Hatena::ブログ(Diary)

法華狼の日記

2018-10-30

[][][][][]「運動団体や資料館に爆破予告をすると面白くなりそう」と語っていた人物が、「娯楽作品の表現や内容を制約」を「PC」がおこなう光景しか観測していない不思議

2年前、上記のようなツイートをしていたBeriya氏。当時の私は下記エントリで批判的に言及した。

爆破予告に対して運動団体が反応したことを「音の出るおもちゃ」あつかいするツイートを見かけて、気持ちが落ちこんでいる。 - 法華狼の日記

そのBeriya氏が、漫画家速水螺旋人*1と下記のようなツイートをしていた。

2年前をふりかえればわかるように、虚構における多様性を賞揚を制約する論をさがすまでもない。現実で暴力的な表現の制約が実行されつづけている。

「ネット」に限定せずとも、公正を目指した言論や表現への不当な制約は日本社会にありふれている。下記エントリで指摘したように、法哲学者や公権力まで加担している。

日本社会における、言論や表現への弾圧と批判をわける基準 - 法華狼の日記

その制約をBeriya氏のような人物は批判するどころか、第三者の嘲弄*2にまで利用してきた。なるほど、踏みつけた足の裏を人間は見ることができない。


もちろん娯楽作品でも、さまざまな表現が不当に攻撃されている。多様性の賞揚などにいたらずとも、愛国者に不都合な考証をおこなったり、被差別者の文化をとりこんだりするだけで……

14年ほど前、南京事件を描いた漫画『国が燃える』に対して、右翼活動家政治家が出版社へ抗議して、実際に表現が改変され連載が打ち切られたことがあった。

表現への抗議と攻撃 - 法華狼の日記

7年ほど前、大河ドラマ『平清盛』において「王家」という呼称を用いたことで激しいバッシングがおこなわれ、それが公式にまで伝わったことがある。

〈平清盛〉の「王家」批判は同調圧力によるヒステリックな反応│NEWSポストセブン

6年ほど前、TVアニメさくら荘のペットな彼女』の原作からのアレンジのひとつとして朝鮮半島の食文化が描写されると、制作スタッフへの誹謗中傷がおこなわれた。

『さくら荘のペットな彼女』サムゲタン選択的批判という問題 - 法華狼の日記

半年ほど前、映画『万引き家族』がカンヌ映画祭で賞を受けながら監督の主張とともに反日的な作品とされ、日本での評価が分断されていたことも記憶に新しい。

「左右両派!のバトルは終わりにして」万引き家族の是枝監督がブログで訴えたこと

つい先日も、連続テレビ小説『まんぷく』でモデルとなった人物の証言通りに憲兵を描写したところ、近現代戦史を専門とするノンフィクション作家*3などが反発した。

朝ドラ「まんぷく」の拷問シーンに「憲兵が気の毒」などと噴き上がるウヨさんたちの脳内ファンタジー - 読む・考える・書く

念のため、上記の作品に対するあらゆる批判が全て不当とは断言しないし、表現を制約する強制力や不当性はおのおので差異はあるだろう。

その一方で、上記の作品が、不当な批判を向けられたごく一部でしかないことも事実だ。せめてそのことは念頭において表現の制約を考えてほしい。

*1はてなアカウントid:rasenjin。先日にIDコールは廃止されたが、私がツイッターをしていないので、代替的に記述しておく。

*2:2年前のツイートにある「特定の弁護士」は、こちらの記事で中傷されたひとりとしてコメントしている唐沢貴洋氏のことだろう。ネット中傷後絶たず 人権侵害1900件  :日本経済新聞

*3神立尚紀氏のこと。はてなブックマーク - 神立尚紀さんのツイート: "朝ドラ「まんぷく」乱暴な憲兵の拷問シーンでもう見る気が失せた。昭和30年代40年代の戦争ドラマの見過ぎだよ。いつも悪者に描かれて、憲兵が気の毒だ。"

