法華狼の日記

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崔碩栄氏が映画『軍艦島』を批判しようとして、想像力のなさをさらけだす

「現代ビジネス」で、『軍艦島』の話題をとりあげる記事があった。
「韓国映画『軍艦島』はフェイクである」を示唆する、これだけの証拠(崔 碩栄) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
もちろんフィクションと公言している劇映画なのだから、史実と違う「フェイク」という基準だけで批判することがおかしい。しかし読んでいくと、崔氏の考える歴史そのものがおかしい。

話題となった原因は、映画の中に登場する朝鮮人たちがそこでどのような生活をし、どのような待遇を受けて来たのかという点について、日韓両国の見解に隔たりがあるためである。


韓国――強制連行、就職詐欺、酷使による「地獄」
日本――最新施設、高額の給与、二つの民族が共存した「普通の職場」

軍艦島の炭鉱労働者に200人以上の中国人がいたことすら崔氏のいう「日本」は忘れているのだろうか。
一方で、「韓国」の見解とされているものは、日本の歴史学的な通説でもある。学問は「日本」ではないというのだろうか。
http://www.japan-china-sociology.org/21cent/21cent_5_07.pdf
日本政府も、国内的に強制労働を否定しつつ、対外的に「forced to work」を認めている。日本政府も崔氏には「韓国」に見えるのだろうか。
そこで読み進めていくと、崔氏のいう「隔たり」は、実際は崔氏も完全には信じていないことが明らかにされる。

日本人が軍艦島について抱くイメージはどうか。軍艦島といえば、当時の最先端をいく建物、施設が配置された労働現場であり、過酷な作業、危険が伴う仕事ではあるものの、朝鮮人も日本人と同じ待遇を受け、共に働いていたというのである。

この記述から考えると、少なくとも「酷使」されたという歴史的な事実は、日韓の共通の見解というしかない。
予告映像や報道を見るかぎり、映画『軍艦島』は募集の強制性で終わる物語ではない。どちらかといえば現場の拘束と苦難という史実から、解放という娯楽的な虚構への転換を核にしているらしい*1
史実の核にしている部分が日韓で一致しているなら、そこは劇映画として問題にならないはずだ。


さらに崔氏は当時に少年だったグ・ヨンチュル氏の証言から、高額な給与と学校へ通った体験だけとりあげる。募集過程の強制性や、労働現場の過酷さについては反証できなかったようだ。

父の月給は戦時中物価が上昇した時は180円にも達した。教師や役所の職員よりも多い報酬だった。しかもお金を使おうとしても使う所がない孤立した島だったので、一定の金額を貯金することができた。

この証言は、娯楽まで充実していた良好な住環境という主張への反証になることや、出入りが自由ではなかったことを示唆しているのだが、崔氏は気づかないのだろうか。
そもそもグ氏の証言は、つかえない高額な給与がしはらわれたという見解が「韓国」にもあるという証拠ではないか。崔氏のいう「隔たり」はどこにあるのだろう。


そして崔氏は当時の新聞記事を持ちだして、「一般的な韓国の常識からは想像することも出来ないような、先祖たちの姿を発見」したという。

当時発行された新聞や雑誌に記録された朝鮮人労働者の内地(日本)就職はどのような姿だったのか? それらの記録を確認した私は、一般的な韓国の常識からは想像することも出来ないような、先祖たちの姿を発見することになった。

戦時中の新聞記事を、虚報で戦争をあおった問題としてもちだす人と、通説への強固な反証としてをもちだす人がいる。はたして崔氏はどちらだろうか。
結論からいうと、崔氏は「酷使されたり、殴打されたりする労働者たち」も新聞記事に書かれていることを最後に言及して、証拠としての脆弱さも認める。

新聞の記事もまた100%の現実を伝えているものだとは思わない。伝達者の感情、あるいは先入観が影響している可能性もあるし、ましてや戦時期である。マスコミが軍部の監視、統制下に敷かれていたことは周知の事実である。

それにしても、なぜ崔氏のような人物は先行する研究にあたらず、当時の資料だけながめて解釈に苦しむという回り道をするのだろうか。


前後するが、崔氏が強制連行の反証としてとりあげる新聞記事は、当時に朝鮮半島から炭鉱への密航者が多くいたというものが大半だ。

「強制連行」が行われていた内地に、何故朝鮮人たちは「密航」してまで赴いたのだろうか? 何故、地獄のような労働環境だった炭鉱を目標に密航したのだろうか?

そう、崔氏は自身で「韓国」の見解として紹介した「就職詐欺」のありようを、そもそも想像できていなかったのだ。
良い仕事と業者に騙されて密航して、過酷な労働をしいられる問題は、現代社会にだって残っている。密航した弱い立場ゆえに逃げて助けを求めることも難しく、それでいて労働力として不要になれば捨てられる。そんな社会の姿が崔氏には見えないのだ。