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法華狼の日記

2018-04-12 上げたのは1日後

[][]「ゴールデンカムイにポリティカルコレクトって言葉使うの違和感ある」ことの説明として出された「一番分かりやすい」ツイートが、私には一番分からない

「ポリコレへの配慮」と「マンガを面白くするための配慮(臭み抜き)」は別物だよという話 - この夜が明けるまであと百万の祈りで引用されていた、5chneewei55氏による一連のツイートなのだが、読んでいて首をかしげた。

「死体を損壊したり動物を狩猟したりする」描写がポリティカルコレクトネスに反するわけではないし、「少女が性的に搾取される」描写も即座にポリティカルコレクトネスに反するとも聞かない。

少女を性的に搾取する描写は、作品内外での性的搾取を許容や肯定することを意味しない。そもそも性的搾取を批判するため克明に描写する作品も少なくない*1。性的搾取の欲求を満たしつつ虚構にとどめる工夫をこらした作品もあるだろう。

また、死体を損壊することも現実であれば犯罪だが、生身の人間を傷つけるほどの罪ではない。現実でも状況によって犯罪に問われないこともあるだろうし、倫理的にもしかたないと思われることはあるだろう。

動物の狩猟にいたっては、むしろ安易に嫌悪して遅れた文化あつかいすることこそ、ポリティカルコレクトネスに反しているとされるのではないか*2


そもそもポリティカルコレクトネスにかぎらず、作品評価というものは完全な作品と不全な作品の二極しかないわけではなく、グラデーションのようなものだろう。

個々の描写で評されることもあるだろうし、それらの描写がおかれた文脈によっても左右される。主人公の行動ですら、作品において正解とされているとは限らない。

さらには作品を読み解く側の共通認識によっても左右される。特定描写の加害性を社会が共通認識としていることを期待できれば、その描写のエクスキューズが弱くとも、その加害を現実化される恐れは低くなる。

*1:実写で子役を配しつつ、モンタージュ演出で子役には加害性を感じさせずに撮影した映画が思い出される。『トガニ 幼き瞳の告発』 - 法華狼の日記

*2:『ゴールデンカムイ』から離れた現代先進国での趣味としての狩猟や、アニマルライツといった論点もあるだろうが、ここでは省く。

2018-04-05 上げたのは8日後

[]『BILLY BAT

見える人々をそそのかす、カートゥーン調キャラクターの幻「ビリーバット」。同じ姿の2体がいて、どちらかが人類を誤った方向へ導こうとしている……


ひとつの漫画キャラクターをめぐる架空の現代史を描いた浦沢直樹作品。2008年から2016年にかけて断続的に連載され、全20巻で完結した。

主として日米をまたにかけ、ディズニーを思わせる巨大漫画ブランドの興亡と、陰謀論的な現代史をよりあわせながら、弱き人々の営みを支えようとする。

いつものように連作短編としては完成度が高く、差別にあらがおうとするメッセージも力強く、謎解きへの誘因力も強烈だった。


そして、広げた風呂敷におさまる真実の尻すぼみっぷりもいつもどおり。

ただし今作は、ビリーバットの正体をあっけなく台詞で説明した後も物語がつづく。クライマックスに集中する期待を肩透かしして、すべての設定が明かされた状態でドラマがつづいていく。

エピローグにはクライマックス以前ほどの力強さはないし、最後のシチュエーションはトロッコ問題の変奏にしても、短編や中編の名手としての浦沢節が堪能できた。

やはり浦沢作品は謎解きを重視した連続ストーリーより、連作短編をつきつめるべきだと感じられた。

2018-03-30 上げたのは3日後

[][]『大長編ドラえもん のび太と夢幻三剣士』には、「VRMMO」の先駆としての価値もある

映画化を前提として1冊で完結するよう連載された『大長編ドラえもん』シリーズ。その14作目として1993年から執筆されたのが、『夢幻三剣士』だ。

つらい日々から逃避しようと、夢をゲーム化する秘密道具を楽しむ物語。典型的な西洋欧風ファンタジーをパロディしながら、虚構と現実がいりまじっていく。

なぜか不評が大勢であるかのように語られがちだが*1、シリーズ全体と比べて特に落ちる印象はない。


たとえば、クライマックスにジャイアンやスネ夫が参加していないこと。キャラクターのファンから批判されがちなポイントだが、決戦においてドラマの中心人物だけ舞台に残ることは物語の定石だ。

シリーズでは珍しくゲストキャラクターが仲間にいないこともあって、通例より少人数で敵地に突入する緊迫感が高まった。のび太たちが夢のなかとはいえ死亡する展開の衝撃性も、仲間が少ないからこそきわだったのではないか。

