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法華狼の日記

2018-05-02 上げたのは1日後

[][]『ある会社員』

ヒョンドのつとめる会社は、金属貿易という表向きの顔と、暗殺請負という裏の顔をもっていた。

そして新人の初仕事にたちあったヒョンドは、会社の指示どおりに業務をすませようとしたが……


イム・サンユン監督脚本による2012年の韓国映画。組織人の悲哀をスタイリッシュなアクションで描いていく。

ある会社員(字幕版)

ある会社員(字幕版)

冒頭から複雑な殺陣と意外な展開が連発して、カメラワークも計算された構図が多い。さらにVFXを多用して、カメラは自由自在に建物をつきぬけ、隠し扉はわざわざ壁に溶けこむように描写する。

同じく組織の暗殺者を主人公とした韓国映画『泣く男』*1が、娯楽として平均的なリアリティはあったことと比べて、作為的にアンリアルな世界観がつらぬかれている。


この作品は特殊な暗殺者の物語ではなく、一般的な会社員の悲哀を寓話化している。

ストーリーとドラマを動かすのは、飲み会で仲間意識を育てようとするイベントや、使いつぶされるアルバイトなどの、ありふれた会社の情景だ。暗殺描写は記号的で、背景の死は軽く処理されている。

極端にいえば、業務内容は暗殺でなくても物語そのものは成立する。アクションは娯楽として見ばえがするフォーマットにすぎない。いわば、どのような趣味がテーマのTVアニメでも、主人公を少女に設定するようなものだ。

迫真のアクションをそつなくこなせる現代の韓国映画ならではの、一種のファンタジーとして興味深かった。

2018-04-14

[][]『バーフバリ2 王の凱旋』

栄華をきわめたマヒシュマティ王国。その国母シヴァガミに命じられ、先代バーフバリは諸国を漫遊して、次期国王として見聞を広めることとなった。

クンタラ王国についた先代は、女性ながら王族として盗賊退治をおこなうデーヴァセーナに惚れこむ。しかし王位争いで負けたバラーラデーヴァが先手をうち、デーヴァセーナとの婚姻を後押しするようシヴァガミに認めさせた。

マヒシュマティ王国とクンタラ王国は誇りをかけて衝突することとなり、先代とシヴァガミのたがいの誤解も確執を生んでしまう。さらに先代の周囲から仲間が脱落していく。すべてはバラーラデーヴァの策謀だった。

やがて先代が謀殺され、マヒシュマティ王国はバラーラデーヴァに支配された。しかし時をへて、息子バーフバリが、いくつもの試練をかいくぐり、仲間をひきいて進撃してくる……


『バーフバリ 伝説誕生』の続編にして、完結編として2017年に公開されたインド映画。破格の予算をそそぎこみ、インド歴代1位の大ヒットを叩きだしたという。

映画『バーフバリ 王の凱旋』完全版公式サイト

インド映画をまったくといっていいほど観たことがないので、良いところも悪いところも、この作品だけの特色なのか、インド映画の潮流なのかわからない。

それでも、インドの技術力と資本力を感じたことは確かだし、娯楽大作として普遍的に楽しめる内容だと感じられた。苦手なミュージカル演出も、視聴した短縮版では明らかなイメージシーンに1回あるだけで、他は素直に挿入歌でもりあげるだけなので見やすい。


また、高い評価を聞いて観賞したのはこの続編だけで、前編はいくつかの情報を見かけたのみ。単独でも楽しめると聞いたし、作品として完成度が上がっているという評価もあったからだ。

たしかに前半は先代の因縁を語る前日譚として独立しており、後半も前半までの情報だけで流れを追うことはできた。冒頭で描かれるシヴァガミの儀式が、時をへて再演されることの重みもよくわかる。それ以外でも、前日譚の描写を反復していくことで、伝説を実現する高揚感がわかりやすく、継承と発展のドラマとして見ごたえがあった*1

見ながら連想したのが、たとえば漫画『ベルセルク』などの、長期シリーズに組みこまれた前日譚だ。完結していて楽しみやすく、前日譚ゆえ描写をひきのばす無駄がなく、主人公格でも容赦なく転落させられる。ゆえに人気が集中しやすく、それ単独で映像化されたりもする。

そうした作品の前日譚は、長期シリーズの終わりが見えないからこそ、相対的に評価があがる側面もある。

しかし『バーフバリ2』は、前日譚が終わった瞬間、そのまま決戦に突入して、息つくひまもなくクライマックスを駆け抜けた。長い上映時間を飽きさせないどころか、尻上がりに濃密になっていった。


