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法華狼の日記

2018-08-16

[][]『ドラえもん』のトロフィーワイフ問題について

テーマのうまくまとまっていないTogetterが話題になっているのを見かけた。

何故しずかちゃんは出木杉くんじゃなくてのび太を選んだんだ“現実的に”有り得ない!!! - Togetter

最初に収録されている勝部元気氏のツイートがTogetterタイトルとどのように関係するのかがわからない。『ドラえもん』に関係する要素が見えないし、リプライから派生している様子もなさそうだ。『ドラえもん』を語っているツイート群とは7日間ほどあいている。

逆に、『ドラえもん』についてchounamoul氏が語りはじめている後述のツイートを、2日後に勝部氏が引用ツイートしていることは確認できた。ならば普通はchounamoul氏のツイートを冒頭に置くべきだろう*1

実のところ、勝部氏については、そのパターナリスティックな言説や、私的人間関係批判されているところは仄聞する。Togetterへの反応を見るかぎり、勝部氏のツイートひとつに印象を誘導される人々が多いようで、文脈を示さず冒頭においたkusamura_eisei氏の過ちと思わざるをえない。


そこで実際の発端となったらしいchounamoul氏のツイートだが、娘の発言を紹介するかたちは気になるが*2、ひとつの感想として理解はできるものだ。

そもそもラブストーリーの展開に対して、どのキャラクターと関係をむすぶかで、納得しない読者の批判的な感想はよくある。

その感想に対して、物語がフィクションだという指摘は必ずしも反論にならない。フィクションをとおして示された観念の妥当性や、その影響力へ懸念が示されることは普遍的なものだ。

日本社会で戦争にまつわるフィクションが反発された近年の事例といえば - 法華狼の日記

表現を制約しようと公権力が動いているわけでもなく、「個人の感想」で読者から作品が退けられるだけならば、それは表現の自由市場が守られているということだ。

感想に反論したいならば、実際の作品と乖離した読解を根拠にしていることを指摘するべきだろう。chounamoul氏のツイートでいうと、「いつも優しく陰からそっと支えて」や「あまりに男の子の都合に従属して消費される脇役というか道具でありすぎる」といった部分で、後述のような異論がある。


まず、のび太が結婚相手としてふさわしい評価が語られる「のび太の結婚前夜」というエピソードはある*3。Togetter内でも言及され、まとめているkusamura_eisei氏自身も反論にもちだしている。

渡辺歩監督のアレンジで中編アニメ映画化され、評価を義父が語る台詞が名場面としてよく紹介されることもあり、有名なエピソードであることに間違いはない。

しかしこれはchounamoul氏にはじまる論点とはズレがある。なぜなら「のび太の結婚前夜」で評価が語られるのは、タイムマシンで向かった未来のことで、子供時代のことではない。

のび太が義父の台詞を聞いて自身の良さを再発見するという物語とも異なる。のび太は台詞を聞いて赤面するし、結末でしずちゃんに対して幸せにしてみせるという決意を語る。

たしかに中編アニメ映画では感動的なドラマとして、未来ののび太が評価を体現する場面が先に追加されている。しかし原作では、高評価される未来と、そうではない現在の乖離が描かれている。

しずちゃん自身がのび太とつきあうことを宣言する「雪山のロマンス」もそうだ。のび太はヒーローを演じようとして失敗する。結果的に哀れみからのつきあいに発展するが、のび太はそれを恥ずかしいことと受け止めて、ドラえもんも努力をうながす。

原作において、のび太としずちゃんの関係が進展するようなエピソードの多くが、のび太が相手と対等になれていないことを自覚的に描写している。


のび太の愚かしさが痛感される「たまごの中のしずちゃん」というエピソードまである。単行本の表紙に使われていることから、作者も重視していることがうかがえる。

ドラえもん 37 (てんとう虫コミックス)

ドラえもん 37 (てんとう虫コミックス)

