなものでもありません。

 そのゾーニング施策は先にも述べました通り、青少年の健全育成を目的とした未成年への販売規制等の措置であって、成年に対する制約ではありません。
 また「コンビニ陳列の問題」とは具体的にどのようなものでしょうか。コンビニは書店やレンタルビデオ店と同じ純然たる商業施設ですが、役場等と同等の公共性を求められているのでしょうか?
 加えてコンビニにおけるゾーニングを青少年の健全育成という観点から精査した場合、未成年に対する販売規制は当然行われており、表紙はいわゆるグレーゾーン誌というカテゴリを別に設けることで、成人向け雑誌のそれよりも大人しい表現に留められ、小口シール止めで閲覧もできません。不足なく行われていると私は考えます。

>尚、ポルノグラフィティの表現内容の一部(強姦神話の肯定など)は私も批判的に見ている立場です。ただしそれは言論による批判や性教育の浸透によって少しずつ改善されるべきとも考えておりますが。

 そうした表現の存在を認めた上で、正しい性知識の提供や批判等を通じて、対抗言論として一定の影響力を保つということでしたら特に否定するつもりはありません。性教育を積極的に行う必要性には同意します。
 ただそれは、「ポリティカル・コレクトネスを背景とする不当な要求に対する批判」も同様と言えます。要求自体は否定しませんが、内容が不当ならば批判するということですから。

>「職場の水着ポスター」などの事例は「性差別」(セクシャルハラスメント)と「見ない権利」どちらにも関係することですよね

 私はポスターの掲示自体は性差別的であるとは認識していませんので、後者にのみ関係する事例だと理解しています。セクシュアル・ハラスメントという概念を性差別と捉えると、同性の同性に対する嫌がらせ等が、セクハラと見なされなくなるのではないでしょうか。

>少し極端な例を挙げますが、「女性に高学歴は必要か否か」というアンケートが戦前に行われていたとして、それを分析しようとするとき、「当事者に自覚のない抑圧や差別」を考慮することは必要ありませんか?
 極端だという自覚がお有りなのでしたら、より適切な例示をお願いいたします。

hanyan0401hanyan0401 2016/12/13 05:30 >すでにご存知かもしれませんが、こちらでは同じく弁護士である小倉秀夫氏が法的な立場から異なる見解を述べておられますね

 参考資料も含め一通り目を通しましたが、性別を属性とするような集団に対する人権侵害を、現行憲法で認めるのは難しいだろうという見解に変わりはありませんでした。
 また日本政府は「人種的優越又は憎悪に基づくあらゆる思想の流布」や「人種差別の扇動」等に対し、処罰立法措置を設けることを義務付けた人種差別撤廃条約の第4条(a)及び(b)を留保していますが、それは刑罰法規による規制が違憲となる可能性を理由に挙げています。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/top.html そのため、「憲法に抵触しない限りにおいて」第4条の義務を履行するとしています。その一つが、罰則のない理念法としてのヘイトスピーチ対策法なのでしょう。

>集団が集団として」人権を持つのではなく、人種民族カテゴリーへの中傷がそのカテゴリーに当てはまる「個人の」人格権を侵害するというだけのこと。

 「個人の」人格権を侵害しているのであれば、名誉毀損や人格権侵害等、現行法でも不法行為として認められるのではないでしょうか。

>>社会学的事象への主張であれば、別途主張を裏付けるような根拠が欲しいです。
>という疑問が残っています。

 「根拠」というのは、具体的にどのようなものを想定されているのでしょうか。例えば上毛野すものさんが使用された「性の消費(性的消費)」なるタームは、マルクスの疎外論とボードリヤールの消費社会論のキメラに過ぎず、学術的な定義が存在しないとする意見も見られるようですが。http://togetter.com/li/829483 学術的な根拠を求められているのでしょうか?

>こちらの内容は概観的なもので不十分ではありますが、一例として提示させていただきます。こちらに名前の挙がっている研究者らの著作・論文等を読むことで機序への理解につながるのではないでしょうか

 機序が存在すると主張なさるのであれば、単なる提示ではなく、上毛野すものさんがご自身の言葉で論を立てるなり、適切な箇所を抜粋して引用していただきたいです。

>「複数の差別が、それを成り立たせる複数の文脈のなかでねじれたり、葛藤したり、ひとつの差別が他の差別を強化したり、補償したり、という複雑な関係にある。」

 少なくともこの提示された文章だけでは、疑問の解消には至りませんでした。

>アメリカにおける貧困と有色人種差別(特に黒人差別)の関係は多く語られるところです。

 元記事の文章では次のように書かれています。「社会があるグループに対する差別を許してしまうとそれは必ず他の少数者にも拡大し、社会が破綻へと向かってしまうからです」。
 つまり破綻を回避するために差別を許容しない社会であらねばらない、ということになりますが、上毛野すものさんが定義するところの「破綻(貧困やそれに伴う犯罪等)」は、ヘイトスピーチを法で規制している国では、そうではない国と比較して著しく少ないというような傾向が存在するのでしょうか?
 私が元記事を読んだ限りでは、「破綻」なる表現は貧困の比喩ではなく、字義通り差別が拡大することで民族等集団間での対立も広がり、結果として社会が破綻するという主張だと理解しましたが。
 ゆえに「差別が拡大する」「社会が破綻する」とした部分の根拠が曖昧であるため、「機序が不明である」と書きました。

>もう一つ、「差別」が「社会の破綻」を生んだ事例として、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」も挙げておきます。
>近代国家において、一般市民が同じ社会に住んでいた市民を虐殺するというまさに「社会の破綻」です