また、VFXを多用した時代劇的な大作映画として、期待以上によくできていた。

序盤は平面的に見えてしまう情景も多かったが、それもふくめてディテールが繊細で、劇場作品として通用するクオリティになっている。インド映画で最高の制作予算がそそぎこまれたことを考慮しても、さらに緻密なVFXを作れそうな余裕が感じられた。韓国映画のVFXが、繊細さは作品を成立させるための最低限にとどめ、多彩なアイデアを効果的に実現することを優先していることと対照的だ。

VFXの見せ場も、架空の都市や地形や、アクションシーンの補助にとどまらない。動物CGは多彩でハイクオリティだし*2、バーフバリ父子の計略で戦場を動かすガジェットでもCGが大活躍。いかにもファンタジーらしい中盤のイメージシーンすら、セットとCGの境目がよくわからない。

3DCG群衆は、よく見ると動きが単純で、ポーズの種類が少ないのは残念。しかし後景や危険な撮影にのみ用いて、できるかぎり実物大セットとエキストラを活用しているので気にならない。クライマックスのメイキングを見ると、グリーンバックで後景を合成しているが、それがなくても戦争映画として成立しそうな撮影風景に驚かされた*3

Q&A with S.S. Rajamouli on ’Baahubali’ from Baahubali 2: The Conclusion (2017)

もともとインドは映画大国であり、広大なオープンセットや多数のエキストラやスタッフが使えることから、ハリウッド映画なども外注している。さらに国家としてIT技術が世界的にもトップクラスとなった昨今、VFXなどでも活躍するようになったという。そうした映画産業の総合力を感じさせる完成度だった。


アクション作品としては、先代バーフバリの足跡をたどる途中までは日本の時代劇レベルだと感じた。主人公が斧や弓矢をつかう珍しさがあったくらい。

近年のアクション映画としては殺陣の動きが遅くて、カメラワークにも工夫がない。主人公たちが戦っている背後のエキストラは、あまりアクションにやる気を感じさせない。クンタラ王国へマヒシュマティ王国が攻めこんできてからも、オープンセットやVFXの規模感はすごいが、ファンタジー映画らしいデフォルメされた特撮にとどまる。

しかし先代バーフバリの描写は、船が飛翔する場面などもふくめて、あくまで劇中で語られる伝説としてとらえれば問題ない。すべてが劇中の事実だったわけではなく、先代をたたえる誇張された逸話をイメージとして描いたものだ。

そして現バーフバリがマヒシュマティ王国へ進撃してからは、一気に画面が現代的な水準へと引き上げられる。スローモーションや手持ちカメラで戦いを迫真的に撮影して、破壊されたオブジェクトが画面に舞いつつ、やりすぎたりうるさくなったりしない。後景のエキストラも手を抜かずアクションしている。カットも割りすぎず、引いた構図で戦いの全景をとらえて、戦場の奥行きと肉体の衝突が実感できる。

評判になった現バーフバリが城壁を越える方法も、それ単独では良い意味で笑えるだけだが、映画の流れで見れば世界観を逸脱せず、伝説的な伏線もはられている。父が樹木で城壁を降りたことの反転であり、庶民を助ける工夫の活用である。そこに困難を突破する爽快感と英雄への賛歌がくみあわさり、いやおうにも気分が盛りあがった。しかも越えるだけで終わらず、連続して主人公のアクションをもりあげる背景としても活用される。

奇策ひとつで一気呵成に勝利するのではなく、順当な作戦につないでリアリティを調節しなおすクレバーさもある。城内に突入してからも、不安定な足場で戦うシークエンスをくりかえして、アクションが単調にならなかった。


そして、先代が諸国をまわって見聞を広める前半は、物語としても良くも悪くも日本の時代劇を思い出させた。

正体を隠して世直しをするのはいいとして、あくまで王族ゆえの余裕で人助けしているだけで、しょせん社会制度の問題にまで目を向けることはない。きびしくいえば先代のありようは傲慢といってもいい。

そもそも先代が自身の正体を早々に明かしていれば、嫁取りをめぐっての戦争が起きなかったはずだ。先代はクンタラ王国を守り、マヒシュマティ王国と戦うわけだが、そこで名も無き兵士が無駄死にしていることには目を向けない。マヒシュマティ王国もまた傲慢に侵攻するわけだが、まだ国家全体が腐敗しているわけではなく、前線で戦う兵士に罪も責もないだろう。

