holalaの日記

2017年11月17日(金)

 娘が出かける用事のある時、我々夫婦が双子の赤ちゃんの見守りをしています。ミルクを飲ませたり、抱っこしたり、遊ばせたりしています。赤ちゃんを抱いて思うことが一つあります。赤ん坊は自分を抱いてくれる人に自分の身をゆだねていることです。自分では何もできません。ミルクが欲しいのか、おむつを交換して欲しいのか、寝たいのか、自分の気持ちを言葉で表現できません。泣いたり、体を動かしたりして何かを表現しています。見守る大人が様子を見て察知します。何もできない赤ん坊と抱いている自分を思う時、神さまと自分の関係も、私と赤ん坊の関係と同じだと思わされます。神さまの前に、私は全く無力な存在であり、全面的に神さまの信頼すべき存在なのだと思わされました。


 別なことからも同じ思いを抱きました。それはドラゴンクエスト11というゲームをようやくクリアして、同じことを感じたのです。なぜ感じたのか、言葉では表現できないのですが、感じたのです。このゲームは若い時から遊んできたので懐かしく、ゲーム機ゲームソフトを買い、遊びました。人生を共に歩んでくれたゲームです(^_^;)。ゲームの中には、教会も出てくるのです。


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 11月26日は説教の奉仕を与えられています。主イエスが天使を従え、雲に乗ってきて、すべての国民を集めて裁きを行うという話しです。マタイ25章です。現代人からすれば、終末の時が来て最後の審判が行われるというのは、にわかには信じがたい話しです。現代人に身近なこととして、しかも福音として伝えるという課題が与えられています。神さまの導きがなければ説教はできません。


 私の説教準備のために、祈ってください。