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2008-05-23

「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127

今は道徳の時間です。あなたは小学校の教師です。道徳の時間はテレビ見せてればいいだけですからラクなものです。今日のテーマは「かわいそうなぞう」。舞台は戦中の日本。空襲が激しくなった大都市で、参謀本部は動物園の動物達を殺すことを決断するのです。当然飼育員は反対します。しかし軍は「オリが壊れて猛獣が暴れてもいいのか!」といいます。それ以前に軍に逆らえるはずがありません。泣く泣く飼育員は動物達を殺すことを決断します。ところが、ぞうのハナコだけは毒の入ったエサを食べません。飼育員は、エサを与えないで餓死させるようにしました。ハナコは、弱った体で芸を見せます。芸を見せればエサがもらえると思っているのです。感動の名場面!女の子の一部は泣いています。後ろでハナクソほじっている奴は無視です。モンハンやっている奴を発見したら、取り上げるかもしくはまざりましょう。さて、そのようなハナコの努力も空しく、ある日飼育員がオリを覗いたら、ハナコは死んでいたのでした。

物語は、現在の楽しげな動物園の様子を移してエンディング。あなたはテレビのスイッチを消します。そのとき、いちばん後ろで拍手が起こります。そうです、あれは我らが経営学者様です。「すばらしい!参謀本部も飼育員もトリアージを理解している!かわいそうと言うだけでは何も解決しない!」

さてあなたはその後、彼を教壇まで招いて、うやうやしくトリアージなるものについての講義をお願いするべきでしょうか。おそらくあなたがするべき最善の行動は、ぽかんとしている子供たちを横目に、丁重に経営学者様を教室から追い出すことでしょう。なにやらホンネだかネンネだかおっしゃっているようですが、我々にはあまり関係が無いことなので無視してしまって結構です。

というわけで、何か書こうと思ったら常野さんにhttp://d.hatena.ne.jp/toled/20080523/p1全部言われてしまったので、くやしいのでこのような寓話をつくってみた次第です。

さて、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。問題は「適切な配分」とは何かです。

資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる

経営学者様はこれが肝心だといいます。例として彼は四川大地震をあげました。ぼくもひとつ適切な例を知っています。ホロコーストです。

資源の有限性(アーリア民族の生存圏)がその合目的的(アーリア民族の生存)な最適配分(アーリア民族への配分、障害者やユダヤ人の切り捨て=虐殺)を促し、戦略性(ガス室)やリーダーシップ(総統の独裁)や組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)も意思決定(最終的解決)も価値判断(アーリア民族至上主義)もそこから始まる

これこそ経営学的には素晴らしい組織です。ユダヤ人がかわいそう?そんなこと言ってたら(最終的)解決しませんよ!偉大なるアーリア民族が貧窮してもいいんですか?というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。

いやだって、どう見ても上のって全体主義理論じゃん!

トリアージという発想がもともと野戦病院発、いかに効率的に人を前線に再投入するか、つまりいかに効率的に人を殺していくか、という考えから出てきたものです。われわれはそれがいかに人を助けるかという救急救命の思想へと変容していったかという、歴史社会学的な観点を持つべきです。この点で今現在、四川省で、あるいはかつて福知山線の事故で救急救命にあたった医療関係者にたいしては、当然敬意が払われるべきです。しかし、われわれは同時に、このトリアージという概念が戦争における技術的価値観から生じたものであり、トリアージはけしてその矛盾から逃れることは出来ないということは忘れてはなりません。なぜならば、トリアージがいったん、たとえば我らが経営学者様の手にかかって、救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき、上のような全体主義思想が復活するのです。

「かわいそう」の一言は、その全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立てに他なりません。いわば、「王様は裸だ」と叫ぶ無邪気な子供のようです。たくさんの兵隊を連れて行進する王様にたいして、片やもう一方の経営学者様は彼女の単位を左右します。童話の王様は恥ずかしくなって逃げ出しますが、現代の王様は一味違います。「バカだなあ。王様が裸なんて当たり前じゃないか」と自らの裸を誇示するのです。

さて、「かわいそうなぞう」は何故「かわいそう」なのでしょうか。ぞうのハナコは、人間の安全を取るか、動物の命を取るか、という「苦渋の」合理的決断に殉じたのではありません。戦争、日本軍、あるいは「動物園」という形態……さまざまな人間社会の欺瞞によって殺されたのです。つまり、ハナコは合理性という王冠を被った裸の王様に殺されたのです。

それでも、このような欺瞞こそが人間社会なのであって批判は青臭いというなら、それはそれで構いません。ただしそのとき、我々はアウシュビッツを批判する視座を失うわけですが。

carrion-crowcarrion-crow 2008/05/23 22:20 算数の時間だったんだけど、例題があんまり道徳的じゃなかったんで保護者に怒られた的な?

全体主義と普通の社会は滑らかに繋がってるんじゃないかな。普通の社会がいつの間にかアウシュビッツになりかねない、ということをして、「アウシュビッツを批判できない」ということは無いような気がするけど。俺、関係ない話してる?

hokusyuhokusyu 2008/05/23 22:35 「全体主義と普通の社会は滑らかに繋がってる」からこそ、われわれが普通の社会を批判する視座を失った場合、それとは切り離されたアウシュビッツ批判が存在すると思うことは幻想になるんじゃないの。

madashanmadashan 2008/05/24 01:47 こんばんは。

ブクマで返答して頂いたので。

門外漢なんで通俗的理解しかしてないんだけど、ユダヤ人虐殺ってナチの自己目的じゃなかったの?つまり、いつ頃出てきたかとか、党のどの辺りが主体になったかとかいうことではなくて、その作戦が自己完結していて、それよりも上位の「合理的」目的を持たなかった、という風に理解しているのだけど、間違い?(エントリと関係ない話で申し訳ないのですが。)

