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2008-10-27

「デモ」と「ただ歩くこと」

http://www.sanctuarybooks.jp/sugoi/blog/index.php?e=202

イベントが「デモ」だったか「ただ歩くこと」だったかを区別することにあまり意味はありません。

「デモ」とはすなわち「ただ歩くこと」でありうるし、「ただ歩くこと」から「デモ」は発生しえます。まさにその未分化であるところが、「デモ」という政治運動において決定的に重要だと思います。

そもそも届出のデモは「デモ」ではないと言う人もいるけど、そも人が企画したデモの尻馬に乗るだけでデモを企画したことは無いぼくがそれを言うのはおこがましいわけですが、届出のデモも立派な「デモ」だと思います。でもそれはデモが「ただ歩くこと」では無くなったことを意味しないし、もちろん逆に無届だからといってそれはデモではなくても「デモ」でないとは限らない。

「デモ」とはつまり、そこに異議が存在するということを示すことだと思います。別に主張の中身は何でもいい。悲壮な顔でやる必要はない。楽しくやっていいと思います。でもいずれにせよみんな社会における何らかの支配的なものに対して異議があるからデモをやっている。そしてその方法というのが、「ただ歩く」という、なんら特別なところが無い行為です。プラカードを持ったりしている人もいるけど、ときどきコールしたりもするけど、でも基本的には「ただ歩く」。俺はデモをやるんだと明確に意識してデモをやる、ということだけじゃなくて、ただてぼてぼ歩くこともまさに「デモ」である。ある政治的な異議申し立てを、特別なことをするわけでもなく、しかし私は異議があるんだということを表明することこそ「デモ」の意義だと思います。

さて、このことを踏まえたうえで主張します。「デモ」は「ただ歩くこと」ではないとみなされる社会は恐ろしい社会です。逆に「ただ歩くこと」が「デモ」ではないとみなされる社会も恐ろしい社会です。実際の事実を知ってから〜式の、形式に着目して「デモ」側に味方するか警察側に味方するかというやり方は、まったく中立ではないのです。それは政治の忌避あるいはまつりあげに他ならないのであって、「民主」の放棄であり無自覚な抑圧の正当化でしか無いのです。

lylycolylyco 2008/10/28 18:23 ご指摘いただいた通り、思い切り明後日な方向のブクマコメントでしたので当該部分を削除しました。申し訳ありませんでした。また、こちらのエントリーでされている主張については、ぼくが書いたエントリーのブクマコメントでご説明いただいた内容だと理解しました。ブクマコメントについては、ソーシャルな視点を欠いて適当に脳内処理された結果だけを書いてしまう傾向にあるため、エントリー自体への適切なコメントたり得ていないことが多々あると思います。極力、気を付けたいと思います。
なお、ぼくが書いたエントリーについては、こちらの主張を尤もだと感じたうえで、それでもあの麻生邸見学ツアーの顛末について感じる違和感と疑念について書きました。それは、そもそも「真剣度」以前に本当に政治的な運動ではなかったのではないか、という疑問です。その意味で、こちらのエントリーを枕にさせてもらったこと自体が適切ではなかったですね。こちらを読んだ流れで自分の中に合った前提を疑いつつ考えた内容だったので。というわけで、エントリーの方も冒頭の引用扱いをとりやめ、関連リンク扱いに変更する形で修正しました。このたびのことは、この辺りでご容赦ください。もちろん、不行き届きなところがあれば以後もご指摘いただければありがたいですが、それを期待するのは当方の甘えでしょうね。それでは、これからも楽しみに読ませていただきたいと思います。

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