|
北斗七星夜柄長 破軍廻剱曳光芒 悠々法界無窮命 小我帰天満十方 |
|
Office HOKUTO の「占いについて思うこと」から移行
紫微斗数って占い知ってます?
菅原光雲御宗家が「はてな」さんに削除要請を出したみたいです。(2005-05-26)
御宗家の主張が世間で通用するものなられっきとした刑事事件なんだからケーサツ行くべきでしょう。
バカバカバカのコメントを残した菅原光雲御宗家がやったコメント荒らしの足跡とか
2003-11-10、2004-04-07、2004-10-08、2005-04-10、2005-04-17、2005-05-15、2005-07-04、
2005-07-13、
2005-07-14
見て楽しいものでもないですが、光雲御宗家はこういうことをする御仁です。
2004 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 |
2100 | 12 |
2006-02-25 一応、武術も五術だし
■ 口先ドラゴンへの道

紅壁虎1巻を読んで気が向いたので武術絡みの話をしてみる。私は口先拳法ヲタクで自分じゃ何も出来ないくせに、武術について薀蓄を披露することを楽しみの一つにしている。今回のテーマは「何気なく立っている蛮童のカットで御飯をおかわりできるようになる」である。
主人公紅壁虎の相手役にしてエネルギータンク役でもある蛮童玉三郎だが、蛮童はかなり腕が立つという設定になっている。例えば、
- 1巻57ページ
ヒョイとヤグザの股間ないし下腹部を蹴り上げ、次のページでは1コマで3人のヤクザを叩きのめしている。 - 前回のエントリにも出した96ページ
銃を向けて突っ込んでくるヤクザの、銃を持った腕をヒョイと砕いて銃を取り上げついでに自分の足を撃たせている。
どちらでもヒョイという形容を使ったが、これは蛮童の表情に力みがないこと*1、身体の動かしている部分以外にも力みがないように描かれていることを表現したかったからである。この力みがないということについて、作者の山本貴嗣は「雑文−武術のこと」で次のように語っている。
身体の力みについては「その3 武術は力まない」から
強いということは力が入ること≒力むこと、だと思っている人がいる。
とんでもない間違いである。
無論なんらかの行動を起こすのに力がゼロでは動けない。なんらかの筋肉の緊張を伴うわけだが、実際に効果的な威力を出すのは「力む」ことと「完全脱力(糸の切れた操り人形状態)」の間にある状態であり、漫画や映画によく出てくる、筋肉や血管がびきびきとこれ見よがしに浮き出て膨れ上がった状態などでは断じてない。あれは武術的に言うなら使えない体、つまりは「死んだ」体である。
漫画においてキャラクターの表情は大切な要素である。それは重々承知している。
であるが武術家は、闘いながら表情を変えない。
もう一つ、これは色々な流派の(中国にせよ日本にせよ)達人が言っていることであり、また私のようなシロウトでもそう思うのであるが、敵を倒す(殺す) ということは、激情にかられて顔を歪めてするようなものではなく、もっとある意味で淡々とした、誤解を恐れずに言うならば「事務的な」作業である。
目にゴミが入ろうとすれば人は無意識に目をつむる、そういうものに近い作業である。いや無意識不随意の反射運動とは違い、そこには意識的な行為もあるのだが、判り易く例えると、である。
相手が攻撃してきた。
それをこう導いてこう加撃してやればその者は死ぬ。
だからそうした。
それ以上でも以下でもない。
つまり蛮童がヒョイと攻撃しているのは、格下のチンピラに対してカッコ付けているわけでもなんでもなく、「最も効果的な攻撃を加えるためにそうすることが必要」だからそうしているのだ。そしてこのことは、蛮童がヒョイと攻撃できるようになるために相当の修練を積んだ=山本貴嗣がそれを見るために武術を観察・体験し、それを表現できるだけの画力を磨いたこと、を意味している。
どうですか、蛮童の立ち姿で御飯おかわりできそうですか?
蛇足だけど、蛮童も紅壁虎も対武器術の修練が半端ではないことも描かれている。蛮童の方は既に出した銃の取り上げだが、紅壁虎は142ページで刃物を持ったチンピラにチンピラ自身の手首、しかも動脈付近を切らせている。こいった対武器術は日本ではそんなに注目されていないかもしれないが、世界では当然のように必要とされている。
また武器に対抗するためには武器の取り扱いに習熟する必要があるだろう。オープンソースの伝道者にして格闘オタクのエリック・レイモンドも山形浩生によるインタビューでこう語っている。
いや、格闘技をやれば当然のことだと思うよ。ぼくは銃の使い方を修得しない武道家はインチキだと思うな。だって武道は、そもそもはある種の戦闘技術として生まれてきているわけだ。だからその時代で支配的な攻撃手段についてきちんと勉強して、それに対してどういうふうに対抗するのかを考えない武道というのは、現実に対して目を閉ざしているわけだ。銃ってものがあることを否定するわけにはいかないだろう。それがないふりをするのはごまかしだよ。
さらに蛇足だけど、紅壁虎は殺し屋を職業としていることもあり、相手の心理のスキをつく毒手*2も使用している。141ページで紅壁虎は相手を言葉で怯ませた一瞬を突いて、目潰しから金蹴りを叩き込んでいる。そしてこれと似た毒手の技に灯点紅がある。これは、相手がタバコを吸おうと口にくわえたところで、恭しくタバコにマッチで火をつけてやり、相手が一服つけたところを、マッチの燃えさしで目潰しから金蹴りというエグイ技である。

This
work is licensed under a Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 License.