って、書いてから気づいたけど、

>資源の有限性(アーリア民族の生存圏)がその合目的的(アーリア民族の生存)な最適配分(アーリア民族への配分、障害者やユダヤ人の切り捨て=虐殺)を促し、戦略性(ガス室)やリーダーシップ(総統の独裁)や組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)も意思決定(最終的解決)も価値判断(アーリア民族至上主義)もそこから始まる

と、いう話なら例としては適切なのかな。トリアージとか経営上の合理性とかいう話なら、農業集団化とか強制徴発の方が分かりやすい気もしたのですが。

目的それ自体の妥当性を置くとしても(しかし、如何なる目的意思においてなされるのかが明言されない「合理的判断」なんて代物は、果たして成立するのでしょうか)、その手段として合理的かつ妥当なものであったかどうかという問いも可能なわけで、「適切な分配」なんて抽象的なこと言われても「で?(笑)」という気も。

「かわいそう」は十分、合理的判断です。

通りすがり通りすがり 2008/05/24 01:47 ふくみみさんも次々湧いてくる馬鹿を相手にしていたら身が持たないね

高卒高卒 2008/05/24 02:40 まあ(文型)院生と大学教授のどちらが忙しいかといえばその辺りは明らか過ぎるので、
そんくらい分かってるだろ。

NakanishiBNakanishiB 2008/05/24 04:56 >hokusyuさん
勝手に答えてしまってすいません。
>madashanさん
 どうも、「ホロコースト」についての疑義についてちょっとこれを紹介しておきます、http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080521/p、追記の部分ですね。専門的なものとしてこれです、http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/kogikeizaishi20011217.htm。ウィキペディアでも相当わかります(否定論の部分は無視して)。あと「ショアー」という言葉ですがこれはユダヤ人からとらえた虐殺の経験としての「ホロコースト」の呼び方であり、「ホロコースト」はナチスドイツの体系的抑圧行為(虐殺)全体の呼び方というように区別するととわかりやすいのではないでしょうか。私の勝手の意見ですが。

NakanishiBNakanishiB 2008/05/24 05:29  もう一つここでhokusyuさんがアウシュビッツを例えに出したのはhokusyuさんがドイツ史の専攻だからで、ソ連でも無論かまわないし、日本なら南京事件とか占領下ベトナムの大飢饉とか、他の国でも例はいくつもあると思います。基本的な論点は「例外状態」の想定をうかつに使うのは危険だし愚かだということですから。

toorisugaritoorisugari 2008/05/24 08:42 『正論」ですね

でも、現実世界ではリソースに限りがあります。
医療の目的が「全ての人々を救う事」にあるとしても、それが適わない場合には
次善の策として「出来るだけ多くの人を救う事」を目指すべきでしょう。
為政者が「トリアージで充分だ」と考えてしまう事は問題ですが、
現場担当としての「最善(もしくは次善)」がトリアージなのではありませんか。
トリアージを非難出来るのは「自分なら全ての人を救える!」と言える人だけだと思います。

> トリアージという発想がもともと野戦病院発、いかに効率的に人を前線に再投入するか
発祥が何であるかと言う点を問題とするのは、出自を非難する事と同じで『偏見』です。

> いやだって、どう見ても上のって全体主義理論じゃん!
資源が無限に使えるなら経営などする必要はありません。資本家になれば良いのです。
経営者と言うのは例え大企業の社長であっても「現場担当」です。
サヨクの人にはそれが分からんのです。経営学は帝王学とは違います。

> 「かわいそう」の一言は、その全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立てに他なりません。
> いわば、「王様は裸だ」と叫ぶ無邪気な子供のようです。
大学生が『無邪気な子供』で良いのか、との問題提起と理解したのですが。

taityou@8eggstaityou@8eggs 2008/05/24 10:35 >「かわいそう」の一言は、その全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立て

 「かわいそう」といって「無限のリソース」になるのだったら、異議申し立てになるでしょうが、そんなわけありません。
 現実はなにも変わらないのになにが異議申し立てなのでしょうか?なにが変わるというのでしょうか?
 限られたリソースの配分が恣意的でなかった試しが有史以来あったでしょうか?
 「かわいそう」といって人に資源を配っても、また新たな「かわいそう」な人をつくるだけです。「かわいそうな象」をつくらなければ「かわいそうな人間」ができるだけです。
 小麦や牛や米に生命はないとでもでしょうか?他の生命奪って生き延びることには例外はありません。
 どこかで恣意的な線引きがあるのです。
 「豊かな人間の憐れみ」か「経営学的観点」か「医学的知識の蓄積」かの違いであって恣意的であるのには変わりないのです。
 立場が違う利害が違う人々全てに納得できる恣意なんてあるわけありません。

>、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。

 と、おっしゃるのなら、あなたの方こそなにも言っていないのと同じではありませんか?

hokusyuhokusyu 2008/05/24 12:24 >madashanさん
>NakanishiBさん
NakanishiBさんが紹介してくれたように(ありがとうございます)ホロコーストは「合理的」に行われたというのが今は一般的ですね。事実経緯を言うなら、絶滅収容所が企画されるのは独ソ戦以後であって、それまではマダガスカル計画とかいろいろあったのです。
 
>通りすがりさん
>身が持たないね
そこでトリアージです。
 
>高卒
そこでトリアージです。
 
>toorisugari
ところで、ぼくは一行も現場でやってる人を批判してないはずなのですが、どこでそう読み取ったのでしょうか。
発祥はうんぬんしないのに応用(経営学への適用)は平気でしていいのだという発想がよくわかりません。そもそも救急救命への適用自体、応用からなされたものです。となれば、単により多くの命を救っているというトリアージの「表面的な」正義だけでなく、合目的的に行われる殺戮、つまり戦争の技術としてのトリアージ(選別)の流れも当然あるはずで、それを恣意的に無視してよいのだという根拠はありません。