 朝鮮人虐殺自体はヘイトクライムの典型であると思いますが、当該事例をもって「社会の破綻」とするのは、少なくとも私とは認識の齟齬があります。

>少し前に話題になったAV強要問題は女性差別の側面に加えて知的障碍者差別の側面もあります。

 私はAV出演強要については、性差別ではなく労働問題であると認識しています。そうでなければ、男優に対する出演強要を「取りこぼして」しまいます。https://vipper-trendy.net/av-higai/
 セクシュアル・ハラスメントという概念を性差別と捉えた見解でもそうですが、上毛野すものさんは女性差別問題であるとする意識が強すぎる余り、時に男性の被害を軽視されることがあるのではないでしょうか。

>高橋宗瑠氏の想定する「社会」と自民党憲法草案の想定する「公」「社会」は異なるものである可能性が高いと私は考えます

 見解の相違とは無関係に、純粋に憲法論として、「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」へ改めた方が、処罰立法措置を設けたヘイトスピーチの規制が合憲とされる可能性は高くなるだろうという指摘です。
 現行憲法では日本政府の公式見解として、刑事罰を伴うようなヘイトスピーチの規制が違憲の疑いが強いとされていることは、先に述べました通りです。
 また自民党改憲草案Q&Aでは、「公益及び公の秩序」への変更理由として、以下のように述べています。「憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたもの」。
 私自身は「公益及び公の秩序」への変更にもヘイトスピーチの違法化にも反対する立場ですが、少なくとも違法化を第一に考えるならば、「公益及び公の秩序」への変更に反対する合理性は見当たらないと考えます。

>高橋氏は1冊だけ著作を出しておられるようですから、直接の答えは無いにしてもそれを読めば考える上でのお役に立つのではないでしょうか。

 そうですか。機会がありましたら拝見したいです。

>hokke-ookamiさんのこちらのエントリはいろいろと参考になりますね

 最後の「二重基準」の下りは、例えば歴史修正主義的な抗議とポリティカル・コレクトネスを背景とした抗議で説得性に欠ける二重規範を採用して、一方だけを正当化する方々にも向けられているという感想を持ちました。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/12/16 22:47 >『南京1937』における抗議活動等

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080408/p1
> 同市中区の映画館では六日昼、上映中のスクリーンが切り裂かれる事件があったが、その後も連日、右翼団体の街宣車が周辺で大音響のスピーカーを使い「上映とりやめ」を要求している。館主には脅迫状も来ているという。

『南京事件論争史』(2007 笠原十九司)
>早乙女愛(引用注:主人公の妻を演じた女優)には右翼から脅迫があり、ボディガードを雇わざるをえなくなったという。
>以後、一般映画館での上映は困難になり、全国で市民団体が中心になって、公共施設を会場にした上映会を実施したが、各地で右翼勢力が妨害活動を繰り広げた。千葉県柏市などでは市当局に会場を使用させないように圧力をかけ、妨害に成功している。
>(引用注:笠原氏が呼ばれた「つどい」で)上映会は実施されたが、講師の私は機動隊に守られ、市の職員が会場を厳重に警備するなかで講演をおこなった。

それから、『南京1937』の街宣活動について
「当時は大音響を出せた」ということも下記に書かれていますね

「“メディアとしての映画館”その社会的役割について―ドキュメンタリー映画『靖国YASUKUNI』騒動をめぐって―』
http://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/2009/45-1_03-14.pdf

当時は「大音響」も一応合法である行為でしたが、その後音量規制をする条例が各自治体によって制定されたことからもわかるように一種の暴力性をもった行為です

>「日本死ね」
「日本死ね」と「駅乃みちか」ではその経緯もベクトルも違いますので、前者を肯定することと後者を否定することに大きな矛盾はありませんよ。
そして、「韓国死ね」はまた「日本死ね」とベクトルが異なり、文脈等によっては完全なヘイトになります。

>同僚間
それだけでは「対等」とみなすのは難しいでしょうね。日本社会における男女の構造的差異、職場における男女の数、仕事に対する扱い等々、さまざまな所に構造的差別、見えない権力構造は存在しますから

>女性から男性
その場合にも個別事例によって権力構造が入っている場合もありますよね

そして
>セクハラに類するような構造が存在しないならば〜妥当である
は論理の飛躍です。あくまでもIlovenoelさんの認識に端を発した「表現」の問題に関する話の中で、hanyan0401さんが「セクハラ」の例を出してきたので、その文脈の中での相違を提示したのであり、あらゆる事象に対して「セクハラに類する構造」を求めるようなことはしません。


>日本では、集団を対象としたヘイトスピーチが人権侵害とされたケースは存在しません

朝鮮学校襲撃事件の民事訴訟では地裁において直接、高裁でも間接に人種差別撤廃条約が適用されています

ご自身でも別の所で言及されていますが、日本は人種差別撤廃条約を批准しており、留保しているのは法的に罰するかの部分だけです。そして、この条約は「集団」に対する差別についても否定しており
第2条
1 締約国は、人種差別を非難し、また、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する政策をすべての適当な方法により遅滞なくとることを約束する。

とあるのですから、議員がこの精神に反するような行いに対して批判(言論の形での介入)を行うことは、むしろ公権力を仮託されている立場として必要な行いとまで言えるかもしれません

例えば、アイヌを差別するような言説に対しては北海道や市区町村の議員、選挙区とする国会議員などが抗議をすることは妥当でしょうし

あるいは、Arturo_Uiさんが言及されていた「海女芸者」の話を用いて週刊誌等が、全ての海女が売春に従事していたようにとれるような記事を書くといったような事態がもし発生したとしたら、(セックスワークに対する配慮は必要ですが)海女さんに関わりのある自治体の議員らが抗議するというのも妥当でしょう

ただ、上記の2例は議員がその地域や集団の代表者であるという前提もあり、『はすみとしこの世界』の難民に対するもののような、明らかなヘイトであるものの、ヘイトの対象となる集団の代表でない場合となると、『国が燃える』のように連名で抗議書を提出するような行為は少し過剰な介入と言えるかもしれません。議員個人がヘイトであることを批判する位が妥当でしょうか。

