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北斗七星夜柄長 破軍廻剱曳光芒 悠々法界無窮命 小我帰天満十方 |
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紫微斗数って占い知ってます?
菅原光雲御宗家が「はてな」さんに削除要請を出したみたいです。(2005-05-26)
御宗家の主張が世間で通用するものなられっきとした刑事事件なんだからケーサツ行くべきでしょう。
バカバカバカのコメントを残した菅原光雲御宗家がやったコメント荒らしの足跡とか
2003-11-10、2004-04-07、2004-10-08、2005-04-10、2005-04-17、2005-05-15、2005-07-04、
2005-07-13、
2005-07-14
見て楽しいものでもないですが、光雲御宗家はこういうことをする御仁です。
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2011-10-13 六壬神課二題
■ では私ならどうみる

他人様の間違いを指摘するだけではなんなので、東京近辺で東関東大震災の発生時刻から出した六壬天地盤と四課三伝をイベントチャートに読んでみることにする。前日のエントリの通り、地震のあった時刻はすでに申刻となっている。以下は既に起こった震災の、被害を知った上での後理屈になっていることに留意して読んで欲しい。
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四課三伝全てが土支で稼穡*1格となった。これは地面や大地で何か起こる象とみて良いだろう。干上神は日財とはいえ、日干乙の木行の墓であって凶、しかも季節に死である。そしてそれがそのまま発用にたっている。つまり大地で起こる凶事、第一感は地震だろう。また三伝の天将で唯一吉である太陰が乗じているのは戌なのだが、戌は空亡して力がない。つまり助けるものが四課三伝にないということだ。
そして天地盤において災厄をしめす疾厄宮には玄武が乗じた徴明亥が臨んでいる。これは明らかに水害を表している。津波や液状化現象をしめしているのだろう。また隠れた災禍をしめす辰宮に陰火である騰蛇が来ているのは、地震に関連して発生した原発のメルトダウンをしめしていると読めなくもないだろう。
以上、正しく東京で作成した天地盤や課式の方がラディカルだというのが私の印象だ。なお天盤戌の下の未は8なので8×5=40、復興には最低でも40ヶ月はかかるということだろう。
■ 指神子の占例

國分秀星さんのサイトである“The Warrior of Astrology”に『陰陽道の金星』というちょっと面白いエントリがあがってた。
これは久壽二年七月二十六日*2の深更*3に発生した月が金星を蝕した星蝕についてのエントリである。安倍泰親はこの蝕を占って、天皇、母主や皇太子についての凶兆と判断したのであるが、國分秀星さんは金星が指す将軍について触れられていないのは何故かと疑問を呈しつつ、西洋占星術の立場からこの星蝕を見るとどうなるかを解説している。
私なんかだと、そら六壬使って将軍は関係ないと出たからに決まってるじゃん、とすぐに結論してしまうわけだけど、六壬について知らないなら仕方がない。
ところで安倍泰親は『指神子(さしのみこ)』と呼ばれた達人で10に8、9は当てた人だと言われている。また時に当時の六壬の常識から外れた判断をして、またそれが当たる人だったらしい。
ところで國分秀星さんのエントリから、MCが金牛宮にあって太陽が処女宮にあることが分かるし、該当エントリに古事類苑の該当記事へのリンクがあるので、星蝕があった日が辛未であったこともわかる。そこで六壬の天地盤と課式を立てて、指神子が星蝕をどう読み解いたか考えてみたい。一応、古事類苑の記事を引用しておく。
(本文)
久壽二年七月廿六日辛未、深更月犯太白、即使人問泰親、使者歸來云、泰親立地仰天、 廿七日壬申、泰親、月犯太白、天子惡、〈先帝崩象歟〉母主惡、〈關白殿北政所、將薨象歟、〉立太子皇子歟、(読み下し)
久壽二年七月廿六日辛未、深更ニ月太白ヲ犯ス、即チ人ヲ使シ泰親ニ問ウ、使者歸リ來リテ云ク、泰親地ニ立チ天ヲ仰グ、 廿七日壬申、泰親、月太白ヲ犯スハ、天子ニ惡ロシ、〈先帝崩ノ象歟〉母主ニ惡ロシ、〈關白殿北政所、將ニ薨ズルノ象歟、〉立太子ノ皇子歟、(大意)
久壽二年七月二十六日辛未の日の夜更けに月が金星を隠す星蝕があった。(凶兆であるので)人を使わして安倍泰親に占わせた。使者が帰ってきて言うには、泰親は地に立って天を仰いだとのことだった。二十七日壬申に泰親から以下の答申があった。月が金星を蝕するのは天皇に悪いことがあります。〈先帝が崩御したことの象徴か?〉位の高い母に悪いことがあります、〈關白殿の北政所が亡くなろうとしていることか?〉皇太子かもしれません。
この時刻の課式は近代六壬であれば別責課をとるが、安倍泰親の時代には別責課はまだなく昴星課を取ったはずであること、また当時は寅刻から昼貴人となるので、天地盤と課式は以下のようになる。
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おそらく泰親は星蝕から凶事であるとの前提に立って、どのような凶であるかを推測していったはずだ。課式は昴星課で発用午を制するものがない上に東の地平線1室に臨んでいることが凶事を裏付けている。そいて一課が大吉(丑)だが墓神、しかも坐空で脱気となっている、また上昇宮において発用午に勾陳が乗じている。これらから人死は避けられないというのが泰親の読みだったのではないだろうか。泰親は地面に降り立って天を仰いだとされている。
ではどこら辺りから「天子惡、母主惡、立太子皇子歟」が出てきたのだろうかと考えると、
を引っ張りだしたのではないだろうか。
玄珠
2011/10/15 11:27
『唐開元占経』に引かれた各種緯書・星占の書を観直してみましたが、やはり泰親の断はそれらに依ったものではなさそうでした。課からすると、辰の天剛が丑の父母に乗じ発用が囚によるところから来ているのかもしれません。天獄課の異説に基づいているというわけで。ただ「深更」でもあり、本当は丑刻の方が適切のような気もしますね。
hokuto-hei
2011/10/15 22:29
気になってステラナビゲータで確かめてみたところ、丑刻に月が昇ってきたときには既に蝕が起こっていたようです。少し考え直してみます。
玄珠
2011/10/18 22:43
それと泰親は実占ではどの貴人法に依ってたのかも問題になるかと。
hokuto-hei
2011/10/18 23:05
そうか、泰親が子息に略决を伝授したときの写本を写した京大本には、貴人法についての付箋がありましたね。

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