ApemanApeman 2008/05/24 12:38 > 「かわいそう」といって「無限のリソース」になるのだったら、異議申し立てになるでしょうが、そんなわけありません。

「かわいそう」と言えば「リソース」が無限になるなんて思っている人間はいないし、リソースを無限にする方法があるのなら「異議申し立て」の必要もありませんしね。

なおNakanishiBさんに拙エントリをご紹介いただきましたが、URLの最後に「2」が抜けてます。正しくは
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080521/p2
です。蛇足ながら。

hokusyuhokusyu 2008/05/24 12:42 一部敬称をつけるのを忘れていました。高卒さん、toorisugariさん、ごめんなさい。
 
>taityou@8eggs
なるほど、リソース配分は有史以来恣意的なものでした。そして「かわいそう」の声ももちろん恣意なのです。そして、あなたの言っていることは、王様は裸ですよと言っているだけで、実は何も語っていません。ぼくが批判したいのはそもそも、王様は裸ですよというときに、頭にはぴかぴかした合理性の王冠をかぶっている人のことです。つまり、人間の選択は恣意であるとすれば、それはどこまでいっても恣意(四川地震でも)なことにはかわりません。にもかかわらず、トリアージには客観的な基準があると思われています。呼吸は正常か、意識はあるか、などの情報において、機械的に選別をするだけだ、というわけです。しかし、実はそれも恣意なのであって、そこにヴォルテールがライプニッツにたいして激怒した理由があります。
ところで、合理性の王冠は「例外状態」においてかぶられます。ところが、その判断も「恣意」なのです。toorisugariさんのように、現実の経済社会はすべて「例外状態」の中にあるのだという人もいます。そして、「永遠の例外状態」のなかで行われたのがまさにホロコーストでした。

hokusyuhokusyu 2008/05/24 12:45 また忘れた:;
taityou@8eggsさんごめんなさい。
 
>Apemanさん
なんでぼくがリソースが有限であることそれ自体を批判していると思われてるのかよくわからないです。ちなみに、異議申し立てによって増えるリソースもあると思います。福祉予算とか。

santosanto 2008/05/24 12:55 かわいそうなぞうの「かわいそう」ってのは、「無力っぽさ」に対しての、母性的な庇護心をかきたてられる感情誘発の状態なんじゃないでしょうか。「賢いアウシュビッツの資源独占」に対するアンチテーゼ(ブレーキ)は、弱者間の共済。そのアルゴリズムは遺伝子レベルで既に用意されているので、あとはバランス調整して適切に起動させるだけでよい、って所ですかね。

ただ、あくまで「ブレーキ」なので踏みっぱなしじゃあ車が動かないし。Good/Evilのニ値原理論ではなく、その場その場のダイナミックなバランスで …ってなんかスピノザっぽいですけど。

ますだますだ 2008/05/24 13:10 福祉予算はリソースが増えたんじゃなくて分配が増えたんだろ。

つか、大学って小学校なんだ?
算数の時間が道徳の時間にすりかわってるし。

例えるなら、算数の時間に、例題に出てくる鶴や亀をカワイソウと言い出すアホの子、でしょう。

通りすがらない通りすがらない 2008/05/24 13:26 toorisugariさんではありませんが

>ところで、ぼくは一行も現場でやってる人を批判してないはずなのですが、どこでそう読み取ったのでしょうか。

あなたの言葉で返しましょう。
「あなたの言っていることは、王様は裸ですよと言っているだけで、実は何も語っていません」
何も語っていないから人はそこにさまざまなものを見て誤爆されるんです。

ApemanApeman 2008/05/24 15:57 >つか、大学って小学校なんだ?

それこそ小学校じゃなくて大学なんだからさ、教師は自らの依って立つディシプリンの根底にあるロジックに対する疑義をきちんと汲みとるべきでないの?

hokusyuhokusyu 2008/05/25 00:45 >santoさん
うーん、それはあまりにも本質主義すぎるのでは。
 
>ますださん
ナチス・ドイツは算数の問題に反ユダヤ主義を混ぜました。「これは算数ですから」で道徳的な追求を免れ得ると考えるのは大きな誤りです。
 
あと、福祉予算を増やせというと財源が無いという人があります。本当は財源なんて金持ちからふんだくれば全然あるわけです。
 
>通りすがらない
読解は自由だといっても、自分の誤読をわたくし様のせいにされてもなあ。何も言っていないとはどういうことでしょうか。わりとすっきり主張をしていると思いますが。

madashanmadashan 2008/05/25 02:35 >NakanishiBさん

URLのご教示ありがとうございました。やっぱり、ちゃんと調べないと何事もダメですね。基本になっている知識が歴史学経由であるより遥かに思想書経由なので、その点、歴史学の成果よりも遅いし、ゆがんでいます。

>芝健介、『ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌』、中公新書

あたりから読み始めてみようかしら。

>基本的な論点は「例外状態」の想定をうかつに使うのは危険だし愚かだということですから。

これは承知しておりますし、基本的に同意いたします。
でも、ここにこそ「本性」があるのではないでしょうか。資本主義の過剰を生きることと極限状態での生に関して予め指標を導入することがアナロジーになりうる、と考える思考の形式に意味があるとすれば。


>hokusyuさん

以前、id名を間違えて書いてました。ごめんなさい。

僕はユダヤ人大量虐殺がナチズムの「非合理性」だったとは思っていません。官僚的マステロルは極めて「合理的」なものでしかあり得ないと考えるからです。

ただ、ナチズムとボルシェヴィズムはどこかで本質的に違っていて、それはとりあえず目的と手段の関係なのかなあ、とか思ってました。ボルシェヴィズムにとっては、階級闘争ならびに永続的な革命テロルがその手段ですが(白軍、クラーク、ノメンクラトゥーラ、人民の敵――「客観的」裏切り者、といった感じに再生産されていくものかな、と)、ナチズムにとってはユダヤ人の殲滅は目的に属するのかと考えておりました(もちろん、手段はどうしても目的に影響を与えないではいられませんでしょうし、目的として据えられたものも、その実際の遂行としては手段に転化せざるをえない、ということについては承知しておりますが、一応の便宜的分類として)。

いずれにせよ、学知としての歴史学はまるで門外漢なので(系統だった知識と基本的なディシプリンについてまるで無知なのです)、いろいろと間違いが多いと思います。

しかし、コメ欄が実り豊かで羨ましいナア…。

通りすがらない通りすがらない 2008/05/25 16:11 私は誤読してるなんてどこにも書いていませんが?