しかし、その地域や集団の代表者ではない場合でも、『嫌韓流』のように、日本の市民である在日コリアンに対するヘイトを扇動するようなものに対しては、どの程度までの批判を議員がすべきか、日本の市民社会の成熟度の問題もありますが、議論のあるところかもしれません。

上毛野すもの上毛野すもの 2016/12/16 22:53 >松文館
ことの発端は支持者の投書を受けて国会議員が警察に一種の「口利き」をしたというものですよ。
議員の介入無しに警察が動いた可能性(蓋然性?)は限りなく低いでしょう。

>ポルノグラフィが成年に対しては特に制約もなく流通しているという社会状況
流通はしていても、基本的には各人に「アクセス」の選択権がゆだねられていますよね。
書店やレンタルビデオ店でもポルノグラフィティは基本的に隔離されておりますし、無理やり見せられる、買わされるといったこともありません。

>コンビニ陳列の問題

下記をご参照ください
「嫌でも目に入る」コンビニの成人雑誌コーナー、規制したら憲法違反になる?
https://www.bengo4.com/gyosei/n_4932/


>機序

英少年らによる東欧系移民暴行殺人から見えるもの ―ドイツにおける移民・難民問題との関連で(差別の連鎖と心の傷)
http://www.huffingtonpost.jp/takamichi-sakurai/germany-immigrants_b_11838116.html

上記の「3.二種類のスティグマ_トルコ人と極右ドイツ人」の事例


「マイノリティ女性に対する複合差別」をめぐる論点整理 熊本理抄
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004656265

p.55 PDF17〜p.56 PDF18
日本のマイノリティ女性が被る複合差別の共通点
アイヌの事例
クロアチア会議報告書

p.58 PDF20
インドのジェンダーとカーストと階級の諸関係

p.63 PDF25
>部落女性が、自らが被差別の立場にいることから、「世間並み」になることを希求することによって、学歴や経済格差などで人を判断する社会の価値観を内面化するようになり、部落女性の中においても、学歴や経済的格差などを理由に、分断・対立がもたらされることがある。

yjjjeyjjje 2016/12/23 13:29 hokke-ookami という人は論理的思考能力に欠けますね。

「ファンの要望に対して別のファンが反論するのは自由」としながらも、
「ホモだなんてとんでもない!という反論は偏見である」と結ぶ。

さらに、「別のファンが反論するのは自由」なはずなのに、
「反論するなら全てのファンの要望を否定しなけばダメ」と独自のルールを振りかざす。


hokke-ookami という人はまさにポリコレ棍棒を振り回すタイプですね。


結局、「ヒーローにこうあって欲しい」という要望に「何言ってんだふざけんな」と反論しているだけなのに、
「セクシャリティに関する場合は反論してはダメである。俺が認めない。」という意識が根底にあるから、
上記のような論理破綻を起こすんですねぇ

ポリコレ棍棒を振り回す人は、「この反論は許す、この反論は許さん」と、
何が差別で何が倫理的にアウトなのかを自分が勝手に決めますよね。

そして、その基準に従わない人を「偏見」「差別主義者」と断罪する。

通りすがり通りすがり 2016/12/23 20:29 反論が自由だということと、具体的にある反論が偏見だと批判することは矛盾でも論理の破綻でもないと思いますよ。自由というのは「批判されないこと」を意味しませんからね。

さらに、「反論するならすべてのファンの要望を否定しなければダメ」と書いてますが、正確に引用すると、「すべてのファンの要望を否定しなければ一貫性がない」ということですよね。これは反論に一貫性があるかどうかを論じているのであって、「反論するのは自由」と抵触するようなものではないですよね。もちろん一貫してダメな場合もありますけど、それ以前の問題として反論に整合性があるかを問題にしているわけです。

これが矛盾だというのは「表現の自由」と「批判されない自由」の混同に似ていますね。表現の自由にしろ、反論の自由にしろ、「批判されない自由」や「偏見・差別かどうかを論じられない自由」ではないわけです。
そもそも、規制を嫌う古典的な表現の自由論ですら、妥当でない意見が批判されることによって、より妥当な意見がブラッシュアップされることを表現の自由の根拠にしていますからね。

hokke-ookamiさんの批判が妥当かどうかは、その批判自体の整合性や妥当性を問わなければ判断できませんよね。

yjjjeyjjje 2017/01/14 10:02 >上の方

いいえ、hokke-ookamiさんは論理性がないですよ。

「ヒーロー役をホモにしろ」という意見に対して、誰かが「冗談じゃない」と反論した。

ここまでは良いです。
普通の会話です。

残念なのは、この反論に対して、「原作に対する要望には全てに反論しなければ一貫性がない。」と独自のルールを振りかざすhokke-ookamiさんです。

なぜ一貫性がないとなるのか?自分好みの要望であれば賛同するだろうし、嫌な要望であれば反論する、ただそれだけの事なのに。

分かりづらいですかね・・・?

