いきなり

あかんかった。さっさと撤退。まあ先週から仕入れていた株は予想通りに上昇しているが、勝負をかけたのは失敗。まあそんなにうまくはいかないですからね。正直、微妙な買いだったので。こういう買い方はよくないです。もっと考えて買わないと。期待とかしちゃだめです。

イクター制、ティマール制、ミレット制、デウシルメ制

この辺の用語がごちゃごちゃってしてしまう。とりあえず簡単にまとめよう。

イクター制

ブワイフ朝で確立した封建的制度。「的」っていうのは、ヨーロッパのfeudalism(封建制)とは似てるけど違うってこと。イクター制は土地を授与してその徴税権などを与えることで、土地や人の支配権は持っていない。ただその後土地を授与された軍人は勢力を強め、土地自体の保有権なども獲得していく。セルジューク朝でも採用された。封建制とのさらなる違いは、封建制が君主を最上位として階層的に構成されていたのに対し、イクター制はLANのスター型のように、個々の徴税権保有者がスルタンと結びついていたこと。

ティマール制

オスマン帝国での封建的制度。兵士に封土を与えて租税の取り立てを行わせた。土地は世襲となっていたが、原則土地は国有であったため、実際は徴税権のみを与えていた。

ミレット制

オスマン帝国で行われていた。ティマール制はイスラム教徒用だったが、ミレット制は異教徒用。納税を条件に自治を認めた制度。

デウシルメ制

オスマン帝国で行われていた軍事制度。キリスト教の子弟を徴集し、イスラム教に改宗させて、スルタンに忠誠を誓わせた。こうして生まれたのがイェニチェリで、その後巨大になったイェニチェリが特権化して政治に干渉しだす。
  

元の社会と文化

社会・経済

金末の戦乱で、華北は大土地所有者が没落して自作農が増加したが、江南では大土地所有が行われて佃戸制がますます発達した。また揚子江流域に綿花の栽培が普及し、木綿が安価で供給された。この江南の経済力に依存していた元は、江南から華北への物資輸送に懸命になり、新運河を掘って補強を図った。これでも不十分なので、沿岸沿いに海上輸送路を開き、これらを併用した。
元では交通網が充実し、東西交流が発達した。西方遠征も東西貿易路を掌握することにあった。さらに駅伝(ジャムチ)制の充実に努めた。また海上貿易も発達し、泉州・広州などは、当時世界有数の港市として繁栄した。こうした商業の発達に伴い、元は交鈔を発行したので、これが主要通貨となった。しかしのちに濫発したため、経済界を混乱させて元滅亡の一因となった。

元の文化と東西文化の交流

江南の漢人社会では、豊かな経済力を背景に庶民文化が発達した。戯曲は元曲と呼ばれて、傑作が多く生まれた。恋愛劇の「西廂記」、両親への孝養を描いた「琵琶記」、王昭君の悲劇「漢宮秋」などは今日でも広く読まれている。口語文学では「三国志演義」や「水滸伝」などの原型がこの時代にできあがった。絵画では南宗画が確立し、書道では趙孟頫が伝統を伝えた。
東西交流によってイスラム世界の優れた科学が中国に伝えられた。郭守敬授時暦を作り、それが日本の貞享暦となった。遠くヨーロッパからの旅行も多く、ヴェネツィア商人のマルコ=ポーロ陸路大都に来て、フビライ=ハンに仕え、帰国後「世界の記述」を書いた。元末にはイブン=バットゥータ海路中国にきた。また教皇インノケンティウス4世使節として宣教師カルピニや、仏王ルイ9世の使者ルブルックモンゴル高原に到達し、13世紀末には元朝モンテ=コルヴィノがきてキリスト教を布教した。一方元朝からはラッパン=ソーマがフランスに渡って、ローマ教皇に謁見した。