> わりとすっきり主張をしていると思いますが。

そう思っているのならそれはあなたの思い込みである可能性が高いです。まともな主張の体をなしていません。
(あるいはあなたがすっきりしただけかもしれません)
まず文章からして、何に対して何を主張しているかが明示されていません。それが新しく主張していることなのか既存の主張を確認しているだけなのか。また、対案に対してあなたの主張は何を根拠にどう優れているというのか(全体主義のレッテルを相手に貼れば優れていると思っているということはないですよね?)
別にそれらを明示しなくても主張は主張といえなくはないですが、それらは誤爆を許し、また、あなたが誰かに言ってるように「何も言っていない」といえる類のものです。
「何か言わなきゃいけない理由」もないですが。

まずは他の人が本当は何を言っているのか、見極めるところからはじめるのをオススメします。

偉そうに失礼しました。

hokusyuhokusyu 2008/05/25 16:41 >通りすがらないさん
いや誤爆でしたら超歓迎なのですが。
 
>まずは他の人が本当は何を言っているのか、見極めるところからはじめるのをオススメします。
「本当は何を言っているのか」
「本当は何を言っているのか」
「本当は何を言っているのか」
「本当」って何でしょうね。難しいです。

通りすがらない通りすがらない 2008/05/25 17:55 何も言っていないが故の誤爆でも歓迎なんですね。これは一本釣られました。

難しいですねえ。

ApemanApeman 2008/05/25 18:23 >そう思っているのならそれはあなたの思い込みである可能性が高いです。まともな主張の体をなしていません。

そう思ってるのならそれはあなたの思い込みである可能性が高いです。

通りすがってみる通りすがってみる 2008/05/26 05:44 >あと、福祉予算を増やせというと財源が無いという人があります。本当は財源なんて金持ちからふんだくれば全然あるわけです。

これは本当にそう思ってらっしゃるんでしょうか?
援護射撃中のApemanさんも同意見なんでしょうか?
流石にびっくりしたんで質問させていただきました。

ApemanApeman 2008/05/26 10:53 ん? 日本の金持ちというのは逆さにして振っても鼻血もでないような人々でしたか?
びっくりしたんで逆に質問させていただきました。

hokusyuhokusyu 2008/05/26 11:33 できるでしょう。それこそ(語源的意味での)トリアージですよ。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2008/05/26 15:31 お初ですにゃ。
ベランダのプランターにバジルの種を蒔いたところ、思ったより発芽率がたかく、みっしりと芽がでてきましたにゃ。ここはトリアージ(間引き)をしにゃーといけにゃーですね。合理性とはそういうものですにゃ。
災害時において、医学的見地にのみ基づいた「間引き」について、僕自身はそれを受け入れざるをえにゃーことはアタマでは納得していますにゃ。しかし、自分が間引かれることを納得できにゃーというのもわかる。それが「かわいそう」なのではにゃーかとも思ったりしましたにゃ。

mojimojimojimoji 2008/05/26 19:56 >それこそ(語源的意味での)トリアージですよ。

にウケた(笑)。金持ちには緑タグでも貼っとけばいいんです。

ApemanApeman 2008/05/26 22:33 「金持ちからふんだくるのは難しいんだぜ」とか言う人こそが今回「トリアージ」をサクッと認めさせたがっているのは、いろいろ示唆的ですね。「女子学生」の「かわいそう」は無視できるけど金持ちの「そんなにふんだくられたらたまらん」は無視できない、ってわけですから。

ところで mojimoji さん、私は「金持ちからふんだくらないことを選択する」ことを「財源が無い」と言い換えることをインチキだとは思いますが、それを「疑似科学」と呼ぶことには賛成しません。「財源は無い」は社会科学として受けいれられており事実社会科学の一側面であるのでしょう。ここではむしろ「科学批判」をすべきなのです。

mojimojimojimoji 2008/05/26 23:49 >Apemanさん
その感じは分かりますし、以前はそう考えてましたが、今は違います。>科学批判をすべき
というのも、僕なりに、経済学者の言説の変だなと思うことを考えたり実際に質問してみたりする中で、返答が結構酷いなという印象を持つようになったんですよ。批判されるべきだが経済学的に真っ当な主張をしている、ではなく、経済学的な分析と個人的な見解をまぜこぜに主張している、というような。

ApemanApeman 2008/05/26 23:59 mojimojiさん

その点については現在作業中のことがあったりしますので、いずれ決着を付けるということでよろしいでしょうか(もちろん、決着なんてつかないという可能性もふまえてのはなしですが)?

