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2009-04-12

NHKスペシャル『アジアの“一等国”』が伝えようとしたもの

 お返事がたまっている。ううう。

■シリーズ JAPANデビュー 第1回 アジアの“一等国”

http://www.nhk.or.jp/special/onair/090405.html

 さて、台湾問題を扱ったこの番組が「反日」であるという理由で問題になっているらしい。確かに、「そのとき歴史が動いた」ならば「良き植民地主義者」として描かれるであろう後藤新平の差別主義者、弾圧者としての側面を強調するなど、非常に興味深い番組であった。

 しかし、台湾の人々の植民地時代にたいする批判的な証言を多く紹介し、日本支配の抑圧的な側面を取り上げたからといって、それが「親日的な」台湾、あるいは「親日的な」台湾の人びとについて事実を歪めたとする考えは、あまりにも皮相的に過ぎるといえよう。現代台湾の植民地時代にたいするアンビヴァレント性は、以下の記事に詳しい。

■「台湾=親日」

http://blog.livedoor.jp/koshek/archives/51582120.html

 だが他方で、この番組が植民地支配にたいする多様な見方のひとつの「意見」だけをとりあげて紹介したものではないことも事実である。この番組が放映される数日前、深夜に番宣をやっていた。そのときはこの番組がこれほど問題になるとは思っていなかったのでうろ覚えになるのだが、取材を担当したディレクターの発言を紹介していた。台湾の人びとは自分たちに対して非常に友好的に接してくれていたし、植民地時代を懐かしく思う声もあったが、ある瞬間にはその表情が一変し、日本に対して非常に厳しい声をあげるときがある。その印象が自分には強烈に残り、その豹変は一体、何に由来するのかということに興味を覚えた、と。

 単に、植民地時代を良く言う声もあるが悪く言う声もある、ということではない。植民地支配にたいする評価が、証言の中で豹変する瞬間、その地点に台湾植民地問題の本質がある。この番組は一貫してその点を追求していたように思えた。日本にたいする各々の証言は単にそれ自体での日本にたいする告発ではなく、むしろその証言を話す主体が、いかに日本の植民地支配によって構成されてきたか、という問題を提示していた。流暢な日本語を話し、「生き生きと」軍歌を歌う台湾の老人たちが語る「自分達は天皇陛下のために戦ったのだ」という証言は、その証言の内容を超えて、われわれ日本人にたいしてあるメッセージを投げかけてくる。

 そもそもシリーズタイトルが示すように、この番組は「台湾問題」についての番組ではなく、「日本問題」についての番組であった。植民地時代は台湾にとってどうであったか、ということではない。日本がいかなる視線で植民地台湾を眺めていたか、ということが問題なのだ。たとえば、この番組ではロンドンの博覧会に日本が台湾「原住民」を「展示」した*1ことを取り上げていたが、それは日本が植民地に向けていたコロニアルな視線を浮き彫りにし、またそのようなコロニアルな視線の獲得こそ日本が「文明国」の仲間入りをする条件であったという事実から、「近代」とは何だったのかという本質的な課題を提示するものであった。単に、学校をつくったことは良い支配、でも現地の人を差別したことは悪い支配、といった表面的な見方ではなく、学校の建設も現地人の差別も、植民地に対する日本の視線、あるいは植民地というものが日本において果たした機能において同じ構造にあったのだ、ということを、この番組では読み取れるように構成されていたと思われる。

 台湾は「親日」か「反日」かという議論は、「台湾問題」を「日本問題」として捉えていないものであり、したがってこの番組の意図を正しく読み取れていないのである。「親日」的な証言と「反日」的な証言それ自体ではなく、その両者の結節点(あるいは分裂)が重要なのだ。良い植民地主義と悪い植民地主義があるのではなく、ただ植民地主義がある。この番組はその問題に真正面から取り組んだ意欲的な番組であり、「反日」的であるというようなくだらない批判に萎縮することなく、次回作に取り組んでほしいと思う。

*1:番組では触れられていないが、このとき、台湾だけでなくアイヌなどの少数民族もまた「展示」させられていたのである。

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