しかし中盤からの、国母の妥当な選択が最悪な結果をまねきつづけ、先代ともども転落していくのを見ていて、庶民を理解できない覇王として先代を自覚的に描いているのでは、と感じられた。もともと世直し描写は短くて、転落後をあわせても、先代が庶民の立場を見聞できる局面は少ない。

先代はたしかに快活な性格だが、それで人間として好感をもてるかというと、どこか周囲から浮いている。デーヴァセーナの兄弟を助けて友人となるが、対等な関係はつくれずに、やはり最悪の結果につながってしまった。転落を決定づける家臣の裏切りを見抜けなかったのも、立場や心の弱い人間を先代が理解できなかったためだ。

覇王たる先代を真に理解できていたのは、たぶん魔王たるバラーラデーヴァだけだった。だからこそ人心をまどわして先代を孤立させる陰謀も成功したのだろう。


逆にいえば、子バーフバリがバラーラデーヴァに対抗できたのは、王族という身分を離れて庶民とともに育ったからだ。

クンタラ王国との無意味な争いと違って、祖国を解放するために必要な戦いだ。驚愕の城壁越えも、バーフバリが先陣をきるが、獣を利用した先代とちがって、兵士と対等な立場で協力し、さらに同志がつづいて突入していく。ただ英雄が地に足をつけるのではなく、仲間とともに飛躍したことが勝利へと結びつく。

最後に主人公が提示する国家のかたちも、ただ権力者が善政をしくだけの古典的な社会観ではなく、歴史劇なりに現代的にアップデートされている。それが父の限界と挫折を息子が乗りこえたドラマとしても成立していた。

*1:ただし、いくつかの思わせぶりな描写は前編を前提としているようで、やはり物語を細部まで楽しむには前編も観ておくべきだろう。

*2:飛ぶ鳥の羽毛が細かくふるえていることには感心させられた。

*3:インド映画のため、公式にアップロードされたメイキングの判断が難しいが、とりあえずIMDBならば問題ないだろう。

2018-04-03 上げたのは5日後

[][]『ハドソン川の奇跡』

サレンバーガー機長は、旅客機が都市に墜落する幻覚に苦しんでいた。河川への奇跡的な不時着を成功させた機長だが、英雄として市民にたたえられながらも、国家運輸安全委員会から疑惑が向けられていたのだ……


日本でも報じられた2009年の美談にもとづく、2016年の米国映画。クリント・イーストウッド監督、トム・ハンクス主演。

映画『ハドソン川の奇跡』オフィシャルサイト

もととなった実話は、わかりやすい美談でありつつ、長編映画にするには内容が単純すぎる。離陸直後に1分単位でバードストライクの発生からエンジン停止、不時着までおこなわれていて、不時着後の救助終了をふくめても約1時間しかなく、リアルタイムで描いても時間があまる。

SNSが発達した時代に都市部で起きた事故であり、一般人が撮影した不時着映像も知られていて、意外性を演出することも難しい。


ゆえに映画が始まった時点で奇跡があったことは明かされており、それでも機長は葛藤している。そこから事故対応として不時着が妥当だったかを問われる展開がはじまる。

実際は左エンジンが稼働可能だったという情報が記録されていたこと。エンジンが動かなくても滑空して着陸できる距離の空港が複数あったこと……

ここから映画は、美談の裏側に隠された複雑な背景を描いたり、報道によって美談が実態より誇張されたことが示されたりする……かと思っていた。


たしかに機長は事故の記憶がフラッシュバックすることに苦しみ、市民からの賞賛を素直に受けとることもできないでいた。それは映画の中盤で事故から救助までを回想しても変わらなかった。

しかし事故調査の公聴会において、テストパイロットが事故からの空港着陸シミュレーションを成功させた後、機長と副機長が指摘する。準備してない事故が起きて、心理として直後に空港へ向かえるはずがない、と。

その指摘を受けいれてシミュレーションをふたたびおこなうと、事故から復旧まで35秒をおいたテストパイロットは、空港にたどりつくことができなかった。

テストパイロットがシミュレーションを放棄して航空機が建物にぶつかるへまかせた一方、実際の音声にもとづいて再現された機長たちは最後まで最善をつくしていく……


つまりこの映画は、データの数字で判断したライバルチームに対して、人間的で経験もあるベテランチームが判断の正しさを示すという構図の物語だったのだ。不正解と対比することで、どこまでが正解だったか、そしてその選択をした凄味がわかる。