なまえなまえ 2008/05/27 01:14 (そちらの業界における)ファシストとその他の人々との違いは、
まれなチャンス
少しの度胸
なのですから、つまりはそういうことです。

そろそろ降伏すればいいんじゃないですかねー

hokusyuhokusyu 2008/05/27 01:48 >なまえさん
意味が全くわからないのですけど。

taityou@8eggstaityou@8eggs 2008/05/27 07:42
 お返事ありがとうございます。
 ハンドルなんですから、敬称なんてわたしは気にしてませんよ。
>、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。
 こんなの当たり前だからなにも言っていないのと同じだ。と、いうあなたの批判の仕方が許されるのならば、「王様は王冠をかぶっている」というのも「当たり前のことを言っているだけ」なんですから「なにも言っていないのと同じ」です。
 他人に自分が望む恣意を行わせる(自分の言うことを他人に正しいと認めさせるとか、他人リソースを分捕ってくるとかetc)には何らかの力が必要です。例外をわたしは見たことがありません。
 歴史的・経験的同意事項であると訴えてみたりだとか、今までの個人間の関係の蓄積とか、暴力とか、論理とか、他人の憐れみにつけ込むとか、伝統的・血統的・身分的様々な種類の権威とか、(市場や法律など)様々なシステムとか、まぁ何らかの力です。
>王冠
 と、いうのを「何らかの力」と解釈しても、そんなの当たり前・なにを今更な話ですし。
 何らかの「恣意の正当性」と解釈しても、そんなの当たり前の話です。
>「かわいそう」の一言は、その全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立て
 教授の頭に王冠をつけようとするのか、女子生徒の頭に王冠をつけようとするのかの違いであって「王様は王冠をかぶっている」ことには違いがないのですから、あなたの方こそなにも言っていないのと同じです。

taityou@8eggstaityou@8eggs 2008/05/27 07:53 ↑の文章
>hokusyuさん
 って、書き忘れたです。(うぐぅ)

mira12mira12 2008/05/27 08:27 看護婦はいかにして効率よく兵士の命を救うか、つまりどれだけの戦力を保持出来るかという考えから出てきたものだから矛盾しているんでしょうか?

mojimojimojimoji 2008/05/27 09:57 >apemanさん
こちらもその方がよいです。上記コメントは現段階では見通しで、僕としてもまだちゃんと考えたいことがいくつか残っていますから。

hokusyuhokusyu 2008/05/27 12:32 >taityou@8eggsさん
> 教授の頭に王冠をつけようとするのか、女子生徒の頭に王冠をつけようとするのかの違いであって
 
そんなことは言っていません。読み返してみてください。
ちなみに、誰かを従わせるのなんて全部暴力ですが何か?というのは、
>「バカだなあ。王様が裸なんて当たり前じゃないか」と自らの裸を誇示するのです。
で既に指摘していたりします。
 
>mira12さん
少なくともナイチンゲールの理念はそこには無かった気がしますが、もちろんせっかく救った命がまた前線に投入されることによって奪われる葛藤について、古くから考えられてきたわけです。

hokusyuhokusyu 2008/05/27 12:33 「そこ」というのは、「つまりどれだけの戦力を保持出来るか」です。

mira12mira12 2008/05/28 14:23 つまり、戦争を出自とするものは、どう使われるかではなく存在そのものが否定すべきであると解釈していいでしょうか?
銃が悪いのか人が悪いのかで銃が悪いと答えるように。
そうなると答えは多数決でしか出ない観念的な好き嫌い問題に成り下がってしまいますが。

もうひとつ
トリアージを経済経営に応用すると全体主義になってホロコーストが起こるという部分には説得力が全くありません。
なぜなら、トリアージは1か100かを選ぶ「どちらかを選択しなくてはならない」問題であるというのが前提です。
他方、ホロコーストは、それが「必須である」状況はおそらく存在しないし、存在するならはカルネデアスの板の論理で肯定されるでしょう。
無論、「カルネデアスの板は間違ってる、二人とも仲良く死ぬべきだ」と言うなら別ですが。
id:fuku33がモデルとしての最適の話をしたところに現実的な諸問題を当てはめるからこんなに噛み合わないのでしょうか。

mira12mira12 2008/05/28 14:32 もうひとつ
経済でも経営でもモデル化するとき、人は最適に動く、というのが前提です。
そこで、「人間はもっと複雑だ」と言ってしまうと話が進まないわけです。
例の「かわいそう」と言った学生は人間的かもしれませんが、経営の授業を受ける姿勢ではないだろうというのが僕の感想です。

ApemanApeman 2008/05/28 22:52 >つまり、戦争を出自とするものは、どう使われるかではなく存在そのものが否定すべきであると解釈していいでしょうか?

どこをどう読んだらこういう解釈が可能になるのか、不思議でなりません。

>そうなると答えは多数決でしか出ない観念的な好き嫌い問題に成り下がってしまいますが。

これも意味が分からない…

>なぜなら、トリアージは1か100かを選ぶ「どちらかを選択しなくてはならない」問題であるというのが前提です。
>他方、ホロコーストは、それが「必須である」状況はおそらく存在しないし、存在するならはカルネデアスの板の論理で肯定されるでしょう。

これもすごいなぁ…「カルネデアスの板の論理で肯定されるでしょう」って、自説を真っ正面から粉砕してるしw
もちろん前半も反論になってませんね。

>id:fuku33がモデルとしての最適の話をしたところに現実的な諸問題を当てはめるからこんなに噛み合わないのでしょうか。

「現実的な諸問題」をひきあいに出したのは fuku33氏その人なんですが…

>経済でも経営でもモデル化するとき、人は最適に動く、というのが前提です。

えっ! そんなこと前提しちゃうんですか? だったら経済学も経営学もいらないじゃないですか! ずいぶんと「リソース」が節約できそうですね。

hokusyuhokusyu 2008/05/28 23:14 >mira12さん
たとえばナイチンゲールなどは、やはり人の命を助けたいということで看護をやったと思うのですが、それが戦争という「人を殺すシステム」の戦略に回収(それこそ元々の意味、戦場での「トリアージ」)されることでの苦悩、というのはたびたび議論されているということです。従って、「戦争に使われたからダメ」というのはまったく読めてないなと思うわけですが、それでも「人じゃなくて銃が悪い」というのは別の意味で興味深いと思います。すなわち、技術による人の支配です。「トリアージ」はその観点でも議論が可能でしょうね。
 