2018-10-20

[][]大沼保昭氏が死去したという報を見て、傾いた世界でバランスをとることの困難を思う

国際法学者の大沼保昭さんが死去 戦争責任などを研究:朝日新聞デジタル

95年に設立された「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)の理事として、元日本軍慰安婦への「償い事業」に取り組んだ。

 安倍晋三首相が15年に戦後70年の談話を出した際には、国際政治学者ら70人余の発起人代表として声明をまとめ、「日本の戦争は違法な侵略戦争だったと明確にすべきだ」と訴えた。

晩年まで上記のような活動をおこなっていた大沼氏だが、下記のように学問の自由を侵害する活動にも協力していた。

「歴史家」であることすら怪しい19人が米国教科書へ訂正要求をおこない、そこにアジア女性基金理事が連携している問題について - 法華狼の日記

【詳報】「強制連行があったとするマグロウヒル社の記述は誤り」従軍慰安婦問題で、秦郁彦氏、大沼保昭氏が会見 (1/2)

このBLOGOS記事で、会見を開いたのは秦氏だけでなく、アジア女性基金の大沼保昭氏もならんでいたことがわかった。

17日、秦郁彦日本大学名誉教授と大沼保昭・明治大学特任教授(元アジア女性基金理事)が会見を行い、同日付けで公表した「McGraw-Hill社への訂正勧告」について説明した。

妥協したなりにアジア女性基金の価値はあったかもしれないのに、それを理事自身で壊してしまいたいのだろうか。

引用部分だけなら民間の勧告にとどまるという解釈をされそうだが、現在の日本政府に近しい有力者の活動であること、直前に日本の外務省が動いていたこと、その主張が学術的知見に反していたことは考慮されるべきだろう。


単純に複数の意見の中間を選ぶだけでは、加害を否認しようとする側の、事実を歪曲しようとする側の、そして権力がある側を助けることになる。

たとえ意識していなかったとしても、いやむしろ難しさを意識しないかぎり、斜面に対して直角に立つだけでは坂を転がり落ちることになる。

バランスをとろうとして複数の対象を批判しただけでは、権力を後押しする言説ばかりが利用されて、権力に抗する言説は目立たなくされる。


大沼氏が「バランス」を意識していた証拠に、2014年朝日新聞インタビューで、下記のように語っていたことがある*1

お探しのコンテンツは見つかりませんでした:朝日新聞デジタル

「戦後日本の歩みは世界で類をみないほどの成功物語でした。日本にはそれだけの力がある。どんな人間だって『誇り』という形で自分の存在理由を見つけたい。メディアがそれを示し、バランスのとれた議論を展開すれば、日本社会は必ず健全さを取り戻すと信じています」

この「バランス」が、下記のようなコメントで高評価されていることが、きわめて象徴的だ。

はてなブックマーク - (インタビュー)日本の愛国心 明治大学特任教授・大沼保昭さん:朝日新聞デジタル

id:Day-Bee-Toe さすが。これが本物のリベラル。日本のことは何でも否定的に語り、反撥する者を罵倒する高圧的な連中とは訳が違う。 (インタビュー)日本の愛国心 明治大学特任教授・大沼保昭さん - 朝日新聞デジタル


なお、仮にも被害者を支援する事業を動かしていた大沼氏を、加害国の一市民にすぎない私が全否定できるとは思わない。

大沼氏がアジア女性基金において被害者支援をおこなったことは、妥協の産物であったとしても過ちではなかったと思いたい。過去をふりかえる著作を読んだ時、いくつかの疑問をおぼえつつも、信念をもって身を削るような活動をしていたこと自体は事実だったと感じられた。

また念のため、当時に支援運動の内外で直接的に大沼氏とかかわった人々や、研究者という側面から深く知る人々には、さらに違った印象があるだろう。私の印象が大沼氏の全体像をとらえているとは思わない。