A「この定食屋はご飯を五穀米に変えて欲しい」
B「いやいや、今の白米のままでいいわ」
bokke-ookami「Bは一貫性がないな。反論するなら全ての要望に反論しろよ」

という事です。

標準的な論理性を持つ人なら「???」です。

もちろん、bokke-ookamiさんが何を言おうが自由ですよ?
ただ上記の通りで「論理性に欠けますね」というだけです。
そして、自分に論理性がない事を認識せずに「一貫性」といった意味不明な独自ルールで他人を批判するあたり、まさに棍棒を振り回すタイプだな、と感じた次第です。

tohrisugaritohrisugari 2017/09/07 14:36 始めから読んだけど長かった・・・笑

bokke-ookami氏を始め、棍棒を振りかざす人は、「俺が認めない言論はするな」っていうのが根底にあるんでしょうね。

認める認めない判断基準が、「論理」ではなく「俺様が差別だと思ったもの」なので、一貫性がなくなる。

論理であれば、一定の論理性をもつ人間なら誰とでも共有できます。
しかし「正義」「理想」といったものは、人によってそれぞれです。
自分が思う正義と、他人が思う正義、違って当然です。

しかしポリコレ棍棒を振りかざす人は、「俺様の思う正義こそが正しい。お前ら従え。」と他人に押し付けている事に気づいていません。

今回のケースで言えば、「主人公をゲイにしろという要望には反論すべきでない。俺様の正義に反するからだ。」という独善的な態度が根底にあるのでしょう。

人それぞれ、生き方も考えも違うんだから、自分に火の粉がかかってこない限り放っておけばよいのに、とにかく正義をかざして他人の言動を規制したがる。


正義や理想の押し付けは、非常に危険です。
ナチスも自国民の言動を「正義」の名のもとに数々規制しましたが、何かと理由をつけて他人の言動を規制したがる人が潜在的なファシスト予備軍なのは、歴史が示す通りです。

最後に余談ですが、ゲイ同士のキスを街中で見かけると、健常者はウジ虫や汚物を見た時と同じストレスを受けている事が、カナダの研究所のテストにより判明しました。
唾液中の分泌物を測定したとかで。
http://tocana.jp/2017/07/post_13757_entry.html

ゲイを見たくない人は見たくないんでしょう。アニメのヒーローになんかして欲しくないんでしょう。その純粋な気持ちをまずは理解してあげなければいけません。

一方ゲイは、ゲイを普通な事だと思って欲しいので、ゲイをアニメのヒーローにして欲しいかもしれません。

様々な立場の人が、様々な意見を自由に言えば良いんだと思います。
とても健全な社会です。
しかし、「正義」を振りかざして相手の言論自体を止めたいと思う人間が増えれば、ファシズムの萌芽となるでしょう。

sutehunsutehun 2017/09/07 19:25 「それは間違っている」を「それは俺が嫌っている」と読んじゃうようではそもそも議論の場に上がる資格を持たないよ
なぜならそれは「俺の主張は俺の好き嫌いに基づいてる」って言ってるのと同じだからだね
こんな認識でファシズムがどうのと言っても嘲笑してくれと言っているようにしか見えない
正義がなんであるのかわかってもいないのに正義という語を使うな

上毛野すもの上毛野すもの 2017/09/07 21:07 yjjjeさんとtohrisugariさんが同じ間違い(bokke-ookami)をして、同じような間違い方で「論理性」を問題にしてるのは偶然なのですかね

それはさておき、yjjjeさんは「接続詞」について学ぶべきだと思いますし、tohrisugariさんはsutehunさんがご指摘されているように、基本的な論理あるいは国語力を身に着けるべきだと思います。

togrisugaritogrisugari 2017/09/07 22:34 >shutehunさん

「それは間違っている」って、それが間違っているか間違っていないか、誰が決めるの?bokkeさん?それともあなた?

「正義がなんであるか分かっていない」って、「正義」は人によって違うのがなぜ分からない?

あなたの思う「正義」は万人にとって正しい訳ではなないんだよ。
「法で罰せられるような実害を相手に与えない限り、全ての言論は積極的に容認してあげるのが正義」って考える人も沢山いるんですよ。

人と必ず共有できるのは「論理」です。

小学生じゃないんだから、世の中には多様な価値観や「正義」があることを理解しないとね。

「論理」と「正義」、理性と感情、客観と主観。分かりますか?
後者は人に押し付けちゃダメなんですよ。

>上野毛すものさん

でも、具体的にどこが「非論理的」なのかは指摘できないんですよね笑
「ボクもそう思います!ネー」っていう事しかできないのでしょうかね。

もっと具体的に反論してもらえせんか。

カナダの研究結果はどう思われるんですか?
「ストレスを感じるので見たくない」と思う人は悪人なの?
「見たくないのでアニメのヒーローにするな」と叫ぶと、悪人なの?

ゲイの権利が不当に奪われたなら、訴訟起こすなり、公権力が取り締まるべきでしょう。同胞なのですから。

それと同時に、見たくないものを見たくないと大声で主張する権利もあるんですよ。

もちろん、ゲイが肩身狭そうにしているのを見ると、もっと明るく快活に暮らせる世の中になるといいのにとは思いますよ。
ただ、ゲイを嫌う言論を封殺しようとする人を見ると、比べ物にならない嫌悪感を抱きます。
他人の考えや言論を「正しくないから矯正すべきだ」と考えるのは本当に危険ですよ。ファシズムとは往々にしてそうやって始まります。

ファシストは、戦前は「天皇いらない」という言論を許しませんでした。「この戦争は負けるんじゃないか」と言おうもんなら非国民と罵倒します。

戦後は「核を持つべき」という奴がいれば言論社会から抹殺し、今はLGBTに対する生理的本音を言えば棍棒でぶん殴って矯正します。

あなおそろしや。

人が何かを主張すれば、誰かが喜ぶ事もあれば傷つく場合もある。
「背が低い人とは絶対に結婚したくない」と誰かが言えば、長身は喜び低い人は傷つく。

これは「背の低い人の子孫は残したくない」という生物的否定にもなるひどい言葉ですが、その主張は大いに認めなければならないんです。

人は人。自分は自分。僕とあなたは違う。
法で認められる限り色んな人の多様な主張を大いに認めることが、民主主義を守る事になる!とでも思っておいた方が、健全なんじゃないですかね。

上毛野すもの上毛野すもの 2017/09/08 21:38 togrisugariさん(tohrisugariさん)