>「トリアージは1か100かを選ぶ」
ホロコーストには「1か100かを選ぶ」選別の連続という性質があります(その最果てが<回教徒>)。トリアージにしても、実際の現場ではその具体的な状況において、選別が連続的に行われるわけです。まさにその「生政治」「生権力」の表出たるトリアージが、経済に応用された場合、全体主義の危惧が起こらない理由はありません。
 
ところで、コメント欄いっぱいになりそうですが、続きをたてる気はとくにないので、どうしても続けたいなら28日のエントリにでも書いてくださいな。

ApemanApeman 2008/05/28 23:22 mira12さんは、戦前の日本において「満蒙は日本の生命線」なんて主張がもてはやされたけど満蒙を失ってみたら別にそれで国が滅びることもなかった、って歴史も学んでみるといいかもしれませんね。

zspherezsphere 2008/05/29 02:33 お邪魔いたします。
少し気になったので、質問を二つだけ、させてください。
まず、hokusyuさんの主張というのは、要約すると、
「合目的的に救済することも、合目的的に殺戮する事も、根は同じである。その恣意性に問題がある」
……という理解でよろしいでしょうか?

あともう一つ、では結局、もしhokusyuさんが災害救助をする立場に立たれた場合、どのように行動されますでしょうか?
思うに、トリアージ的な救助の基準に対する問題提起があって、けれど「じゃあどう行動すべきか」がわかりにくく、そこが何かもやもやしているように感じるものですから。
その二点だけ、後学のためによろしければお教えいただければ幸いです。以上、失礼しました。

hokusyuhokusyu 2008/05/29 14:35 >zsphereさん
もう少し限定してもいいんじゃないかな。人を「生かす」権力と、人を「殺す」権力の間には、連続性があるということです。もちろんそこで持ち出される合目的性と合理性は恣意的であるわけです。
 
>災害救助
場合によると思うのですが、もしぼくがボランティアであれ医療関係者であれ、組織的な救助活動の一環として救助に参加した場合、取れる選択肢には限りがあります。なぜならば、取れる選択肢はそれ以前の無数のアウトソーシングによって、現場に下りてきたときにはもはや決定されているからです。そこで重要になるのは、どうのように行動するかではなくて、行われた行動にたいしてどのような態度を取るかです。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080528/1211963763
のエントリを見てください。このエントリのポイントは、全く崇高でない行為が、非行為者によって崇高性を付与される瞬間にあります。そこに横たわる、ある種の欺瞞と困難性が、まさにかの経営学者様のトリアージの例示にかけているところであって、そしてそれは経営学者様自体に、その視点が欠けているという問題性をあらわにします。

zspherezsphere 2008/05/30 04:01 ありがとうございます。
ご紹介いただいたエントリを読み、hokusyuさんの意図について納得しました。
問題は、有限なリソースを分配する過程で切り捨てられる人が出てくる、
その切り捨てを「崇高な」行為と表明する事で、逆に不可避な「当然の事」であるという前提にしてしまう、
そこで思考をストップさせるシステムにしてしまう事だ――といったところでしょうか(舌っ足らずな要約で申し訳ない
hokusyuさんの、この次のエントリーが正にそういう内容でしたね。我ながら理解の遅い事。

そういう目で見ると、元になった福耳さんの記事を読み返した時に

>実際に存在する競争という現象を、そしてそこでの優位劣位を、かわいそうとかかわいそうじゃないとか、善悪とか、そういうものにいきなり結びつけてしまう。それを論じたらなにか成果があるんだろうか。

とあるのは、確かに「奪うことへの懐疑」をスルーしてしまっているという点で、いただけない記述と読めます。
ただ、hokusyuさんも、実際に救助隊として活動する際に「選択肢が限りがある」とおっしゃられているように、実際にはトリアージ的な活動をせざるを得ない立場に立つ場合もあるでしょうし、その際には「切り捨て」を眼前にする事で精神的にキツくなる事もあるでしょうし、そうした実際面へのアドバイスとして、福耳さんの意見を「感情をシャットダウンする事も知らないと燃え尽きちゃうよ」という風に読むなら、一理あるかなとも思いますが。

基本的にはhokusyuさんのスタンスに賛同します。ナチスを話に出したのは、かえって論旨をミスリードしてしまったような印象もありましたけれども。

hokusyuhokusyu 2008/05/30 04:35 >実際面へのアドバイス
ただねえ、それも無責任っちゃあ無責任なんですよ。たとえば
http://d.hatena.ne.jp/flurry/180009#19

taityou@8eggstaityou@8eggs 2008/05/30 08:54 >hokusyuさん
 お返事ありがとうございます。
>そんなことは言っていません。
 まさかあなたは言論は異なる恣意のぶつかり合いであり、どこまで行っても王冠の奪い合いにすぎないということを否定なさるおつもりですか?

例1、商取引「客が100円で缶コーヒーを買う」場合
 客の恣意・・・缶コーヒーが欲しい
 客の王冠・・・100円(購買力)の支払い事実、売買契約、商習慣、商法民法など各種法規、国家権力による強制力(暴力)etc
 店の恣意・・・100円が欲しい
 店の王冠・・・缶コーヒー(便益)の引き渡し事実、売買契約、商習慣、商法民法など各種法規、国家権力による強制力(暴力)etc
 このようにお互いの恣意がバッティングせず、お互いの恣意を満たす交換が成立すれば、お互いの王冠(「何らかの力」「恣意の正当性」)も存在し続けます、だから安心して客側はコーヒーを消費できるし、店側は100円を使うことができます。