のび太が出木杉に対抗して洗脳的な秘密道具を使うが、紆余曲折してしずちゃんは出木杉へ依存することに。しかし出木杉は、しずちゃんへの恋心を明かしつつ*4、洗脳による関係を否定する。そして洗脳を解いた結末で、しずちゃんの出木杉への好意は高まり、のび太は見向きもされない。

ここで作者は主人公を徹底的につきはなして、未来技術で利己的に結婚相手を変えるという作品の根幹設定まで批判の射程にいれている。


chounamoul氏のツイートに代表されるような批判的な感想を、むしろ『ドラえもん』は作品におりこんできた。先日のエントリで書いたように。

TVアニメ『ドラえもん』のLGBT描写について - 法華狼の日記

『ドラえもん』の原作がはじまったのは1969年。作品を読めば、そこかしこに時代の限界がかいまみえる。

都合のいい結婚相手を求めて時間改変しようとする根幹設定からして、現代の感覚では通用しないだろう。


同時に、連載をつづけながら世界観のアップデートをくりかえしてきたことも間違いない。

それを象徴するひとりが、結婚相手として主人公から拒否された少女ジャイ子だ。

そうした個別のエピソードがエクスキューズにとどまるか、作品で示されるメッセージを更新するかは難しい問題であり、いまの私には語る能力も余裕もない。

ただ、批判的な読解が作品に新たな視点をもたらしたり、作品そのものを新たな発展にいたせらせることがあるのはたしかだろう。

批判的な感想を検討もせずに拒絶することは、『ドラえもん』の場合は作品の半分を拒絶することになりかねない。

*1:あるいは、Togetterの末尾に近くに収録しているkusamura_eisei氏自身のツイートを冒頭に置いても良いかもしれない。肉体的暴力と比較して性的加害を矮小化するツイートは、勝部氏のツイートよりも編集の意図がわかりやすい。

*2:これ自体がパターナリスティックなふるまいではないかという注意がほしい。親という立場は、どれだけ気をつけていても子を誘導しかねない権力関係がある。

*3:前夜の私的な宴会に出木杉が参加していることや、その場面の短い台詞から、出木杉としずちゃんの関係や思慕がとぎれていないこともわかる。

*4:説得で出てきた言葉なので、どこまでが本心なのかは解釈の余地があるかもしれない。

2018-08-10 上げたのは2日後

[][]TVアニメドラえもん』のLGBT描写について

『ドラえもん』の原作がはじまったのは1969年。作品を読めば、そこかしこに時代の限界がかいまみえる。

都合のいい結婚相手を求めて時間改変しようとする根幹設定からして、現代の感覚では通用しないだろう。


同時に、連載をつづけながら世界観のアップデートをくりかえしてきたことも間違いない。

それを象徴するひとりが、結婚相手として主人公から拒否された少女ジャイ子だ。たしかに連載の当初は幼い残酷さと、ガキ大将の兄を真似たような粗暴さをかねそなえていた。

しかし漫画家という夢をもってから違ってくる。最初は主人公を勝手にモデルにしたり、名作を真似しただけの漫画を投稿していたが、徐々にオリジナリティを獲得し、雑誌編集部から電話がくるほどになる。

人格も成熟していき、連載後半では兄の粗暴さに批判的な立場となり、主人公ともおだやかな会話をするようになった。将来の伴侶となる少年と出会ったり、その少年と同人誌を作ったりするエピソードまである。

粗暴な兄の妹思いな一面をピックアップした中編アニメ映画『がんばれ!ジャイアン!!』で、事実上のヒロインともなった。

TVアニメにおいても、連載後期の延長でジャイ子が描かれることが多い。いったん兄を連想させながらも、きちんと美味しい食事を提供するようなオリジナルストーリーもあった。

『ドラえもん』恐怖のジャイ子カレー/上げ下げくりであとまわし - 法華狼の日記

ジャイ子カレーが美味しいという真相は予想できる範囲。ジャイアンが料理を作った時には布で口元を覆っていた上に最終的には逃げ出していたし、最後の最後で試食したジャイアンが倒れたジャイアンシチューと違ってジャイ子は試食しながら味を調えていく。別の回でジャイ子は普通に家庭料理をしていた記憶もある。普通に料理ができてもおかしくない要素は多々ある。今回単独で見ても、自作のエプロンを用意していたり、生活能力の高さや手先の器用さがうかがえる。