1.>具体的に

すでにsutehanさんが指摘済みです

あえてエントリ本文から引用すれば
>ただし、ファンの要望や作者の反応が差別を動機にするものと明確であれば、差別主義者と評価されることはあるだろう。
とあるものを

>棍棒を振りかざす人は、「俺が認めない言論はするな」っていうのが根底にあるんでしょうね。
と、解釈してしまうことが非論理的です

「差別の指摘」は「言論封殺」ではありません。
そもそも、大元のキャプテン・アメリカに関する運動も、対抗言論の封殺もしてなければ、キャップをゲイにすることを強要しているわけでもありません
そのことはhokke-ookamiさんがエントリ中で具体例とともに丁寧に説明されています。


2.>カナダの研究所のテスト

まず、その実験の被験者が「異性愛者の男性」に限定されている時点で非常に限定的な実験であることがわかります

きちんと記事でも「初歩的な研究」であることや
>今回の研究はアメリカの中でも保守的と言われるユタ州の成人男性を対象に行われたというのも、ある意味では“特殊条件”かもしれない

ということに触れられています

また、記事中にストレスが「嫌悪感」によるものか「不安感」によるものか識別できないという研究者の言葉もあります

この研究では
そもそも「ストレス」の原因が「ゲイ」であるという事実そのものなのか、被験者自身にとっての「非日常」にストレスを感じたのか、前者と後者ではまったく研究結果の意味合いが異なってきます
後者であれば、そもそもの原因は被験者の偏見による可能性も十分にありえるものです


3.>「背が低い人」
この例えは全くもって的外れです
ゲイに限らず、マイノリティーは誰か個人が好悪で付き合いを決めるといったレベルで避けられたりしてきたのではありません

ゲイと結婚で言えば、そもそも同性との結婚が(異性愛者のそれと同等の権利という形で)認められていません。
自分を好きで、生活を共にしたい人とであっても、同性婚であるだけで、異性愛者のそれならば認められる権利がない
さらに、表現物という観点でみれば、過去の多くの娯楽作品・番組の中で
同性愛、とりわけ男性同性愛は「キモチ悪いもの」や「面白おかしいもの」として取り上げられてきたのです。
男性キャラクターに対しゲイやMtF、その他「生物学的性」が「男」であるキャラが好意的態度をとり、それを向けられたキャラクターが嫌悪感を示すといった形で


差別の歴史を無視して、「人は人」のような単純な相対化を持ちだすことが「非論理的」な態度でしかありません

tohrisugaritohrisugari 2017/09/11 13:22 >上毛野すものさん

「tohrisugari は非論理的である。なぜなら○○を××と解釈したからだ。」

あなたの主張は概ねこのような構造になっていますが、
なぜ私が○○を××と解釈したとあなたに分かるのですか?
2017/09/07 14:36 の私の書き込みのどこに書いてあります?

どこにも書いていない事と勝手に脳内議論を始めちゃダメですよ。


いいいですか。その部分に関する、私の主張はこうです。

「ポリコレ棍棒を振り回す人は、俺の認めない言論をするなという思いが根底にあるのだろう

「認める認めない判断基準が、論理ではなく主観なので一貫性がない。」

これのどこに書いてありますか?
説明できないでしょう。

読解力のテストなら、あなたは残念ながらゼロ点です。


>「差別の指摘」は「言論封殺」ではありません。

これも同様です。
どうしてあなたは書いていない事と戦ってしまうのですか?

差別があるなら、それを誰かが指摘する事はとても良い事です。

どこにも書いていないのに、あなたは突然、人に対して、
「あなたは非論理的である」と言い出したわけです。
一度ご自身を振り返ってみると良いでしょう。


ちなみに、2017/09/07 14:36の私の書き込みには書いていませんでしたが、
私の考えはこうです。

hokke-ookami氏
「ヒーローを同性愛者にしてほしいという要望に対してだけ反対するなら、それは偏見が疑われる」
「反対するならすべての要望に反対しなければ一貫性がない」


「それは違うでしょう。どんな要望に反対するかは自由ですよ。
同性愛者にして欲しくないと言ったら差別?
空手マンガのヒーローを白人のデブ少年にしてい欲しくないんだけど、これは差別?
少女漫画のヒロインがアフリカ原住民で唇に皿はめ込んでると嫌なんだけど、これは差別?
スーパーマン役がチビでメガネの日本人だと私は嫌だけど、これは差別?
どれならOKでどれなら差別なの?ポリコレの範囲は誰が決めるの?
結局、『俺様たち』で決めてるから一貫した判断基準を提示できなんじゃない?」


>カナダの研究所のテスト

なんだか長々と書いていますが、結局何が言いたいのか。

あなたがどう考えようが自由ですが、
「男女のキスを見ても平気な複数の被験者が、ゲイのキスを見ると相当なストレスを感じた。」
のは事実ですよ。

非日常だからじゃないか?とかユタ州の成人男性だからじゃないか?とか
色々述べておられますが、とにかく被験者達はウジ虫を見た時と同じストレスを感じた。

この人たちが「理由は知らんがストレスを受けたくないから見たくない」と大声で主張した時、
民主主義を守りたいと思うならば、主張する権利を積極的に認めていくべきでしょうね。
ヘイトだと取り締まろうとするのではなく。


>「背が低い人」

なるほど、ゲイとチビは違うと。

私は、以下のように書きました。

「チビの子孫は絶対残したくない、と誰かが主張しても大いに結構。
どんな主張であっても法で認められた範囲であれば大いに認めなければならないからだ。
ゲイに関しても同様である。」

それに対してあなたは「全くもって的外れ」と言ってくれました。
とすると、あなたは主張して良いかどうかを、法律ではないところに求めるようですね。

あなたは、
「同性愛者同士は結婚が認められていないから」とか、
「ゲイは漫画でもバカにされてきて可哀そうだから」とか言っていますが、
このルールはあなたが決めたんですか?

