話が尽きない節気ネタ

他所の、はてな日記だけれどもこういうエントリを読むと、「この人、2033年問題をちゃんと認識しているのだろうか?恒気と定気の二十四節気についてどう考えているのだろうか?」とか考えてしまう。

六壬神課では月将は太陽過宮で決まるので使う二十四節気は定気で決まりだ、と普通はみんなそう思うだろう。しかし天地盤の作成の最初の月将を時支の上に置く、これは太陽過宮を使った恒星時の近似計算になっている。そう考えると節気と節気の時間間隔が一定していない定気の二十四節気よりも、時間間隔が一定な恒気の二十四節気の方が、より相応しい可能性はある。

もっとも以前のエントリにあげたように、月将と時支による恒星時の近似は節気の数日前でかなりのズレをしめしている。春分の頃は、まだ定気の方が恒気よりも早く春分が来るので、定気の春分の方が先にズレを解消してくれる。悩みは尽きないわけだ。

なおこのエントリのために、以前のエントリをチェックして図と文章を書き換えた。

これってそんなに奇妙な現象か?

先日、日経新聞のweb版に「光子の過去を変える!? 量子力学の不思議な実験」と題する日経サイエンスから持って来た記事がアップされていた。のっけに

先日ハイゼンベルク不確定性原理を破る測定で注目を集めた量子力学

とボケをカマシてくれているのが御愛嬌で、破れたのは『ハイゼンベルクの不確定性を記述した不等式』で『不確定性原理』は破れていない*1

で、この記事ではヤングの干渉実験を取り上げている。2つのスリットを通過した光は干渉によって投影先のスクリーンに干渉縞を作る、これがヤングの実験だ。

ここでスリットにそれぞれ直行する偏光板を置くと、記事では、

ではスリットで光子を観測し、光子がどちらを通ったかわかるようにしたらどうなるだろう。2つのスリットにそれぞれ偏光板を置き、右を通った光子と左を通った光子が異なる偏光を持つようにする。光子に目印がつき、どちらを通ったかわかるようにすると、干渉縞は消えてしまう。光子はスリットのところで観測されて粒となり、スリットの一方しか通れなくなるからだ。と、これまで説明されてきた。

と解説されているけれども、干渉縞が消えてしまう一番素直な説明は、

電場の振動面が直行する2つの直線偏光は干渉しない。そのため干渉縞が消える。

だろう。この解説では、干渉しなくなった2つの直線偏光に45°の偏光板を通過させることで、再度干渉縞が現われることをしめして、

ところが光子の行く手にもう1つ偏光板を置いてすべての光子の偏光をそろえ、どちらを通ってきたかわからなくすると、再び干渉縞が現れる。光子は再び波になったのだろうか? だがスリットはもう通ってしまった後だ。光子が第2の偏光板に当たったとたん、スリットに戻って干渉をやり直すというのだろうか。

と不思議な現象であることをしめしている。ところでこの『もう1つ』おかれた『偏光板』は、十中八九は『λ/4板(4分のラムダ板)』で、直線偏光に対して45°傾けておくと、直線偏光が円偏光になるというものだ。λ/4板を通過した直行する2つの直線偏光は、互いに逆回転する円偏光になる。この2つの光は干渉するので当然干渉縞ができる。

という具合に記事でしめされている一連の3つの実験は、光の波動性を考えると全然不思議な現象ではない。光子の過去*2とか関係ない。量子力学においては粒子性と波動性の混在している。波動性が露わになるためには、干渉縞が観測できるまで多数の粒子を蓄積する必要がある。この『多数』ないし多数の粒子を蓄積するのに必要な『時間』が、量子力学的なミクロな系をマクロな系とわける決め手なのではないだろうか?

*1:ハイゼンベルクの不確定の不等式と不確定性原理は全く異なるものだ。小澤の不等式についての解説を参照のこと。

*2:カノジョの名前が『光子』だからって、カノジョをフォトンと呼ぶのは、50年前ならまだしも今じゃイタタだよね。