法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「ゴールデンカムイにポリティカルコレクトって言葉使うの違和感ある」ことの説明として出された「一番分かりやすい」ツイートが、私には一番分からない

「ポリコレへの配慮」と「マンガを面白くするための配慮(臭み抜き)」は別物だよという話 - この夜が明けるまであと百万の祈りで引用されていた、5chneewei55氏による一連のツイートなのだが、読んでいて首をかしげた。

「死体を損壊したり動物を狩猟したりする」描写がポリティカルコレクトネスに反するわけではないし、「少女が性的に搾取される」描写も即座にポリティカルコレクトネスに反するとも聞かない。
少女を性的に搾取する描写は、作品内外での性的搾取を許容や肯定することを意味しない。そもそも性的搾取を批判するため克明に描写する作品も少なくない*1。性的搾取の欲求を満たしつつ虚構にとどめる工夫をこらした作品もあるだろう。
また、死体を損壊することも現実であれば犯罪だが、生身の人間を傷つけるほどの罪ではない。現実でも状況によって犯罪に問われないこともあるだろうし、倫理的にもしかたないと思われることはあるだろう。
動物の狩猟にいたっては、むしろ安易に嫌悪して遅れた文化あつかいすることこそ、ポリティカルコレクトネスに反しているとされるのではないか*2


そもそもポリティカルコレクトネスにかぎらず、作品評価というものは完全な作品と不全な作品の二極しかないわけではなく、グラデーションのようなものだろう。
個々の描写で評されることもあるだろうし、それらの描写がおかれた文脈によっても左右される。主人公の行動ですら、作品において正解とされているとは限らない。
さらには作品を読み解く側の共通認識によっても左右される。特定描写の加害性を社会が共通認識としていることを期待できれば、その描写のエクスキューズが弱くとも、その加害を現実化される恐れは低くなる。

*1:実写で子役を配しつつ、モンタージュ演出で子役には加害性を感じさせずに撮影した映画が思い出される。『トガニ 幼き瞳の告発』 - 法華狼の日記

*2:ゴールデンカムイ』から離れた現代先進国での趣味としての狩猟や、アニマルライツといった論点もあるだろうが、ここでは省く。