チビだって、漫画でもバラエティ番組でもバカにされ続けてきましたが、チビも擁護対象に入れてもらえませんか?

それとも、「結婚が認められていない等の、法的な差別がある場合に限る」とかにルール変更しときます?

ね。結局あなたが独自のルールを主観で作ることになるんですよ。
だから、論理でなく主観や理想を人に押し付けるのは危険、と警告しているんです。

「相手に実害を与えない、法で許された主張・言論は大いに結構。皆で守っていこう。」

これが一番健全だと思いますよ。

上毛野すもの上毛野すもの 2017/09/11 18:39 tohrisugariさん

一、
数字を振ってありますのでお分かりかとは思いますが念のため
「すでにsutehanさんが」〜「丁寧に説明されています」までが一つのまとまりです。
エントリおよびtohrisugariさんのコメントからの引用はその下の「『差別の指摘は』〜」とつながっています

さて、それを踏まえた上で
「俺が認めない言論はするな」とおっしゃっているのを「言論封殺」と解釈して何がおかしいのですか?
(さらに別のところでは「他人の言動を規制したがる」「ゲイを嫌う言論を封殺しようとする人を見ると」ともおっしゃってますね)


二、
まず、このエントリは「過剰なポリコレ」「ポリコレ棍棒」を主張し、「表現の自由」を求める人物に対するものです。
また、この匿名記事筆者は意図的に「ホモ」という、蔑称であることがある程度社会的に周知された言葉を使っています。

その文脈でhokke-ookamiさんは
>さまざまな作品への要望があるなかで、現実の反映要求が性的指向の場合だけ「なにいってんだ?」と理解を拒否したり、同性愛者にしてほしいという要望に対してだけ「ホモだなんてとんでもない!」と反応をするならば、それは偏見が疑われるところだ。

と、非常に状況を限定し、なお、「疑われるところだ」と決して断定しないよう慎重に言葉を選んでいます。
さらに、その中で、「表現の自由」としての主張なら「せめて」と、ここでも限定的に態度の一貫性を問題にしています。
それを、tohrisugariさんは「認める認めない」の問題であるかように粗雑な解釈をしてしまっているから「非論理的」だと言っているんです


三、
カナダの研究は
1.被験者に明らかな偏りがあり、科学的・普遍的なものとして扱うには不十分であり、研究者自身もそれを認めている。
2.このような研究では「相関関係」を詳細な分析無しに即「因果関係」として結びつけることは誤りである

という以上の2点を改めて述べさせていただきます。


四、
「背が低い人」の事例も、それをルッキズムの観点から差別の文脈に挙げることもできます。
しかしtohrisugariさんは差別を個人的な感情論に置き換えるためにその例を持ち出し、差別の相対化を行いました。
なので私はそれを咎めました。


五、
そして
人権の概念、差別・反差別に関する運動・研究の歴史を無視して「人は人」のような相対化を行うことは論理的思考の放棄以外の何物でもありません。
差別は直接・間接に多くの「実害」を与えてきたんですよ。

>どれならOKでどれなら差別なの?ポリコレの範囲は誰が決めるの?
とおっしゃっていますが、それなら社会学をはじめとする「差別」を扱った研究をまず勉強すれば良いではないですか。
ちょっと検索すれば例えば以下のような本などがすぐにヒットしますよ。そこからさらに参考文献などを遡ってゆけば理解が深まります。
『排除と差別の社会学』
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641281165

tohrisugaritohrisugari 2017/09/14 15:00 上毛野すものさん

一.

で結局、2017/09/07 14:36 の私の書き込みのどこに書いてあるんですか?


「主張が差別を動機にするものと明確であれば非難されるだろう」=「棍棒を振り回している」とどこに、書いてありますか?

「差別を指摘する事」=「俺様の気にくわない言論をするなと言論封殺」とどこに書いてありますか?

あなたは文章を正しく理解する読解力と論理性に欠ける為、答えられないでしょう。


どこにも書いていませんよ。
なぜなら、私はそう思っていないから。
差別を動機にしていれば、そりゃ非難されるでしょう。
差別を動機にした主張が、「それ差別だろ」と指摘されるのは当然ですよ。

ね。
あなたはどこにも書いていない「主張」と戦っているんですよ。

日常生活でよく言われません?
「何おこってるの?私そんな事思ってないよ?」とか。

まあ、私を非論理的と指摘する前に、あなた自信を一度振り返ってみて下さいネ。


二.

もうなんだか面倒になってきました笑
私がどうやら「認める認めないの問題であるかように粗雑な解釈をしてしまっている」ようですが、
「粗雑」かどうかはあなたの主観によるものですから、あなたがそう思うのならそうなのでしょうね。

ただ、非論理的であるというなら、論理を持って証明しないとね笑
「あなたがそう解釈したから」というのは根拠にならないよ。
だってそう解釈したかどうかは、私の頭の中にしかないのだから。

hokkkeさんその他数千行に渡る膨大な書き込みに対して、
私がそれについて書いたのはたったの数行そこら。

その数行から「相手はこう解釈したに違いない!」と断定している時点で
それが妄想だという事に気づいて下さい。

そもそも数千行のどの主張に私が言及しているかも知らないのに、
「あなたは○○を××と解釈した。だから非論理的だ。」とか、ちょっと危険な感じですよ、あなた。


三.

誰も、カナダの研究をもって「ゲイを健常者が見るとストレスを感じる事が科学的に確定した」なんて言ってないでしょう。
言っていないのに、それに反論してどうするんですか。
コレ、意図的な論点のすり替えでなければ、あなたの論理性はかなりまずいですよ。

私は、
・どんな理由があるにせよ、この研究の被験者がゲイのキスを見てストレスを感じたのは事実。
・よく分からないけどとにかくストレスを感じるので見たくない、と主張すれば差別?悪人なのか?
と問うているんですよ。

それに対してなぜ答えてくれないんでしょうね。


四.