例2、ラウンド1「幼児A君がB君所有のおもちゃをB君から取り上げた」場合
 Aの恣意・・・おもちゃで遊びたい
 Aの王冠・・・暴力
 Bの恣意・・・おもちゃで遊びたい
 Bの王冠・・・所有権、暴力
ラウンド2「A君のお母さんがA君からおもちゃを取り上げてB君に返してあげた」場合
 Aの恣意・・・おもちゃで遊びたい
 Aの王冠・・・占有事実、暴力
 母の恣意・・・Bにおもちゃを返せ
 母の王冠・・・Bの所有権(尊法意識)、道徳観、親子関係の蓄積、暴力etc
 おもちゃはひとつなんですから、AvsB、Avs母どちらか一方しか王冠をかぶり続けることができません。どちらか一方しか恣意を維持することができません。
 ラウンド1ではB君の恣意と王冠は損なわれていますし、ラウンド2ではA君の恣意と王冠が損なわれています。

 なにが言いたいかというと「恣意と王冠はセットですよ」と、いうことです。裸の王様は全て王冠をかぶっているのです。
 王冠をかぶった裸の王様でなければ恣意は継続できず、王冠がない方は「裸の王様」ですらなくなります。
 恣意の表明を引っ込めて裸の王様であることをやめるか。(確率的にはほぼ全ての人々はこちらに属します)
 死ぬまで恣意の表明を引っ込めず、存在ごと消えてしまうかのいずれかです。(例えば9.11飛行機でビルに突っ込んでいった「西側大衆がテロリストと呼称するもの」は死ぬまで恣意を引っ込めなかった人々です)

本エントリーの場合
 hokusyuさんの恣意・・・教授が正しい(王冠をかぶってる)と思ってる(読者の一部含む)大衆は間違っている。
(>このような欺瞞こそが人間社会なのであって批判は青臭いというなら、それはそれで構いません。ただしそのとき、我々はアウシュビッツを批判する視座を失うわけですが、と、hokusyuさんは教授が正しいと思っている人々を批判しています)
 hokusyuさんの王冠・・・教授の主張は全体主義だ、欺瞞だ、資本家(教授側)は厚顔だ(>自らの裸を誇示)

 hokusyuさんが間違っていると批判した一部の読者(このエントリーを読むことで、はじめてhokusyuさんとhokusyuさんが批判した人の恣意と王冠はぶつかるのですから、教授が正しいと思っている人々の中で、このエントリーを読んでいない人は除外)以降の文章は略して一部読者
 一部読者の恣意・・・我々は間違ってない
 一部読者の王冠・・・教授は正しい。(合理性の王冠をかぶっている)

 本エントリーの場合も例2と同じように恣意の対立関係にあり、どちらか一方しか王冠をかぶることはできません。どちらか一方の恣意しか通りません。
 一部読者の恣意が通れば、一部読者の王冠も健在ですので、相変わらず教授が王冠をかぶることになります。
 hokusyuさんの恣意が通れば、一部読者の恣意は間違っていることになり、一部読者の王冠「教授は王冠をかぶっている(正しい)」も損なわれます、自動的に教授の反対の立場である女学生が王冠をかぶることになります。

 本エントリーの構造そのものが(恣意の表明そのもの)
>そんなことは言っていません。
 と矛盾があります。

taityou@8eggstaityou@8eggs 2008/05/30 09:13  本題とは関係ありませんが。
>我々はアウシュビッツを批判する視座
 ありますよ。
 我々は9.11でビルに突っ込まれる側、ビルに突っ込む側を「テロリスト」と言っている側、白人やユダヤ人の受益者側だからです。
 彼らに王冠がある(東京裁判やニュルンベルグ裁判)ということにして、彼らの陣営に入って、おこぼれに預かっている側だからです。
 人道の罪?彼ら白人がカリブ海の島々の人々に行ってきたことはなんですか?(今カリブ海の島に住んでいる人々は元々そこに住んでいた人たちではなく白人が連れてきた黒人奴隷の子孫です)
 ユダヤ人迫害は悪い迫害で、パレスチナ人迫害は良い迫害なんですか?
 あなたもお認めのように、
>リソース配分は有史以来恣意的なものでした。そして「かわいそう」の声ももちろん恣意なのです。
 人類の限られたりソースの配分はいつだって恣意的なのです。
 今現在だって世界60億の人民は日本人並みの豊かな生活をしているわけではありません。豊か側とそうでない側の壁はハッキリあります。(支配の仕方が昔は粗っぽかったのが、少し甘くなった(洗練されてきた)程度でやっていることの本質は変わらない)
 経済、金融、内政、外交、戦争、諜報、文化、論理、化学、法律etc王冠をかぶるために彼らはなんだってやってきました。これからも複合的になんだってやっていくでしょう。
 飛行機でビルに突っ込んでまで彼らの恣意に抵抗せず、あまつさえおこぼれに預かっている我々は立派に彼らWW2戦勝国側がつくった戦後秩序の住人であり、アウシュビッツを批判する座視を有していますよ。
 わたしだって、こんなところで文章を書いているのが精々で、カミカゼアタックをしてまで祖国や先祖の王冠(反東京裁判史観)を守ろうとする気概はありませんもの。立派な戦後秩序側の住人。hokusyuさんのおっしゃる「我々」側の人間です。
 ペンなんてものは剣があってはじめて役に立つものです。福澤翁も太平洋戦争後に校章をつくられるなら違う意匠にしたでしょう。