さらに、のび太としずちゃんの恋愛を描くという、大長編はもちろん短編でも意外と珍しいコンセプトも、キャラクターを整理することで明確になった。のび太は、短編では庇護の対象として見られることが多くて*2、大長編で恋愛を思わせる関係はゲストヒロインが相手であることが多い。『夢幻三剣士』は、のび太がしずちゃんと対等な関係をきずくという、シリーズで貴重な物語でもあるのだ。


また、大長編における逆転が、しばしば物語に未登場の設定で成立していたという問題も、この作品には存在しない。

先にファンタジーを題材にした5作目『魔界大冒険』や、ゲームが現実を侵食する映画『パラレル西遊記』では、ドラえもんの妹のドラミちゃんが前触れなく登場して、主人公たちを救う。前者は2007年のリメイクにおいてドラミちゃんを序盤にも登場させるアレンジをほどこしたように*3、明らかにプロットの穴といっていい。

一方、『夢幻三剣士』では基本的に逆転も挫折も伏線をふまえて展開される。もちろん最終決戦も、それまで物語に登場した設定のみで危機と逆転を演出した。秘密道具の万能性にたよることもなかった。


そして現在の視点で読み返すと、「VRMMO」というジャンルの先駆としても完成していることに驚かされる。

VRMMOとは、多人数同時参加型オンラインゲームいわゆる「MMO」を、仮想現実として楽しむ作品群のこと。WEB小説において新ジャンルとして隆盛して、「小説家になろう」等で一大派閥を形成している。

VRMMOとは (ヴイアールエムエムオーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

単語としての初出はおそらくソードアート・オンラインの第二部である(形式は第一部で出てるが、VRMMOという呼称はなかった)。ただし類似の筋書きの作品は以前からも存在する。サイバーコネクトツー開発・バンダイ販売の「.hack」(2002年)、高畑京一郎の「クリス・クロス 混沌の魔王」(1994年。どちらかというとMO)、岡嶋二人の「クラインの壺」(1989年。ただしこれはMMOではない)など。

仮想現実ゲームを題材にしたフィクションにおいて、虚構と現実が侵食しあう展開までなら珍しくない。上述の『クラインの壺』のような先行作もあるし、さらに『ドラえもん』で1985年に「ドリームプレイヤー」という短編が原型的に描かれている*4

『夢幻三剣士』が特異なのは、のび太が友人を勝手にゲームへ巻きこむこと。しかも友人の自由な行動がのび太の意図を外れて、仲間にするどころか下僕にされたり、勝者への褒美とされた姫が自立して出奔したりする。VRMMOが多人数参加ゲームを描いているようでいて主人公周辺にのみスポットを当てがちなところ*5、きちんと群像劇として成立していた。

時代的にも、現実の代表的なMMO『ウルティマオンライン』が1997年に発売されたことを思えば、仮想現実にMMO的な展開をくみあわせたこと自体に先見の明を感じさせる*6


さらにVRMMO要素として、のび太が秘密道具の機能で能力を向上させる展開もおもしろい。いわゆる「チート」を物語に組みこんでいるのだ。

ドラえもんも参加して秘密道具も活用し、地味なファンタジーは一転して爽快感あふれる戦記物へと発展する。もちろんそのまま最後まで快進撃をつづけるわけもなく、のび太たちは敵の策略によって挫折することとなる。

そもそも敵の策略こそが、のび太を物語の主人公にしたという真相もすさまじい。平凡な主人公が異世界で大活躍する物語は、近年のVRMMOや異世界転生に限らず、古来から物語の一類型といっていい。それを運命や定番として流すことなく、最終的な敗北をゲームとして義務づけられている敵が助かるための策略として説明づけた。

その策略の詳細は語らないが、ゲームならではの要素がかかわってきている。その要素をふせぐため、たとえチートを使っても特定のアイテムを入手できないプレイヤーとして、のび太は選ばれた。なおかつ、その入手できない理由がゲームプレイヤーとしては弱さになりつつ、ドラマとしては主人公らしさの証明になっていた。


いかにも後年のVRMMOらしい群像劇やチートや主人公を描きつつ、それがドラマの要素として必然性をもち、意外なストーリーへと発展していく。

かつて『夢幻三剣士』を楽しめなかった読者も、そのような観点から読み返すと、また違った評価ができるのではないだろうか

*1:つい先日、「1980〜90年代におけるドラえもん映画の黄金期と照らし合わせてみると、そのストーリーテリングには雲泥の差がある」「作品は構成力に欠け、物語の細部の繋がりは曖昧」と論評するid:hiko1985氏のエントリを読んだ。芝山努『ドラえもん のび太と夢幻三剣士』 - 青春ゾンビ