で、あなたは、差別か否かは

「長年バカにされ続けてきた」
「結婚できない等の法律的に不利益を被っている」

この2点が要件になると独自ルールを発表されていましたが、
それは結局どうなりました?

チビもメディアやアニメで長年バカにされてきましたよ?
やっぱりルール変更しておきます?


五.

なるほど、それが差別か否かは、
「差別を扱った研究を勉強すればわかる」という事ですかね。
あなたは勉強したから差別かどうかを決める能力と資格があると。

で、私は勉強していないから差別かどうかを決めちゃダメと。
「チビも差別されている」と言ったら「お話にならん」と切り捨てられましたからね。

いやぁ、もし真剣にでそんな世の中を目指しているとしたら、
本当におそろしい限りです・・・。

ちなみに、以下のヒーローに対する要望で、
どれならOKでどれならアウトなんですか?

勉強したあなたなら、どれが許せる言論でどれがゆるせない言論か、
それを決める資格と能力を有しているんですよね?

「ゲイにして欲しくない」
「チビにして欲しくない」
「眼鏡の日本人にして欲しくない」
「重度近眼者(牛乳瓶底メガネ)にして欲しくない」
「白人デブにして欲しくない」
「女にして欲しくない」
「半身不随者にして欲しくない」
「ダウン症の人にして欲しくない」
「ブサイクにして欲しくない」
「知能障害者にして欲しくない」
「唇に皿を付けたアフリカ原住民にして欲しくない」

上毛野すもの上毛野すもの 2017/09/15 17:44 tohrisugariさんはどうしても差別の問題を個人的感情の問題に置き換えたいようですね

それはひとまず置いておいて、tohrisugariさんのご質問にお答えするためにも論点を整理したいと思います。
そのためにまずエントリの内容から整理します

<1>キャプテンアメリカをゲイにという運動について
 A.この運動は原作サイドに作品の変更を強制するものではない。
 B.また、この運動は異論、反論を排除したり封じ込めたりしてもいない。(<2>の記事にあるような異論もすでに書かれている)
 C.よって、この運動はキャストや作画などの作品に対する他の要望に比べて特別の強制力などを持つものではない

<2>エントリで取り上げられた匿名記事について
 A.「ポリコレ棒」という概念を用いる人は「ポリティカル・コレクトネスの名の元に表現の自由が侵害されている」と考えている
 B.上記の人は、自身を「表現の自由」を守る立場にあると位置づけている
 C.よって、匿名記事も「キャップをゲイに運動」が「ポリコレ棒」」=「表現の自由の侵害に当たるもの」(少なくとも介入)だと考えている

ひとまず、ここまでに異論はございますでしょうか?異論がありましたら、理由を添えてお申し付けください。

tohrisugaritohrisugari 2017/09/15 21:41 > 上毛野すものさん

あなたが番号振って論点整理しようとしてたから、わざわざそれに合わせて返してあげたんですけどね。

もう質問に答えなくていいですよ。棍棒振り回す人とは思考回路が全く違うので分かり合えないのはよく分かっていますから。

私の目的は、棍棒振り回す人がいかに論理性がないかを、このwebページを見た人に示す事です。

あなた方は認めないでしょうが、それで良いんです。

ちなみに、上毛野さんの丁寧な対応には好感が持てました。では。

ssd+hhdssd+hhd 2017/09/16 01:37 とりあえず上毛野すものさんが質問に答えないのは分かったwww
面白い論争(?)でしたwww

上毛野すもの上毛野すもの 2017/09/16 19:28 わからないというから理解を深めるようにうながしたら

>あなたは勉強したから差別かどうかを決める能力と資格があると。
>で、私は勉強していないから差別かどうかを決めちゃダメと。

と、解釈してしまう人の論理性はすばらしいですね

で、論をすり合わせるという工程も拒否されてしまいましたので、勝手に進めます

前記<1>、<2>より
匿名記事筆者は、強制力において他と大差のない「要望」を「ポリコレ棒」=「表現の自由の侵害」として批判している

そこで本エントリhokke-ookamiさんの指摘
>さまざまな作品への要望があるなかで、現実の反映要求が性的指向の場合だけ「なにいってんだ?」と理解を拒否したり、同性愛者にしてほしいという要望に対してだけ「ホモだなんてとんでもない!」と反応をするならば、それは偏見が疑われるところだ。
>せめて、ポリティカルコレクトネスのような話題に限定せず、あらゆるファンの要望を否定しなければ一貫性はない。
が成立します。

これに対してtohrisugari氏の最初(2017/09/07 14:36)のコメントは
>bokke-ookami氏を始め、棍棒を振りかざす人は、「俺が認めない言論はするな」っていうのが根底にあるんでしょうね。
>しかしポリコレ棍棒を振りかざす人は、「俺様の思う正義こそが正しい。お前ら従え。」と他人に押し付けている事に気づいていません。
>「主人公をゲイにしろという要望には反論すべきでない。俺様の正義に反するからだ。」という独善的な態度が根底にあるのでしょう。

前記<1>を踏まえればこのような解釈にはいたりません。エントリ中でもhokke-ookamiさんは反論することそのものを否定していません。

そして、「人それぞれ」以降の記述では差別を個人の感情論に矮小化する、差別主義者の論法を使っていますが本人にその自覚はありません。

強者強者 2018/01/04 16:06 >上毛野すものさん

こんにちわ。

2017年末の「笑ってはいけない」で浜ちゃんの黒人メイクが物議をかもしていますが、
上毛野すものさんは、やはりアレもポリコレ棍棒でぶん殴るべきだと思いますか?

