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2008-04-16

「平穏な生活」という欺瞞

特に新たな論点、というのも無いのだけれど、

http://d.hatena.ne.jp/eiji8pou/20080415/1208276616

念の為にもう一度はっきりさせますが、「立川テントが、平和に暮らしていた自衛隊官舎に不法侵入した」ことは、いい加減認めてはいかがでしょうか。招かれざる客であったことは確かなのでしょう?

そして児童ポルノ関連については、「児童ポルノ規制派が、平和に暮らしていた二次元オタクに難癖をつけた」のです。

個人的に、このような認識に対して規制反対派がどのように感じるか気になったので。高橋直樹さんなどはもちろんこのような恥ずべき立場を取らないと思うけど、2ちゃんなんかにいる規制反対派の中にはこういう人もいそうだと思った*1

自分達は「無垢な一般市民」であり、何らかの政治的勢力の争いに巻き込まれる被害者であるという幻想。

これはつまり、

本当に居住権や平穏権を問題にしているとすれば、つまりイラク戦争へのビラに対する不快感の正当性として居住権や平穏権を持ち出したならば、これほどの欺瞞は無いでしょう?

と先日のエントリの追記で書いたことが、実は全く共有されていなかった、という事態なのだろう。

日本国はもちろんイラク戦争に加担しているのであって、日本社会に生きる我々はすべて、イラク戦争に対して当事者であるということは言うまでも無い。そして、我々全員が当事者なのだが、直接の加担を行っている自衛隊とその関係者としての家族ももちろん当事者である。それを前提としたうえで、「平穏な生活」どころか、最早生活を送ることすら困難であるイラク戦争という事態への異議申し立てに対して、それを聞かされるのは不快であり「平穏な生活」を乱されるので、そのような政治的メッセージから保護されるべきだとするのは滑稽でしかない。

であるならば、宿舎へのビラは「平穏な生活」を乱してますよね?という問いに対しては、もちろんふつう考える意味での「平穏な生活の侵害」(騒音とか)かと言われれば違う気もするが、たとえばイラク戦争に反対するビラを自分の領域に投げかけられたときの不快感や恐怖感を感じることが「平穏な生活の侵害」だと言うならば、「ええ、乱してますが何か?」と言うべきなのだろう。欺瞞が暴かれて不快に思うのは当然だから。むしろ乱せなかったほうが、欺瞞をきちんと暴けなかったという意味で、政治的メッセージとしては失敗である。

もちろん、メッセージに賛同であれば少なくとも不快感は無いのだから、不快に感じていただかないにこしたことはないけれども、自分達がただ平和に暮らしているだけの無垢な市民であると信じていたい当事者たちにそれが不快に受け止められるのは、それは事実として当然だろう。

また、目的は手段を正当化しないという、最近では最早手垢のついた批判もあちこちで見かけるが、これは間違いで、目的は手段を正当化するのである。これはもちろん目的のためなら何をしてもよい、ということではなく、目的に応じて取り得る手段の「政治的」正当性の範囲が決定する、というごく当たり前なことを言っているだけのことだ。

たとえば、いかなる政治的メッセージであろうと静かな住宅街で大きな騒音を立てることは一般的には行き過ぎだと考えられているが、「要塞化」したアメリカの郊外白人住宅地において街宣車並みの「騒音」を立てることは、それ自体が十分政治的メッセージである。「投石」という行為は、それがホームレスに対してであるかソ連軍の戦車に対してであるかによって意味が全く変わってくるだろう。また、チベットの「暴動」を見た国際世論は、チベットを非難するどころかすすんでチベットの味方になったのである。

いかなる政治的行為からも政治的メッセージを抜いて行為そのものしか見ない人というのはいるものだが、実は抑圧に加担する多数派というのは、彼らのような人々であることがままある。たとえばチベット問題に対して政府を擁護しチベットを非難する中国の市民は、チベット弾圧が正しいと思っているから政府を支持しているのではなく、チベット問題について知識は無いが、まさにチベット暴動によって「平穏な生活」が乱される「不快感」という一点でチベットを非難している者が多数であろう。彼らが平和を願っているのは恐らく本心だが*2、しかしそれは結果としてチベットへの弾圧に手を貸しているのだ。

政治的対立によって抑圧が生まれているのならともかく、「平穏な生活」を望むことによる自らの非政治化という欺瞞が抑圧を忘れることで抑圧を強化しているならば、われわれは「観客席」など無いという事実をいくら言っても言い過ぎることは無いのである。そして政治的メッセージに対する不快感は、何と言いつくろおうが開き直ろうが政治的な反応に他ならないのだから、その意味ではビラは成功していたのかもしれない。

*1:ただまあ、偉大なるゾーニング・相対主義者が陥りやすい構図ではあるが。

*2:その感情自体は否定しない。もちろん「平穏な生活」を望む自称「非・政治的」市民のも。

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