しかし私が報道や著作をとおして知る大沼氏は、妥協に対する批判という予想された反応に耐えられず、社会の傾きに流されるように陥穽に落ちこんだままだった……晩年の大沼氏の活動や言説を読み返して、そのように感じるのだった。

*1:引用していない範囲では、ソフトパワーの中国に対する優越を前提に外交戦略を語っているあたりが、時代の潮流を素朴にとらえている感じがしてつらい。

2018-09-26

[][]小川榮太郎氏、『新潮45』でLGBTへパンツを履けと主張しながら、『夕刊フジ』で自分が下半身を丸出しにしていた

すでに要約に対して簡単な批判を書いたが*1、小川氏の『新潮45』記事は導入からしてひどいものだった*2

 テレビなどで性的嗜好をカミングアウトする云々という話を見る度に苦り切って呟く。「人間ならパンツは穿いておけよ」と。

 性的嗜好など見せるものでも聞かせるものでもない。

 男と女が相対しての性交だろうが、男の後ろに男が重なっての性交だろうが、当人同士には何物にも代えられぬ快感であっても、傍目には醜悪な興奮であって、社会の公道に曝け出すものではない。性行為を見せないのが法律の有無以前の社会常識、社会的合意であるように、性的嗜好についてあからさまに語るのは、端的に言って人迷惑である。

ここで小川氏はどのような対象を愛するかという表明と、性交そのものの描写を混同している。誰を愛するかという話題そのものを秘することを強要する。

ならば杉田水脈氏の書いた『「LGBT」支援の度がすぎる』ついても、性嫌悪的な道徳観から批判するかと思いきや、直後の文章で何も問題を感じなかったと表明する*3

騒がれ始めた時に読んだ。が、どこが問題なのか、先入観なしの一読では、私には率直な所分らなかった。

すべての性的な話題を公から退けるべきという主張すら、小川氏はすぐに矛盾をきたす。

男女が結婚して子を産むという、いかにも統一協会の理想的な情景を小川氏は社会の前提としている*4。しかし、それにつながる男女の関係も同性愛と同じくらいには性的な話題という意識がすっぽりと抜けているのだ。


この導入で小川氏は、自身について性的な話題を公からは隠しとおし、社会化や政治化もしないという立場を明言している*5

夜の顔については、自信と誇りをもって、私が夜を憚る格別な変態ではあっても、いかなるカミングアウトによってもその内情を人に公言したり、人権や抑圧などの概念によって社会化、政治化する進歩気取りの馬鹿でだけはないことを明言しておく。

しかし問題の『新潮45』が出版される約3ヶ月前、小川氏は自民党政権にまつわるセクハラ問題への反駁を『夕刊フジ』へ寄せていた*6

【国難突破】「セクハラ」の無限拡大、乱用止めよ 読者諸兄、いざ女の胸に飛び込まん! (1/2ページ) - zakzak

結婚披露宴などでの、子供をつくって先祖から培ってきた日本をさらに盛んにしよう−という趣旨の発言の何がおかしい。

「セクハラ」を無限に拡大して乱用してきた結果、現代日本の男たちは、真面目な人ほど、男女関係において萎縮している。多数の若い男性が女性に積極的にアプローチして、セクハラと言われないかとおびえている。

 その結果に違いない。最近、若い女性から驚くほど異口同音に聞かされるのは、「男性からのアプローチがまったくない」という嘆きだ。

 狂気のセクハラ概念に付き合う気など寸分もない私は、今日も女性の尻を追いかけ、口説きに、夜の巷に消えようと思う。

 読者諸兄も、夕刊フジの情報を元手にいざ女の胸に飛び込まん!

