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2009-12-06

「野生の言語」と「獣は檻へ」

 こういうのも本当に野暮なんだけど書かずにはいられない。

 少なくとも近代以降の世界史ってのは「人間」概念の拡大の歴史だといっても過言ではない。市民革命の時代にすら、「黒人」や「女性」は「人間」だとみなされていなかった。彼ら彼女らの地道な権利獲得運動の中で、今まで「人間」カテゴリから排除されていた人々が次々と「人間」になっていく。

 だがちょっと待ってほしい。「人間」って一体何さ?と気付いた人々がいた。よくよく目をこらしてみれば、「人間」とは結局、「マジョリティ」の言い換えでしかなかった。つまり「黒人」が「人間」になるということは、「黒人」が「白人」になることでしかなかった。「女性」の場合は「男性」になることでしかなかった*1

■野生の言語

http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20080504/1209929038

 そんな「人間」なんかクソ食らえだ!と言い始めた人たちがいた。たとえば「黒人」たちが、「黒人も人間だ!」ではなく、「黒人は黒人だ!」と言い出しはじめた。この「黒人は黒人だ!」ということばは、まさに「野生の言語」として、ほんとうにマジョリティの地位を脅かし始めた。「黒人」を「人間」とすることでは揺るぎもしなかった「白人」の特権的地位が、「黒人は黒人だ!」ということによってあぶりだされたのである。

 「われわれは、人間ではない××である」という視座の獲得は、マイノリティたちにとって、マジョリティの特権性を撃つ大きな武器となった。

■ホモやオカマは決して「普通の人」ではありません!!

http://barairo.net/works/TEXT/hutuunohito.html

 たしかに、たった今あなたの隣で踊っているあの人が異性を好きであるかどうかは直接本人に聞かないと分からないハズなのに、異性が好きだと勝手に決めつけてそう思い込む、そんな人間達は今でもたくさん存在する。そういう頭の固い人たちに「同性愛者はあなたの隣にもいる(かもしれない)」ということを伝えるために、「同性愛者も普通の人、どこにでもいる人」という言い方は有効なのかもしれない。

 しかしそれでは、「なよなよした」「淫乱な」「普通でない」わたしたちはどうなってしまうのか。

 ホモやオカマが嫌われるのは、それらが既存のジェンダー秩序の外にあり、男女の性別2分法を生物学的にも性自認においても性役割においても性指向においても押しつける「ジェンダー・テロリズム」に逆らう人たちだからだ。ホモやオカマが嫌われるのは、それらが男か女かよく分からないからだ。ホモやオカマが嫌われるのは、それらが異常(=時代の多数派権力が生き延びるために恣意的に創り出した生け贄/スケープゴート)だからなのだ。「異常な私たち」が、異常なままで、堂々と今の社会の中に生きることが大切だ。決して「同性愛者は正常な普通な人だ」などと言ってはならない。そう言ってしまうことは私たち自身に対する最大の裏切りだ。正常化され毒抜きされた「普通の姿をした」同性愛者を社会が受け入れることが大事なのではない。私たちが生きる今の社会秩序--- 性別2分法と「男らしさ・女らしさ」の性別役割を押しつけ、ホモフォビア(同性関係嫌悪)で、強かんや暴力などの「男のわがまま」を黙認し、セックスを悪いことだと考える社会秩序を、変態で性的倒錯者でホモで異常でオカマな「私たち」こそが、堂々と解体しなくてはいけない。

 少数派である自分に自信を持て!共に闘かわん!

 なぜこの視座が有力な武器となりえたか。そのひとつには「人間」なるものの根源的な規範性、根本秩序としての特権性を、根元から掘り崩す攻撃性を有していたからに他ならない。

 しかし、このような「野生の言語」が、マジョリティによってとなえられたら?。その攻撃性は計り知れない抑圧、暴力となる。たとえばファシズムは、「民族」の基礎にその「生き生きとした野獣的な」闘争性を置くのである。「男は獣」ということばは、多くの場合、まさに男性自身によってとなえられる。「獣」とはまさに「人間」ではないものである。いっさいの対話可能性が存在しない、そのようなアナーキーな存在として表象されている。男性が自ら「獣」と名乗ることによって――もちろんその「特権性」を維持したまま――直接にそれに晒される女性は、どれほどの抑圧を受ける(受けていた)であろうか?*2

 男性は、当然「人間」である。その既得権は失わない。そして「かつ」「獣」なのである。つまり、あらゆる基本的人権が保障され、「かつ」自らの欲望を隠すことなく、欲望のままに生きることが容認されるのだ。「人間」と「人間でないもの」の間を男性は自由に揺れ動く。一方で、それ以外のカテゴリの人々は押し込められ、権利は制限されるのだ。

 「獣は檻へ」とは、その「男は獣」という野生の言語の裏返しである。「獣は檻へ」のインパクトはすさまじい。それは言いようの無い恐怖を与える。もしかしたら「予防拘禁」されるかもしれない!そう感じるのは当然である。そういう言葉なのだから。しかし、それはもともと「男は獣」の言語が持っていたものであって、その「野生の言語」が本来の所有者へと奪回されたにすぎない。男性が「獣は檻へ」を抑圧だ!と怒るのであれば、それとまったく同じように、「男は獣」ということばで女性がいかに抑圧を受けてきたか、を認識する必要がある。「獣は檻へ」で何が脅かされているのだろうか。もし、私たちの社会の根源的基盤がその脅かされているものと直結しているとするなら、それは一体何であったということになるだろうか?

それまで声を奪われていた者、社会の支配的暴力にさらされていた者が敢然として発言しはじめると、社会のマジョリティから浴びせかけられる発言の多くに、同類の暴力性が出現する。(中略)否定論者は「犠牲者の発言の権威」に反発しているのであり、マイノリティからの意義申し立ての声を抑圧しようとしているのである。それは「なぜマイノリティや犠牲者の声だけが尊重されるのか。私達の声も聞いてくれ」という懇願にはじまり、ひいては「マジョリティにはマジョリティの立場があるのだ」という開き直りに行き着く。

via:http://d.hatena.ne.jp/KIM625/20091205/1260022270

ぼくは結局のところヘテロ男性であって、直接的に「獣は檻へ!」と叫ぶ立場になることは不可能だ。せいぜい、こうやってお節介にも解説を施すのみである。とはいえ、「獣は檻へ」への反発の大きさを考えれば、こうした解説も何の益になることもないだろうが。

*1:このあたりも女性史的には複雑だが。「母性」問題とか。

*2:もちろん、「性」は「男性」と「女性」の二分法でわけられるものではない。しかし、現に今ある「男性/女性」の境界線上で、抑圧が発生しているという事実を無視するわけにはいかない。

suekichi9suekichi9 2009/12/08 16:27 今まで「人間」カテゴリから排除されていた人々が次々と「人間」になっていく。

そんな流れは逆転してうる。そんな中で、「男は獣」などといつ表現を使うことは、男は人間ではないのだから、絶滅させて当然ということになるではないか。
冗談であれ何であれ、男性なぞいなくとも生殖でしる技術が開発されつつあるし、これで男はいらないね、とか語られているというのに。

hokusyuhokusyu 2009/12/08 22:23 まさかとは思うのですが、あなたの「そんな流れは逆転してうる」という時代認識は、あなたの想像上の現象に過ぎないのではないでしょうか。

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