zspherezsphere 2008/05/30 18:35 確かに、無責任な構造を持っていること、無責任な部分を含んでいる事はわかります。
しかし、福耳さんの発言が、これから実際にそうした「切り捨て」の場に立とうとする学生さんたちへ向けて話す場であったなら、彼の言葉がアドバイスとしてそれなりに機能することは、汲んでも良いんじゃないでしょうか。
システムに問題があると言っても、その学生さんたちがこれから、そのシステムの中に就職という形で入っていかなきゃいけない事がすぐさま変えられるわけではないんで。
その上で、「でもその切り捨てに対する懐疑は時々思い返して自問してね」という問題提起にしていかないと、福耳さんとhokusyuさんとの立場の違いが埋まらない気がします。
最新のエントリーも拝読させていただきまして、私は哲学思想はからっきしの浅学の徒なので内容には何とも言えませんが、分かる範囲で読んだ限りでは、内容には納得できましたし、同意できると思えるものでした。
そうした思想・哲学の話の筋の中では、福耳さんの記事と、ナチスのホロコーストがつながってくるというのはそうなんでしょうが……実学として、実践の場での考え方として話している福耳さんの言葉とは相が違っている気がします。
福耳さんの記事での話の流れから、いきなりこちらの記事でホロコーストに話が飛んでいるのを見たら、それは飛躍と感じられてしまうのではないでしょうか。
せめて、福耳さんが事例として出している百貨店の話や、せいぜい四川大地震での救助の話の範囲内で異論を立てていくのでなければ、断絶に戸惑ってしまう気がします。
結果としてこのエントリーは、福耳さんを「ホロコーストと同じ考え方をしている人」として貶めるような内容に読めてしまうと思います。それは、hokusyuさんの本意なんでしょうか?
相手の話している相に合わせて問題提起し、相手により踏み込んで考えてもらう、そういう風に話が運べなければ、結局不毛にしかならないのではありませんか?

hokusyuhokusyu 2008/06/01 02:53 >アドバイスとしてそれなりに機能することは
しないと思うんですけどね。「うわあお嬢様ばかりだな。トラウマが足りん!トリアージ論でトラウマ注入!」ってことでしょう。あたまがわるい人があたまがわるいなりに頑張っているな、ということぐらいは認めてもいいかもしれません。
それで、実学で実践だから、思想の問題をスルーしていいのだという話にはならないと思います。特に福祉とか医療をやっているなら、生-権力の話なんて知ってて当たり前の話で、知らないってのは教育者としては怠慢でしょ。普通に。
ていうか、この話自体が緊急性を言い訳にしたほにゃららの例のような気もするな。

zspherezsphere 2008/06/01 03:43 機能しない……しないかなぁ。
なんか、これを機に関連するエントリーなんかも読んでいると、トリアージに携わった人が実際に精神を病んじゃうケースもあるとかいう話で。姑息でその場しのぎでも、そういうのに対する簡易な自衛の効果はあるかなぁと思って、あんな発言をしたわけですが。
しかし、んー、私も別に福祉とか災害救助とかに携わってるわけでもないただのオタクで、おまけに大学の教職課程を途中で挫折したヘタレだし、あんまり一生懸命「機能するんだよ!」って言うのも違う気がしてきました。
なので、そろそろこの辺で失礼しますね。
個人的な感想として……せっかく色んなことを、真摯に考えてらっしゃるのに、それを「あたまのいい人」の間だけで回し読みして終わってしまうのは、もったいないかなーと、ちょっとだけ思ったりして。
今後ももし気が向いたら、私みたいな、あたまのわるい人にもおすそ分けしてやって下さい。
それでは。色々とご返答いただいてありがとうございました。勉強になりました。失礼します。

hokusyuhokusyu 2008/06/01 19:58 >taityou@8eggsさん
最新エントリがかなり答えになっているのではないでしょうか。
 
>zsphereさん
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080529/p1(特に追記)をどうぞ。

zspherezsphere 2008/06/02 01:13 一度はこの辺で切り上げると言いながら、興味深い記事をご紹介していただいたので恥知らずにも再び書き込みします。たびたびすみません、zsphereです。
リンク先の記事を拝読しました。そしてよく考えてみました。
結果として、私はこのリンク先で主張されている事に、賛同しません。
思うにこのエントリーを書かれたmojimojiさんは、一つ重要な事を失念していらっしゃいます。それは、「自分の論理の方に欠陥があるケース」です。そういう可能性が、皆無という事はありえないと思います。
白状するなら、最初にこのhokusyuさんのエントリーにコメントさせていただいた時点では、私は内心hokusyuさんを「バカにして」いました。こちらの記事に瑕疵があると感じていたのです。
けれど、同時にhokusyuさんの最新の記事などを見ると、私の読解力では読みこなせないような書籍を読んでいらっしゃるようであり、また私の知らないSF関係の用語なども使用している様子。
それを見て、私は無意識に「自分の方が浅薄な考えを持っている可能性」を留保し、またhokusyuさんの知見にはできるだけ敬意を払うように注意しつつ、ここまでコメントを書かせていただきました。
だからこそ、レスにて色々と興味深い記事を紹介していただき、ここまで私個人としては大変面白くhokusyuさんとやりとりを続けて来れたと、それは嬉しく思っているのです。まぁ、hokusyuさんにとっては単に煩わしい客であったかも知れませんが(もしそうだったなら、申し訳なく)。
本当に、人は「その相手がバカにしか見えない世界から外に出ることが」できないのでしょうか?
少なくとも私は、相手に異論を唱えることと、その異論を唱える相手の自分にはない部分に敬意を払う事とは両立すると、そのようには信じています。また、そうでなければ、私にとって実りある議論にはならないだろう、とも。
昨日、福耳さんの方にも書き込みをしようと思って行ったら、既にコメントできない設定にされているようで、果たせなかったのですが。もし私が福耳さんの該当記事にコメントするなら、多くの生徒さんにものを教えている立場である事や、私の持っていない実学に関する多くの知見に敬意を表するところから始めると思います。その上で、私が感じている、
http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20080213/1202837415
こういう実感について正直に述べて、福耳さんの意見をお伺いしたいと思ったりしています。
どのような答えが返ってきても、それは多分、私がもっと深く考える契機になるかなと。
もっとも、この辺りはもう、私とhokusyuさんの信念の違いという領域になりつつあるので、単に「私はこう思う」というだけのお話なのですが。

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