私は大爆笑したので反対派の気持ちが分からないのです…。

ちなみに…

◆浜ちゃんがエディーマーフィーに扮装
◆ゆりやんレトリィバァが白人セレブに扮装
◆さかな君がウィルスミスに扮装
◆うっちゃんがブルースリーで適当なカンフーを披露する扮装
◆うっちゃんがタイ人に扮装してパタヤビーチで日本人にたかるコント
◆芸人みょーちゃんが韓国軍人にして愛国歌を歌うコント
◆松っちゃんが白人に扮するコント「MR. BATER」
◆ボビーオロゴンが本当は頭良いのに馬鹿そうに話す芸風
◆ボブサップが本当は頭良いのに粗暴なコングを演じる芸風

どのあたりまで許せますか?
ぜひお考えをお聞かせ下さると嬉しいです!


あと、外野からで申し訳ないですが気になった点…

あなたの会話相手は、
「いや、そんな風には思っていない。」
と言っていますよね。

なのにあなたは、
「いや、あなたはこのように解釈しています。」
「あなたの文章からはそう読み取れます。間違いない。」
と断定していますよね…

普通、相手が「違う」と言っているのだから「違う」んじゃないでしょうか?

強者強者 2018/01/04 20:28 >上毛野すものさん

連投すみません…
気になった点がありまして…


あなたは…

>わからないというから理解を深めるようにうながしたら
>「あなたは勉強したから差別かどうかを決める能力と資格があると。」
>「で、私は勉強していないから差別かどうかを決めちゃダメと。」
>と、解釈してしまう人の論理性はすばらしいですね

と皮肉っていますが、これってどうなんでしょう…?
私は特に tohrisugari さんが非論理的だとは思いませんでした…。


やりとりを整理してみました!(敬称略)

tohrisugari 「どれならOKでどれなら差別なの?ポリコレの範囲は誰が決めているの?」
上毛野すもの「それならまず差別について勉強すれば良いじゃない」
tohrisugari 「なるほど、あなたは勉強したから差別かどうか決める能力と資格があり、私は勉強してないからダメという事ね。」
上毛野すもの「なんでそうなるの。非論理的だな。」

…と、骨子はこのようになります。


それでは、これを論理的に分解してみましょう。

まず「どれならOKで」の「どれ」とは、
すぐ前の「ゲイ」「チビ」「白人デブ」「アフリカ原住民」「眼鏡日本人」などを指している事が分かります。

つまり「ゲイ・チビ・アフリカ原住民、どれが主人公になるのに反対したら差別なの?誰が決めてるの?」という質問となります。

(「誰が決めているの?」という言葉は皮肉として付け足したと推測されます)
(通常「特定の誰かが決めた事」が「倫理」になる事はありえませんので)


この質問に対してあなたは「それならまずは勉強したら良いじゃない」と回答しました。

つまり「どれが差別か判別したいならまずは勉強した方が良い」という意味となり、
差別判別能力には「勉強する事」が必要条件である事が分かります。


さて、上毛野すものさんは「ゲイの場合は差別になる」と言及されている事からも
差別判別能力をお持ちである事が分かります。
もちろん必要条件たる「勉強」もクリアしている事でしょう。
必要条件のクリアを「資格を有している」と表現することも何ら問題ありません。

従って「あなたは勉強したから、差別かどうか決める能力と資格があるという事ですね。」という文章は非常に論理的な帰結であると言えます。
「判別する」ではなく「決める」という言葉を使う事で、「あなたが勝手に決めているだけだけどね」という皮肉も見え隠れします。


一方、tohrisugariさんが「チビの場合も差別になるのではないか」と主張した際、
上毛野すものさんは「チビの場合は差別にならない」と一蹴しました。
つまり、上毛野すものさん基準では「tohrisugari氏には差別判別能力がない」事が分かります。

従って「で、私は勉強していないからダメという事ですね。」という文章も何ら論理性に問題を感じられません。


ちなみにもし、「勉強していない=判別能力がない」とtohrisugariさんが思っていたとしたら、
「勉強」を必要十分条件と受け取っている事になり、論理性が少し足りないですね。
「それならまずは勉強したら良いじゃない」という言葉のみで「勉強」を必要十分条件と判断する事は難しいですから。

しかし、自身が実際に差別の研究を勉強してきた訳ではなく
「で、私は勉強してこなかったから、『チビ』を差別しちゃう訳ね笑」と言っているだけだとしたら、
論理性には問題なしですね。自虐ユーモアと皮肉という事になります。

いずれにせよ、本人でないと真意は分からないので、
「文章には論理的瑕疵は見当たらず」という事になりますね。


以上、tohrisugariさんの主張に同意するかどうかは別として、
論理性がないと言えるだけの部分は、私には見つかりませんでした!

強者強者 2018/01/04 20:32 勉強していない=判別能力がない

ではなく、

勉強していない⇔判別能力がない

ですね…。

上毛野すもの上毛野すもの 2018/01/05 18:03 強者さん

「黒人メイク」については一先ず以下をお読みください

ももクロの事件から学ぶアメリカの差別観
http://credo.asia/2015/04/07/momo-clo-discrimination/

コメント欄については
2017/09/15 17:44 および 2017/09/16 19:28 に再度まとめているように
私は「エントリ本文」「匿名記事」を踏まえた上で、コメント欄に登場したtohrisugari氏のコメントに対しても論じています
それを無視して「整理しててみました」とおっしゃられても返答いたしかねます

また、
「どれならok」という問いになぜ「まず勉強」と答えたかは「ももクロ」の記事を読んでいただければ分かりますが
あえてその点だけ答えておけば、
「差別」が何故「差別」となるのかは、そこに至るまでの「歴史」と「権力構造」「社会的合意」を抜きに語ることは出来ず
複数の事例を散りばめて「どれが差別でどれが差別で無いのだ?」と安易に答えを求めるようなものではないからです

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証