聖数7

なんかいくつかの数の特殊性がちょっとした話題になっているらしい。それらについては「女性脳とか男性脳とかの話を有難く聞く人たちがどこにいるかは参考にしよう」にまとめが上がっている。これらは基本的には、「DO科学/「3」を究める」というヨタ記事が、朝日新聞がやっている科学面にようこそというサイトに掲載されたことへの批判として書かれたものだ。元のヨタ記事も批判している側も術数方面に暗いまま書いているので、術数にかかわる者からみたヨタ記事への批判を書いてみたいと思う。

術数にかかわる者にとっては22くらいまでの数*1に、特殊性や聖性が付与されていない数などない。そしてそれ以上の数においては、特殊な数字の合成数としての意味や聖性が付与されることになる。従って全ての数は特殊であって聖なるものなのだ。個人個人において強く影響を受ける数が異なっているにしても、それは個人差であって、全ての数が聖なるものであるということには変わりがない。朝日のヨタ記事も批判記事のどれも、個々の数の聖性を強調する事象を取り上げることで、自分たちの推す数の聖性を証明した体裁をとっているが、全ての数に聖性があることを知っている人間にとっては笑止の一言で終わるような話でしかない。

ところで7についての特殊性を主張されている人達から抜け落ちている視点があるので、それについて少し触れておく。数学者のルネ・トムがそのカタストロフィー理論の構築において、最初に証明した事柄が、単連結の空間において発生するカタストロフィー、つまり不意に発生する不連続な変化は7種類しかないことだった。このルネ・トムによる証明は証明された当時は新聞にのる程の事件だった。中学か高校の頃に新聞でこの話を知った私は、7の持つ聖性が数学的に証明されたと興奮したものだ。そして占星術における古典的な7惑星と7つのカタストロフィーが対応付けられるのでないかとか考えをめぐらせた。若かったとしか言いようがない。

とはいえ黒川某のように7の聖性を主張して他人様に説教するなら「数学的に証明されているのだ」くらいのフカシは欲しいよね。ものを知らずに知った風な口をきくのは悲しいことだ、自戒を込めて。

*1:最大で81くらいか。