そう理解して全体を見ると、1時間半を少し超えた尺に、描写の無駄はどこにもない。機長に向けられた主な疑惑は、中盤の回想を伏線として、機長の行動が必然的であったことを示していく。

膨大なチェックリストを読みあげる手続きがあり、空港が受けいれられるか管制官とやりとりする必要があり、事故直後から空港へ向かえたわけがない。インスタントラーメンを作る3分間に、湯を入れたりスープを溶かす時間を足さなければならないようなものだ*1

それどころか機長はチェックリストを飛ばして補助エンジンを始動していた。副機長や管制官とのやりとりも間断なくつづけられて、一瞬も手を抜く場面がないとわかる。エンジンを再始動するこころみもくりかえし描写され、左エンジンを使わなかったという批判が的外れだったと解説されずとも実感できる。


いったん美談を懐疑することで、あざとさを消し去り、いっそう緻密で強固な美談を再構築できる。

本当によくできたプロパガンダは、そうと受け手が理解していたとしても、きちんと楽しませる。

機長と市民をたたえる娯楽作品として、素直に楽しめるエンターテイメントとして完成されていた。

*1:もちろんこの国家運輸安全委員会のありようは、あくまで映画のための誇張ではあるが。

2018-02-10 上げたのは1日後

[][]2017年TVアニメ各作品について簡単な感想

おおむね全話見た作品を、いくつか五十音順で。いくつか別作品の感想も後日にまとめるつもり。


『アイドルマスター SideM』

作画は安定して整っていたし、多数のアイドルキャラクターをチーム分けして区別できるようにできていたが、起伏が少なくて物語が淡々としすぎた印象。


『アイドルマスター シンデレラガールズ劇場(第2期)』

あまり過去のアニメ化では印象に残らなかった緒方智絵里が、今作のEDの仕草だけでいたいけなキャラクターと感じさせた。


『アニメガタリズ』

オシャレ演出あるあるで構成されたOPとEDは、パロディでありつつ普通によくできていた。アニメの感想を語りあうだけの日常風景も、学生に可能な範囲で自主制作を成功させる過程も、けっこう楽しい。

ただ、日常的な学園生活から急激にメタフィクションへ移行する落差は、いくら伏線があったとはいえ衝撃的だった。何となく日常に回帰して終わる構成ともども『サムライフラメンコ』を思い出す。


『いぬやしき』

ひとりの藤子F読者としては、『中年スーパーマン左江内氏』VS『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』が楽しくないわけがない。『GANTZ』みたいに謎で引っぱらず、あっさり最初に設定を提示しておいたのも良かった。


『Infini-T Force』

序盤の3DCGアクションで期待したような爽快感がなく、娯楽としては期待外れ。タツノコヒーローのクロスオーバー作品というより、思春期的なとまどいをもつ少女が状況にゆりうごかされて自己を確立していくSF版『中学生日記』だった。

最初の大型バイクに乗る姿から期待したほどには少女が行動的でなく、ただ捨て鉢なだけだったことも残念。最終的な結論は悪くないが、長く描いた悩みのわりには平凡。


『EVIL OR LIVE』

前例はあるものの全話シネマスコープサイズという試みは興味深かったが、作画が弱くて効果を上げられていなかった。刑務所のように服装が没個性で閉鎖的な矯正施設を舞台としているので、ひたすら画面が地味。暴力で肉体が汚れたり傷つく描写も、絵が弱くて実感がない。たぶん実写ドラマにしたほうが良かったと思う。


『URAHARA』

オシャレでポップな画面を目指していそうなわりに、画面分割の単調さが足をひっぱる。もっと最初から多様なワイプ表現を試すべき。

ただ、メインキャラクターの長い闇堕ちと、どんでん返しの連続をとおして、クリエイトの根源を見つめようとしたドラマは嫌いではない。


『ウルトラマンジード』

決め言葉の「ジーッとしててもドーにもならねぇ」が気恥ずかしくて、最後まで主人公のドラマに乗れなかった。かといって、もう一方の主人公も社会生活とのおりあいで苦労している設定でいて、現代の水準からすると余裕ある生活に見えてしまう……


