北斗柄の占いについて思うこと このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

北斗七星夜柄長 破軍廻剱曳光芒
悠々法界無窮命 小我帰天満十方
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  紫微斗数って占い知ってます?

菅原光雲御宗家が「はてな」さんに削除要請を出したみたいです。(2005-05-26)
御宗家の主張が世間で通用するものなられっきとした刑事事件なんだからケーサツ行くべきでしょう。

バカバカバカのコメントを残した菅原光雲御宗家がやったコメント荒らしの足跡とか
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見て楽しいものでもないですが、光雲御宗家はこういうことをする御仁です。

2004-02-21 久しぶり

日記再開  日記再開を含むブックマーク  日記再開のブックマークコメント

しばらくぶりでまた書き始める。

八幡藪不知探訪  八幡藪不知探訪を含むブックマーク  八幡藪不知探訪のブックマークコメント

以前から中国に旅行するなら、魚腹浦に現存すると伝えられている、武侯石陣図を訪ねてみたいと考えていたが、日本にも石陣図と同じように、迷い込むと脱出できないとされているエリアがあることを思い出した。八幡藪不知(やわたのやぶしらず)である。少年チャンピオン連載のUKキングダム*1に出ていたので思い出した。

八幡藪不知は将門伝説と関連して語られることが多いようで、八門遁甲と関連した伝説も伝わっている。なんでも、将門と戦った平貞盛が、将門の父親の良将の墓所である藪不知に、八門の死門を使った仕掛けを施して、将門を滅ぼそうとしたということらしい。

一方で平将門には、6人の影武者がいたとか、数字の7にまつわる伝説があり、北斗七星との関連もある。そこで、藪不知を探訪するにあたって、奇門遁甲の中で北斗七星と関連の深い天三門地四戸法*2を使って、探訪の日時を決めた。雨水に入ってすぐの己日、申刻である。

横から見た藪不知
写真1. 八幡藪不知を横からみたところ.

マンガに街中にあると書かれていたように、JR総武線本八幡駅から歩いて5分くらいのところに、千葉街道に面するように八幡藪不知は存在している。藪不知は周囲を建物、フェンス、石垣で囲われており、中に入ってはいけないことになっている。写真からわかるように、石垣はかなり高くて自転車に乗っている人の頭の高さくらいある。これでは、日中に乗り越えるのは人目もあってやりたくない。*3もっとも現在は藪不知の領域はずいぶん小さくなっており*4、正面からみると竹の隙間から向こうの建物が透けて見える。多分、中に入ったとしても、迷って出られなくなることはないだろう。

入り口 羅盤でみた磁場
写真2. 入り口の鳥居. 写真3. 羅盤による磁場の観測.


藪不知の千葉街道に面した中ほどに、一見、入り口のようなところがあり鳥居がある。そこには「不知森神社」とある。この鳥居をくぐると、ミニチュアの社殿*5といくつかの石碑のための空間を囲うように石垣があり、藪不知内部に入ることはできないようになっている。結局、藪不知内に入るには石垣かフェンスを乗り越えるしかない。*6鳥居の文字を読むと、この不知森神社は、目と鼻の先にある「葛飾八幡宮」の管理下にあるらしい。藪不知の起源として、葛飾八幡の元宮という説もあるようで、さもありなんといったところか。

羅盤で磁場を見てみるとかなり安定している。ギリギリ、未山丑向に見える。千葉街道に面していて、ひっきりなしに車が通ることを考えると、これだけ安定した磁場を保っていることの方が不思議かもしれない。


塚か? 祠
写真4. 芭蕉で覆われた塚? 写真5. 小さな祠.


石垣に登って中を窺ったところ、社殿の左後方に少し土が盛り上がったところがあり、そこは一面、芭蕉で覆われていた。そしてその塚らしいところの前に、瓦で作ったような小さな祠があった。藪不知の御神体は、この塚らしいものではないだろうか。八幡藪不知の外見は確かに竹薮なのだが、藪不知の「藪」が「薮入り」の「藪」であるなら、薮入りが閻魔の斎日である以上、「藪」は冥界とつながっており、この藪不知は冥界への入り口であったはずだ。そしてそれ故、迷い込むと出ることができない場所であったと。


石碑 石碑の文字
写真6. 石碑. 写真7. 石碑の文字.


さて落ち着いて、石碑を見るといくつか発見があった。石碑には「常陸信太郡」の文字が見える。どうもこの一帯は千葉上総)といいながら、常陸*7でもあったらしい。実は藪不知には、水戸光圀*8が中に入って痛い目を見たという伝説が残っており*9、この石碑からすると事実だったかもしれない。また近くの葛飾八幡の名前からもわかる通り、このあたりは両国浅草のあたりとも深い関係があったようで、この石碑を建てたのは、両国花川戸の人だったようである。*10

さてカンの良い人は「信太郡」でピンと来たと思うが、よりによって「信太」である。藪不知は「信太の森」でもあったらしい。陰陽師の先達である安倍晴明伝説を脚色した、「芦屋道満大内鑑(あしあどうまんおおうちかがみ)」の別名が、「信太妻」であるように、晴明と信太明神はどこか深いところでつながっている。晴明が六壬を得意としたことからすれば、六壬と奇門遁甲の接点である天門地戸を使って、八幡藪不知を訪れたことはやはり正しかったか。

*1:トレジャーハンターの話にしては変なタイトルだな、と思っていたが、聖杯伝説が出てきてそれらしくなってきた。

*2:奇門遁甲と六壬が重なり合う領域である。詳しく知りたいなら「遁甲演義」を通読すると良いだろう。ただし見つかるのは算出方法のみで、正しい用法については書いてあったとしても誤解してしまうだろう。ついでにいうなら「遁甲演義」も通読したことないような手合いが奇門遁甲の専門家面しているのを見ると片腹痛い。

*3:深夜には来たくないし。

*4:平成10年頃にずいぶんと人の手が入ったらしい。現在の大きさは幅50m×奥行き25m程度。

*5:かなり新しいものだが、元々は藪不知内部にあったものを、移したものらしい。

*6:もしくは他人の家を通り抜ける。

*7:今の茨城県、かって水戸藩がおかれていた。

*8水戸黄門だ。

*9:この話は錦絵にもなっているそうな。

*10:隣の石碑には「常陸信田郡江戸崎」の文字がある。

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