このように原作の女性像はアップデートされてきたのだが*1、子供向け漫画ということもあってか、あまりLGBT観の変化はない。

藤子・F・不二雄作品には『バケルくん』のような老若男女に変身する物語はあり、外見や内面における同性愛を連想させる描写はあったが、あくまでヘテロセクシャルという基盤は変わらなかった。いわばLGBはなく、Tだけの作品だった。

バケルくん〔F全集〕 (藤子・F・不二雄大全集)

バケルくん〔F全集〕 (藤子・F・不二雄大全集)

ちなみに同時期の手塚治虫作品『MW』は、いったん同性愛のスキャンダラスさを演出しつつ、それ単独ならば現代ではスキャンダルになりえないという逆転を見せた。

MW 1

MW 1

さまざまな愛を描いた師の作品*2と比べると、やや遅れているとはいえるだろう。それでも、連載がつづくにつれてLGBTの“異常”をギャグにする描写が減っていった印象はある。

そしてTVアニメにおいては、“異常”をギャグにするだけの古い原作描写に、少しずつアレンジがくわえられてアップデートされてきた。

『ドラえもん』ココロチョコ/独立!のび太国 - 法華狼の日記

バレンタインデーだが、今回のアニメ化ではしっかり季節ネタとして言及。スネ夫が本命チョコかと勘違いして赤面する場面もある*1。

*1:コメディ的な描写だったが、ホモフォビアチックではないことに好感をもった。

『ドラえもん』すてきなミイちゃん/魔女っ子しずちゃん - 法華狼の日記

実は原作だとドラえもんに自身の性別が男だと伝えて終わっているんですよ。

だからドラえもんを「兄貴」と呼んで命を与えてくれたことを感謝している今回は、同性に恋愛感情を向けられて拒否しつつも敬愛の念は失わないというかたちになっているんですね。


こうしたアレンジがすでにおこなわれてきている以上、先週にアニメ化された「ジャイ子の恋人=のび太」について原作からのアレンジを求める意見が間違っているとは思えない。

『ドラえもん』でLGBT差別な表現が……この時代にまだ「同性愛はキモい」と発信するか?! | ヨッセンス

制作側のみなさん、お願いですから時代に合わせて表現を変えてください。

たとえば、同性愛と誤解したスネ夫が衝撃を受けるだけでなく恋を応援して、さらに事態を混乱させるようなアレンジをすれば、コメディとして味わいが増したのではないだろうか。

*1メインヒロインの変遷は、かなり入りくんでいるので詳説はさける。ただ、主人公との恋愛が本当に発展した唯一の作品といっていい大長編において、結婚の強要に反発して出奔する一幕があったことを紹介しておく。『大長編ドラえもん のび太と夢幻三剣士』には、「VRMMO」の先駆としての価値もある - 法華狼の日記

*2:それゆえに当時の一般感覚よりも偏見を強化しかねない物語もしばしばあったが。一例として『地球を呑む』で、女性のみが美を追求するかのような描写は、当時としても古臭い感覚だったはずだ。

2018-08-05

[][]こうの史代高橋葉介に影響を受けているという説

高橋葉介セレクション 夢幻紳士

高橋葉介セレクション 夢幻紳士

特に、まだ絵柄がかたまりきっていないデビュー作の『街角花だより』がわかりやすい。

街角花だより (アクションコミックス)

街角花だより (アクションコミックス)