『王様ゲーム The Animation』

全体として登場人物の頭が悪すぎる。ひとつの指令から次の指令まで24時間の余裕があるのに、試行錯誤するのが数人だけ。経験者の主人公にいたっては前ゲームから今ゲームまで何もしていない。指令を自分で決められる状況になっても、わざわざリスクを負うような条件をつけて自滅する人間ばかりで、誰にも同情しづらい。ひっぱったわりに真相の説得力も皆無。

最初に全てをあきらめた態度をとって村八分された主人公が、いつのまにか不屈のキャラクターあつかいされて、クラスメートから全幅の信頼がおかれているという展開も意味不明。最初からゲームに一貫して対抗しつづける主人公像に改変するべきだろう。対比的に声優の熱演は凄かったが……


『お酒は夫婦になってから』

普段の職場でのキリッとした場面がもっとないと、アルコールでだらしなくなるギャップが際立たない。


『血界戦線 & BEYOND』

ED演出でひさびさに松本理恵がクレジットされたり、全体としてアニメ1期を尊重した作りなのが好ましかった。


『Code:Realize 〜創世の姫君〜』

いかにもゲームらしい装飾的なデザインを簡素化して、あまり動かさずにアニメ化。しかし簡素化の程度が一定から落ちず、印象は悪くない。すべてを再現しようとして現場に負担をかけるより、これくらい力を抜いて安定させたほうが見やすい。

ヒロインが毒の体をもつため誰も生身でふれられない設定も、ストイックな雰囲気につながった。これくらい気負わない作品もあっていい。


『このはな綺譚』

怪奇譚的な重い話を、キャラクターの軽やかさは損ねないまま、ちゃんと重く描けていた。舞台の此花亭が成立した経緯をきちんと主人公の物語にくみこんだことで、日常のつづく物語なりにまとまりもある。


『十二大戦』

同期のデスゲーム物と比べれば、それなりに知恵をつかった異能アクションになっていて、娯楽活劇としては充分だった。手描き作画と3DCGを自然におりまぜたバトルアニメとしての見どころはある。

ただ、過去回想をしたキャラクターから敗北していくというデスゲーム物のパターンを崩すことはできなかった。原作で最初に発表されたという最終話が、過程はともかく結論が平凡だったのも残念。


『つうかあ』

メカを媒介とした百合であり、男を媒介とした百合である。争奪する対象であった時のコーチが顔を見せず、争奪できる対象ではなくなった時からコーチの顔が見えるという演出がわかりやすい。

ただ、レース物として見ると、1クールかけながら実質的にひとつの試合だけ、それも天候不順などの不規則な状況で終わったのが残念。


『Dies irae』

作画をはじめとして色々と雑だった第0話は、無くても良かった。本編も設定や物語は凡庸で、中途半端すぎるところで放送を中断したことには唖然とした。ただ、異能アクションアニメとしては力のぬきどころがうまくて、描き込んでいないのに戦闘描写はきちんと成立していた。


『ネト充のススメ』

作画が安定するだけでなく、第2話など表現主義的な見どころがあった。ネットとリアルそれぞれのつらさを描きつつ肯定しようとする物語の大筋も嫌いではない。

しかし、ネットゲームとリアルのギャップで楽しませるには、リアルでも人間関係がつながっているという御都合主義が多すぎた。近隣在住の人間でチームを組んだという設定をなんとかこじつけることはできなかったか。


『干物妹!うまるちゃんR』

周囲に友人ができすぎて、外面内面のギャップ描写がどんどん意味をなさなくなり、ジャンルが変わってきている。初期と最近の『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』の変化と同じだ。その結果として残ったゲーム愛好設定を起点として、デパートの栄枯盛衰をめぐる物語は良かったが。


『ブレンド・S』

マイルドな『WORKING!!』という感じで、気楽に見られた。そのかわりに物語を成立させるため、店長のセクハラ的な店舗運営に歪みが集中していることはつらかったが。


『鬼灯の冷徹(第弐期)』

地獄の豆知識をおりまぜたキャラクターギャグアニメとして肩ひじはらない良さがある。制作会社が変わって映像面でゆるくなったが、これくらいが作品の雰囲気にあっていてちょうどいい。


『僕の彼女がマジメ過ぎるしょびっちな件』

EDの動きのぎこちなさが、演出や作画の意図かどうかはともかく、学生の幼さの表現としてよくできていた。

しかし性的に解放されている作品なようでいて、後半にホモフォビアな描写が増えてきたのが残念。『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』と同じく、保守反動な性的消費観を内面化することからは逃れられなかった。


