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ホロコースト教育資料センターKokoro日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2011-09-10 牛仲小6年生とワークショップ「アンネ・フランク」行いました

holocaustcenter22011-09-10

今日は待ちに待った

牛込仲之小学校での

ワークショップ!


アンネ・フランクを教材

にして6年生と平和学習

をしました。


ちょうど「平和のとりで

を築く」を国語の授業で学習していた6年生たち、

ワークショップを終えて、いろんな感想を書いてくれました。

今も世界で続く争いのこと、貧富の差のこと、自分の夢友達の夢

クラスについて、母親との関係についても。


まさに十人十色といった感じ。

こんなふうに、子どもたちのいろんな思いを

引き出せるのが『アンネの日記』の素晴らしさです。


6年生たちの言葉をぜ〜んぶ紹介したいくらい・・・

ですが、いくつか抜粋を載せます。



私が大切にしたいアンネの言葉 ・・・  

そのココロは?

「自由」ぼくもたくさんの夢をもっているから。みんなと遊んだりしたいから。


「与えよう」1つの心ある言葉だけで世の中の正義や愛がもっと豊かになると思うから。


「勇気」自分の考えを恥ずかしがらずに言ったり、しらない人が困っているときに話しかけるのも勇気がいるから。自分の気持ちを伝えるのに勇気がいると思うから。

「役に立ちたい」3月11日の事で希望をうしなっているから、ぼくは人の役に立ちたいから。


「平和」いまの私のクラスは平和とは言えないと思うから。


「勇気」自分もつらいことがあっても、アンネ・フランクとは比べものにならないほど楽なつらさだから、もっと自分も勇気をもたなければいけないと思う。


「勇気」自分の夢をかなえるためには勇気が必要だからです。勇気をもっていれば、人類は生きていけます。


「勇気」私は勇気があまりありません。だから勇気をもって行動したいと思います。


「自由」わたしはお母さんとかにおこられると、お母さんがいるから自由じゃないと思うけど、アンネはお父さんもお母さんともひきはなされて、やることもせいげんされて、かくれてくらしているアンネにくらべたら、ぜんぜん自由にくらしているから、この言葉にしました。


「平和」戦争をされたくないし、安心して暮らせるようにしたい。平和ではないアンネのように、自分の平和をさがします。


「良い心」みんな良い心をもっていれば、アンネもこんなことにならなかったんじゃないかなと思います。良い心をもって、色々な人の役に立ちたい。


幸福だれもが幸福になりたい、だれでも幸福になる権利があるから。


みんな真剣に書いてくれています・・・

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最後に全員に書いてもらった「Dear Anne アンネへ」、

これも一人ひとり、すばらしい感想を書いてくれました。

こちらに掲載しました。


☆牛仲小6年生のみんなへ

アンネが正直な気持ちを日記に打ち明けたように、

みんなも様々な思いを書いてくれてありがとう!

全員の感想を掲載することはできませんでしたが、

すべて読ませてもらいました。一人ひとり、すばらしい感想でした。

この思いを、みんなのこれからの生活の中でも、大切にしてくださいね。


いくつか質問を書いてくれた子もいたので、ここに答えを書きます。


-アンネはなぜ日記を書いたんだろう?

友達にも会えない、きゅうくつな隠れ家で、アンネにとって「日記」は自分の気持ちをはきだす大切な存在だったんだよね。


でも実は、もう1つ、アンネが日記を書き続けた理由があります。隠れ家でこっそり聞いていたラジオで、あることが発表されました。戦争が終わったら、オランダ国民の手記や手紙を集めて公開します、という内容でした。アンネは作家になりたいという夢をもっていたので、日記をもとにして本を出版したいと考えていました。



-なぜアンネはもっと遠くに逃げなかったんだろう?


アンネのお父さんは、アメリカやイギリスへ逃げる方法もさがしていました。しかし、入国の許可書(ビザ)を手に入れることができませんでした。


当時、どこの国も不況で、生活に苦しんでいた国民をかかえていました。ナチスから逃げたいというユダヤ人に、助けの手を差しのべた国はほとんどありませんでした。そうして、1939年に第二次世界大戦がはじまると、ユダヤ人にとって遠くへ逃げることはますます難しくなってしまったのですね。


逃げることができた人もいましたが、生まれ育った町を離れること、友達と別れること、家を捨てることは、とてもつらい、大変なことでした。


★もう少し知りたい人は・・・

あのとき、ヨーロッパから遠いこの日本まで逃げてきたユダヤ人もいました。その人たちは、いったいどうやって日本までやってきたのでしょう。興味がある人は、読んでみよう!

  • 『杉原千畝(すぎはらちうね) - 命のビザにたくした願い』小西聖一著(理論社)
  • 『杉原千畝 - 六千人の命を救った外交官』(学習まんが人物館)(小学館)


-なぜユダヤ人は差別されたんだろう?

実は、ユダヤ人はナチスの時代よりもっと前から、嫌われたりすることがしばしばありました。

1つの理由は、宗教の違い。ユダヤ教から生まれたキリスト教がヨーロッパ中に広がった時代、少数のユダヤ教徒は信仰が違うことを理由に、嫌がらせや差別を受けたり、暴力を受けたりすることもありました。


そのような差別がもともとあって、たとえば、伝染病がおきたとき、「ユダヤ人のせいだ。ユダヤ人が井戸に毒を入れた」というデマが流れました。裕福なユダヤ人がいれば、「金持ちでいじきたない」と言われました。ユダヤ人の中でアインシュタインのようにノーベル賞を受賞した科学者が出てくると、ねたまれることもありました。


アンネが生まれたころ、世界はどんな時代だったか少し話しましたよね。不景気で失業者が町中にあふれてくると、それは「ユダヤ人のせいだ」という、人を責める気持ちがあらわれてきました。人々の不安や不満が、少しずつユダヤ人への憎しみにかわっていきました。「なんだか変だぞ」と思っても、「ユダヤ人が悪い」という周りの人たちにながされてしまった人たちもいました。


ヒトラーが登場したのが1933年。それから6年が過ぎて、1939年に戦争がはじまってしまうと、もう誰にも差別や暴力を止めることはできませんでした。


人が人を「差別」する気持ちって、なぜ、どうやって生まれてしまうのだろう。みんなの学校生活の中でも、ぜひ考えてみてくださいね。

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