たとえばメガネを外した店長の瞳は、こうの史代の近年の作品には見られない絵柄だ。

no title*1

f:id:hokke-ookami:20180805210152j:image

トーンをほとんど使わず、ベタとカケアミを使って、人物を流れるような描線で見せる。

no title*2

f:id:hokke-ookami:20180805210155j:image

露悪的な描写から、エモーショナルに展開していって気の抜けたオチをつける作風も通じる。


インターネットを軽く検索すると、やはり似たような指摘はいくつも見つかる。

こうの史代祭り | しりませんよ.blog

メガネを外した店長の眼が

高橋葉介のまんがかと思いました、一瞬。

美男子っぽい女性×髪の長い女性って

カップリングだったのでしょうか。

しかし公式に影響を語るものは否定も肯定も見当たらない。

とりあえず、あくまで印象論としてメモしておく。

*1:単行本85頁。

*2:単行本83頁。

2018-07-28

[][]中国のポスターデザイナーによるドラえもんパロディ絵が興味深い

黄海という人物による映画『STAND BY ME ドラえもん』のポスターで、中国の古典パロディになっている。

三国志演義の桃園の誓いで義兄弟になっているジャイアンが、雰囲気にあっているところが笑える。暴力的かつ理不尽な性格もふくめて、けっこう好漢っぽいキャラクターではある。

また、紹介されている範囲ではしずちゃんがいないことが目につく。そのためか、このポスターではドラえもんが孫悟空でのび太が三蔵法師。

西遊記モチーフのアニメ映画ではのび太が孫悟空となり、しずちゃんが三蔵法師だった。しかし助け助けられる関係からすれば、ポスターが原典に近いとはいえる。

2018-06-14

[][]『サザエさん』の創作背景をうかがわせるエピソードをふたつメモ

西新に疎開した長谷川町子の住居裏に、頭山満の家があったらしいという2017年のツイート

明治から昭和にいたる右翼の大物として、戦後も芸能界に影響を与えていたというから、個人的なつながりもあったのかもしれない。

ユーミンと大物右翼「頭山家」の知られざる血脈と交流 (週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

『愛国とノーサイド』(講談社刊)。同書には「松任谷家と頭山家」という副題がついている。

作中には坂本龍馬や伊藤博文、夏目漱石ら歴史上の偉人から唐十郎、萩原健一、加賀まりこ、そしてボブ・ディランといった戦後文化の担い手が続々と登場し、しかも歴史的事件や戦後の流行の背後に、通奏低音のように「頭山」と「松任谷」の両家が浮かんでは消える。


もうひとつ、TVアニメの制作に参加した放送作家、たむらようこ氏の証言。

テレビ業界に蔓延する“謎のおばちゃん像”って? メディアに「多様性」が必要な理由|ウートピ

某国民的アニメのシナリオを書いていたときに起こったことなんですが、一家のお母さんが風邪をひく話を書いたんですね。そしたら「けしからん」という声が挙がったんです。実名は出せないので、お母さんの名前は「ship」とでもしておきましょうか。制作会社の言い分としては「うちのshipは風邪をひきません。専業主婦は家族の世話をするのが仕事なのに、風邪をひくなんてけしからん」ということだったんです。

ドラマやアニメには設定があるので、設定自体は崩せないんですが、その設定自体に役割の刷り込みがある、という事例ですね。

入り婿と幼い叔父の同居など、原作が創られた当時は先鋭的だった作品が、長期の映像化によって社会観が古いまま固定されているようだ。

作品の実名を出している別のニュースでは、また別のNGがあったとも証言しつつ、やはり男女の役割り固定に疑念をていしている。

『サザエさん』の元脚本家が裏側を語る NGネタは「トイレシーン」「金魚」 | AbemaTIMES

「以前、カツオがトイレに繰り返し行く話を書いたら、却下された。理由は放送時間がお食事時であるから」

「『風鈴が最後に鳴る』と書いたところ、風鈴がある部屋は決まっているため、違う部屋での風鈴はNGということで却下になった」

「猫の『たま』がいるので、金魚を飼っているという話はかけない」

「変わらない家族の形がいい」と語る一方で、たむら氏は「日本のアニメの『お母さん』は、決まって専業主婦であることが多い。アニメの家族像が男女の役割を限定しているのは、働くお母さんを間接的に苦しめているかもしれないと感じることもある」