いかにも自民党支持の保守派らしい論調であり、性的情報の多いタブロイド紙らしい煽り文句である。それがWEBメディア『ZAKZAK』にも掲載され、全世界に向けて制限なく公開されている。

なんのことはない、他人のカミングアウトに文句をつけていた小川氏こそが、まるで映画『アシュラ』のソンベ市長のように下半身丸裸だったわけだ。

『アシュラ』 - 法華狼の日記

カンシャクを起こして水をズボンにこぼしながら、下半身裸のまま権力をふるうソンベは、いっそ小学生レベルか。

2018-09-19 上げたのは1日後

[][]小川榮太郎氏が「LGBT」と「痴漢」を同列視したのもひどいが、「痴漢」を「SM」や「お尻フェチ」とひとまとめにしたのもひどくね?

掲載した杉田水脈氏への批判を受けて、雑誌『新潮45』が弁護的な特集を組んでいた。

明らかにひどい執筆者ばかり選ばれているが、なかでも小川氏の文章のひどさが抜粋だけでも見当がついてしまう。

新潮45が掲載したLGBTめぐる主張「充分ふざけた概念」 - ライブドアニュース

論の後半では、「LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう」と、自身の造語であるSMAG(サドとマゾとお尻フェチと痴漢)を例に出し、

「ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである(中略)彼ら(編集部注:痴漢症候群)の触る権利を社会は保障すべきではないのか。触られる女のショックを思えというか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく」

とも書き綴っている。

逆説のつもりで「触る権利を社会は保障すべき」と主張しているらしいことがうかがえるが、ショックの主観的な大きさだけで同等視している理屈には首をかしげるしかない。

対等に相手と満たしあえるよう合意の方法を整えてきた「SM」が、痴漢と同じくらい「ふざけるな」と思われるだろうという予想もいただけない*1。むしろ、きちんとしたSM業界の人々にとって「ふざけるな」と思われるのではなかろうか。


引用された小川氏の文章は、性的欲望を満たすことを「権利」の有無で考えて、対等な関係における合意という枠組みが念頭にないことが問題のひとつだ。

仮に、痴漢的な欲望であっても、相手の人格を無視して一方的に触る権利を行使するのではなく、あらかじめ相手との合意を成立させていれば、性的加害にはなるまい。

逆に、現代社会ではマジョリティな異性愛であっても、その欲望を満たすことを一方的な「権利」として行使すれば、罪になるだろうし、罪にならなければなるまい。

いやむしろ、異性愛の延長とみなされる性的加害ゆえに、痴漢的な欲望は悪質さに比して社会で認容されているという印象すらある。その印象が事実であれば社会の過ちだ。


思えば、以前に「LGBT」へ「PZN」を加えようとしていた人々も、異性愛者との線引きは固持するように相対化の対象から外していた。

「LGBT」に「PZN」を付属させようとする人々が、欲求と実行を混乱させようとしたり、先行する言葉を隠している謎について - 法華狼の日記

こう考えていくと、セクシャルマイノリティへの攻撃というだけでなく、やはり性的加害の許容という方向からも小川氏をただしていくべきだろう。当人は逆説の意図があろうとも、その言葉の選択や線引きの対象から、何が加害になるのか根本のところで理解できていない疑いがある。

そもそも小川榮太郎氏は、あの「山口敬之さんを励ます会」のメンバーのひとりとして、有本香氏が紹介していたこともあるのだ。

山口氏は「LGBT」とは表明していないし、「SMAG」とも表明していない。おそらくマジョリティの異性愛者ではあろう。しかしその行為こそ「ふざけるな」といわざるをえないものだった。

*1:痴漢ほど明らかに性的加害へむすびつくわけでもない「お尻フェチ」にいたっては、カジュアルな欲望としてむしろ珍しくない部類ではなかろうか。

2018-06-30

[][]“相手が風俗産業に従事していれば、性行為は日常だから、一方的でもレイプにならない”といいたげな暴論を見かけるけど

あえてセックスワーク*1等への差別を無視するとしても、この社会で通用するべきでない主張だ。

たとえば“相手がプロのイラストレイターなら、苦も無く絵を描けるはずだから、広告絵の作成で買い叩いていい”と置きかえてみよう。典型的な搾取がここにある。

*1:念のため、風俗産業とイコールではない。