『ラブ米 -WE LOVE RICE- 二期作』

キャラクターが増えるアイドルアニメ続編の悪癖として、既存のアイドル個々の印象が薄くなった本筋は残念。ただ単発の『君の名は。』パロディは5分間に凝縮徹底して良かった。


『ラブライブ!サンシャイン!! 2期』

それなりに深刻なことでも、日常のせせこましいことでも、全力で悲しんで全力で楽しむ……そんな日々の一瞬を大切にしようとする青春物語として、とても良かった。悪印象だけだった1期のライバルチームを、その性格を変えることなくフォローしたことも感心した。大きな目標で敗北した後の、その先を描く物語だったと作品全体を位置づけたOPギミックも素晴らしい。


『妖怪アパートの幽雅な日常』

優等生という設定で不良を批判しながら、自身の価値観が不良漫画でしかない主人公に違和感。さらに個人主義な現代を憂うことと、パターナリズムを批判することを同時にやろうとして、他人が近づいても遠ざかっても主人公が不満をもらすという、ひたすら身勝手なキャラクターになってしまっている。

全てが運命論で結論づけられることや、作画の弱さもあって、まるで宗教アニメを見ているかのよう。原作小説の評判を調べると、これでも漫画化からTVアニメ化をへてマイルドになっているらしいが……

2018-01-23 上げたのは1日後

[][]『里見八犬伝』

里見家にうらみを抱いた怨霊と、その息子がひきいる蟇田家の軍勢に、里見家が滅ぼされた。脱出できたのは静姫ひとり。

そんな静姫が男装しているところに、戦で手柄をあげられなかった親兵衛が出会う。静姫が女と気づいた親兵衛は襲いかかった。

やがて逃げつづける静姫を中心として八犬士が集まっていくが、怨霊も自身の若さをたもつため静姫の皮膚を欲していた……


1983年の深作欣二監督作品。原典の『南総里見八犬伝』そのものではなく、鎌田敏夫の翻案小説『新・里見八犬伝』が原作となっている。

里見八犬伝 : 角川映画

里見八犬伝

里見八犬伝

英語のロック音楽を主題歌にしたりと細部で当時の若者を意識しつつ、どこまでもビジュアルは時代劇的で、敵のデザインも歌舞伎の延長上。それゆえ現在に見ても映像がさほど古びていない。

殺陣はダンスのように華麗でスピーディ、さまざまなスタジオセットは充分なスケール感があり*1、矢島信男特撮監督による短いながらクオリティの高いミニチュア崩壊も楽しめる。ひとつの和風ファンタジー映画として、まずまずの佳作。


物語はほとんどオリジナルストーリーだが、2時間以上の長尺でも、長大な原典をそのまま映像化することは困難なはずだ。そこで終盤に登場するキャラクターを使って、新たなストーリーをシンプルにまとめるというのもひとつの判断だろう。

メインで展開されるのは、静姫による里見家の再興と、親兵衛の葛藤。原典からも複数のエピソードを引用しているが、怪猫に騙されるエピソードを舟虫に置きかえたりして、登場人物を整理している。霊玉や村雨の争奪戦も出てこず、敵味方の争奪対象は静姫ひとりに整理されている*2


そもそも原典で里見家を助ける坊主ふたりを最初から犬士ふたりに置きかえていて、何もないところから犬士が集まっていくストーリーではなくなっている。そのように立場を決めてくる運命に対して、最後に犬士となる親兵衛が自分で立場を選ぼうとするストーリーだ。

里見家だけでなく蟇田家の宿命をも負っている親兵衛の立場はドラマチックだし、静姫を助けるために敵の居城で次々に犬士が犠牲になっていく展開もエンターテイメントとしてわかりやすい。

そうしたストーリーの構造だけならば、宇宙SFに翻案した深作欣二作品『宇宙からのメッセージ』*3のほうが原典に近いといってもいい。逆に、主人公をひとりに集約して、途中で敵との因縁も明かされる『里見八犬伝』は、より『スターウォーズ』の構造に近いともいえる。

*1:岩壁にぶつかる場面でボヨヨンとゆれる気まずいカットがあったのは残念だが。

*2:ただ、浜路をめぐるエピソードだけは原典から引いているが、本心を吐露する浜路が無駄に危険をおかしていて、関連する犬士同士の衝突にも無理をきたしていた。この浜路も静姫とひとつのキャラクターに整理するべきだったと思う。

*3『宇宙からのメッセージ』 - 法華狼の日記