*2:結婚後の未来には対等になっている描写もあるが、その過程はシリーズをとおして描かれてない。

*3『映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険 七人の魔法使い』TV放映版 - 法華狼の日記

*4:厳密にはゲームではなく、カセットでさまざまなジャンルを夢として追体験する。

*5:もちろん先述のように、舞台にすべての登場人物がたつ必要はなく、作品コンセプトによっては問題にならない。

*6:なお、1993年以前からもMMOは存在していたらしい。郵便を使った多人数同時参加ゲームとしてメールゲームという遊戯も古くからあった。あくまで既存の概念を物語化したことが先駆的ということであって、作者が新概念を作りだしたというわけではない。

2018-03-27 上げたのは3日後

[][]『デビルマン』で、漫画版にだけ登場していた飛鳥了と、TVアニメ版とでは人格も立場も違う不動明の、共通項に気づいた

あるていどまでネタバレになるが、まず主人公の不動明について。

TVアニメ版では悪魔が人間になりかわったもの。人間の女性を愛したことで、仲間の悪魔に敵対することを選んだ。

漫画版では、人間が悪魔と融合しつつ人格を残したもの。同じ立場の元人間とともに悪魔と戦うが、人間は悪魔と区別できない。


次に、漫画版で不動明をデビルマンにさせる飛鳥了について。

最初は三白眼のチンピラのようなデザインで、メフィストフェレスのように不動明を地獄の道へ誘っていく。悪魔に対抗するために。

さまざまな予測をたてて悪魔に対抗していた飛鳥了だが、やがて予測が当たりすぎることに恐怖し、前提をひっくりかえす事実に直面することとなる。

飛鳥了は人間と敵対する悪魔側の存在で、人類社会にもぐりこんで策謀するため自分の記憶まで操作していた。その行動は、愛する存在を守るためだった。


そして、再アニメ化を機会に飛鳥了のキャラクターをつらつら考えていて、TVアニメ版『デビルマン』の主人公と似た立場だ、と今さらながら気づいた。

対立する集団を愛して、愛する者には正体を隠して、もともとの仲間と戦うという構図はまったく同じだ。

最終的に不動明と飛鳥了は戦うわけだが、それはつまり漫画版の主人公とTVアニメ版の主人公の戦いといっていい。

そういう観点からリメイクすれば興味深い作品になるのではないか、とも思うのだが、どうだろう?

2018-02-22

[][][]「アニメで最も衝撃だったシーン」といえば『キテレツ大百科』のアレ

下記の匿名エントリが注目されている。

アニメで最も衝撃だったシーン

まどマギ3話やがっこうぐらし1話(あとめぐねえ)が定番なんだろうが俺はあえてサムライフラメンコ7話を挙げたい。

はてなブックマークでも少なくない作品があげられているが、いくつかは作品の世界観やスタッフの作風から考えて予想できる範囲内だと感じられる。


そこで、ただ残酷だったり悲劇だったりにとどまらず、落差の衝撃という意味でいえば、『キテレツ大百科』第44話「 ウルトラ迷路でウロウロどっきり!?」を推したい。ちょうどGYAO!で作品を配信しはじめたので、少し待てば視聴できる。

キテレツ大百科-動画[無料]|GYAO!|アニメ

もちろん藤子F作品は、子供向けでも本気のホラー演出やトリッキー展開を見せることは少なくない。『ドラえもん』ではTVアニメ版でも毒気に満ちたエピソードがしばしばある。

しかしTVアニメの『キテレツ大百科』は、かなり生活感ある人情ドラマにアレンジされていた。原作がわずか全40話しかないのに、300話以上にわたる長期シリーズとして放映され、オリジナルストーリーが多くて、原作の毒気はかなり抑えられていた。

登場人物も、瞳があらぬ方向を見ているデザインのコロ助は生意気なマスコットロボットとなり、ブタゴリラは家業に誇りをもつ誠実な少年となった。

キテレツ大百科 1 (藤子・F・不二雄大全集)キテレツ大百科 スーパーベスト

そのようなTVアニメ版の『キテレツ大百科』だからこそ、放映1年目に原作から「冥府刀」がアニメ化された衝撃は強かった。

もともと原作でも屈指の恐怖譚であり、白昼の影を濃厚に描いた絵作りから普段とは雰囲気が違っていた。しかし原作では気のぬけたようなオチとともに、急転直下で事態が解決した。そこをアニメ版では、人間の手のおよばないところで事態が収拾され、日常の裏側に恐怖がひそんだままという独自のオチがつけられた。

もっとも、30年近く前の子供向けアニメなので、現在に視聴すると絵作りはゆるく、恐ろしさを感じにくいかもしれない。しかし明るい方向にアニメ化したとばかり思って油断していたので、リアルタイムで見た当時は本当に衝撃を受けたものだ。